優しさに触れて
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ!!」
(痛い、痛すぎる!体がっ...!)
目覚めは、まさに最悪だった。
関節技がありとあらゆる箇所に炸裂している。ギブアップを何度申請しても受理してもらえない。“コーチはどこ行った? いや、レフリーはどこを見ている。” きっと余裕があればそんな戯言を思いつくのだろうが、今の当夜にはそんな余裕は一切無い。当夜は体を埋めては伸ばすという動作をうめき声と共に繰り返していた。
「おいおいっ、こいつはヤベーんじゃねーか!?」
どこかで聞いたことのある声が響く。慌てて部屋を飛び出ていく当夜と同じルーキー冒険者のゴーダだ。
「トーヤ君! 大丈夫!?
ヘレナさん! トーヤ君が、トーヤの様子が急変したわ!」
ライラが意識を呼び戻そうと当夜の体を揺さぶってくれるのだがそれがとんでもない痛みを産む。それを伝える手段が無いのが地獄だ。
「トーヤさん! 大丈夫ですか!?
たっ、大変。凄い汗!
ライラさん、急いで追加の水と布を用意してください!」
(体中の筋肉が引き攣っている? どうしたらこんなことになるというの? 原因がわからなければ魔法を選択できない。)
「水を汲み直してきたぞ!」
筋肉の激しい痙攣は異常なまでに熱を生み、ことごとく当夜の体力を奪っていく。そんな当夜を案じる声がおぼろげながら届き、重たい瞼を上げる。次々と濡れた布を交換していく人物の霞んだ姿と、ライラとヘレナの慌てた声が聞こえる。傍から見ても相当ひどいらしい。
(う゛ぁっ! そ、そんなに悪いの!? な、なんか余計痛くなってきた。あ゛だだっ!)
当夜は涙目で転がる。せっかく乗せてくれた布が剥がれる。冷たく心地よいはずの床でも触れているだけで痛いのだが転がればそれはそれでなお痛い。そこへ涼やかで心地の良い声が響く。
「目が覚めたみたいですね。
あら、これは...
すみません。登録証を見させてもらいますね。
―――やはり。今の彼は、代償を払っているところみたいですね。」
当夜の体に柔らかなフィルネールの手が触れる。熱量の違いがその涼やかな心地よさを当夜に与える。当夜のズボンから取り出したギルド登録証を目にしていたフィルネールが呟く。当夜を除くその場にいる者たちが登録証を覗き込む。本来ならば他者の登録証を見ることは禁則事項であるが今回のような緊急時にかぎり許されている。もちろん当夜にそんな知識などあるわけも無いが、平時であっても特に気にすることなくみせていたことだろう。そして、ライラに常識外れと正されることになっただろう。しかし、そもそも今の彼はそのボケを成せるどころでは無い。まさしく緊急事態なのだ。
「「代償?」」
(代償って?)
「いやいや、こいつは俺と同じルーキーですぜ。そんな高等技術を使えるわけがねぇと思うんですが?」
ライラ、ヘレナ、当夜が聞き慣れない言葉に疑問符を付ける中、ゴーダだけがまともな疑問をぶつける。彼は偶然に聞き及んだことのあるその単語に反応する。とはいっても彼が聞いたのはその言葉の通りだ。
「ええ。ですが、これを見てください。」
フィルネールが示した先で登録証の数字が目まぐるしく動いて回る。
「あら? 加護の値が反転してる?」
「本当ですね。数がどんどん減っていますね。」
「マジみたいだな。」
(そ、そうなの? いだだっ! 見たいけど見れない...)
上から順に、ライラ、ヘレナ、ゴーダ、そして当夜である。加護の強さを表すその数字は普段ならば白く浮き上がっているのだが今のそれは赤く血塗られたように不気味だ。
「はい。そうですね。未来に得られるはずの加護を前借して、その返済を行っていると言えばわかりやすいでしょうか。
本来、加護による能力とは、世界の理を改変することで、起こりえない結果を実現する力です。世界は、『本来あるべき姿』と『起こりえない結果が生じた事実』との間につじつまを合わせるために、精霊に理の整合性を取ることを求めます。その整合性は、精霊自身を形作る概念、すなわち存在値の消費という代償を支払うことで保たれます。ですが、存在値をすべて使い切る事態が発生した場合、その精霊の持つ事象そのものの消滅に繋がりかねません。ゆえに、世界は、精霊の存在値を超えそうな改変から精霊という世の理の一片を守るため、代償の請求先を能力の行使先に課すようになるわけです。
まぁ、“精霊の存在値は、人のイメージの集合体” という意味では、【時空の精霊】は信奉者が少ないがゆえに存在値が弱いという形になります。必然、トーヤさんへの負担移行も早かったのでしょうね。もっとも、【時空の精霊】への信奉者の増加や人々の認識の確立が高まっていれば、このような事態は和らいだかもしれませんが。
いずれにしても、トーヤさんの場合は、本来なら動けるはずの無い、時間に逆らった動きへの代償ですね。だから、【時空の精霊】の力が及ばなかった場合に負うべき痛みが襲ってきているということでしょうね。」
フィルネールはのたうち回る当夜を見下しながら冷静に解説する。
「えーと、つまりはどういう事?」
ライラが結論を促す。だが、誰もがその答えをおおよそ想像できていた。
(ま、まさか...)
当然ながら当事者である当夜にも。だが、それを受け入れるのはたやすいことではない。むしろ受け入れたくない。
「はい。つまりは、このまま見守るしかありませんね。」
勿体付けずにはっきりと言い切るフィルネールが当夜には悪魔に見えたと後に語る。
「まぁ、そうなるよな。」
ゴーダが苦笑する。
(や、やっぱりか。う゛ぅ。い、痛い。せ、せめてあとどのくらいかだけでも。)
当夜も半ば諦めていたとはいえここまでストレートに突きつけられると諦めもつく。むしろその先のところが気になる。そんな当夜の意を汲むようにヘレナが代わりに尋ねる。
「かわいそうなトーヤさん。あと、どのくらいかかるものなのでしょう?」
神に、と言うよりは精霊に祈るヘレナの願いは果たして叶うのか。当夜もまた痛みをこらえて耳に意識を集中する。
「この数字の動きから推測するにあと3鐘はかかるかと。」
目を細めたフィルネールはこれまたさらりと告げる。
(3鐘? さ、3時間!? だ、助けて、神様!! あ゛、が、が!)
清らなフィルネールの声も今の当夜には悪魔の蹴りに等しい暴力だ。体をくの字に折り曲げて悶える。そして、その悪魔の暴力から守ってくれる神はこの世界にはいなかった。
「う~ん。結構かかるのね。
あっ! もうこんな時間じゃない。
トーヤ君はこの調子みたいだし。みなさん、お腹も空いているでしょうからお食事にしましょう。」
ライラが手をポンと打つ。
(ひ、ひどい...)
一見するとひどい言葉のように感じられるがそれには理由がある。当夜は気を失っていたので知る余地も無いのだが。
「えっ! 良いのですか? トーヤさんの様子を診てないで。」
「そうだぜ。さすがにそれは薄情ってもんだ。」
ヘレナとゴーダは異を呈する。それぞれに恩義を感じているところがあるのだろう。ゴーダに至ってはうわさを聞きつけてギルドによる安全宣言がなされる前から駆けつけていた。当夜の家まで背負って運んだのも彼だ。そういう意味では十分すぎるほどに返礼は済んでいるだろう。
「もちろん。私が診ておきます。
ただ、こんなに親身にしてくださる方々を丸一日、何ももてなさずにしていたと知られたら、この出来た少年は怒ると思います。だって、お三方とも徹夜で看病してくれたのですもの。少しは休んでくださいませ。」
そう。当夜が気を失ってすでに二日目となっている。その間、ゴーダは冒険者稼業を、ヘレナはシスター稼業を、フィルネールに至っては国王の護衛を、無給の奉仕作業に振っている。当然、ライラとて雇われの身ではあるが契約に無い以上は必ずしも当夜が時間外手当を支払う保証はない。
「だけど、それはライラさんだって。契約内容以上の働きなんじゃないですか。私はトーヤさんには助けていただいていますから丁度良いお礼になります。」
ヘレナはライラの言葉を受けても譲らない。何しろシスターである彼女にとって献身は美徳であり、上級治療薬の恩はとても小さいとは言えない。そもそもそのことが当夜にこの苦しみを課した原因となってしまったという負い目もある。
「まぁ、俺も助けてもらった恩義もあるしな。むしろ、ここは俺が見ておくのがちょうどいいんじゃねーか。予定もない独り身だしな。」
今度はゴーダだ。彼もまた致命傷を負ったところを助けられた恩義がある。確かにここまで運びもしたし、体を冷やす水も十を数えるほどに汲み直した。だが、命を救われたことを思えば、心を救われたことを思えばまだ足りていない。だからこそ譲るわけにはいかない。
「私だって大丈夫よ。子供がいるわけじゃないけど、なんだか私自身の子供を見ているような感覚だもの。全然苦じゃないわ。」
そういう意味ではライラには二人ほどの強い言い訳は無い。なればこそ接点の近さを活かした言葉で優位性を確保するよりほかにない。
「私だって弟を見ているようなものです。だから大丈夫です。」
ヘレナが当夜を抱き寄せる。何もなければ役得と言えるかもしれないが激痛走る当夜にはまさに死の抱擁だ。
「まったくあんたたちは。そいつが羨ましいぜ。」
ゴーダがヘレナに当夜の口元を見るように促しながら二人の愛玩具の取り合いを評する。果たして口から泡を吐く当夜を見て本当にそう思っているかは別であるが。
(三人とも、ありがとうございます。ライラさん、さっきは疑ってごめんなさい。)
当夜は体の痛みよりも、自身の心の醜さに痛みを強く感じていた。同時に、疲労からくる睡魔に意識を刈り取られたのであった。
「では、私は一眠りさせていただくとします。食事は携帯食があるのでご心配いりません。お三方とも根詰め過ぎないように。」
当夜が意識を再び落としたことに気づいたフィルネールはその場を後にする。外で待つ伝令役から国王の指示を受けるために。
「フィルネール様、国王陛下からの伝令です。トーヤ様の意識が戻るまで護衛せよ、とのことであります。」
「拝命しました、とお伝えください。それで、王の警備は大丈夫ですか?」
「国王陛下の読み通りですね。こちらのことは気にするな、とのことでした。」
「まったく、あの方と来たら。」
伝令役を仰せつかったフィルネールの部下は小さく笑う。そんな部下というよりも国王に向けて小さく口を尖らせる。
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フィルネールが部屋を去って3つ目の鐘が鳴り響いたころ、フィルネールの宣告通りに当夜の体はおおむね復調していた。
(あ~。やっと、痛みが弱くなってきた。うわっ、汗だくで気持ち悪い。三人は。あっ、みんな寝てる。ありがとう、ライラさん、ヘレナさん、ゴーダさん。起こすのもなんだし、我慢するかな。)
どうやら、三人とも限界に来ていたのか、ゴーダは床に転がって、残りの二人はソファーで仲良く寄り添いながら眠っていた。
「フフ。お疲れ様です、皆さん。あなたは幸せ者ですね、トーヤさん。」
そこに現れたのはフィルネールであった。その手にはタオルと水桶を持っていた。彼女がおもむろに当夜の上の服を脱がせようとするので、当夜は慌てて口を開こうとする。
「静かにしないと、二人とも起こしちゃいますよ。私に任せて休んでいてください。」
「あ、の...っ。こ...え、が。」
それでも断りの言葉を出そうとするが、脱水症状のためかうまくしゃべれない。
すると、フィルネールはコップの水を口に含み、口渡しで移してきた。
突然のことに、頭の中が真っ白になる当夜。お構いなしに服を脱がせ、汗を拭き取っていくフィルネール。最後の砦に手がかかりそうになったところでようやく声を出すことができた。
「そこは、自分で、やります。」
「え。フフ。そんな気にしなくても大丈夫ですよ。まあ、いじめてもしょうがありませんものね。では、お譲りします。」
(おませさんですね。)
フィルネールから見て当夜はまだまだ子供だ。精々、ヘレナと同じく弟程度にしか映らない。とは言え、確かにそういう年頃なのかもしれないと過去の同じ年ごろの男の子たちのことを思い浮かべる。気づかないうちに頬がほころんでいた。
「あ、り、がとう。」
「いえいえ、どういたしまして。席を外しますけど何かあったら声をかけてくださいね。」
耳元で囁いたフィルネールが部屋の外に物音一つ無く出ていく様子を見送って当夜はつぶやく。頬が赤らんでいたのは間違いなくばれていただろう。
「まったく、この世界の人たちは...。」
“良い人ばかりだ”と続けようとしたが、涙が頬を伝っていることに気づくと息が詰まってしまい言葉にならなかった。
2017/07/24修正




