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世界を渡る石  作者: 非常口
第1章 渡界1周目
76/325

帰還 <結び>

「あ゛あ゛ぁぁっ!」


 言葉にならないうめき声と共に全身血塗られた姿の当夜は慟哭する。


 ここは当夜がエキルシェールで1か月を過ごす前にいた部屋。目の前にはミネラルショーで購入した標本やルースが無機質に並んでいる。ありとあらゆるものが懐かしい部屋であったが、今はその感傷に浸る余裕など当夜には無かった。

 この世界にマナと言うエネルギーは希薄すぎた。彼の服や手には残された痛々しいまでに真っ赤なテリスールの血液にはマナが満ちており、マナについてゼロであるこの世界に突如現れたテリスールのマナはエネルギーが均衡を取ろうと拡散するかのように散っていくのだが、それに引きずられるかのように血も大気に霧散していく。当夜の全身から立ち上る赤い蒸気は、さながら、この世界までもが当夜からテリスールを奪っていくかのようで、当夜は悲しみと怒りを覚えた。

 赤い蒸気すらなくなると、そこに残された当夜は一見すればコスプレしている滑稽な姿であったが、そこには迫真の演技すらも超える現実味のある悲しみと怒りによって支配された般若のごとき凄みがあった。


 一時間は泣き続けていたであろうか。唐突に当夜が泣き止む。そこには薄ら笑いを浮かべる姿があった。


「なんだこれ。まるで現実味が無い。僕は夢を見てたのか。こんな服装までして悲劇の主人公にでもなりたかったのか。馬鹿じゃないか。」


 当夜は、悲しみと怒りによって涙こそ止まらなかったが、どこかこの現実を認めることができずにいた。その藁にもすがる気持ちが携帯電話に目を向かわせる。携帯電話はその時間を異世界への転移を起こした時間と大差ないことを伝えている。そして、当夜は夢落ちという安易な答えに求めたのだった。当夜が夢落ちと判断した要因は、テリスールの死を如実に物語っていたその血と異世界で暮らした長い時間の喪失であり、何よりそんな悲劇を受け入れたくない感情に依るものだったのだろう。


 仮初の落ち着きを得た当夜の体は失ってしまった水分を求めたのか、のどの激しい渇きを訴える。当夜はのどを潤しに冷蔵庫に向かうため立ち上がる。その時、当夜の革鎧の隙間に挟まっていた銀色に光り輝く輪が落ちる。それはテリスールに贈った解毒の指輪だった。指輪がキーンと高い音を立ててフローリングを転がり、周り巡って当夜の足にぶつかる。当夜にこれでもかと再び突きつけられる現実。枯れたはずの涙が再び頬を伝う。


「嘘、だろ...。夢じゃ、ない、のか...。」


 そして、当夜の心は悲しみというベクトルを完全に怒りのベクトルに変換する。それは彼女の命を奪ったペルンに、何より守れなかった自分自身に対するものだった。そして、そこに彼女の死を完全に確認していないことから生まれた彼女の生への願望が付随する。例え僅かでも希望があるのならすがりたかった。それらは当夜をエキルシェールへと再び向かわせるに十分な理由であった。治療の足しにすべく、当夜は家中の薬や救急道具をかき集めると、異世界への扉の鍵の名をつぶやく。


「渡界石。」


 彼の目の前に現れた八面結晶は初めて見た時のものとは比べ物にならないくらい淀んだ赤色であった。それでも当初の緋色と期限に至った時の黒色と比べれば中間色ぐらいまで回復していた。


「頼む。僕をもう一度あの世界へ、連れていってくれ。」


 当夜は渡界石を床に落とす。その部屋は一瞬光に包まれたが、すぐに静寂を取り戻す。だが、そこにこの部屋の主の姿はなかった。

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