アリスとの出会い
時間は9の鐘が鳴ったころ。
当夜が家に帰るとライラが庭の手入れをしているところだった。
「ただいま、ライラさん。」
家の中から返事がないことから庭を覗き込んだ当夜にライラが応える。
「あら。お帰り、トーヤ君。
そうだ。お客様が来ているわよ。可愛い女の子が。トーヤ君も隅に置いておけないわね。お母さんにも黙っているなんて。これが反抗期なのかな。悲しくなっちゃうな~。
そうそう。夕食なんだけどあの娘の分も用意して良いかしら。朝からずぅーとお待ちかねだったんだから。で、メニューだけど何が良いかしら。これから買い出しに出ようと思うの。」
(すごくかわいい娘だったから、気が合うようだったらウンと応援しちゃうんだから。)
ライラは山積みの雑草の束を木陰に片付け終えると腰をのばしながら当夜に尋ねる。
(んん? 誰のことだろう? まぁ良いか。肉は余るほどあるし。)
「えっと、夕食ですけど、ちょうど狩りで鎧猪と隠れ兎の肉がそれぞれ1頭ずつありますから焼肉にしてもらえますか。そうですね。塩を12つまみ、こぶし大の酸味の強い果物を3つ、食用の植物油を小さじ10杯、香味野菜を少々、あと焼き物に使える野菜を人数分お願いします。肉の下ごしらえは僕の方でやっておきます。」
当夜は自慢げに二つの肉塊を掲げる。
「へぇ、トーヤ君が狩ってきたんだ。すごいわね~」
近づいて来たライラは肉と当夜を見比べると満面の笑みでその頭を撫でまわす。
「ちょっ、もう! いい加減子ども扱いするのをやめてもらえませんか。」
当夜は身を捩って抗議の目線を送る。
「アハハ。ごめんなさいね、トーヤ君。」
快活に笑うライラは反抗期すらも我が子の成長と喜ばしく見守る母親のようだ。対する当夜からすればいくら年上とはいえそこまで離れていない相手に子ども扱いされるのは喜ばしい状況ではない。まして見た目では年下にすら見える相手だ。
(絶対悪いと思っていないでしょ、き・み。)
「―――メモは取らなくて大丈夫ですか?」
そんな彼の心の内などお構いなしになおも当夜の頭を狙って手を伸ばすライラ。頬を引き攣らせて尋ねる当夜。
「ええ、そうね。えっと、」
ライラが取り出したのは獣の皮をなめしたハンカチ大の布ようなメモ帳に特殊な植物の汁で文字を書き込む。これは水で洗うことで落ちる染料でもあり、紙の貴重なこの世界では一般的に用いられる。
「―――これで良しっ」
慣れた手さばきで何やら書き込んでいく。覗き込むことはしなかったが、聞き直されることもなくそれなりに書き込んでいたところを見るとどうやら当夜の話をきちんと聞いていたようだ。
(すげー! まぁ、合っているかはこちらからだと分かんないけどね。)
「あ、そうだ。ライラさんの旦那さんもお呼びください。それとテリス、ールさんとヘレナさん、ゴーダさんもお願いします。フィルネールさんは無理だろうけど、ライラさんと3人には寝込んでいた時にずいぶんお世話になりましたし。」
肉の量からしても精々この7人に加えて謎の訪問者の8人で適当だろう。
「え? 夫も良いの? ありがとう、トーヤ君。
そうね、フィルネール様は難しいよね。あと、ヘレナさんも難しいかな。この時間は教会で孤児のための炊き出しがあるはずだから忙しいんじゃないかな。一応、声かけてみるね。あとはテリスールさんかぁ。そこまで面識ないんだけど。まぁ、大丈夫かしら。
ん? それはそれとして、どうしてテリスールさんのお名前が出てくるのかしら? ねぇ、ねぇ、お母さん、気になっちゃう。」
当夜の彼女に対する呼び方の妙な躓きを思い出して邪推な笑みを浮かべる。
「どうしてって。単に受付でしょっちゅうお世話になっているからですけど。それと食事に誘う約束もしてありましたし。」
当夜がテリスールに特別な感情を抱いているのではないかと勘繰ってきたことは彼にだってわかる。テリスールは確かに美人だし、仕事もできる方だろう。男ならまず目を引かれる存在だ。さらには、魔人の血を引くことで幼少期に心の傷を負っている弱みを知ってしまった当夜なら十分に惚れてしまっている要素はあっただろう。だが、そこまで単純な話ではない。今の彼にとってテリスールは親切で美しいギルドの受付嬢で、度真面目な性格というところだ。魔人云々の件は当夜にとってそのことの大きさが理解できない部類のものであって、彼に特別な感情を抱かせる要因につながらなかったのである。
「じゃあ、邪魔ものの私はここで退散するとしますか。あとはお二人で仲良くね。みんなが集まる前にはイチャイチャは終わらせておきなさいよ。
肉の下ごしらえなんて私がやるから気にしないで時間を有効に使いなさい。」
「ハイハイ。さっさと行ってきてください。」
思っていたよりも反応の薄い当夜につまらなそうな顔をしたライラだったが、2階を見上げるとさらに質の悪い笑みを浮かべる。そんなライラを当夜は背中を押しながら強引に見送ったのだった。
(それにしても誰が来ているんだ。
こちらの世界で知り合った女性ってことか。該当しそうなのは、テリスか、ヘレナさんか。あとは、セリエールさんは、無いな。他にはフィルネールさんかな。でも、かわいいってキャラじゃないしなぁ。そもそもテリスもヘレナさんもライラさんの知り合いだし、今呼びにいくって言っていたし。誰だ? まったくわからん。)
大分待たせているようなので急いで訪ねることにした。家に入ると、確かに人の気配がある。どうやら先方はエレールの部屋にいるようであった。
(そう言えば、客間ってどこにするか決めてなかったな。次からお客さんを待たせることができる部屋を用意しないとなぁ。)
そんなことを考えながら階段を上がり、エレールの部屋の前で止まってドアをノックする。しばらく様子を見るも反応は無い。仕方なくもう一度ノックしてアプローチをかける。
「お待たせしております。緑邉当夜です。入ってよろしいですか?」
そもそも我が家でこの行動はいささか過剰行動かもしれない。それにしても、一向に返事はおろか反応が無い。いよいよ怪しくなり、当夜も警戒の色を強めていく。
(こいつはひょっとしたら物盗りなんじゃないのか。
あぁ、きっとあの時のエレールさんもこんな感じだったのかな。)
さすがの当夜も意を決してドアを開けて叫ぶ。
「何をしている! 何者だ!!」
最初に目についたのは、あれほど整然としていたエレールの部屋が盛大に散らかされていたことである。当夜は、恩人の部屋が荒らされたことに怒りを覚えて犯人を捜した。次いで目に入ったのは、エレールのベッドの上で掛布団に抱き付き、枕で顔を覆いながら体を震わす一人の少女の姿であった。
彼女は枕を頭から外すと一瞬何かを探すように目を泳がせたが、すぐに当夜と目が合った。碧眼のどこか潤んだ瞳は大きく開いては閉じるといった一見大げさな瞬きを繰り返す。その頬は赤く上気し、コートの下に着ていたローブははだけ、ずれたローブからのぞく肩は興奮によるものなのか激しく上下している。見るものが見れば勘違いしてしまう光景だった。
「えっ!?」「へっ!?」
「だ、誰!?
い、いやぁぁぁー!!」
『渡り鳥の拠り所』に少女の悲鳴がこだまする。
当夜は慌てて廊下に戻るとドアを閉める。ドアには彼女が投げつける花瓶や鉢植えの砕ける音と衝撃が走る。
「ちょ、ちょっと落ち着こう。ごめん! 僕が悪かったから。ね、ちょっと話し合おう。」
相手は年端もいかない少女。当夜は言葉遣いをそれ相応に変える。
「勝手に入ってくるなんて最っ低です! 入ってきたら魔法で吹き飛ばしますよ!!」
(な、なんでこんなことになっちゃったの~)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
アリスネルは思い返していた。
この日の朝、私はついに、かの日記の舞台でもあるこの家に足を踏み入れた。
私は、日記に記されたいくつもの出来事を追体験するべく最初のページから順々に舞台の場を探しながら筆者であるエレールと自身を重ねていった。この日記に記されている通りの場所を見つけては一喜一憂していたのだった。
そして、日も大きく傾き、9鐘が鳴る頃だった。
「はぁ...」
(これってここでエレールお姉さんとライトは一緒に寝ていたってことでしょ。耳元で『愛してる』とか囁かれちゃっていたとか、本当に馬鹿じゃないのっ)
一人二役でアリスネルはベッドの上で転がりながらライトとエレールの動きを日記から再現する。
日記の内容を自身と重ねて集中する私には、もはや外の音や声はほとんど届かなかった。そして、読むのも憚られるほどに恥ずかしい男の台詞を目で追ったときだった。何か声が聞こえたような気がしたが、もはや私の頭の中ではその台詞が再生されていた。思わず近くにあった枕を取ると耳を覆うようにかぶる。しかし、私の興味はその先にあるのだ。何とか枕を外して次の文に目を通そうとしたときに私に向けられた視線に気づいた。
見上げるとそこにいたのは一人の少年。
気づけば、私は悲鳴を上げていた。
どこから見られていたのか。私は自身の痴態を見られたことに激しく動揺して近くにあるものを手当たり次第に投げつける。
(勝手に入ってくるなんて最っ低!本当に許せません!!)
だが、ふと気づく、そう言えば幾度か聞こえたあの物音や声は何だったのだろうか。そして、あの雰囲気で入ってきた彼の行動の意味は何だったのだろうか。何より私はどこにいるのだろうか。と。
(あぁ...私は、最低です。)
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(フー。まずったな。まさかあんな事態になっていようとは。確かめたとはいえ、最低な形だな。これは謝り通すしかないな。)
「ごめんね。本当にごめんなさい。このとおり謝りますからまずは話をさせてください。」
しばらくの無言の間。当夜にとっては針の筵である。
「はい。私こそ、ごめんなさい。どうぞ入ってきてください。」
部屋の中から聞こえた声はしおらしく優しい声だった。
ライト「なぁ。ほんとにそんなこと書くのかよ?」
エレール「ええ。そうよ。」
ライト「それって日記だよな。日記ってのは起こった事実を書くもんじゃないのか。」
エレール「ええ。そうね。だから、ちゃんとこの雰囲気の通りに私を口説いてね。」
ライト「おいおい。こんな恥ずかしいセリフ言えるかよ。」
エレール「...」
ライト「お、お前のことが可愛すぎて...。い、言えるかー!」
エレール「ヘタレ...。」
ライト「何かスゲー傷ついた...。」
2017/08/21本文更新




