装備に見合う体作り
ワゾルと森に狩りに出た次の日も雨であった。
さすがに二日連続で雨の森に行くことはライラだけでなく、猟師であるワゾルも止めた。そこで、当夜は先にレゾールに注文していた装備を回収しに向かうのだった。小走りに雨の中で鍛冶屋『ローレンツ』を目指す。やはり雨の日の街は人影もほとんどなく、露店は軒並み閉店していた。革製の合羽のおかげでどうにか雨の侵入は防ぐことができたが、体は想像以上に冷えてしまった。この世界は晴れると暑いくらいだが雨天となると途端に寒くなる。
「レゾールさん、いますか?」
店の戸を叩く。
「おう、トーヤか。勝手に入ってきても構わんぞ。こんな雨の中よく来たな。」
レゾールに言われた通り扉を開けて中に入ると、炉に火が入っているせいか室内は非常に暖かい。冷えた体をじんわりと温めてくれる。レゾールの鍛冶場が当夜を歓迎してくれていた。
「こんにちは。今日は装備をいただきにまいりました。」
「おう。待っていたぞ。ほれ、早速着けてみろ。サイズが合わなかったらたいへんだからな。」
当夜にテーブルを指さしながらサイズの確認を要求するレゾールであったが、残念ながら異世界の服の着方なんてまるで当夜にはわからない。もし、当夜が貴族御用達の高級専門店を選んでいれば店員が即座に着付けてくれたであろうが、ここは貴族の専門店でも日本の洋服店でもない。やむなく形状から何となくで着込んでいく。羽織った【除魔の魔法衣】の帯紐を締めようとしたときだった。
「おいおい、何やってんだ。それじゃせっかくの除魔の効果が発動しないぞ。魔法陣がつぶれちまっているじゃねーか。そもそも、まずはホルダーからだ。ほれ、しょーがねぇ、初めは手伝ってやる。手を挙げろ。」
まずは、腰に【武器ホルダー】とされる股掛けの帯を巻く。自前のベルトの上に厚い革帯が重なる。左腰にショートソードを収めた鞘を差し込む。右腰にナイフを3本差す。正直重たい。細いベルトが腰に食い込む。
次いで、【除魔の魔法衣】だ。先ほどは体のラインにあわせて腰ひもを強く結び過ぎたせいで服の背中に縫い込まれた魔法陣がよじれてしまった。どうやらゆったりした状態で着込むものらしい。やはり魔法職などの後衛用の装備品なだけに激しい動きは想定していないようだ。
さらに、ひじから手の甲にかけて白銀の小手をはめる。これが腕を動かすのに非常にうっとうしい。と、当夜は思っているが小手と言うものはそう言うものである。
(やばい! かなり重たい。)
「これ、かなり重たいし、動きづらいですね。」
正直、走るどころか少し歩いただけで息が上がりそうだ。
「何言ってやがる。これでも相当軽い方だぞ。当然、防御力はかなり低い。もちろん同程度の金額で買えるものの中では相当優秀ではあるがな。」
レゾールが自信の表れか小さな体を大きく反らせてその立派なひげを見せつける。
「うへ。金属の鎧とかつけられる自信が無いや。ところで【除魔の魔法衣】はどうにかなりませんか? ひらひらしているから攻撃も避けにくいし、狭いと事か入れないし。せめて【武器ホルダー】で腰回りを締めるとかしたいんですけど?」
「だから魔法陣が歪んじまうって言ってんだろ。」
「ですよね。はぁ。」
当夜が肩を落としながら大きく溜息をつく。装備もどこかしら纏う者の弱気に不満げだ。
「ん? 歪んでしまうって体を動かしたらそういうのって普通に起こるんじゃないんですか?」
「まぁな。こいつは後衛用の防具だから動かないことが大前提さ。歩くくらいなら大丈夫だろう。」
レゾールは当夜がよもや前衛となっているなどと想像していない。精々、後衛として補助魔法で支援する程度の役割であろうとみなしていた。そうでなければ革鎧を勧めていただろう。
(それじゃ意味ねぇー!)
「ちなみに単純な防御力は普通の服と同じとか、ですか?」
「一応は魔法で編まれた布だからな。革鎧ほどじゃないにしてもそこそこ強靭だぞ。」
そこそこと言われても当夜には全く想像できない。
「もう、マント扱いで良いです。」
当夜は言うが早いか【武器ホルダー】をほどくと【除魔の魔法衣】の上から巻き直す。そもそもこの服の防御力として見ると叩き切るための一般的な剣であればどうにか受け止めることができる程度の堅さはある。闇耐性だの毒耐性だのが期待できなくなるだけだ。それがどれほど痛手であるかは彼なりにわかっているつもりだが動きづらいのでは意味がない。
「おう、贅沢な使い方だな。」
「まったく。これより重い鎧なんて着られる気がしませんよ。」
当夜は苦笑いを浮かべて自身の身だしなみを正す。
「ば~か。お前は伸び盛りなんだからな。将来はフルプレートを着てでも俊敏に動けるようにならないとな。おう、忘れるところだった。メンテナンスはちょくちょく来いよ。特に武器は刃の斬れ味が命だからな。」
当夜が成人しているなどとは露知らずレゾールは横に飾られた白銀の大鎧を撫でる。
(ハハハ。無・理・だ・ね。)
「へ~い。」
帰ろうとすると外から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「よう、おやっさん。生きてるか?」
「今度はウォレスか。なんだ?」
全身ずぶ濡れのウォレスが扉を大きく開けて飛び込んでくる。ペイナイト色のコートが雨を吸ってか濃い黒色に照り艶めく。そのコートの切れ間から腕を突き出すと脇腹のあたりを指し示す。そこには確かにわずかであるが凹みが見受けられる。
「すまねー。さっき悪漢を捕えた時に鎧が凹んじまってよ。ちょっと直してくれや。って、トーヤ様ではないですか。今日はどうされたのですか?」
「―――ウォレスさん。様付けは止めてください。呼び捨てと普段の口調でお願いします。
いえ、ようやく装備を整えまして、今着てみたところなんですよ。どうですかね?」
当夜はその場で一つ回って見せる。
「う~ん。やはり、馴染んでいないだけに窮屈そうです、だな。装備が体に慣れるのを待つより体を装備に慣らした方が早いか。もしよければ指導するよ。冒険者風に、となってしまうがね。」
ウォレスは思わず似合わないと口を滑らしそうになるが、すんでのところで呑み込んだ。
「本当ですか? ありがとうございます。ぜひともお願いします」
「よし、ではトーヤの家でやるとするか。じゃあ、準備があるから先に行って待っていてくれ。」
当夜は、着込んだ装備の上から合羽を着て、【武器ホルダー】に納まる刃の重みに心躍らせながら雨の続く帰路についた。
家に着くと、ライラが乾いた厚手の布を持ってきてくれた。遅れながらに布を持ってきたアリスネルが無表情に腕を突き出して受け取るように促す。すでにライラの持ってきた布で十分に事は足りるが感謝の言葉と共に受け取る。アリスネルの顔に一瞬嬉色が浮かんだがすぐにそっぽを向いてしまう。
合羽を脱いで水気を拭き取っていると管理人たちから感想が漏れ出る。
「あらあら、馬子にも衣裳ね。まだまだ頼りないけど一著前になってきたじゃない。」
(きゃー、可愛い。何かこういう人形ほしい。そうだ。今度時間のあるときに作ってみようかしら。)
「まぁ、ちょっとはマシになったみたいね。でも、似合わない。」
(な~んか、王子様とか勇者様って感じじゃないのよね。こう、もっとキラキラっていうのかな。足りないんだよね、魅力が。やっぱり弟って感じ。)
それぞれの感想を受け取った当夜は苦笑して水気を拭った布をライラに託す。2人がそんなことを考えているとは知らずに、当夜は訓練所に向かう。
「ライラさん、アリス。ウォレスさんという中年の男性が僕の指導に来てくれますから布と温かい飲み物の用意をお願いします。僕は先に訓練所の準備をしています。」
「ええ、わかったわ。」「はい。」
しばらくすると、ニヤニヤと笑みを浮かべながらウォレスが訓練所にやってきた。
「なぁ、トーヤ。あの女の子はトーヤのあれかい?」
あれが何を指しているのかはわからないが、家族や友人という意味合いで使われていないことはその顔を見れば確かだ。それにしてもつい先ほどまで敬語を向けていた相手に尋ねる内容ではないだろう。そう考えるとこちらの方がウォレスの本性と言うことだろうか。
「あれって、違いますよ。管理人さん、の見習いです。まったく、そんなこと言っているとアリスに怒られますよ。」
「ほう、アリスちゃんか。ありゃ、将来は相当な別嬪さんになるぞ。今からつば付けとけ。」
ウォレスが指を舐めるような動作をしている。お世辞にも格好良くは見えないし、どちらかというと下品だ。
「そんなんだからその年で独身なんですよ。」
人のことを言えない立場だが敢えて言わせてもらう。
「うぐっ!」
その口撃はかつて様々な地域の人々に言われてきた言葉より辛辣で厳しい非難が含まれたクリティカルなものであった。子供と思って油断していたとはいえ小さな同性から浴びせられた一撃はウォレスを地面にひれ伏せさせるに十分であった。そこへライラとアリスネルが紅茶を運んでくる。どうやら当夜の声が聞こえていたのかライラが話をつなげてくる。ついでにアリスネルが感心なさげに吐き捨てる。
「なになに? ウォレスさん、まだ結婚して無いの? 冗談でしょ?」
「ふ~ん、寂しい人生だったのね。」
快活で軽妙なライラと辛辣で侮蔑的な視線を送るアリスネル。彼女らは訓練所の机に茶器を並べる。関心なしとばかりに作業を進めるアリスネルとは逆に、ライラはその反応を楽しんでいるようだ。
「...」
心痛な表情で宙を仰ぐウォレスは先ほどまでの勢いを完全に失っていた。おそらくここでうまい返しで乗り切れていたのなら生涯の伴侶が彼の帰りを待っている温かい家庭をはぐくめていただろう。
「―――冗談よね?」
ウォレスは遠いどこかを見つめている。どうやら心だけがどこか遠い世界に旅立っていったようだ。当夜がそっとその背中を押してテーブルに誘導する。遠くでライラの笑いをかみ殺しきれなかったのであろう声が漏れている。どうやらこの世界では晩婚と言う概念は無いようだ。
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そんなやり取りも終わって女性陣が席を外した頃を見計らってか、ゆっくり時間をかけて一人旅から戻ってきたウォレスと修業に入る。
「トーヤ! どうした! そんなんでうまく動けるか!」
砲丸投げに使われるような鉛玉が鎖に吊るされて振り回される。
「おらっ! 休むな。もっと重くするぞ。」
ウォレスが何やら魔法を唱えると当夜の両手両足に更なる負荷がのしかかる。この世界では物質に頼るよりも魔法によって荷重を増やす術が発達しているようだ。
当夜の表情がさらに険しくなる。全盛期の体力とは言い難い中で体育会系の部活のノリに必死で食らいつく。どこか懐かしい感覚は嫌いではなかったが、声を出して応えるほどの余裕は無い。
「あと、500!」
(フハハ! トーヤ。お前はモテない男の地雷を踏んだようだな。わが苦しみを味わうが良い!
それにしてもずいぶんと粘る。この歳ならもうとっくにぶっ倒れているはずなんだが。これは予定よりも難度を上げても、いや、それだと体を壊すか。)
訓練所にウォレスの怒号が響く。数字にあわせて当夜がウォレスの指示通りの動きをなぞる。短剣を左右で斬り分け、上段からの斬り下ろし、さらにスクワットからの足払いを左右の足で、その後に訓練場を一周。
一日に1000回というノルマを与えられてようやく半分にたどり着いた。ただ、すでに時間は8鐘が鳴って夕飯時になっていた。
そもそも、この筋トレは正当な訓練を構築するためのもので新人の限界を見極めるべく実施されるのである。決してやり切れるものではない。私情がたぶんに入っているものの、ウォレスは当夜の基礎修練のメニューを練っていたのであった。
「トーヤ君、ウォレスさん。食事の準備ができましたよ。」
夕飯の支度ができたことを伝えに来たライラは床に仰向けに倒れこむ当夜の姿を目のあたりにする。
「はぁ、はぁ、ライラ、さん?」
「って、きゃぁ。トーヤ君、大丈夫?」
(この野郎! 私のトーヤ君になんてことを。後で見てなさい。ギリギリ!)
当夜を抱き起したライラの手に握られていたお玉がゆがんでいく。それと同時にウォレスの体を猛烈な悪寒が襲う。
この日の夕食はウォレスにとってトラウマとなった。会話の節々にライラが‘独り身’‘独身’‘モテない’等のウォレスの心を抉るキーワードによる口撃を仕掛けてきたのだから仕方あるまい。当夜は身体的疲労で、ウォレスは精神的疲労で食卓に伏し、その様子を見下ろすライラの姿はアリスネルの目に真の勝者が誰であるか、そして口は剣より強いことを如実に伝えていた。アリスネルはこの食事からさらにライラに従順になっていった。
逃げ去るように帰ろうとするウォレスに当夜は何とか礼を伝える。
「ウォレスさん。遅くまでありがとうございました。この道具はどうします?」
「あ、ああ。とりあえず貸しておく。1日300回、今日やったことを5日間繰り返すこと。訓練の前後に必ず柔軟運動で体をほぐすことを忘れるな。あと、誰かに体を良く揉んでもらえ。5日後に警邏待機所に来い。ヒィッ!」
ライラが笑顔で当夜の背後に立っていた。おそらく、ウォレスにはどんな魔物より怖い存在に見えたであろう。
(あぁ、女性は怖い! 結婚なんて無理だ!)
もっとも、ライラの笑顔の意味合いは少しばかりウォレスの想像と異なる。彼女は当夜の体をいじる口実を得たことに笑みを浮かべたのである。この時、当夜も背筋が凍るような感覚に襲われていたという。
「トーヤ君。私に任せて頂戴ね。」
ライラの有無を言わせぬ申し出に当夜は声を詰まらせる。
「えっ、と...」
(そうだ。アリスにお願いしよう。アリス、助けてくれるよね。)
祈るようにアリスを探す当夜であったが、目線を合わせた彼女は慌てて顔をそらしたのだった。
2017/09/04更新




