ギルドマスターの駆け引き
「おう、悪い。ワシはクラレスのギルドマスターでギルスという者じゃ。
何だか、良い雰囲気になってきてしまったから声をかけづらくなってしまってのう。このままでは愛しの娘と将来有望な冒険者が一線を超えてしまうのではないかと慌てて声をかけたんじゃ。」
声の元を辿ると書棚の陰に溶け込んでいたかのように息をひそめていた人物がその姿を現す。その人物は当夜よりも二回り大きいのではないかと思わせる老人であった。ただ大きいのではなく体の至る所に不自然に盛り上がった筋肉の鎧を纏わせ、それまで本当にその場にいたとは思えないような圧倒的な存在感を放つ人物であった。
「い、いったいいつから居たんですか!?」
テリスールが口をパクパク動かすのを止めてようやく言葉を放った。
「テリス、おぬしもまだまだということじゃ。まだまだ長生きして貰わないかんのう。まぁ、坊主が剣を突き立てようとしたならワシが坊主を殺しておったがのう。ハッハッハッ」
(まぁ、そんなことはできんし、この少年ならまずありえんことくらいはわかるがな。)
当夜は、この快活に笑う老人に強い脅威を感じていた。なぜなら、ハービットの仲間のエルフやフレイムゴーレムといった強者であっても、空間認識のおかげで相手が隠れていようが、姿が見えなかろうが気配を感じとれていたのだが、この老人についてはまるでわからなかったのだ。仮に最初から部屋にいたということならまるっきりお手上げだ。
「さて、トーヤ君。済まないが、彼女の言っていたことは忘れてくれ。テリスはギルドを思うあまり過剰反応をしてしまったのだ。
まぁ、確かにギルドの失態ではあるが、それを認められないほど軟な組織では無い。正式な謝罪が近く行われるであろう。ただ、住民らに対する形式的なものだ。決して冒険者に対するものではない。なぜなら、登録の時に目を通しているはずだが、規約にギルドの起こした不足事態における注意事項にあるとおり、冒険者はギルドの不手際に対してある程度目を瞑ることを強要される。もちろん多少の見舞金は出よう。今回はそのケースだ。」
ギルドマスターは規約を盾に強気の姿勢だ。これこそが冒険者に舐められないためのギルドの長の取らざるを得ない態度だ。こうしていつも乗り切ってきた。それでも多くの冒険者は食い下がる。後は威圧の一つを見せれば蹴りが付く。
「テリスールさんにも言いましたが、彼女の件も、ギルドの失態とやらの件も別に気にしていませんよ。ただ、その規約は見たことないんですよね。」
当夜はギルスがどのような態度だろうが別段食い下がるつもりはなかった。だが、彼の言う規約とやらは見たことが無い。なんとなくだが理不尽を感じる。
「む? そんなはずは無いと思うが...」
ギルスは表情を強張らせる。納得できないが、変に当夜がごねているようには見えない。
「あっ、そう言えば。トーヤさんの対応したのはレイゼルでしたね。あの子、またとんでもない省略をしたんじゃないかしら。」
テリスールはまたの部分を強調しながら額を抑える。
「むう。レイゼルか。悪い子ではないんだが。困った奴じゃ。これは、テリスの対応が正しかったのかもしれんな。ここはワシの顔に免じで許して貰えんかのう?」
ギルスも困り顔だ。
「あ。お気になさらず。僕も急いでいましたし。レイゼルさんに悪いことしちゃったかな~。」
赤の他人ともいえる当夜の言葉よりも容易く疑われるレイゼルの扱いに不憫さを感じた当夜は彼女を庇いだてる。もちろんその内容も事実ではあるのだから。
「「...」」
二人の目線は明らかな疑いを含んでいた。どうやら彼女の手落ちは一度や二度では済まされていないようだ。レイゼルをかばうのは明らかに難しそうだった。
「とにかく! その規約を僕にもください。」
ギルドの肩を持ったはずなのに報われない雰囲気であることに仕切り直した当夜。
「はぁ。そういうことでしたら、後ほど私が説明を兼ねてお邪魔させてもらいます。あと、その、...私のことは愛称で、テリスって呼んで良いから。」
(何だろう。トーヤ君は可愛いなぁ。そうだ、その後で食事に誘ってあげよう。)
満面の笑みを浮かべてテリスールはほほ笑む。
「いや。それには及ばん。ワシが後ほど『渡り鳥の拠り所』を訪ねよう。」
(う~む、せっかく流れを切ったと思ったのだが。勘違いではなさそうだのう。さすがにこの年では手を出すことはないだろうが、近い将来にはどうなることか。)
勘違いをしているのはギルスの方である。テリスールの目には容姿からくるウエイトが大きく当夜はまだまだ子供としてしか映っていない。それでも彼女が冒険者にここまで心を許したのは初めてのことだろう。
「えぇっ!? ギルドマスターが出向くなんて。そちらの方がおかしいですよ。私が行きます。」
確かにギルドマスターが一介の、未だ最下級の冒険者を尋ねるなど前代未聞だ。とは言え、ギルド職員が尋ねるというのもそうある話ではない。というのも公平性を保つためにも私的な接触を避けるようにしているのだから。もちろん、それはギルドマスターにも言えることだ。そういう意味ではギリギリでテリスールの方に分がある。
「いやいや。丁度、トーヤ君の実力を見たいと思っておったし、お詫びと言ってはなんだが稽古でもつけてやりたいしのう。良いじゃろ、トーヤ君。」
(と言うより二人の仲が進展し過ぎて危なそうじゃ。今、優秀なスタッフを引き抜かれるのは困る。そして、かの英雄の遺児とやらの実力は見極めておく必要があるだろうしな。)
テリスールは実によくできた受付スタッフだ。だが、冒険者との接点の多い受付スタッフの宿命ともいえるが公平性を保つため冒険者と結婚した場合は退職してしまうのが通例だ。そして、ギルスは優秀な人材の損出を危惧すると同時に、わが娘のようなテリスールを取られまいという父親心が立ち上がったのである。
とはいえ、ギルドマスターとの稽古など最上級のランクにある冒険者でもなかなか機会を得られない。誰もがいつかはと夢みるほどだ。
「はぁ。まぁ、僕はテリスー「テリス、ねっ」、―――テリスさんでも構わないんですけど。」
テリスールの強い訂正要望に気圧されながら当夜は言い直す。
「じゃ、じゃが、君は時空の精霊の能力を確かめたいのではないのかね? 彼女では難しいぞ。若いころのワシは、かのライト様にも剣を習っておった。剣技はあの方には遠く及ばないが、弟子を幾人も育てた経験から君の力を引き出すことに自信があるぞ。」
まさか断られるとは思っていなかったギルスは慌てて自身を売り込む。
「う~ん。じゃあ、せっかくのお言葉ですからお願いしますかね。テリスさん、また次の機会にでもお願いします。今度は食事がてらこちらからお誘いしますね。」
光に師事したともなれば何かしら当夜をこの世界に導いた男の意図を知ることができるかもしれない。当夜は一先ずギルスの誘いを受けることにした。そこでテリスールの面目をつぶさないようにも配慮する。
「え、ええ! 待っているからっ」
テリスールが顔を輝かせる。厳格なはずの彼女自身が忘れている私的な接触をギルドマスターの前で喜んでいる時点で相当に舞い上がっている。
「むぅ。」
(何と手ごわい。これこそ、こやつの能力では無いか。本当は【恋愛の精霊】の加護でも受けているんじゃなかろうか。フィルも関心があるようだったが、テリスはだいぶのぼせてしまったようじゃな。ここは、ヘーゼルと結託して仕事を多めに渡すように手を回さなければならんのう。)
彼女の生い立ちを知る彼だからこそ、その成長は喜ぶべきところであるが、彼の立場上、その発言を看過することはできない。喜色を浮かべるテリスールをギルスは複雑な心境で見つめる。
「そう言えば、ペールさんの依頼を完了した報告ってどうすればいいですか。」
それぞれの世界に入ってしまった二人に戻ってきてもらうために当夜は問いかける。
「うむ。それならハービットとフィルが代理で済ませてくれた。特例だが事態が事態なだけに特例で受理してある。心配することは無いぞ。」
「フィル?」
当夜の疑問の声にテリスールが一瞬だが不満げに顔を曇らせる。もちろんギルスはそれを見逃さない。
「そうじゃ。騎士長のフィルネールじゃ。
フィルとハービットが報告した内容には驚かされたぞ。災害級とやり合って足止めし続けたり、教会の治療所に上級治療薬を寄付したりと大活躍だったようじゃな。嬉々として話してくれたぞ。きっと、そんなところがフィルに興味、いや好意を持たせたのかもしれんな。フィルが興味を持っている以上、他の女は手出しできんなぁ。のう、テリス?」
(まぁ、興味はあったみたいじゃが、好意までは持っておらんじゃろう。じゃが、ここは利用させてもらうぞ。)
彼女は至って淡々と報告していた。むしろ、パーティに引き込みたいハービットの方がずいぶんと熱を入れていたというのがギルドマスターの印象だ。強いて彼女が関心を抱いていた部分があるとするならば当夜がライトの後継者であるという点だけだろう。それは国からの強い意向が働く内容だ。もしも個人的な関心が生まれていたなら、それはライトの影に惹かれてのものだろう。彼女もギルドマスター同様にライトから剣術を教わった数少ない人物であるからだ。
「そ、そんなことありません! そ、そうです。トーヤ君は子供ですから、そういう対象には彼女は見てないと思います。」
(くぅ。ギルドマスターから悪意が感じられる。)
テリスールが抱いている感情は恋愛とまではいかないが好意は十分に含まれている。その上で、ギルドマスターは同じ土俵の上にフィルネールと言う強大な相手を乗せてきたのだ。
冒険者たちから声が頻繁にかかるほどにテリスールの容姿は優れたほうである。それは否応なしに自身の容姿について意識させられてきた。しかしながら、相手がフィルネールと言われては自信を失う。何しろ、孤児から老人まで幅広く支持を得ている彼女の評価に己が勝るとは思えない。相手は偶の休日を孤児院での子供たちの相手や病気を患った老人たちの世話に充てているのだ。
「そうじゃな。トーヤ君はまだ幼い。テリスもフィルもそんな気は無いわな。悪いのう、トーヤ君。期待させてしまったかな。」
言質をとったとばかりに上機嫌に謝罪の言葉を告げるギルス。
「いえ。僕はうれしいですが、僕なんかではお二人に失礼ですからね。ほんと、良くないですよ、ギルスさん。」
そして、彼の言葉の意図を理解できていない当夜は言葉の通りを受け取る。どこかでそうじゃないだろっというツッコミが入った気がした。
(あうっ、うぅ~。あぁもう、ギルドマスターに嵌められた!)
テリスールを見れば、下を向いて体を震わせている。
「すまん、すまん。つい、若い者を見るとからかいたくなる。では、このまま家に向かうとするか。」
「あ、すみません。先に鍛冶屋さんに寄る約束していますので、7の鐘の時に来てもらっても良いですか?」
上機嫌に入り口に押しやるギルスを見上げながら当夜は提案する。
「では、そうさせてもらうぞ。後は一人で行けるな。それと、君はペールの依頼の件で説教を受けた身じゃ。よろしく頼むぞ」
「...。」
ドアを開けようとする当夜に釘を打つギルスと恨めしそうににらむテリスール。
「了解です。では、7の鐘にお待ちします。テリスさん、これからもよろしくお願いします。」
「...はい。そうですね! これから、これからですね。」
(ちょっと、みんなに相談してみよう。ヘーゼルさんにまずは聞いてみなきゃ。)
そこには決意を新たにする受付嬢と新たに生まれたギルドの脅威に慄くギルドマスターの姿があった。
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余談であるが、この日を境にギルドではヘーゼルを筆頭とする推進派とギルドマスターを筆頭とする抑止派の駆け引きが進むことになる。
具体的には、テリスールの前には異様に長い列ができて当夜と彼女の接点を塞いだり、逆にテリスールを当夜の並ぶ列に差し替えたり、またある時には当夜をよく知らない冒険者が取り囲んだりと順当に当夜は巻き込まれていった。
2017/07/31更新




