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世界を渡る石  作者: 非常口
第2章 渡界2週目
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アリスの示す真実

 この遺跡の主である【ラビリンススコーピオン】は、全身が漆黒に艶めき、全長は腕と尻尾を除いても6mの大きさがあり、頭胸部からは1対の触肢、4対の歩脚、口元で交差する鋏角が圧倒的な存在感となって放たれている。特に、触肢は全長6mにも及ぶリーチと人の背丈ほどもある鋏とによって迂闊に近づくことも許さない。とはいえ、その長すぎる脚は一度、懐に入り込みさえすれば一方的に攻撃を与えられるような気にさせる。だが、赤く煌めく5対の目が数で勝る当夜達の動き全てを見切っているかのような眼力を放つ。また、実際には8mはあろう尾部とその末端にあるタルワールのように湾曲した1mの毒針が接近を許さない。

 お互いににらみ合い膠着状態となる。そこには巨蠍の鋏角の交差する音なのかギギギッと錆びた鉄扉の擦れるような音と当夜達の間合いを測る靴の擦れる音だけが響いている。


「フレイムランス!」


 少女の高い声と共に突然に均衡が破られる。まず動いたのはアリスネルであった。巨蠍の腹下から火の槍がその肉体を貫き燃やし尽くそうと迫る。アリスネルはマナの動きを悟られないように慎重にかつ高威力の魔法を、そして何よりもっとも外骨格の薄そうな腹を狙いに選択していた。

 結果、火の槍は腹部に当たるとわずかにその体を浮かせたものの二つに割れて側面を赤く照らして消えた。


「くぅ、こいつの外装に魔法は通じないわ。どこか傷をつけてそこを狙うしかない。」


 アリスネルが報告するのと同時に巨蠍は動き出す。鋏を緩慢な動作で振り上げるとその動きとは比べ物にならない速さで叩き落とす。前に居たワゾルと当夜は予備動作の時点で大きく対応は分かれていた。ワゾルは防御重視、当夜は回避重視の構えである。二人は直撃を避けるように後ろに飛びのくが、衝撃によって床の真珠岩が割れて鋭利な矢じりとなって炸裂する。当夜は巨蠍の体を盾にするように回り込み、わずかに届く破片を剣で弾き飛ばしたがその防具には小さな黒く輝く破片がいくつも突き刺さり、頬には3つの赤い筋が走っていた。あまりの苛烈な攻撃に当夜は慌てて仲間の無事を確かめる。


「ワゾルさん! アリス! ヘレナさん! 無事か!?」


 一方のワゾルは、アリスネルとヘレナを守るために自らを盾にして防御態勢を取っていた。その体にはいくつも黒い塊が突き刺さって見えたが、そのほとんどが強靭な筋肉の壁と当夜に渡されたトパーズからもたらされる【地の精霊】の加護によって高められた防御力によって無効化されていた。もちろんその護りの中にあった二人の少女たちにも被害は無い。ヘレナに至ってはあの恐ろしい瞬間を見合わせていたにも関わらず治療術を即座に使ってワゾルの小さい傷を癒している。


「ああ、全員無事だ!」


 ワゾルの声に安堵する当夜であったが、周りの光景がセピア色に変わったことで命の危機にさらされていることに気づく。上を見上げるとそこには鋭利な切っ先が迫っていた。その切っ先は直撃すれば当然体を貫通する鋭さと威力があるが、それだけでなくかすっただけでも全身が即時に麻痺する毒である蛍光色の緑色の液体が滴っていた。そう、【ラビリンススコーピオン】は体側部に逃げ込んだ当夜をまず排除するため切り札である毒針を向けたのである。普通の冒険者であればこの時点で人生の終幕を引くこととなったであろうが、当夜には【遅延する世界】がその身を護る盾となり鉾となる。避けながら放つ聖銀の剣の一閃は巨蠍の5対の目を以てしても捉えることのできないものとなって尾部を大きく切断する。同時に、その痛みに全ての脚を踏み鳴らしながら暴れる巨蠍は、尾部を大きく振り回して部屋中に蒼黒い体液をまき散らせて染める。そんな巨蠍の顎下にワゾルは強烈な戦斧の振り上げを叩き込む。額まで大きく裂ける一撃に4対の脚が折れたかのように崩れ落ちる。胴体が地面に着くと土煙が舞い上がる。その体液溢れる頭部にアリスネルがとどめの火の槍を撃ち込む。頭胸部が燃えて辺りにエビやカニを焼いた時の匂いが漂う。不覚にも当夜は良い匂いだなと唾を呑み込む。


「やったか?」


 ワゾルの声がパチパチと焼ける音に混じって響く。


「みたいですね。あ、ほら、肉体が消滅します。」


 ヘレナの応答と程無くして巨蠍の体が霧散してバスケットボールほどの大きさの魔石と毒針、そしていくつかの外骨格の一部が残された。当夜はそれらと先に倒した巨蜘蛛の素材とをアイテムボックスに収納した。


「じゃあ、先に進みますか。あとは大きな部屋が二つありますが、その先は...。どうやら何かで封印されているみたいです。僕の力ではちょっとわかりませんね。」


「そうなの? じゃあ、行き止まりまで行けばとりあえず探検終了ね。さぁ急ぎましょう。」


 先頭に躍り出るアリスネルを追いかけるように3人は奥に進んでいく。その後、現れる魔物は【ブラッドアラネアス】の小型個体ばかりであった。第二の大広間も【ラビリンススコーピオン】と戦った大広間と同じで石棺の並ぶ部屋であった。

 そして、第一、第二の大広間と大差ない第三の大広間に入った時だった。突然、アリスネルが意識を失うとその場に倒れこむ。当夜が受け止めると、少女はまるで死んでしまったのではないかと思うほどに冷たく固くなっていた。


「ア、アリス!? どうしたんだ! ワゾルさん、アリスの様子がおかしい! こ、これって死んで、る?」


 当夜がワゾルに助けを求めると同時に心肺蘇生法に入ろうとする。すると、死んだと思っていた少女が胸に乗せた当夜の手を掴む。その手は恐ろしいほどに冷たく心配を通り越して恐怖すら感じさせる。当夜は恐怖心に抗いながらその顔に目を向ける。その顔は陶器のように白く輝き、本来なら尖った口ぶりの中にどこか優しさを浮かべているはずの表情はなく人形のように無感情で、緑の鮮やかなはずの瞳は金緑色に煌めいていた。


「ア、アリス、だよな?」


 まさに人形のようになった少女は当夜を軽く一瞥するとすぐに興味の対象から外して立ち上がる。


「アレを止めないと。世界が滅ぶ前に。」


「アリスっ!」


 当夜の叫びに少女は再び視線を当夜に戻すと無表情のままに驚きの言葉を発する。


「どうして私の名を知っているの?」


「アリス、君は記憶を無くしたのか?」


「いいえ。私は私が何者かを覚えているわ。そして、私に課せられた使命も。」


「使命?」


 二人のやり取りを聞いていたワゾルとヘレナはそれぞれに行動を始める。ワゾルはアリスネルに質問を始める。


「君は何者だ? 名前を教えてほしい。」


「その子も言っているでしょう。私はアリス、アリス・ネルメールよ。それより、私はあなたたちを知らないのだけど、どうして私を知っているのか答えなさい。」


 少女はその目を細めると冷たく質問で返す。あまりの変わりぶりに当夜は思わず一歩後ろに後退する一方で、ワゾルはさらに一歩前に進むと質問で切り返す。


「本当に彼を覚えていないのか? お前は本当にアリスネルなのか?」


「アリスネル? 誰ですかそれは。そのような男などまるで知らないわ。それより私の質問に答えなさい。どうして私を知っている?」


 そんな問答が繰り返されそうな雰囲気の中で当夜が踏み込んだ問いかけをする。


「君は今、どこかに何かを止めようと向かうみたいだけど、僕たちも手伝えるかもしれない。いったい何をしに行くつもりだい?」


 少女は無表情ながらキョトンとしているようだった。ひょっとしたら言葉の意味が理解できなかったのか、それとも品定めをしているのかしばらく会話が止まる。やがて、その口から少女の想いが告げられる。


「私はこの国の巫女、未来を見通すことができるのですが、つい先ほど見えてしまったのです。この国は今、遠い先に私たちの子孫に深刻な、いえ滅びを与えるような致命的な影響を及ぼす実験を進めてしまっているようなのです。それを止めなければならないのです。」


「それってどんな実験なの?」


 ヘレナが話の先を促す。


「ええ。この国は現在多くの隣国を併合し、一つの国家としての道を歩み始めています。ですが、国家の歩みだしほど安定していない時期はありません。まして、かつて例の無いほどの大きな国家です。その不安や不満は相当なものです。それら負の感情はマナと結びついて災害となって押し寄せて来ます。これに打ち勝ってこそ強き国が生まれるのですが、より簡易に負の感情を抑える方法を魔科学者が一つの提案として出したのです。結果、王は苦悩から逃げる道を選んでしまわれたのです。それこそが世界樹による負の感情の地殻封印です。」


「じゃあ、アリスはそのための生贄に...。」


「はい。時がくればその可能性もあるでしょうね。巫女たちはその身を犠牲にして精霊化に挑んでまいりましたが、いまだその芽吹きはありません。おそらく、エレール様がこのまま成しえなければ私が次の贄となりましょう。」


「次の?」

(たしかこの墓所ではアリスさんもその贄として...)


「私のことは良いのです。真に必要であれば喜んでこの身を捧げよう。ですが、私は見てしまったのです。世界樹の出現は人の繁栄につながるまでは良いのですが、世界樹とこの星の浄化の力を大きく超える負の感情によってこの世界を滅ぼす悪魔を育ててしまうそんな未来を。だから、私はこの実験を止めなければならないのです。

 いいですか。あなたたちはここに残ってください。おそらく、私は反逆罪に問われるでしょう。私のためにあなた方が巻き込まれるなどあってほしくないのです。」


 そういうとアリスは足早に大部屋の入り口を跨ごうとしたが、唐突に立ち止まってしまう。その唇は紫に染まり震えている。


「そんな、どうして?」


 慌てて追いついた当夜達に振り返ると少女は涙を流しながら慟哭する。当夜が駆け寄り事態を把握しきれないながらも抱きしめて落ち着かせようとする。しばらく静かにしていた少女の口から言葉が漏れる。


「何だか懐かしくて幸せです。そうですか、この体は私の物では無いのですね。私は死んでいた。思い出しました。止めに行った私は生贄を恐れたと王に思われてそのような話が外に露見する前にとエレール様と一緒に...。」


 人形のように無表情だった少女はすでに人としての感情を取り戻したかのように表情豊かになっていた。その顔に浮かぶものは信頼を裏切られた悲しみと人の温かみを思い出したような複雑なものであった。それでも今は当夜に抱かれている暖かさを実感しているに違いない。しばらく離れる様子の無かった少女だったが、そっと当夜の胸を手で押すと離すように求めた。


「ふふ。ありがとう。おかげで伝えるべきことは伝えられたみたいです。私にはできなかったけれど、どうか世界樹を滅ぼして、いえ、私たちを救ってください。最後に人の温かみを思い出させてくれてありがとう。」


「!!」


 アリスは当夜に抱き付くと、目を閉じてその唇に口づけするとそのまま力を抜く。そして、その目が再び開かれた時、その瞳はエメラルドグリーンの彩りを取り戻していた。


「ふぁ~あ。何か良く寝たなぁ。あれ? 当夜? ふぇっ!? 何で私たち抱き合っているの!」


 アリスネルは当夜を突き飛ばすと顔を赤らめていた。ワゾルとヘレナは二人の二転三転するやり取りに苦笑するしかなかった。

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