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世界を渡る石  作者: 非常口
第1章 渡界1周目
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食事会

 ライラとアリスネルは仲良く料理を始めたようだ。一見すると姉が妹に料理を教えている微笑ましい光景だが、この世界では親子ほどの年齢差がある。


「ほら、こうやって刃を斜めにいれて。

 そう。うまいじゃない。本当に料理したこと無いの?」


「ええ。知識だけはあるのですけど、体がついてこないというか。自信あったんですけど、自信がなくなっちゃいました。はぁ。これじゃあ、年長者の立場が無いよ。」


 アリスネルはたった一度のライラの手ほどきを受けると手慣れた手つきで肉を切り分ける。その動きに一切の淀みが無い。もはや手元も見ずに愚痴すらこぼす。この場合の年長者とはアリスネルが自身を世界樹と同一存在であるとみているゆえの表現だ。そして何より当夜の年齢を自身の実年齢よりも低いとみなしていることを意味している。


(おやおや~。これは私が出かけていた隙に何かありましたね~。アリスネルちゃん、最初の印象とずいぶん違くなっているし。普通、こういう変化って初日に起こるもんじゃないでしょ。トーヤ君、やるわね。)

「なぁ~に、トーヤ君に気に入られたいってことよね? この短い間に何かあったってことかしら? おばさん、気になっちゃうな~」


 お節介な性分を前面に押し出してライラが含み笑いを浮かべて問いただす。


「な、何にもないですし、違います! か、管理人としてこれではいけないと思っただけです!」


 振り返ったアリスネルが包丁を持ったままに両手をせわしく振る。


「はいはい。わかったから手を休めないで頂戴。」


 ライラは包丁の刃を見事、親指と人差し指で白刃取りするとアリスネルの顔を覗き込む。


「し、知りません!」


 アリスネルは包丁を引き抜くとまな板の素材に向き直って作業を再開する。これ以上は応えてくれなそうだとライラは肩を小さく上下させて苦笑する。


 そんな2人とは別に暖炉で骨を煮込む当夜。余った野菜やその皮、香草が浮かぶうっすらと白濁した煮汁を湛えた寸胴鍋が暖炉の上でじっくりと煮込まれている。その煮汁の表面に漂う灰汁を掬い取った当夜は続いてその味を確かめる。


(う~ん。あんまり煮込みすぎると雑味が増えそうだな。ガラはそろそろ取り除いて肉に切り替えて旨みをもう少し高めるかな。)


 当夜が骨のガラを取り除いて肉を入れて再びスープを煮込む。そんなタイミングで玄関が開かれる。


「こんにちは。トーヤさん、居らっしゃいますか?」


 顔をのぞかせたのはテリスールだ。いつになく着飾ったその姿に浮かべる表情は少し恥ずかし気だ。


「こんにちは、テリスさん。その姿も似合ってますね。」


「そ、そうかな? ちょっと私らしくないかなって心配だったんだけど。」

(良かった。みんなに聞いてみて。)


 テリスールの言うみんなとはギルドスタッフの女性陣である。ライラからこの話を受け取ったテリスールはヘーゼルに相談したのだ。そこから先は展開が早かった。ヘーゼルが指を鳴らすや否や先輩たちに囲まれたテリスールは通りの衣装店に連れ込まれたのだった。


「お待ちしていました、って言いたいところですがまだ準備できてなくて。ちょっと待っていてもらっても良いですか?」


 当夜が空笑いする。当夜の中ではちょっとした驚きだった。別れ際の彼女のとても忙しそうな様子から来ても遅刻するくらいだろうと見積もっていたにも関わらず誰よりも早く来てくれたのだから。


「あ、私こそ、ちょっと急ぎ過ぎちゃったみたいで。そうだ。ご迷惑でなければお手伝いしようか。」


 先輩たちにせかされてこの家の前まで担がれてきたに等しい己の姿を思い浮かべてテリスールは苦笑する。どうやら先輩方はテリスールの本気度をアピールするために仕組んだことだ。残念ながら当夜には伝わっていないことは見るからに明らかだ。テリスールはそのお節介が作ってしまった穴を埋めるためにも提案する。


「う~ん。でも、お客さんにお手伝いいただくってのも変だからなぁ。」


 当夜が天井に目を向けて唸る。


「大丈夫! だって仲良くできるチャンスじゃない。今日は誰が来るの?」


 テリスールは薄い生地の袖口をまくって見せる。


「メンバーは、テリスさん、僕、ライラさんとその旦那さん、あと、アリスかな。」


 当夜が指を折りながら名前を挙げる。


「アリス、さん、ですか? えっと、トーヤさんとはどういう関係の方ですか?」


 テリスールの声のトーンが一段階落ちるとともに抑揚の抑えられた事務的な声に代わる。


(なんで話し方を変えたんだろ?)

「ええ。正規の管理人さんらしいです。今はライラさんと台所で肉を切っていますよ。

あっ、もしよければ2人の手伝いお願いしてもいいですか?」


 当夜は2人のいる台所の方向を見る。正確には鋭い視線を投げかけるテリスールから顔を逸らしただけだが。


「もちろん構わないわ。でも、正規の方が来られたということであればライラさんは契約終了になるのかしら。」


 テリスールはやや不満げな表情を浮かべたが持ち前のまじめな性格が出て仕事の話に代わる。


「そこなんですよね。ちょっと不安なところがありまして、ライラさんにもう少しお手伝いいただこうかなとは思っているんですよ。」


当夜が腕を組んで首を傾ける。


「へー。まあ、そのあたりも2人に会えばわかるのかな。じゃあ、台所に行くね。えっと、どこに行けばいいかな?」


 玄関を超えて当夜の横に並んだテリスールはにっこり笑うと尋ねる。その笑顔におもわず当夜は目を瞬かせる。


(仕事の時と全然違う。なんか可愛い。)


「どうかしたの?」


 テリスールの表情が疑問に変わる。当夜が正気を取り戻す。


「そうでした。そこのドアの先が台所です。よろしくお願いします。」


「はい。任されました。」


 結局、彼女の笑みに再び目を奪われることになった当夜がそこにぽつんと残されていた。


トントン。


 テリスールがドアをノックして台所に入ると、野菜に肉切り包丁で切りかかろうとする少女とそれを苦笑いしながら止めるライラの姿があった。


「あら、テリスールさん。こんにちは。ずいぶん早かったですね。とても仕事が忙しそうでしたので遅れてくるものかと思っていましたよ。

 あ、こら、アリス! 野菜は菜切り包丁を使うの! 肉切り包丁の刃が痛んじゃうじゃない。」


「う、うー。

 こんにちは。えっと...どちら様?」


 ライラに向けられた上目遣いのままにテリスールに振り返った少女はばつが悪そうに尋ねる。


(うわぁ。めちゃくちゃ可愛い。こ、これってトーヤ君の年齢を見越したような女の子ね。それって、つまりは、エレール様公認の許嫁ってこと?)

「はじめまして、テリスールよ。アリスちゃんでいいのかしら。よろしくね。」


「ええ。よろしく、テリスールさん。ちなみに私の名はアリスネルよ。ライラさんは師匠だから構わないけど、勝手に略称で呼ばないでください。」


 テリスールのあいさつにアリスネルは応えこそしたものの不満げに訂正を求める。


「ごめんなさいね。でも、確かトーヤさんもアリスと呼んでいましたよ。」


 テリスールの中で不安がゆっくりと立ち昇る。出会ったばかりにもかかわらず愛称で呼ぶ仲とはどういうことか。


「トーヤは良いの。お互いに呼び捨てで良い仲なんだから。」


 明らかに客人に向ける態度ではないが、この姿こそがアリスネルの本来の性格を表している。


「え? まさかお2人って許嫁なのかしら?」


 テリスールの嫌な予感がその答えを導き出す。それが正しいとは言えないが彼女の中では正解となってしまう。


「なっ!? 何言ってるの。そ、そんなわけないでしょ。ただのこの家の所有者と管理人の間柄よ。変なこと言わないで!」


 不意打ちを受けてのその反応はまだまだ子供の反応だ。当事者の間ではそこまでの認識は無いようである。とはいえ、彼女の反応を見る限りでは当夜に対する印象は悪くないようである。だが、彼女には賢者エレールのお墨付きある。ただの受付であるテリスールには持ちえないアドバンテージだ。アリスネルがそれに気づけば一気に抜き去られることは目に見える。


「ふ~ん。な~んだ。そうなんだ。へー。」

(許嫁では無いみたいね。でも、ただの所有者と管理人の関係ってわけでもなさそう。うかうかしてられない。)


「...」

(これは、これは。やっぱりテリスールさんもトーヤ君のことが気になっているみたいね。楽しくなってきたわね。これは煽りがいがあるわ。世話焼きの血が滾ってきたわ。ふふ。これじゃあ、近所のおばちゃんのこと笑えないわね。)


 玄関の開く音。内容はわからないが当夜と誰かの話し声が届く。


「あら? 旦那が来たみたい。ちょっと席を外すわ。2人とも仲良く準備しててね。」



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 テリスールが台所に消えてしばらくすると、玄関から低い声が響く。


「ライラ、居るか?」


「こんにちは、ワズルさん。ライラさんは奥の台所で準備中です。お忙しいところ来ていただきましてありがとうございます。どうぞおあがりください。」


 体の割りにずいぶん控えめに開けた玄関からワゾルがその巨体をわずかに覗かせていた。そんな彼を引き入れるべく当夜はテリスール張りの笑顔を浮かべる。浮かべたつもりだったがやはりその体躯には顔を引きつらせるよりほかにできるはずがない。


「いや。こちらこそお招きいただきありがたい。妻が日頃からお世話になっているようだ。ありがとう。」


 体の割りにずいぶんと小さな声で言葉少な気に形式的な礼を述べる。謙虚な姿勢が印象的な人物と言える。逆に言えば足りない部分を補い合うという点でライラの相方にピッタリとも言えるかもしれない。


「あら、あなた。早かったじゃない。ほらほら。い、つ、も、の。」


 ライラは、そういうと両手を広げてワズルの前に立つ。身長差が倍近い旦那と奥さん、この二人が行う出迎えの営みとはどのようなものなのかと当夜は凝視する。


「いや、さすがに人前では、な。」


 さすが常識人。


「私のこと嫌いになっちゃったの?」


 さすが破天荒さん。

 上目づかいでワゾルを見上げるライラ。こんなことをされれば断ることなんて大抵の男どもにはできないだろう。ほぼ同じ目線の当夜から見ると、ライラの口角がわずかに上がって笑っていることがわかる。間違いなく旦那をからかっているのだ。だが、ワゾルはそこに気づいていないのか、当夜の目の前で二人は熱い抱擁を繰り広げる。ライラは抱きしめられながら当夜にウインクする。


(どうだね、トーヤ君。夫婦と言うものは良いものだよ。さぁ、君もあの二人と熱い恋の調べを奏でてもらおうじゃない。まぁ、指揮者は私が取らせてもらうけど。でも、どうかな。どちらの方がトーヤ君に良いのかな。いっそ、両方とか?)


(う~ん。ワゾルさん、見かけによらず奥さんの尻に敷かれちゃっているんだろうな。まぁ、本人たちが幸せなら何でもいいけど。)


 残念ながらライラの惚気も策略も当夜の冷静な見かたに暖簾に腕押しと言えた。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 一方、台所では、流れるような包丁さばきで野菜、キノコなどを切り揃えていくテリスールとそれを悔しそうににらみつけているアリスネルの姿があった。そこには会話は無く、テリスールの包丁が刻む規則正しい音のみが響いていた。


(やっぱり、アリスネルちゃんは料理があまり得意ではなさそうね。これがトーヤさんの言っていた不安要素ってことかしら。)


(う、うー。ライラさんに教えてもらえばこんなこと一瞬で修得できるのに。この女が途中で邪魔さえしなければ...)


 アリスネルも何とかテリスールの見様見真似で野菜を切り始めるも、料理の腕の確かなテリスールによってほとんど終えられていて活躍はほとんどできなかった。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 トーヤのコーヌ茸と兎肉の猪ガラスープが完成し、ワゾルが補給した大量の薪、切りそろえられた肉と野菜の数々が食卓に並ぶ。当夜は初めて知ったのだが、この食卓は中央に大きな堀があり、中に炭火を入れることで暖を取ったり、調理をしたりすることができるのだ。

 皆で席につき、食事を始めようとすると、ライラに肘で突かれて主催者としてのあいさつをすることになった。その間に着々と飲み物を配膳して回るライラ、当夜の話が終わる前にはすべての準備が整っていた。


(あれ? アリスも配膳を手伝ったりしないのかな。見習いだから? まぁ、良っか。)

「というわけで、無事狩りを達成できました。本当に皆さんのおかげです。今日の糧はそんな皆さんの成果の賜物です。ぜひ味わっていってください。

それでは、いただきます。」


 普段通りに当夜が食材となった生き物たちに感謝の念を表す日本なじみの言葉で食事の始まりを告げる。それがこの異世界で何の意味もないことはよく考えれば十分わかることなのだが。


「「「...?」」」


 皆が一様に虚を突かれたような表情を浮かべる。ライラをしてもまさか客人が居るこの場において日常の奇行をとろうとは思いもしていなかったようだ。


「よう。悪い。依頼で遅れちまった。ん? どうした?」


 皆が疑問を浮かべた表情のままに突然の来訪者を振り向く。それはさながら遅れたゴーダに向けられたようであった。


「へ? 何?」

(やべぇ、ひょっとしてタイミングが悪かったか?)


 ゴーダの顔が不安に強張る。その声を合図にライラが口を開く。


「精霊に感謝を。」

「「「精霊に感謝を。」」」


 ライラの掛け声にみんなが何事もなかったように声を合わせる。当夜とゴーダだけがその空気に取り残される。


(あれ? 挨拶間違えた?)


「トーヤ君、‘いただきます’は食事を始める言葉で大丈夫よね? 私、びっくりしちゃったよ。」


「あ、ありがとうございます。助かりましたよ。」


 小声で確認するライラに当夜は感謝する。そんな2人に近づく影。ライラがその場を離れて席を譲る。


「なぁ、俺って何かやっちまったか?」


「そんなことないですよ。おかげで助かりました。ありがとう、ゴーダさん。」


 不安げに確認するゴーダに当夜が礼を述べるが、もちろんその意味はゴーダには伝わっていない。


「それなら良いけどな。ところで、その、リコリスさんはお見えじゃないのか?」


 ゴーダがテーブルの下に当夜を引き込んで尋ねたことは当夜と共に彼の窮地を救ったシスターのことだ。


「いえ、リコリスさんとは知り合いと言うほど知り合った仲ではありませんから。しかし、その反応は彼女のこと、」


「ああ、好きだぜ。一目惚れだ。」


 当夜が言い終わるよりも先にゴーダが言い切る。


「その素直さが羨ましいです。」


 当夜が苦笑する。


「そうか? まぁ、俺は一途だからな。」


 歯を見せて笑うゴーダはその後酒に酔ってアリスネルやテリスールに声をかけつづけて空回りしていたことは窮地を救ってくれた彼の名誉のために彼女には内緒にしておかなければならないだろう。

 その後は、華やぐ女性陣が押しの一手であった。特に、ライラの猛攻に当夜は苦笑いしながらやり過ごすので精いっぱいであった。何せ、テリスールとアリスネルのどちらかを選べと言わんばかりの内容であったのだから。本人たちを前にする当夜にとってたまったものではない。しかも、お酒の入ったテリスールは身を乗り出して興味津々といった態度、アリスネルは不機嫌そうにしながらもこちらをちらちらと上目づかいに様子見してくるのだ。

 食事はとうに終わっているのだが、彼女らの尋問は終わりそうに無い。

 だが、助け船は意外なところから出される。


「トーヤ、明日、一緒に森に狩りや採集に出ないか?」


 ここまで一切喋らなかったワゾルが声を出す。


「えっ!? ご一緒していいんですか。ぜひ、お願いします!」


 こうして、明日の朝から森に入ることになり、ワゾルに早く休むことを促されてこの日の食事会は幕引きとなった。

2017/09/04更新

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