ギルドマスターの来訪
7鐘がクラレスレシアの地に鳴り渡った。
この時、当夜は依然として自宅にたどり着けていなかった。切れる息に舌打ちしながら思う。
(ああもうっ! ようやく中央ギルドか。もうとっくにギルスさんは家に着いているころだろうなぁ。こりゃ、盛大に謝り倒すしかないかな。)
さらに足を速めようとするも、すでに当夜の足も心肺も悲鳴を上げている。やむなくその場に足を止めて息を整える。すると、後ろから声がかかる。
「おう! トーヤ。なんだ、ひょっとして呼びに来たのか。お前もせっかちな奴だな。うちの受付嬢たちみたいだな。ガハハハッ。」
大柄な体躯で片手を掲げたギルスだった。ギルド職員としては堪ったものでは無いのだが、大雑把な彼の性格が今回は幸いしたといえる。今回もテリスールにせかされて重い腰を上げてきたところだ。
(ふぅ。まだ出てなかったみたいだ。とりあえず、ラッキー!)
「じゃぁ、家までご一緒しましょう。」
当夜はギルスに先のフレイムゴーレムとの戦いの詳細を報告しながら『渡り鳥の拠り所』まで案内する。黒門をくぐるとライラが庭の手入れをしていた。
「あ、ライラさん。いつもありがとうございます。そこの芽に良く水をあげてください。植え替えたばかりなんです。」
当夜は世界樹の芽に駆け寄る。植え替える前に比べて明らかに元気になっている。
「ほう。ん? おい、トーヤ! その芽はどうした? どこから手に入れてきた?」
(おいおい、まさか世界樹の木の芽じゃと。いったいどうしてこんなところに。ライト様が? いや、あれは最近生まれたばかりじゃな。だとすると、やはりあの予感は本当じゃったのか。)
ギルドマスターとして肝も座り、多少のことでは驚かなくなったはずだった。だが、そこに存在する小さな、知らぬ者が見れば価値も見いだせないような芽に顎が外れた様に呆けることになる。
「どうしたんですか? 急に慌てて。」
「いや、すまん。取り乱したな。気にせんでいい。お嬢さん、その芽を大切に扱ってくだされ。トーヤもだぞ。」
(エレール様。やはり、貴女様ですか。それほどまでにこの家を大事にされていたのですね。それとも、トーヤは本当にあなたの隠し子? いや、種族として合わないか。
それにしても、貴女を失ったことは大きな痛手ですな。いや、こうして残ってくださったということは彼がそれほどの存在だということですかな。)
ギルスは当夜の隣にしゃがむとゆっくりと瞑目する。王国が彼女の死を伝えたのはギルスが不安を抱いてからだいぶ後のことであったが、ギルスはその頃には逆に若返っていたことを踏まえてライトと旅に出たというのが真実だろうと楽観的に捉えようとしていた。だが、どうやら現実は中々に厳しいものだ。国を支える立場となってしまった今のギルスにとっては大きな問題でもある。
「はい、もちろんです。」
「えっ、ええ。もとよりそのつもりですけど。」
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トーヤは知らないのだ。何せ、当夜が【遅延する世界】の代償である痛みに耐えながら眠りについていたあの日に、クラレスレシア王国が大きな悲しみを国内外に発表したのだから。その内容はエレールの死であった。
公式な発表内容は、次のとおりである。
“先日、紫の月14の日、かの魔王を打ち滅ぼした世界の英雄の一人、エレール・セレナレット・オーシャン女史がご逝去なされた。彼女はライト・オーシャン様の腕の中で静かに眠るように世界に還っていった。遺品はライト様の手で世界樹の中に届けられた。彼女の願いは一つ。この世界の平和である。その意思は、ライト様に、そして私たちすべてに引き継がれた。これからも長い平和が保たれんことを。なお、ライト様はエレール様の弔いの旅に出られた。国民よ、今一度伝えよう、エレール様のご意思はライト様と世界の皆に引き継がれたのだと。”
しかし、この筋書きはエレール本人が描いたもの。実際の出来事はこんなにも甘いものではない。街にいた一部の強者達は、この発表の前にある程度のことに気づいていた。その一人にギルドマスターであるギルスは含まれる。
(エ、エレール様? まさか! そんなはずはっ!
これは、加護?)
確かに、その日は朝からおかしかった。突如として膨れ上がるエレールの気配。正直、若かりし頃は強敵と幾度も合いまみえたが、ここまで強力なマナを持つものはいなかった。正直、冷や汗を流していた。火は消える前に一度激しく燃え上がる。これが予兆だったのかもしれない。
その日、彼女は忙しく動き回っていた。つい先日、顔を拝見した時は老婆だったにもかかわらず、今は誰もが振り向く美女である。滅多に人に頼らない、頼る必要のない彼女がワシに依頼を持ってきたときには驚いたものだ。
そして、夕方、その存在が突如として消えた。最初は転移でもしたのかと思った。いや、思いたかった。だが、思い返せばあの大きなマナは急速にしぼんでいって、その頃にはまるで元からそんなものは無かったかのように小さなものとなっていた。精霊たちがざわめく。その存在が消える瞬間にパッと瞬いた気がした。その時のワシは、彼女があの家に加護を与えていったのだろうと思った。
そして、ようやくその時の答えに行きつくことになる。
彼女は世界樹になっていた。
彼女は、今でもこの家を、この街を、この国を、この世界を見守っている。それがわかっただけでも大きな収穫だ。
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「おぬしは実に良いところに住んでおる。のう、トーヤ。」
「えぇ。エレールさんが大事にしている家ですからね。まぁ、成り行きですが、エレールさんに託されましたから。それに、何だかこの芽はエレールさんを思い起こさせるんです。たぶん、エレールさんと別れた次の日、いや、その日かな、に芽吹いたんだと思うんです。彼女が見守ってくれているって感じさせてくれるんですよね。」
「そうじゃな。きっと、そうじゃ。」
(そうか、あなたはこの子を見守りたかったのか。)
ギルスは、目を潤ませながらうなずいていた。
「? それはそうと、何を指導してくださるんですか?」
「ああ。そうじゃったな。目的を忘れるところじゃった。まずは【遅延する世界】とやらを見せてもらいたいのう。話だけではよくわからんからのう。」
ギルスをして当夜の【遅延する世界】という能力には耳を疑った。聞く限りでは初見の相手では間違いなくカウンターを頂戴することになる上に不意打ちも意味を成さないことになる。
「見せるって言っても...」
当夜は庭を見渡す。そこら中にエレールが残した草花が咲き乱れている。とてもではないがここでは稽古をつけてもらうわけにはいかない。
「この家には訓練所があるはずじゃ。若い冒険者は皆、この家の訓練所での特訓を夢みるものじゃ。ワシやペール、フィルもここで修業したんじゃぞ。」
彼の言葉どおりこの家には大きな訓練場がある。ギルスの記憶ではペールと共に地面に何度お世話になったことか、思い返すのもあほらしいほどお世話になった場所だ。
「へぇ、そうだったんですね。あの奥の広場がねぇ。それじゃあ、行きましょうか。」
玄関を跨ぎ、家の通路をまっすぐ進んで訓練所に入る。ピリッとした空気が漂っている。振り返ると、ギルスが刃の潰れたショートソードを投げてよこす。本人の獲物は大剣(もちろん刃はつぶれている)である。
「えっと。まさか、いきなり実践じゃないですよね。」
「いや、そのまさかじゃよ。まずはおぬしから斬りかかってきなさい。こちらは斬り返すことはせん。おぬしの力量がわかったらこちらが仕掛けるが、その前に声をかけるから安心せい。」
いきなりの実践に慄く当夜。対面するや否やギルスの気配が薄まる。空間認識がほとんど機能していなかった。それ以前に目の前にいるはずの老人は確かにそこにいるのに霞んで消えてしまうかのように希薄な存在として映った。
こうして、ギルドマスター直々の指導が始まったのである。
2017/08/07更新




