時空の精霊との邂逅
(また、この空間か。ということは、あいつか。)
そこは、当夜と光が初めて顔を合わせた空間に似ていた。
「さあ、顔を見せたらどうですか。海波さん!」
『ええっと。悪いね。君の求めている人間じゃなくて。』
当夜の呼びかけに子供のような中性的な声が答える。姿を現したのは立体的な人影であった。どうしてそのようなぼやかした表現になったのかと言うと当夜がどんなに目を凝らしても顔立ちはわからず、輪郭さえ捉えることが難しい、そんな人の形をした判別しがたい何かだったからだ。ただ、海波光ではないと理解できるほど別の存在であることは確かだ。
「えっと、どちら様ですか?」
当夜は得体のしれない人影におっかなびっくり問いかける。
『僕は、元【空間の精霊】とでも名乗っておこうかな。本当ならもう一人と一緒に挨拶したかったんだけど、君を守るために無理をしてしまってね。今は僕の中で寝ている。僕としては盟約の時は近いんだからお互い無理しないでほしいんだけどね。』
「何か申し訳ありません、えっと【空間の精霊】さんでしたか?
それにしても聞いてないけどなぁ。もしかして【時空の精霊】さんの正式なお名前とか? あ、いや、相方さん含め貴方方二人の総称、でしょうか?」
相手の身長と声、言葉遣いに当夜は思わず言葉遣いが崩れる。
『まぁ、君がそう呼びたいならそれでいいよ。まぁ、言い得て妙かな。』
自称【空間の精霊】は当夜の言葉遣いなど気にも留めていないようだ。
(もしかして二重人格とか?)
「相方さんはさしずめ【時間の精霊】というところでしょうか。」
『あはは。君らしい名づけ方だね。半分は正解だよ。
精霊が概念から生まれた存在って認識は大丈夫かな。【エキルシェール】では、時間と空間は、もともと別概念だった。つまりは二つの精霊が生まれるはずだった。だけど、それは失敗に終わった。彼女は遠くに離れてしまったんだ。その後、彼女の存在を取り戻すために僕らが行った実験で、皮肉なことにさらに一つの存在であることが強まってしまった。それは、一度だけ僕らの庇護者をこの空間に招き入れて話し合いをした際に、彼女のことが伝わらず、この姿、つまりは一人身であったことだけが伝わったからなんだ。それ以来、【時空の精霊】という存在が独り歩きし始めたんだよね。』
【空間の精霊】はまるで当夜のことを知っているかのようにフレンドリーに話しかける。その話しぶりは如何にも当夜がすでに身内であるかのようにすら錯覚させる。思わず当夜も言葉遣いが丁寧語と口語が入り混じってしまい、精霊と言う如何にも上位格の存在への対応に困惑させられる。
「失敗? 実験?」
(半分正解ってどこの部分だよ。それに相方さんは女の子だったと。)
『ああ、気にしないで。こちらの人は、時間と空間を並列のものと理解できないにもかかわらず、時間と空間は同じという言い伝えだけを頼りに僕らではなく【時空の精霊】なる一つの存在を呼び出そうと躍起になった。けれども、彼は応えてくれないし、応えられない。実際には、この世界の住人が時空魔法を行使するには僕たちの二人格を同時に呼び出す必要があるわけだ。そこに気づていないから誰も僕らを顕現させられないんだよね。その上、彼女は出て来られないわけだしね。そう言うわけで、【時空の精霊】は【エキルシェール】に現れることができていないんだよ。いっそ、昔みたいに人々が別々のものとして捉えてくれれば概念が書き換えられて二人に分かれられるのにね。いや、それは逆に危ういか、』
説明をしていたかと思えば勝手に独りごちる【空間の精霊】。
「は、はぁ。この世界の精霊って何なのですか、結局?」
(あれ? だけど相方さんに僕は助けられたんだよな。出て来られないってのにどうやって?)
『トーヤの世界では、熱量の分布濃度の違いが物質を創り出していて、その物質の継続的な変化の違いが世界を形作っている。この継続性のある変化の違いが時間と空間、つまりは時空となる。要するに物質と時空の概念は原初に限りなく近い高次のものとなる。
それは、【エキルシェール】でもほぼ同様なんだけど、こちらではマナと言われるパラメータが足されてくる。マナは、世界の原始の熱量が物質に相転移されるときに完全に切り替わるはずだった存在だそうだよ。でも、こちらの世界では切り替わることなく残った。そして、マナは物質を形作る時に混ざり込んだ。やがてそれらを材料に生命が生まれる。そこまではマナが何かに使われることは無かった。だが、脳の中で意思、いわばイメージを具体的に作り上げられる生き物が生まれたことで全てが変わった。特に高い知能を持つようになった生命が、この世の事象を説明するのに精霊の概念を生み出す。そう、事象それぞれに精霊として意識が芽吹いた。こうして精霊が生まれたわけだよ、一般には。』
「一般には?」
(まるで一般的じゃない生まれ方があるみたいじゃないか。)
『そして、精霊には序列がある。』
(今のは確認のための復唱だったんだけど、無視かい。)
しかめた当夜の表情を見ることもない【空間の精霊】は話を進める。
『低位の精霊として、自然現象を説明する概念である風、水、火、土。それらが複合的に作用する雷、氷、木、金は、前者の上位の精霊。さらに前二者の上位精霊である【根源の精霊】と呼ばれる物質の精霊。以下は序列があいまいとされる精霊たち。生活に関する概念である鍛冶、癒し、調合など。さらに感じ取りづらい概念である時空、美など。序列が高いほど信奉者が多く、それによるイメージ付けが進み、現実世界への影響力も大きくなるわけさ。庇護者の魔法も強化され、信仰心は上昇、まさに正の連鎖。』
「へ~、ソウナンダ。
ん? 確か、【時空の精霊】は、向こうではあまり認知されていない精霊だったような。ということは、負の連鎖に片足を突っ込んだ精霊ってこと?」
あまりに情報過多な少年の言葉は右から左に当夜の耳を通り抜けていく。だが、それでもわかる言葉をつなぎ合わせて一つの疑問をぶつけた。
『素直に認めたくないところだけど、そのとおり。この世界ではイメージがすべて。よって、僕らは本来なら原初の精霊として上位格にあるはずなのに最弱の精霊になり下がっている。』
「まぁ、世界のできた順序からいくと真逆の立ち位置かもしれないよね。」
『そこで、生みの親たる君たち地球の人間に注目したわけさ。』
「ん? 生みの親? どういうこと?」
『そもそも、いくら知能を得たといっても時空の概念を持つような文明が即座に築かれるわけがない。ならば僕らはどうやって生まれたのか。僕らの生みの親は君たち地球の人間なんだよ。彼らは何の因果か偶然かこちらの世界へ意図せずやってきた。そして、彼らの持つ時空の概念から生み出された僕らの力を以て故郷に帰る算段をしていた。
まぁ、帰ることはできなかったけど。だけど、それは単なる失敗では終わらなかった。異世界への門と道が築かれたんだ。そして、僕らはその道を行き来する輸送手段と門を開ける鍵を作り出した。ついに地球と【エキルシェール】は完全に結び付いた。ほんの2700年ほど前のことだけどね。【渡界石】こそが輸送手段であり、鍵でもあるんだ。』
【空間の精霊】は、【渡界石】のレプリカを宙に浮かべて回し始める。
「ふ~ん。まぁ、何となくわかったけど、そこまでうまくいっているなら彼らは帰れたんじゃないの? さっきの話だと帰ることはできなかったってことだけど。」
いつの間にか言葉遣いは完全に友人に向けるようなものに変わっていた。だが、もはや当夜がそのことを気にすることはないだろう。むしろこの方がしっくりくるのだ。
『それは遅すぎたというのが答えだね。二万年にも等しい年月を要したのだから。』
「に、二万年!? なら、どうして君たちはそれを続けたんだい? 必要はなくなったんだろ?」
『どうかな。それに僕らにも考えがあった。僕は気づいたんだ。時空に対するイメージを強く持っている存在を召喚することで、僕らの本質は高められる、と。彼女を繋ぎ止められる、と。
それに僕にはもう一つの目標があるんだ。彼女を失わない世界を作るためには過去に戻る必要がある。だから、それができる者が現れるまで呼び続けることにした。鍵を引き継がせることで、ね。』
「...引き継がせる、か。」
【空間の精霊】から投げてよこされた【渡界石】をまじまじと見つめる当夜。
『そう、君は海波光から。もちろん、無理やり連れてきたのではイメージが悪くなるから来てもらう前に合意を取り付けた上で、という条件を付けてはいるけどね。』
「ん~? おかしいな。僕はそんな説明聞いてないけど...」
当夜は依然として【渡界石】を見つめながらつぶやく。
『...』
「...」
沈黙が流れる。
『えっ? おかしいな。確かに引き継ぐときは同意を得てから、としてあるし。異世界や冒険事を好む人間性を候補者の資質には設定してあるはずだけどなぁ。何より、君からは時空に関する強い憧れを感じとっているのだけど。』
少年の表情が見えたのならきっと質の悪い笑みを浮かべていたであろう。
(や、やだなぁ。それって中二病の方みたいじゃないか。僕にはそんな厄介な素質はアリマセンヨ。)
「と、ところで、異世界人の時空の概念が今の君に影響しているということは僕の知識も引き継がれると? だとしたら、間違った知識が付け足されてしまうよ。そもそも、知識ならもっと専門的な人がいくらでもいるだろうし。海波さんから言われたことだけど僕はつなぎ役だそうだからあまり期待されても困るかな。」
当夜は照れた素振りを隠せず、とりあえず話を濁す。
『そうだったね。ならせめて時空のイメージを提供してくれればいいよ。』
「イメージを提供って、」
(そんなもの、僕にだってないよ。)
『まぁ、まずは日々、僕らに感謝してくれればいいよ。あと、魔法を使うときはより具体的にイメージを提供してくれると嬉しい。それに学者さんは現実主義的なところが強いみたいでね。そもそも精霊と言う概念すら認めてくれないだろうからね。そうなれば当然、僕らの概念も地球での正しい知識と異なるところが出ているのも必然だよ。そんなことは些細な問題だ。それを現実の理に変えてしまえばいい。もちろん他の事象たちとの整合性が取れなければ適用されないだけだからね。つまり、重要なのは、僕らに対する強いイメージ、特に憧れのようなもの。それが正しいか正しくないかは世界が勝手に評価してくれる。それに、君からは世界をも変えてしまうような強い憧れが、』
「わかった! わかりましたから! もう充分ですっ」
(黒歴史 時空のかなたに いざ封印。———季語なし、字余り。おっかしいな、特にそんな憧れなんて無いはずなのに。)
『いずれにしても、君のおかげで新たに僕らの概念は強化されたよ。【遅延する世界】を発動できるようになったのはその証拠だね。君も大いに助けられたんじゃないかい? と言うわけだから君自身のためにもイメージの提供は有益なはずだよ。今後とも協力のほどよろしくお願いするよ。』
「まぁ、乗りかかった船だし、助けてもらったから良いけど。あまり長いこと頑張るつもりはないよ。
ああ、それと石板の一部がきちんと祝福されて無いんだけど、どういうこと?」
『それは...
まぁ、簡単に言うと、他の精霊たちが君に売り込んでいるんだよ。君がどうしても契約したいならすると良いさ。僕は心が広いから何も言わないよ。でも、相方は怒るかもね。もう助けてくれないかもしれないよ。』
(あいつらめ。そんなに僕らより上に居たいのか。相方は勝手に動き回っているし。ライト君みたいにトーヤを取られないか心配だよ。)
「それは困るね。気を付けるよ。」
『あぁ、それと。今回の助けは特例だよ。次はまず無いと思ってほしい。君自身の力で魔法を構築してみたまえ。それでは筋肉痛の現実に行ってらっしゃい。』
「あっ! それ、それも何とかしてっ。」
そんな当夜の焦り声は、遠ざかる白亜の空間に届くことなく闇に消えていった。




