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世界を渡る石  作者: 非常口
第1章 渡界1周目
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異世界人との接触

 海波光(やつ)の言葉を借りるならば、【渡界石】にはこの世界の言語と基礎知識が詰め込まれているらしい。とはいえ、いざ使うとなると、赤い血のように、と言っても固まった瘡蓋のような濁りは無く、まるで流れ出た血液そのままに固めたような不気味さが当夜の決断を惑わす。そんな迷いからか未だ未知数の塊たる【渡界石】からどのように情報を引き出すかすら考えようとも出来ないでいた。

 そんなときである。古い木造家屋ならではのきしむ音が当夜に何者かの再びの接近を知らせる。本人は音を殺しているのであろう。その足取りは緩やかですり足に近いものだと予想できる。


(また誰か来たか。しかし、なんだこの感覚は? 先ほどの老婆が近づいてきている、なぜだかそんな気がする。まぁ、家でも家族の誰が近づいてきたかは足音の雰囲気でわかったりしたからそんな感じか。ちょっと過敏になっているのかもしれないな。とりあえずはさっきのようにやり過ごすか。)


 近づいてくる足音が示すところには、この家には段差のある構造おそらく階段があり、陽が差しこんでくることから当夜のいる部屋は地上より高い位置にある可能性が高いことが推測できた。出来ればこの部屋を過ぎ去ってくれと願うも虚しく、その足音の主は当夜のいる部屋の前で止まった。当夜の勘は的中し、先ほどの老婆が入ってきた。その手には竹箒を持っていた。

 書棚の陰から様子をうかがっていた当夜は首を翻すと壁に背を預けて冷や汗を流す。


(おいおい、この部屋の掃除でも始める気か。やばい! このままだと見つかる。まだこの世界の言語なんて習得できていない! 意思疎通もできずに接触とか泥棒に間違えられること請け合いだ。どうする!?)


 そんな当夜の狼狽ぶりなど知る由もない老婆は、掃除を奥から始めるためか当夜の隠れている奥に進んでくる。徐々に近づいてくる足音は当夜の心拍数を跳ね上げる。自身の心臓の拍音と老婆の足音が重なり合って体が震える。

 当夜に対策を練る余裕は与えられず、冷静な思考は消し飛んでいく。そんな彼の手に握られた【渡界石】は、普段の冷静な当夜にならばひどく貧弱な藁に見えたであろうが、思考の泥沼に溺れる者の前ではとても心強い命綱に思えた。神様に祈るように両手を組み、額に当てた。【渡界石】と共に。

 その瞬間、当夜の目の前に3つの選択が示された。一つは、マラカイトを溶いたかのような鮮やかな緑色の液体が入った小瓶(こびん)。一つは、オニキスのごとく艶めく黒い巾着袋。そして、見たことのない花、強いて例えるならハマナスの花か、その花を模った銀細工を土台として花びらに落ちた雨の雫をサファイアのペアシェイプカットで表したブローチ。それらは床に落ちて音を立てて散らばった。慌てて当夜は拾い集めたが、当然老婆は気づいたのであろう。


「****!」


 言葉は理解できないが、明らかに警戒をにじませた声が二人だけの空間に響き渡った。その声を最後に凍り付いた空気とにじり寄る老婆の気配がさらに当夜を思考回路の袋小路に追い詰めていく。


(どれで異世界言語を習得できるんだ! ブローチ? この液体? 巾着袋に入っているもの? どれでもいいから早く弁解しないと!)


 そんな彼の目に飛び込む【知識の泉】と書かれた日本語の文字列。普段の彼ならば一考したであろうが、『知識の』という文字に惹かれて小瓶の蓋を外すと一気に飲み干した。

 次の瞬間、当夜は頭を鈍器に打たれたような感覚に襲われて意識を手放してしまう。


ドサッ


 書棚の陰から崩れるように倒れた人影に老婆は箒を構えると、再びベッドに隠れたその者が見えるように回り込む。そこにいたのはどこか自身の愛した男に似た雰囲気を持つ幼さを残した青年だった。少年の周りには精巧な装飾と光り輝く宝石の乗ったブローチ、黒財布、そして、毒々しい液体がわずかに残る小瓶が落ちていた。この時の老婆こそが海波光の手紙にもあったエレールその人であった。そんな彼女にはこの少年が毒による自害を試みたものと見えた。


(こんな若い子が。どこの国の密偵かしら。何にしても死ぬことは無かっただろうに。それにしても、この家には害意のある者は入れない結界が施されているはずなのだがねぇ。)


 慎重に警戒しながら少年の顔を覗き込むエレール。少年の頬も唇も若干血色は落ちているがそれほど悪いわけでもない。それでも瞳に宿る光は淀んでいる。エレールは腰をゆっくりと落とすと当夜の腕をとる。下がることのない温かみと弱くはあるが整然とした脈が感じられる。


「おや? この子、本当に死んでいるのかえ?

 いや、気絶しているだけかねぇ。」


 当夜が起きていれば間違いなくこのとおり翻訳されていたであろうが、気絶しているために異世界最初の会話はもう少し後のこととなる。

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