渡り鳥の目覚め
(何なんだ、この状況は?)
当夜は今、混乱の絶頂にあった。なぜならば、正面からアリスネル、背中からはライラに抱き付かれて男として大変嬉しいシチュエーションであるが、さらに3人を覆う何かによって全く身動きが取れないのである。現在、当夜はこのありがたくも迷惑な状況を抜け出して諸所の事態の把握に入りたいのだが、少しでも這い出ようとするとライラが艶めかしい声を上げるし、アリスネルはコアラの子供のように抱き付いて離れない。とはいえ、後ろから抱き付く女性の行動はいかんせん怪しい。
「ライラさん、起きているでしょ。」
「あらら、ばれちゃった?」
「さっきの声はからかって愉しんでいますって感じでしたよ。まったく。」
「あ~あ。トーヤ君をその気にさせて目の前の可愛い女の子を襲わせようとしたのに。」
耳元に彼女の息が吹きかかるたびに緊張してしまう。
「あのですね。それよりそんなことしたら自分が襲われるとか考えなかったんですか?」
「え、何? トーヤ君は若い子より人妻の方が好みなの? ごめんなさい。あなたのことを息子として大事にしているけど、私には大好きな旦那がいるの。」
後ろに顔があるため彼女の様子はうかがいしれないが、明らかに笑っているのがわかる。
「わかっててやっているなら本気で怒りますよ。」
「もう、軽い冗談じゃない。それより気分はどう?」
「えぇ。お陰様でだいぶ落ち着きました。ありがとうございます。」
「そうじゃなくて私とアリスに抱かれている感想を聞いてるの。」
「そうですね。こんなやり取りが無ければ最高のひと時だったでしょうね。残念です。」
本当に残念といった声音で返事をすると、ライラはクスリと笑って雰囲気をさらにやわらげた。
「ふふふ。良かった。調子がだいぶ戻っているみたいね。もう、動いて平気なの?」
「そうですね。逆に動きたくてしょうがないですよ。問題はアリスが離れてくれそうにないことですかね。」
「そうね。だけど、アリスもあなたのことが心配でしょうがないのよ。何しろ、あなたが倒れて三日も時が止まったかのように動かなくなったんだから。」
当夜はぎょっとして体を確認しようとするが、不安げな表情を浮かべて眠るアリスネルがくっついている為、確かめることができない。そんな当夜を気遣ってか、ライラがアリスネルを起こそうとする。
「大丈夫です。こんなにぐっすり寝ているんです。このまま寝かせてあげましょう。」
「そう? じゃあ、私もこのまま寝るわね。おやすみ~。」
「待て、なぜ、そうなる。そんなにくっつかれると眠りづらくてしょうがないですよ。ご自宅でワゾルさんと仲良く寝てください。」
当夜を抱きしめたまま眠りにつこうとするライラを引き止めると、せまっ苦しいベットから追い出そうと大好きと豪語する旦那を引き合いに出す。
「あら、旦那なら一緒に寝てるわよ。」
「ま、まさか。」
「ええ。私たちを守るように抱きしめてくれているわよ。」
「まだ、夜も空けていない。しっかり寝ておけ。くれぐれも俺の嫁に変なことをするなよ。」
上を見上げるとわずかな明かりにそのひげ顎が動いたのがわかった。つまりは当夜は三人に抱きしめられて寝ていることになる。
「それはライラさんに言ってください。というより本当に寝づらいのでわかれて寝ましょう。お二人には申し訳ありませんが、別のベットで寝てもらえますか?」
「トーヤ君、私たちがいないからってアリスに変なことしちゃ駄目よ。」
「しません!」
「あらら、そこまで断じちゃうのもどうかと思うけど。まあいいわ。朝にはちゃんと、また、目を、覚まして、ね。また、起きてこないなんて、許しません、から、ね。」
どうやらここまでの無茶ぶりは当夜が生きていることを実感するための確認作業であったらしい。確認が終わったのか、ライラは目に大粒の涙を溜め、それは二筋の流れを作る。ワゾルに抱きかかえられるように別の部屋に移っていく。
当夜は、朝が来るまでのわずかな時間をアリスネルとともに過ごすこととなる。気まぐれに彼女の頭をなでていると、アリスネルは擽ったそうに身をよじり、ようやく当夜を解放する。当夜がベットを発とうとすると、アリスネルに上着の裾を掴まれていたことに気づく。その動きに反応したかのように彼女が寝言を上げる。その声はまさに悲愴な顔が物語るように悲しみに揺れていた。
「トーヤ、早く帰ってきてよ。一人は嫌だよ。寂しいよ。」
当夜の頭にエレールとの別れ際の言葉がリフレインする。
『そんなあなたのために私の同胞に来てもらうわけだけど、一人残されるのって寂しいものよ。君は私の同胞にそんな思いをさせたいわけ?
ってまあ、結局は君のことだから自由にして頂戴。同胞にもそういう可能性があることも含めて来て貰っているから気にしないで大丈夫よ。ただ、たまには顔を出して話し相手くらいにはなってあげてね。』
(まったく、僕は身勝手だったな。僕は確かに光から無理やりこの状況を与えられたけど、だからと言ってこの世界の人たちに僕の勝手を押し付ける道理はないよな。
ごめんな、アリス。明日はきちんとお話しさせてもらうよ。)
当夜はベットに再び潜るとアリスネルを抱き寄せて再び眠りに落ちていった。
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翌朝。少女は昨夜の当夜と同様、混乱の絶頂にいた。
(なな、なんで、当夜に抱き付かれているの? はっ!? トーヤの意識が戻ったってこと? いえ、無意識にってことも。確認したいけど、このままもう少し居たいような。そ、そうよ、トーヤはしっかり休まないといけないわ。だから、このままでいいの!)
アリスネルがそんなことを考えて顔を耳まで赤くしていたところに、朝の1鐘を待てずにもう一人が突入してくる。
「おっ早う! トーヤ君! ちゃんと起きているわよね? って、あ、貴方たち!?」
「う、うぅん?」
「トーヤ君、昨夜あれだけ啖呵切っていたのに、手を出しちゃったの?」
当夜が目覚めると、そこには少女を後ろから抱きしめて密着する当夜と息を荒げて耳まで真っ赤に染まって身悶えるアリスネルがいた。
「はっ!? ちょっと待ってください。誤解です。って、アリスもそんなに真っ赤になってどうしたんだよ。ひょっとして強く抱きしめすぎたか。大丈夫か!」
「ひゃい!」
当夜がアリスネルを抱き起こすと、彼女は変な声をあげて飛び退る。そのまま回れ右をすると階段を駆け下りていく。当夜とライラはそんなアリスネルを見送ってしばらく呆けていたが、思い出したかのように笑い出す。
『渡り鳥の拠り所』で羽を休めた渡り鳥に再び笑顔が戻った。




