死を齎す脅威との接触
ソレアが当夜の背中に密着してまだ1分も経っていないだろう。当夜にはずいぶん長いこと彼女の優しさに甘えてしまったように感じていた。精神的にはだいぶ落ち着いてきていた。ただ、自分よりも年下の女の子に慰められたことは、うれしい反面情けなさも強く感じさせた。
(いつまでもここにいてもしょうがないな。後のことはソレアさんに任せて【ペール】に戻ろう。おっと、その前に両替もしておかないとな。場合によっては上級治療薬とか冷却剤も買って戻ってこよう。)
「ソレアさん、彼女のことお願いします。僕は僕のできることをします。
お陰様で吹っ切れました。ありがとうございました。」
当夜は鎧との隙間をくぐって抜け出すとお礼を言ってお辞儀する。
「え? ええ。だとしても無理しちゃ駄目だよ。」
(でも元気出たみたいね。良かった。)
当夜の行動の意味を理解できないソレアは首を傾げるも頷く。そんな彼女の目から見ても当夜の顔は憑き物が祓われたかのようだった。
「ええ。ソレアさんも。それじゃあ。」
当夜が一気に部屋を駆け抜ける。
(ほんと、あなたは強い人ね。)
その姿を優し気な眼差しで見送ったが突如ハッとした表情を浮かべる。
「あ、名前聞きそびれちゃった...」
(縁があればまた会うよね。その時には声をかけてみよう。それにみんなとも相談しないといけないものね。)
ソレアは、当夜の見た目以上に強いその精神に感服していた。次にあった時は食事にでも誘ってみようか、あるいは同業ならパーティに誘ってみるのも良いかもしれないと思っていた。そのためには名前と連絡先を得ておく必要があったのだがどうやら今はその時では無いようだ。そう結論付けて彼女は小さく一人合点する。
「ありがとう、小さな頑張り屋さん。私も負けないよ。
ねえ、私たちはこれからだよ、アリーゼ。
これからも私たちを見守って、ベーゲット。」
ソレアは、わずかに頬を緩めたように薄く笑みを浮かべて眠るアリーゼの手を握る。届くことは無いだろうがそれぞれに向かって今の心の内をささやいた。愛しき婚約者なら優しく頭を撫でて肯定してくれただろう。それが無いことに寂しさを感じて目頭に熱いものがあふれる。だが、それを慰め、励ますようにアリーゼの手が彼女の気持ちに応えるように握り返してくれた。
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当夜は地図を開く。教会が羊皮紙の大半を占める中、左隅に一つの名前を見つける。質両替屋【ウェスター】。名前から両替はできるだろう。場合によっては手持ちの品を質として換金するのも手かもしれない。そう、勢いよく部屋を飛び出した当夜だったが行先などまったく決まっておらず、抜け出した部屋を背にして今に至る。
教会では、まだまだシスターらが慌ただしく動きまわっている。その陰でだいぶ血の気の引いた疲れ顔となっているヘレナを見つけて状況を確認する。
「お疲れさん。どう?薬とか足りてるの?」
「あ、トーヤさん。
薬はお陰様で何とかなりそうです。今のところ在庫で間に合っています。
それよりどこ行っていたのですか。探していたのですよ。」
ヘレナが無理をして笑顔を作る。正直、それはひどく幼い見た目も相まって痛々しく見える。当夜も体験したような心痛む治療に立ち合ったのだろう。
「どこって、あそこの部屋で怪我人を抑え込んでたよ。」
当夜は背後の部屋を親指で指さす。
(それってどなたか知り合いが...)
「それは大変でしたね。そのお方に【癒しの精霊】の加護があらんことを。
それで申し上げにくい話なのですが、その、【上級治療薬】なのですが、すべてを使い切ってしまいまして...
今、上の方や先輩方がどのように代金を工面するかで議論しているところです。ですのでもうしばらく支払いをお待ちいただけないでしょうか?」
ヘレナが意を決したような顔で切り出す。
「ん? 支払い?
いや、だって、譲ってくれって話だったよね。僕は、最初から一瓶丸ごと使ってもらうつもりだったし。そもそも、この惨状じゃあね。仕方なかったんだよ。そっか、言い忘れていたなぁ、そこんとこ。寄附、寄附ってことで。」
当夜が一瞬何を言われたのか理解できずに呆ける。理解が及ぶなり両手を振って意思を伝える。何しろ、建物中は当初に比べて静けさを取り戻したものの、シスターたちは駆けまわり、怪我人と思われるうめき声すら収まっていないのだ。そんなことで治療の手を止められては敵わない。まして、上に立つ者ならより上位の治癒者である可能性だってある。無用な会議に時間を割くよりも怪我人の治療を最優先していただきたいものだ。
「え? じゃあ、あの【上級治療薬】はトーヤさんの?」
(確か【上級治療薬】って5,500シースはするはずなんですけど。トーヤさんって貴族様なの?)
「そうなるかな。」
(まだ未払いだけど。)
当夜が頬を掻いて空笑いする。その姿がヘレナには謙遜として美化されて伝わる。
「あ、ありがとうございます! 先輩たちにお伝えしてきます。きっとこのお礼はしますから!」
(先輩! この人は【癒しの精霊】が遣わした奇蹟ですよ。みんなの喜びと驚きの姿が目に浮かんじゃいます。早く伝えなきゃ。)
ヘレナは先ほどまでの疲れを億尾も見せない動きで院長部屋に駆け込んでいった。
「あ、ちょっ、」
(行っちゃったか。足りない分も確認しようと思ったのに。お礼ねぇ。別に良いんだけどなぁ。僕は出来ることをやるって決めただけ。後悔しないように。でも、感謝されるのってこそばゆいけど嬉しいものなんだな。
さて、とりあえず治療薬とかを買い足すか。両替して、【ペール】で支払いを済ませて、それからもう一度戻ってこよう。)
当夜は未だうめき声の響く教会を後に質両替屋を目指すことにした。
【ウェスター】は北街の教会のそばにあり、冒険者の素材の買取りから商人らのため両替、質流れ品の買取り、街の人の財産管理まで様々行っている。教会と近くにあるのは冒険者がどちらにとっても大きい市場となっているからである。ちなみに公共的な意味合いが強く感じる神殿や教会であるが治療や解呪、各種薬品の販売を行いながら運営費を作り出している。特に治療行為はギルドがその費用をまとめて支払ってくれるので取りこぼしが無いのだ。金の無いものからはとれない教会を救済してくれる実に良い制度である。
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【ウェスター】に近づいたときだった。突然、けたたましい警鐘が鳴り響いた。
「邪魔だっ」
「どけ、どけ、どけっ」
「早く、早くっ」
「————!」
北門から続く大通りを人々が走る音と彼らの悲鳴や怒号が埋め尽くす。大通りから一つ通りを挟んでいる【ウェスター】のあたりにもその声は届く。当夜は何事かと大通りにつながる通りに足を運ぶ。すると、人々の波が濁流のように大通りを埋めていた。やがて、その波はこちらにも枝分かれする。そこには恐怖が色濃く漂う。その様子に当夜はあっけにとられた。
(何事だ!?)
「お、おいっ
あ、あんた、いったい何があったんだ!?」
当夜は横を駆け抜けていこうとする男の手を掴んで呼び止める。
「離せっ、化け物に殺される!」
体格差で負ける男にあっさりと振りほどかれる。そのままこちらに振り向こうともせずに立ち去る。そんな当夜の後ろで何者かが倒れる。
「ううっ」
振り返ると体中に痣を浮かべた少女だった。痣の形が靴の形であることからも逃げている途中で転倒したところを群衆に踏まれたのだろう。当夜は抱き起すように抱える。
「大丈夫か!? 一体、何があったんだ?」
「ぐっ、うう、ま、魔物が、ゴーレムが、来る。逃げ、ないと、お母さん...」
少女の震える手が当夜の頬を撫でて力なく地面に落ちる。少女の目に映った当夜の姿が母親のそれと重なったのだろう。当夜は慌てて口元に耳を添える。
「まだ息がある。教会に急ごうっ」
立ち上がった当夜は遠くに見える街壁が蒼白く照らされるのを見た。次の瞬間、街壁が盛大に崩れ落ちる。そして、足元を揺らすような振動。震度3くらいだろうか。さらに温かく埃っぽい強風が吹きこむ。
「なんかマジでやばそうだな。」
当夜は少女を抱えて教会に駆け込む。教会はハチの巣をつついたような状況だった。シスターと冒険者が怪我人を支えて教会を後にしている。そんな中で荷物を抱えたヘレナが当夜に気づく。
「トーヤさん!? なんでここに? ううん、急いで逃げますよっ」
荷物を地面において駆け寄ってきたヘレナが切羽詰った雰囲気で告げる。近くまで来たのは喧騒の中で確実に言葉を伝えるためだ。
「どういうことですか!?」
(ここには重傷者が居るのに逃げる? さっきの壁の崩壊といい、住人の行動といい、一体何があったんだ? そう言えばこの子も魔物がどうこうって...)
「何をぼけっとしているんですかっ」
ヘレナが当夜の腕を引っ張る。再び蒼白い閃光がヘレナの顔を照らしさらに青白くさせる。彼女の目には住宅の高さを優に超える火柱が幾本も立ち昇る光景が映った。
「もう、こんなに近くにっ」
ヘレナがさらに力を込めて引っ張る。さすがの当夜もここに残ることの危うさを何となく感じとり彼女の導く先に向かって走り出す。当夜は荒い息を整えながら足を休めていた老人を追い抜こうとする。そんなときに嫌な予感が過ぎる。老人の足元に蒼白い魔法陣とも表現すべき紋が広がる。そこからは当夜にとってコマ送りの世界だった。自身の足元に広がっていく紋を見つめる老人。ついで、理解の追い付かない未知の現象に、説明を求めるような怪訝な顔で偶然目の前にいた当夜と目線を通わす老人。蒼白い火柱に全身を飲まれて姿を消す老人。次に見たその姿は炭の塊であった。
いくつも与えられたパズルのピースが指し示すこの異常事態の正体を当夜は街壁の崩壊の時点ですでに理解していた。だが、認めたくなかったのだ。それでも、ついに目の前で人が炭化する様子を見て認めざるを得なくなる。
「いやぁぁああぁぁ!?」
ヘレナの悲鳴が木霊する。
「まさか奴が来たのか?」
そう、ギルドが斡旋した5つのパーティでは討伐できず、逆に壊滅させた存在。あの蒼いフレアゴーレムが撤退した冒険者達を追ってこの街の中に侵入したのだ。
当夜は恐怖により体の全ての感覚が高まっていくのがわかった。それは地球の、日本の、否、彼のいた平和な世界では感じられなかった生命を脅かす存在に対する警戒であり、人間として、動物としての生存本能が呼び起された結果でもある。この時の当夜は、時空精霊の加護の一つ、空間認識をかつて無いほど作用させていた。その能力は、当夜に姿はまだ見えないゴーレムの視線が自身を捉えたことを告げていた。
(まずい! 目を付けられた! 逃げっ)
真下からの嫌な予感に目を向けると、そこには死を呼ぶ紋がにじみ始めていた。




