英雄からの依頼
いつの間にか暖かく柔らかなものに包まれて心地よい。どうやらベッドで横になっているようだ。
(なんだ、夢だったのか。いつの間に寝てしまったのだろう。あんな夢見るなんて僕もまだまだ子供だな。)
夢落ちかと自らに毒づきながら、暖かな寝床から出るのも億劫そうに当夜は枕もとの時計を探そうと手を伸ばす。その手に触れたものはプラスティックの固さも冷たさも正反対な感触を持っていた。
(なんだこれ?)
二日酔いにも似た頭痛に気だるそうに体を起こしてつかんだものを強引に引き寄せた当夜にしゃがれた声がかかった。
(おや、目覚めたようだね。それにしたっていきなり人の手を握ったかと思えば口づけを迫るとは驚かせてくれるじゃないかね。)
「お前さん、何者だね?」
その声の方を向く。目の前に緑の宝玉が二つ輝く。しばらくして受け止めきれなかった情報が頭の中で整理されて老婆の顔が迫っていることに理解が及ぶ。だがその理解もどうしてそうなっているのかまでは至っていない。
(ほう、目までそっくりじゃないかね。ライトの血筋の者かね?)
老婆の美しい瞳に当夜の瞳が一瞬囚われる。
「え? だれ? ってうわあぁ!? 痛っ―――」
足をばたつかせて後退した当夜の目に映った眼前の老婆はあの部屋で隠れていた時に入ってきたその人であった。額から落ちる濡れた布。どうやら、この老婆に介抱されていたようである。当夜は異世界にいるという現実に戻されて思わず下がりきったベッドをさらに後退しようとする。ヘッドボードにあたる木枠に頭をぶつけてその痛みに冷静さを取り戻した当夜は思わず赤面する。無様な行動に対する恥ずかしさはもちろん、看護されていたにも関わらず無礼な態度をとってしまったことに対するそれもあった。
「し、失礼しました。介抱していただきありがとうございました。ぼ、私は緑、(あっ、そうだった)トウヤ・ミドリベと申します。この度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」
当夜は口早に礼を述べると深く頭を下げる。そんな当夜を値踏みするかのように眼光鋭く老婆が見つめる。
(とりあえず敵意は感じられないね。それにしても馬鹿みたいに丁寧な言葉遣いだねぇ。姓が異なることだし、ライトとはつながりないのかねぇ。)
「ふん。気にすることはないよ。あたしはエレールというものだ。それであんたは私たちの家に何故侵入したのかぇ?」
エレールと名乗った老婆はそっと当夜の目の前に落ちていた布を拾い上げると水桶に浸す。目線は桶に向いているにも関わらず当夜には老婆に常に見張られているかのような圧迫感を感じずにはいられなかった。それでも互いの自己紹介が成功したことに一旦の安堵を覚えた。
(あれ? 言葉が通じてる? そうか。うまく言語修得できたんだ。よし、とりあえず最悪の事態は避けられたみたいだ。けど、めっちゃ警戒されてる。侵入って、完全に泥棒か不審者扱いだし。海波に言わせれば僕がこの家の主になったんじゃないのかよ。そういえば彼女は自身をエレールと名乗らなかったか。あいつの置手紙に彼女に関することで何か書かれていたような。...あぁ、そうそう自由にして良いと伝えて、ブローチを渡すだったか。)
長考に入った当夜にエレールは意味の無い言い訳を考えているものと判断して拘束用の土魔法の発動準備に移る。そんなエレールに向けて当夜が発した言葉は彼女の予想と大きく異なるものだった。
「エレールさんですね。僕がなぜあの部屋にいたのかは自分でもわからないのです。ただ、海なっ、ライト・オーシャンさんから伝言を預かっていまして、貴女に、」
「ライトにあったの!? どこで!? 何を伝えてって!?」
当夜の襟首をつかんだエレールが彼の言葉を遮って老人とは思えない力で前後に振る。
「ちょっ、落ち着いてください!」
咳き込んだ後に大きく一度深呼吸をした当夜はエレールの狼狽ぶりに先ほどまでの自分を重ねて小さく笑う。そんな当夜の姿に一瞬怒気をにじませたエレールだったが、小さく溜息をつくと当夜の頭を撫でて強張った笑みを浮かべる。
(ふう。あたしは何を子供相手に怒ってるんだか。どう見たってこの子は盗人の類じゃない。それよりライトのことを知っているなら少しでも教えてもらわないと。そのためにも怯えさせてはいかんか。)
当夜は苦笑いを浮かべて正座する。
「エレールさん、僕もそれほど多くを知るわけじゃないですよ。って言うか、ライトさんの知り合いでもなんでもないですし。どちらかといえば被害者です。ただ、彼からは伝言を預かっているんです。 ‘自由に生きてほしい’ と。
信じてもらえないかもしれませんけどライトさんも僕もこの世界の人間じゃないんです。僕はライトさんに押し付けられる形でここに連れて来られたんです。そ、そうだっ 先ほど僕が気を失っていた部屋に彼の手紙があります。それを読んでください!」
置手紙のことと当夜の置かれた現状を説明すると、老婆は涙をこぼしながら階段を昇って行った。
(とりあえずの危機は去ったとみるべきか。言葉も通じているし。この世界の常識とやらも身についたのか?まるで実感がない。それにしても気持ち悪い。ちょっと休もう...)
この世界の言語と基礎知識を無理やりねじ込まれた当夜の脳は整理のための休みを欲していた。老婆との会話も成立し、やり遂げた感覚を得て安心した当夜は意識を手放したのだった。
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真っ白と認識される空間に当夜はいた。その真向かいにいかついながらも高級なスーツを着こなした50代とみられるおっさんが胡坐をかいて座っていた。乱雑に紅いネクタイを緩めた男はゆっくりと立ち上がる。
「よう、無事に修得できたみたいだな。おおっと、自己紹介がまだだったな。俺が海波 光だ。よろしくな! っと待て、質問しても俺は一方的に話すだけで答えることはできないぞ。これはビデオテープみたいなもんだ。」
光がお道化てみせる。
「なっ、ずりぃ奴だな。どうして僕がここに居るのか早速説明してくれよ。」
当夜の言葉を待っていたかのような間の後に当夜の求めに応じる形で光が語り始める。
「そうだな、君をこちらに招待した経緯は手紙に認めたとおりだ。後継者に君は選ばれたわけだ。
おう、待てって。怒りたい気持ちはわかるぞ。そもそも俺も今の君と同じで強制的に【渡界石】とこの世界の命運を引き継がされただけなんだからな。」
当夜のぐうの手が向けられた場所にライトの手が受けてのように置かれている。僅かに突き抜けた拳がライトの手のひらに何の抵抗もなく埋まる。ライトの言うとおり今の彼は残像に過ぎないことを証明された。
(こいつ~。)
当夜はゆっくりと突き出した腕を下すと伝わらないとはわかっているものの光の幻影を睨まずにはいられなかった。
「そん時~、俺もそん時はずいぶん荒れたもんさ。3日は篭もったぞ。まぁ、腹が減ってさすがに外に出たけどな。あんとき食べたこっちの世界の飯は美味かったな。その後はいくら食べても薄味にしか感じられなかったけどな。」
(そう言えば、食事か。そんなこと考えたこともなかったな。この世界、どんな料理があるんだろう。僕の持つレシピが革命を起こしたりして。)
当夜が取らぬ狸の皮算用に意識が取られる中、光は小さくほほ笑んで話を進める。
「んでもっていつまでも不貞腐れてても何も解決するわけじゃねーしな、とりあえず与えられた課題をこなすためこの世界を見て回ったわけだ。冒険者ってのは便利な職業だ。各国のギルドを転々とする間にいろんな奴と出会った。面白い奴もいれば、むかつく奴もいた。」
(冒険者にギルドか。いよいよ異世界らしくなってきたじゃん。)
当夜は気づいていない。自身が光の話に引き込まれ始めていることに。
「気を付けろよ。良い奴はすぐにいなくなっちまう。俺には守れる力があったはずなのに器じゃなかったんだろうな。だから、俺は護りたい人達を傍に置いたんだ。それでも守れないものもあった。この年になって恋愛とか思い返せば恥ずかしさに泣きそうになる。それでも今になって振り返ってみりゃ面白い時間だった。」
(...守れる力か。こいつみたいに自信を持てるそんな力が僕にもあるんだろうか。)
「ああ、君にはチート能力なんて無いけどな。ちなみに俺はこの世界の人外含めてトップ10には入っているぜ。」
(無いのかよ! なにその差別。)
「先代からの依頼も今のお前と違ってヘビーだったしな。そんな力でもなけりゃやってらんねーだろうよ。だいたい俺なんか‘世界を急ぎ救え’と来たんだぜ。この世界が崩壊しないよう俺たちは世界の亀裂を縫い合わせた。それでも仮縫いとしか言えない状態だった。」
(世界の崩壊か...。僕には想像もつかない話だな。)
「さぁ、いざ本縫いってところで地球側で事故にあって脳に損傷を負ってしまった。生きているのも不思議な事故だった。おかげで神の力あるいは魔の力とでもいうのかよくわからんが、この世界と地球を行き来する力を渡界石に貯めることができなくなってしまった。」
(おいおい、この流れはやっぱり僕に本縫いを任せるとか言う話になるんじゃないか? こちとら一般人ですよ。)
「そんなわけで渡界石に力を貯められる人材に本縫いを頼もうと思ったわけだよ。だがまぁ、仮縫いだけでも相当な時間を稼げる筈だから君が何かやるというよりは次の英雄君にこのことを引き継いでほしいわけだよ。まぁ、君がやれるならそれに越したことは無いがね。何を勝手なと怒る君の気持ちもわかるが、この世界を失いたくない私の気持ちを遠慮することなく受け取ってくれたまえ。」
(まぁ、世界を救えって言われるよりはいいけど、期待されて無いって言うのも悲しいものがあるな。)
「まぁ、1か月過ごしてみて不快に感じたならこの権利を次の人材に渡してくれ。【渡界石】を額に押し当てて人を見ればその適正がわかる。才能が大きいほど赤いオーラみたいなものがより濃く見える。俺レベルならビクスバイトくらい、君だとモルガナイトくらいかな。」
(濃赤とピンクの違いってことか。せめてペツォッタイトくらいにしてくれないかな。凹むよ?)
「おおっと、そろそろ時間か。あぁ、それと言語は大丈夫となったはずだが、知識はすべて手に入ったわけじゃないぞ。本当に基本的なところまでだ。これ以上多くすると脳が耐えられないからな。俺が言うのもおかしな話だが、とにかく最初の1か月は慎重にな。なにせ君は弱いからな。最初の1か月は街の中で済ませるぐらいの気持ちが良いだろう。
それと、一番重要なことを伝える。エレールに花柄のブローチを渡してくれ。裏側を見せれば受け取ってくれるはずだ。頼んだぞ。あと知識を補うプレゼントも用意した。活用してくれ。それでは。」
「あ、おいおいおい! ちっ、消えたか。書面に記していた正式な謝罪って何だったんだよ。本当に勝手な。地球に戻ったら一発殴ってやる。」
(うーん、これからのことを整理すると。
【最終目標】
真の後継者を探し出すか、世界のほころび?とやらを修繕する。
後継者を探すにしても地球にどうやったら戻れるんだよ。それと奴は本縫いとか言っていたけど具体的にどうすれば良いんだよ。
【当面の目標】
1か月を生き残る。
奴は1か月を強調していた。何より意に沿わない場合、ほかの人材に託すようにも言っていた。ということは何らかの方法で1か月後に地球に帰還できるとみるべきだな。
ただまぁ、ほかの人に任せるということは説明やらお願いやらが大変そうだな。'異世界が大変なので助けに行ってあげてください。あなたがどうなるかわかりませんが。’なんて言えるわけねーよ。
【直面している課題】
エレールさんにブローチを渡す。
奴曰くはブローチの裏側を見せれば受け取ってもらえるとのことだが。さて、どう転ぶのやら。
そんなところかな。なんかいろいろ見落としている気もするが、夢であれ現実であれ全力は尽くすとするか。)
当夜がそう決意すると、当夜を包んでいたこの空間は暗転して閉ざされたのだった。