能力の限界と及ばぬ力
(この人、強い。まったく攻撃が通じないことがわかっているのに、攻撃を繰り出さなきゃやられるって雰囲気に追い込まれる。反撃してこないと言われても、本能が打てば反撃に遭うと告げてくる。反撃されたとしたら、まるで避けられる気がしない。)
当夜が屁っ放り腰で構えて、まだ10秒と経っていないだろう。すでに、当夜の額には玉粒大の汗が浮かんでいる。当夜は決して武術を習ってきた人間ではない。それでも曲がりなりにも体育会系の部活を大学まで続け、社会人になってからも筋トレを続けてきたことに加え、体育の授業で柔術を習ってきた。それらの感覚を付け足せば戦闘の経験こそないが当夜の実力は初級冒険者のそれと比べても大した差はないといえる。その上にかの蒼いフレイムゴーレムとの戦いをあけて彼の感覚は化け物じみた相手に対してある程度の耐性を得たはずである。ギルスはそんな当夜など何の意味もないかのように恐怖を押し付ける。
(まだだ、少しでもギルスさんを正確に捉えるんだ。)
(ほう! これだけ威圧と誘いをかけているのに、まだ堪えるか。なら。)
「トーヤ。おぬしがもはや動けぬというなら、いい加減、ワシも動くとするぞ。」
その声に焦りは覚えなかったと言えば嘘になる。だが、同時にわずかな光が差し込んだ。それは、ギルスの発した声の響きだ。この時の当夜は更なる強者と対峙したことで、再び生存本能が呼び起されて空間認識の精度が高まっていた。そこへ響く声という波。波の発生元へと剣を突く。
そこに至るまでの動き、剣筋、剣速などは下級の冒険者のそれに及ぶことすらなかったが、ギルスの大剣を動かすに十分な迷いの無さがあった。
キンッ!
あっさりと大剣を盾にして防がれた上、大剣の壁に突っ込んだ衝撃が当夜に返ってくる。当夜は思わずその手からショートソードを落としてしまったのだった。
「あっ。痛!」
(くっ! まさかこんなに簡単に防がれるなんて。)
しびれる手を振りながら当夜は目に涙をためる。肉刺などない柔らかな手が柄の痕に赤く染まる。
「ふむ。子供にしては良い突きだ。まさか口をこれほど正確に狙ってこようとは。声を出したワシの失態じゃな。」
(ふ~。何じゃい、こいつ。普通、剣握ったら斬りかかってくるもんじゃろ。何ちゅう危ない奴じゃ。まぁ、弱者が強者に一矢報いるなら正解じゃが、今は持ち手とか、筋力とかそのあたりを確かめたかったんじゃがのう。まぁ、少なくとも戦いに向いたような手ではないのう。まるで貴族の女子のような手じゃ。)
息を吹きかけて炎症気味の手を冷ます当夜の姿を苦笑しながら観察するギルス。
「さて、剣を急いで拾え。実戦なら武器を落としたらすぐ死ぬぞ。次はワシから行くぞい。」
当夜が剣を拾うと、ギルスはすぐさま手を鳴らす。戦闘開始の合図だ。
気づいたときには地面に口づけしていた。後からくる痛みに足を掬われたことに気づいた。
「うぐっ。いったい何が。」
(あの姿勢は足払いをされた、のか?)
骨折しなかったのが奇蹟なくらいの速さであったはずだ。いや、それも含めて手加減されたというべきか。
「なんじゃ、あっけないのう。フィルからは【遅延する世界】を使えると聞いておったから楽しみにしておったのにのう。やはり、命の危機に瀕せねば発動せんか。ならば。」
その時、当夜の背中に一気に汗が浮き上がる。同時に周りの光景がモノトーンのスローモーションの世界に変わる。上を向くと大剣が振り落されていた。慌てて避けながら、剣を突き出す。当夜が時計に目をやると、物凄い勢いで秒針が進んでいたことを示していた。本来なら危機が去ったので、この瞬間に【遅延する世界】は解除される。だが、すぐさま【遅延した世界】が発動する。今度は横薙ぎが迫ってきていた。突き出した剣を即座に引き戻す。
(そんな、馬鹿な。)
まるで、瞬間移動で避けた者の現れる先を読んだかのような攻撃だった。避けながらギルスを見れば、その遅延した世界であっても、まるで普通に動けるかのように大剣を引き戻す。【遅延した世界】が解除され終わるまでに、わずかであるが正規の時間の流れに戻るまでスローモーションタイムが残される。この中でのギルスの動きは異様という一言に尽きる。何しろ目で追うことすら難しいスピードであの重い大剣を振りかぶったのだ。当然のように残ったスローモーションタイムが終わる前に、次の【遅延する世界】が発動する。そんなやり取りを8手ほど繰り返す。
(こ、こんなの、人じゃない!)
もしこの場に、第3戦級の冒険者が居たとしても二人の動きを見切ることは難しかったであろう。二人はそれほどの高速戦闘を繰り広げていたのだ。
と言っても、当夜は防戦一方であったのだが。そもそも、攻撃を繰り出そうにも、ギルスの動きが遅延した世界であっても恐ろしいほどに早いのだ。十分に引き付けずに攻撃に入れば逆にカウンターを狙われてしまう。かといって、当夜の攻撃が入るようになるギリギリまで待とうものなら一瞬で時計の秒針は限界時間を振り切ってしまうだろう。只々、当夜はかつての蒼いフレイムゴーレム戦同様に逃げ回るしかなかった。しかしながら、今回は時間切れの際には成すすべなく敗北することは明白であった。
(このままやられるわけにはっ)
当夜が顔の隣に突き刺さった剣が抜かれると同時にそこに残された土砂を握る。再び訪れた遅延する世界で当夜はその土砂をギルスの顔に向かって投げつける。当夜が投げつけた土埃は一瞬で広がり煙幕となってギルスの視界を奪い、砂粒は奪われた視界を突き破って高速でぶつかる。
「むぅ!?」
(まさか砂埃がこれほどの脅威になろうとはっ)
ギルスにはわかっていた。それが単なる悪あがきでないことは。一歩後方に下がる。完全に優位を得ていたがために慎重を期して一度間をとることを選んだのだ。
引いた足が地面を捉えると同時に眼前にショートソードの切っ先が迫る。一歩下がっていなければ反応が間に合わなかっただろう。だが、読み切っていたギルスは大剣の腹を盾に容易く防ぎきる。それこそ初手を譲った時の再来のような光景だ。
(軽い!?)
ギルスはその意味にすぐに気づくことになる。当夜の体が大剣とギルスの体の間に滑り込むように侵入する。その手は顎に向かって一直線に伸びる。アッパーだ。ギルスの目が大きく見開かれる。それは当夜にとっては残念なことであるが、ギルスから見ればあまりに遅く弱弱しいものだった。ゆえに大剣を握る腕を少し動かすだけで払いのけることができた。だが、十分すぎるほどに脅威を感じさせるものであった。
「ハハッ」
思わずこぼれた笑いがずいぶんと弾んだものだったことにギルスは気づく。
(まさかワシが楽しんでおったとは。初級冒険者にこれほど驚かされる日が来るとは。)
ギルスの構えが変わった。大剣を大きく後方に絞り、腰を大きくかがめる。その姿が示す姿勢はまさに本気である。
「ちっくしょー!」
程無く、時空の精霊の加護が切れた。地面に倒れこむ当夜は悔しさを吐き出す。感情をこれほど言葉に乗せたのは久しぶりのことだった。そこには、仰向けに地に伏す当夜と当夜の胸元に剣を添えるギルスの姿があった。戦闘時間にしてわずか90秒。当夜が予想していた‘加護の数字’=‘秒’という考えはまったく甘い見通しであったことを物語っていた。実戦であれば当夜は勝機をまったく見いだせずに、能力の予期せぬ限界に驚きながら死を迎えていたであろう。
「うっ、あぐっ、ぜー、はー、ぜー、はあー...」
(はぁ、実戦なら確実に殺されていた。【遅延する世界】でも相手が強すぎたら話にならないや。)
この時、当夜にはギルスの様子をうかがう余裕は無かったが、ギルスも相当に息が上がっていた。それは、決して70歳という年による衰えがあったからでは無かった。彼は、ギルドマスターの席に就いてからも修業を欠かすことなく続け、その切れは5分以内の戦闘であれば全盛期のそれすら上回っていた。その実力はそれこそ蒼いフレイムゴーレムを上回り、フィルネールに匹敵するものだ。
「フゥ、フゥ、フゥ...」
(まったく。大したもんじゃ。このワシでさえ【遅延する世界】を発動されては一撃も入れることができなんだとは。しかも、反撃までする余力があるとは恐れ入った。)
互いに息を整えるまで、戦闘時間の倍はかかった。まず先にギルスが口を開く。
「ふむ。まぁ、なかなかにやりおるわい。ただ、わかっておると思うが、【遅延する世界】は完全なカウンター専用じゃ。しかも、相手がおぬしに致命傷を与えられるほどある程度強くなくてならん。そして、何よりおぬしを殺しにくることが前提じゃ。あまりに相手が強すぎても意味がない。つまりは、おぬし自身がある程度強くならなければならんのじゃ。わかるな。」
(まあ、相手がこの能力を知らないことを前提とするならば、いたぶるような相手でない限り、現段階でも第2戦級までは殺れそうだがのう。)
「はい。」
(まったくそのとおりだ。今の僕にはこの能力は宝の持ち腐れだな。こりゃ鍛えないとなんないな。)
「そこでじゃ。剣術の先達者に指導してもらった方が良いじゃろう。まあ、ワシが鍛えてやってもいいんじゃが、こう見えて忙しい身でのう。なかなか時間をとれん。その代りと言っては何だがおぬしを気にかけている者がちょうどおってのう。そやつにおぬしの指導をさせてみようと思う。期間は3日間。費用はギルド持ち。どうじゃ。」
ギルスは少しばかり残念そうに提案する。
「こちらとしては願ったり叶ったりです。でも、僕のことを気にかけてくれている人って誰ですか? ハービットさんあたりですか?」
最近ではハービットにずいぶんとお世話になっている。そのうえ、当夜の【遅延する世界】を知っているのも彼であり、当夜に関心を抱いていたとしてもおかしくない。
「まぁ、あいつも気にかけてはいたが、別の者じゃ。明日まで楽しみにとっておけ。そいつには今日みたワシの所見も伝えておく。さて、次が押しておるので帰るとする。じゃあ、またのう。」
(ふ~。帰ったらヘーゼルの奴に体をほぐしてもらうとするか。しっかし、出てくるときはなんであんなに不機嫌そうだったんじゃ。何か悪いことでもしたかのう。)
当夜は、ギルドに帰っていくギルスを見送り終わると、その場にしゃがみ込む。もはや、足を一歩でも前に動かすことは難しかった。とにかく、体を休めたい一心でその場に横たわっていたところをライラに見つかってしまい、ベットに強制連行されると、体だけでなく心も鍛えられることとなった。傾聴姿勢って大事だよね。
その後、みごとに爆睡した当夜は、翌朝、件の指導教官を寝迎えることになる。
ギルス:「のう、ヘーゼル。体を揉んでもらえんか。ちーとばっかし無理をしてのう。」
ヘーゼル:「...」
ギルス:「ど、どうしたんじゃ。何を怒っている。」
ヘーゼル:「あの娘の幸せも考えることができないの?普段は父親面して、そんな時だけギルドマスターなのね。まぁ、いいわ。ほら、横になんな。」
ギルス:「すまんのう。」
ヘーゼル:「ちょいとみんな、集まんな。」
受付嬢ら:「「「は~い!」」」
ヘーゼル:「ギルマスが体をほぐしてほしいらしいよ。目いっぱい奉仕するよ!」
受付嬢ら:「「「は~い!」」」
ギルス:「ほへ?何を...。うぎゃっ!い、痛いぞ!うひゃひゃ。く、くすぐるな!そ、そこはまずい!いでぇ~!あ゛ぁ゛~!」
ギルスの長い夜は幕を開けた。
2017/08/07本文更新




