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世界を渡る石  作者: 非常口
第1章 渡界1周目
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帰還 <導入話>

 昨日の午後、当夜はジャム作りをアリスネル、テリスール、ライラ、ヘーゼルと楽しい雰囲気のままに終えることができた。ワゾルの加わった夕食では、ジャムをたっぷり塗った甘ったるいパンを只々美味しそうに食べる風体を装った。


「まったく、トーヤ君、顔が怖いわよ。何か心配事でもあるのかな? お母さんに相談してご覧なさい。」


 その夜、当夜は庭に出て新たに次の芽を伸ばす幼い世界樹の芽を何か答えを求めるように眺めていた。そんな彼に声をかけてきたのはライラであった。彼女は今日に限って帰宅することなく、なぜかこの家に泊まると言い張ったのだ。


「あらら、そんな顔して何かあるのね。どうしちゃったの?」


 当夜は一つの決意を以て彼女にお願い事する。


「ライラさん、お願いを聞いてもらえますか?」


「ええ、良いわよ。言ってみて。」


「まだ中身を言っていないのに良いって言っちゃうんですね。」


「そりゃ、お母さんだもん。それにトーヤ君のそんな真剣なお願いを断るのは難しそうだもの。」


「ハハ。ライラさんは本当に僕には勿体ないお母さんでした。本当にありがとうございました。」


 当夜は目頭が熱くなるのを自覚しながら歯を堪えて涙がこぼれるのを堪える。当夜にもわかるくらいに声が震えている。


「いいのよ。ゆっくり、ゆっくりで良いからちゃんと聞かせてね。」


 ライラの優しく包み込むような声が当夜に届く。当夜は言葉に詰まりながらも一つ一つを伝えていく。その目から涙が流れるのを拒むかのように斜め上を向いていた当夜であったが、いつの間にか彼女の目を見ながら涙ながらに言葉をつないでいった。


「ライラさん、僕は、たぶん明日、どのタイミングかは、わかりませんが、この世界から、いなく、いなくなります。ですから、この家の管理を、ライラさんに、お願いしたいんです。」


「そう、そうなのね。でもね、聞かせて頂戴、なんでトーヤ君はいなくなっちゃうのかな?」


「そう、そりゃそうですよね。僕は異世界、地球って星から来たんです。ライトさんに導かれて。初めは怖くて不安でした。命の危険がそこまで身近で無い世界から来たのに、ここはそれがすぐそばにあって。本当に命を失う場面もありました。」


「そっか、怖かったよね。トーヤ君はこの世界が嫌いになっちゃったんだね。」


「そんなことはありません!だって、皆さんに大切にしてもらえて、地球(向こう)でもここまで優しくしてもらったことは無かった気がします。冒険だって楽しかったです。」


「ありがとうね、この世界を好きになってくれて。」


「ライトさんみたいにお礼を言われるようなことは何もしてないです。」


「それでも良いの。」


 ライラは当夜をその体に抱き寄せる。当夜にはしばらく感じていなかった安らぎを覚えていた。同時に機械的に抑えていた涙があふれて流れるのを止めることが出来なくなってしまった。ライラは何も話すことなくただ当夜を抱きしめ続けた。その頬には薄らと星の煌めきを捉えたかのように光る筋が伝っていた。

 しばらくして、当夜は夜風の涼しさを感じとれるまでに落ち着きを取り戻すとそっと離れようとする。


「このまま、このままで良いの。続きを聞かせて。」


 彼女の震える声を聞いて当夜は小さく頷くと続きを語り始める。


「ライラさん、僕はこの世界が好きです。それも、もう少しこちらで暮らせば本当にどちらに居ればいいのかわからなくなってしまうくらいに好きになっています。それが怖いんです。だからこそ、まだ故郷に家族や知り合いに未練を感じられるこのタイミングで終わりにしたいんです。」


「うん。」


「だから、僕は帰ります。皆さんにはお世話になった上に勝手に出ていってしまう事を許してほしいとは言えません。ですから、僕を忘れてほしいんです。」


「そんなの、許しません。」


「っ!」


「誰にもトーヤ君を忘れさせることなんて許しません。トーヤ君はここにちゃんと生きて思い出を残していった。あなたはここで得たもののことしか考えていません。あなたは多くの人にいろんなものを与えているの。トーヤ君、そのことを向こうでも誇りに思って生きなさい。それなら帰ることを私が許します。それと、ここはあなたの帰りをいつでも歓迎するわ。だから、気が向いたとき、悲しいとき、どんな時でもいいから来たくなったら遠慮することなく来るのよ。ここはあなたの第二の故郷なのだから。」


 当夜はその感情が求めるままに涙を流していた。こんなに気持ちよく涙を流した記憶は相当大昔に遡っても覚えが無い。当夜は短く、まだまだ旅路の途中であるが28年間の人生で最も敬意と親愛を込めて謝辞を述べた。


「ありがとう。」



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 その日、ギルドに別れの挨拶に出向く前に部屋に3通の手紙を残した。一通はライラに、一通はアリスネルに、最後の一通は次の主人公に。手紙の中身は彼らだけが受け取るべき事柄、ここでは開くことを止めておこう。

 3鐘が鳴った。渡界石を取り出すとすでにほぼ黒い状態であった。おそらく、7鐘には強制送還されてしまうのでは無いだろうか。

 アリスネルに‘今日も寝坊したの’となじられ、ライラに‘行ってらっしゃい’といつも通りに見送られて一月お世話になった、そして二度と戻ることは無い家を出る。


(短い間ですがお世話になりました。僕は出ていきますが、次の渡り鳥もその優しさで包んであげてください。

 エレールさん、ごめんなさい。あなた方の期待に沿えなかったんでしょうね。でも、次の担い手を必ず見つけて見せます。どうか安心して見守ってください。)


 当夜はテリスールへの返事を先送りにしたい気持ちを抑えながら、ギルドを目指して前に進んでいく。あれだけの勇気を出してくれた彼女に、当夜も誠実に応えるべきであることを当夜自身が十分に理解していた。


 だが、そんな意思もけたたましく鳴り響く鐘の音がかき消していく。

 それは、この世界が当夜に投げかけた最も難しい命題だったのかもしれない。

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