街の外に出る
ギルドのレストランで茶を楽しんでいたザイアスが片腕を軽く上げて当夜を呼ぶ。
「よう、無事この場に来られたようで安心したぞ。」
「先生、そういうことは自分にも跳ね返るらしいですよ。」
当夜は胸で両腕を組んで頷くザイアスにジト目と呪詛を送る。
「心に留めおこう。さて、準備は万端ということで良いか?」
当夜の上から下まで確認したザイアスは席を立つ。どうやら朝一に彼の使いから届いた装備の着こなしは問題なさそうだ。と言っても例によってライラに着せ替え人形の如くいじられたのだから問題ないに決まっている。もしも駄目出しをされたのなら当夜は今日の訓練をさぼってやろうと思っていた。
「たぶん。ただ、何ぶん街の外での依頼は初めてですから。一度ご確認いただいてもいいですか?」
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当夜は集合時間の5の鐘のころには、すでに想像できる限りを用意していた。
まず、雑貨屋『タルメア』では、【携帯食】という名の焼き菓子(試食した感じでは甘味の無いぼそぼそのクッキー)を20個、【クラーレ飴】(最初に訪れた時に貰った)3個、【木製の水筒】(たぶん500mlくらいか)3本を購入した。
続いて、薬事処『ペール』では、【治療薬】を上級1本、中級2本、下級10本を購入し、【麻痺直し】、【冷却剤】、【止血薬】、【気付け薬】を各2本、【マナの雫】を5つ付け足した。話が長くなりそうだったので一にらみしたら素直に帰してくれた。
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「なぁ、トーヤ。お前、これらをどうやって手に入れたんだ。間違っても買ったとか冗談はやめろよ。」
明らかに当夜がこれらを購入してきたことを前提にした問いかけだ。素直に、「はい、そうです。」などと答えれば叱られることくらい当夜にも想像がつく。
「―――えっと。貰いました?」
「いくら使った?」
顔に、「そういうことじゃねー!」と書いてある。表情の読みにくいザイアスにしては珍しい。
「たしか、小銀貨10枚くらい?」
かなり安く見積もった数字だ。
「馬鹿ッ! 普通に考えろ。駆け出しの冒険者が無理して頑張って稼げる日銭は小銀貨1枚くらいだぞ。何で、出費が10倍にもなっているんだ。
確かに不安要素を考えて最大限備えればこうなるかもしれないが、現実を見ろ。大体、いきなりど素人のお前が高難易度の戦闘に入れるわけないだろ。
はぁ。まあ、確かに俺も実戦内容を伝えなかったこともあるだろうが。いや、お前の経済力を舐めていたと認めるべきだな。」
治療薬など初期投資と見れば良いのではないかと思いがちだが、それにも消費期限はあるのだ。製造日から3日、それが本来の効能を発揮できる期間だ。それ以降は日増しに効果が薄れ、10日もしないうちに失効する。携帯食もその日までだそうだ。保存料など存在しない世界なのだ。
「な、なるほど。そりゃそうですね。じゃあ、何が正解だったんですか。」
当夜は長い説教を乗り越えて尋ねる。
「そうだな。第10戦級なら、携帯食は2つ、水筒1つ、下級治療薬3つ、マナの雫1つだな。それ以外はいらん。ただでさえ、収納袋はアイテムを入れられる数が少ない。収集品をたくさん持ち帰らなければならんことも考えろ。いざというときは武器や防具をしまって逃げることも必要だ。そんな時にいっぱいでしたじゃ、困るだろ。」
当夜の準備した道具を次々と絞りこむ。物の数秒で荷物は三分の一に減らされる。減った分は当然ながらに不安によって埋められる。
「えっ。それだけですか? 状態異常とかの治療薬は?」
麻痺したら逃げられないし、毒だったら街にたどり着く前に死んでしまうのではないか。それが当夜の不安の大きな部分を占める。
当夜は知らないところだが、大きな街の周りではギルドや騎士団によって危険な獣や魔獣は発見され次第に狩られているのでそうそう遭遇することはない。とは言え、先の蒼いフレイムゴーレムの一件に関わってしまった当夜としてはこの世界への懐疑心が強くなってしまっている。そういう不運に出会ってはあきらめるというのが冒険者の常識でもあるのだがそれは当夜には浸透していない。
「そんなもん、お金に余裕ができてきてから徐々に揃えるものだ。だから、討伐相手やフィールドを慎重に選んでいく。そもそも、ギルドも下級冒険者に無茶な依頼は出さんさ。ちなみに、今回は【鎧猪】が獲物だ。で、こいつがギルドから預かった依頼書だ。3頭の駆除依頼だな。」
見せられた依頼書には、確かにそのように記されていた。
依頼番号:509紫20土128号
依頼者:中央ギルド
報酬:基本給300シース、部位の買取り可
期限:クラレスレシア509年 紫の月 23の日 7の鐘 までに報告すること
内容:南東門先の草原に縄張りを築いた【鎧猪】の3頭の駆除。
「んー、【鎧猪】ってどんな奴ですか?」
当夜はライトの残した魔物図鑑をある程度覚えたつもりでいた。そんな中にその名を見た覚えはない。それもそのはずである。【鎧猪】は獣であって魔獣ではない。獣と魔獣の違いは諸説あるが、大きな違いは食用か否かである。魔獣は瘴気に侵された獣であって突然変異的に生まれる。この瘴気が人体に悪影響を与えると言われている。
「おいおい、そんなところから知らんのか? 【鎧猪】はこれくらいの獣だ。体表に体毛を発達させて爪のような表皮になっている。つまりは守りに特化した猪だ。いいから、ほら、行くぞ。」
ザイアスが示したそれは60cmくらいの大きさだ。1mを超える日本のイノシシと比べれば確かに初級冒険者向きの相手と言えよう。
「はい。ちなみに弱点は?」
歩きながら尋ねる当夜に苦笑しながらザイアスは答える。
「なぁ、トーヤ。情報ってのは一つの武器であって防具でもある。つまりは売れるってことだ。そんな情報が簡単に手に入ると思うな。まぁ、金を積めばいくらでも手に入るが、俺がお前に教えたいのはそんなことじゃない。要は、経験して調べろってことだ。」
当夜の肩を軽く叩くザイアスはニヒルな笑みを浮かべる。何か過去にあったのだろうか。
「ふーん。そう言うもんですか。」
「まぁ、そう言うことだな。そら、南東門が見えてきたぞ。」
見えてきた南東門は高さ8mほどあり、浅黒い玄武岩のような石質で出来ていた。気になることはそれが一つの塊を削ったように継ぎ目が見当たらないことであった。
「ザイアスさん、この門って一つの岩をくりぬいた感じですか?」
「おう! ザイアスさん。ん~、こいつはまた小さなお客さんだな。
よう、俺は門番のヴェデスだ。よろしくな。
お前の言う通り、こいつは1600年も前にここに住み始めた人たちが運んできた岩を300年ほどかけて削ったらしいぞ。まぁ、当時は精霊もよくわかっていない時代だったから魔法もほとんど無くて手作業だったらしいけどな。昔の人はスゲーな。」
門の隣に建つ小屋から騎士の鎧を身に着けた大男が現れる。大男と言ってもこの世界では標準体型なのだが。ヴェデスは門に手を当てて上を見上げる。
「ということだ。
よう、ヴェデス。早速だが門を抜けたい。登録証だ。」
そう言うなりザイアスはギルドの登録証を見せる。彼ほどの人物だと顔パスなのだが今回は当夜のためにあえてやってみせた。
「はいよ。そっちの小僧さんはどうする?」
ヴェデスの目には当夜は貴族の子供で、ザイアスはその護衛役と映ったようだ。貴族ともなれば通行証を各家の中で発行できる。では、一般の市民であればどうするか。それは国に依頼すれば手に入れられるが有料である上に発効までに時間がかかるために各貴族に金品を渡して発行してもらっていることが多い。
「え、えーと。これでお願いします。」
当夜は手間取りながら登録証を手渡す。
「おう。お前さん、冒険者だったのか。よし。ああ、まだ10級か。そりゃそうだよな。まぁ、無理はすんなよ。ザイアスさんがいるから問題なんて起こらないだろうが、何かあったらすぐ戻ってこい。」
門番のヴェデスは、登録証を一読すると満面の笑みで返してきた。当夜としては門番は厳つくて、袖の下を要求してくるものだと期待していただけに複雑だった。
一礼すると、ぐんぐん進んでいくザイアスに追いつくため駆け出していく。ヴェデスはそんな姿を微笑ましく送り出した。
門の中を10mくらい進み、開き戸を押し開けると、そこは青々とした草原とところどころに散見する林が広がっていた。草原は、ひざ下ほどの高さに成長した芝のようなイネ科の植物が主体で、そのほかにもいくつかの草花が混在していた。林は雑木林で、時期ゆえか、やや色づいた葉を持つ木々が目立った。いかにも動物が潜んでいそうでもあった。足元をみると門からは南に向かって蛇行する石畳を敷いた幅5mほどの茶色い土道が続いていた。遠くに馬車をひく人の姿が見えたが、街を後にする集団なのかドンドンと小さくなり、遠ざかっているようだった。
「さて、まずは獲物から探してみようか。俺は基本的にお前の後をついていく。本当に危なくなったら助けるつもりだが、それ以外は手を出すつもりはない。それと、制限時間を設けるぞ。9鐘が鳴ったら、途中であっても帰還する。いいな。さぁ、最終試験、開始だ!」
ザイアスが話は終わりとばかりに当夜の背中を押し出す。
「え、ええっ!? いや、ちょっといきなりどうしろと。せめて、ヒントをくださいよ。」
振り返った当夜がザイアスに確認する。
「...」
ザイアスは目を細めるだけで何の反応もない。
「はぁ、わかりました。やってみます。」
(草原の草を食っているような奴なら楽なんだけど、ザイアスさんがこんなことをしてくるってことはそんな簡単じゃないよな。獣ってことは、林に身を隠しているか、水飲み場にやってくるはず。そこを狙うべきか。)
当夜は間近の林を目指して歩を進める。そんな林の中からは接近する不穏分子に警戒を露わにする生き物たちが目を光らせていた。
2017/08/13更新




