渡界石
寝室兼書斎らしき部屋には数多くの本が収められた書棚や巨大な釜、木製のベッドには柔らかな掛布団がふわりと乗せられている。いくつかの本を適当に取ってめくってみるも読めるものなど一つも無い。いずれも手書きでくさび形文字に似た模様だった。
当夜が家探しに没頭すること一時間。ついに均衡は破られる。
何気なく机の下に落ちていた封書に目が留まる。蝋付けされた封を開けて取り出した書類はたった二通。それこそがこの世界へ当夜を導いた人物によって送られた説明書であり、託された権利書でもあった。もともとは、エキルシェールに渡ったと同時に当夜の手元に届くように仕込まれたものだったのだが、仕組んだ者の意図とは異なる形で遅れながらも無事当夜の手に収まった。
「これは!?」
そこにはこのレトロな部屋には似つかわしくない機械によって記された日本語の文字が羅列されていた。
『まずは、この世界【エキルシェール】に君を突如、招待したことについてお詫びの言葉を伝えたい。申し訳なかった。
そう、君は今、地球では無い異世界にいる。
‘なぜ、俺が?’ 君はそう思っているだろう。その考えは尤もだ。その答えは簡単でもある。素質、その一言に尽きる。その素質、エキルシェールと地球とを結ぶ渡界石の力を補充する能力なのだが、俺の方は不慮の事故で失いかけている。いや、君がこの文を手にしているのなら、もはや失ったのだろう。まぁ、そんなわけで後継者を探していたわけだが、身近な者にその素質のあるものはいなかった。そんな時にミネラルショーで君に出会った。その時は他人を巻き込むことを躊躇い、踏みとどまったが、この世界のこと、友たちを想うと例え君に憎まれてでも押し付けることにした。憎んでくれてかまわない。だが、憎む相手を違えないでほしい。
いや、この書きようでは不安にさせるばかりだな。この世界は実に面白い、自由に満ちた世界だ。きっと楽しめる。
この世界のすばらしさを含め書きたいことは多々あるが、私に残された力で許された容量はそれほど残されていないので省かせてもらう。ここに先達者として助言を残す。
・どちらの世界であっても死は死である
・日本ほど安全な世界では無い、命のやり取りが日常的な世界である
・言語やこの世界の基礎知識は渡界石を額に当てることで受け継がれる
・渡界石に詰められるものは20種類で各種10個まで大きさ・重量に制限はない
・この世界ではイメージが地球における常識を超えることがある
以上だ。
さて、本題だ。君には継ぎ手をお願いするためにこの世界に来てもらった。詳しい話は面と向かってさせてもらう。まずはこの世界のことを知ってくれ。
俺はこの世界に可能性を見出した。君は君なりにこの世界を楽しんでくれると信じているよ。
ライト・オーシャン こと 海波 光』
二枚目はなぜか手書きだった。筆圧の高い、書きなぐったような乱雑な字と内容は手紙の主の人となりをうかがわせた。
『追伸
面倒ついでに、頼みごとがある。この家の管理人のエレールは仲間たちとの思い出が詰まったこの家と俺という存在に縛られているかもしれない。彼女に会ったら‘ライトが自由に生きてほしいと言っていた。’と伝えてほしい。
さて、今日からこの屋敷の主は君となる。よろしく頼むよ。
ミネラルショーで次に会えたら夕食でも奢らせてもらうよ。』
「はっ、突っ込みどころしかないな。
海波 光、誰だこいつは。まったく自分勝手な奴だ。会ったことはないはずだけど...、ミネラルショーですれ違ったってことか。それにしても、命の危機に曝される世界に赤の他人を同意もなく送る神経が疑わしい。そんな奴が残した言葉を鵜呑みにする奴がいるとでも思ったのかよ、こいつは。
―――ライト・オーシャン。名前の【海】と【光】を英語で直訳でもしたのか、【波】はどこいったよ。僕のセンスからするとなんか頭の痛い奴みたいに感じるな。とりあえず参考にするなら名が前に来るようだし、僕はそのまま『トウヤ ミドリベ』と名乗るべきなのかもな。」
(とはつぶやいてみたものの、これだけ探してもこの世界に関する情報も知識もこのくらいしか無いからなぁ。文面からは敵意を感じられないし、かといって自分で探すのも難しそうか。とりあえず試してみるしかないか。)
本に目を通す限り確かにここは異世界であって、この世界の人物と友好的なコミュニケーションを取るためにもこの世界の知識や言語が早急に必要となるであろうことは間違いない。出会っていきなり戦闘になるのは避けたい。何と言っても当夜は特段鍛えていた人間でもないし、仮に物理的に戦闘にならずとも不法侵入で訴えられては言葉で弁解することも敵わないことにはどうしようもない。このうえはまずは渡界石なる物を見つて言語や知識を習得する必要があるが、当夜はおそらく【あの石】こそがその渡界石なのだろうと中りをつけていた。問題はどこにあるかである。こちらに来る前、地球で、いや自室で落としたところまでは覚えている。ともすればこの世界でも最初に立っていた足元にある可能性が高いことは真っ先に浮かぶ。その周辺を入念に探してはみたが見当たらない。加えて身に着けている衣服にもそれが入っていることはなかった。
「渡界石...、」
どこだよ。と繋げようとしたその時、目の前に紅く輝く【渡界石】が浮かんでいた。当夜の差し出した手のひらに【渡界石】がコトリと落ちる。小さい結晶にも関わらず携帯電話ほどの重量感がある。そんな石にそれほどの情報が蓄えられているとは思えないのだが。
(で、どうすれば良いのさ、これ。)
親指と人差し指に挟んだ【渡界石】に木枠の窓越しから抜ける日差しがその色に染まって当夜の目に流れ込む。初めて日の光の下に見たその石はルビーの中でも最高とされる深い赤、ピジョンブラッドよりも鮮やかで踊っているかのように揺らいで見えた。
「きれい、だ。」
思わず賞賛の声が出た。