惨事の起因(ケース【アイゼン】)
一つのパーティがじりじりと後退している。伝令役は飛ばし、戦況を分析しつつオールラウンダーな剣士とリーダーの神官が殿を務める。本来なら壁役をお願いする副リーダーにはあまりの惨状と恐怖に失神した魔法使いを抱えてもらっている。
先ほどまで止めを刺される寸前のフレアゴーレムは脱皮をしたかのように装いも新たに暴威の限りを尽くしている。止めの集中攻撃に移るためにどのパーティもこの悪魔に近づいていた。そう、その場にいるすべての冒険者が奴の射程圏内にまんまとおびき寄せられたのだ。
「セリ!」
ラーナが叫ぶ。声をかけられた赤い髪の少女が青い炎に包まれる。誰もが彼女は原型をとどめること無く炭と化したと悲観した。だが、その牢獄から転がるように抜け出たセリエールは鎧を燻らせながらも脱出に成功した。
「大丈夫!」
(危ない。【火の精霊】の加護が無かったら消し炭だった。)
彼女が助かったのは加護精霊の属性とフレアゴーレムの属性が一致したことと彼女だけに与えられた【火精の守護壁】という火属性の攻撃を完全無効化するスキルのおかげだ。ただし、このスキルは庇護者が危機に陥った時に自動で発動するという優れものだが一日に一度きりの大技だ。これでセリエールもほかの冒険者と横一線のロシアンルーレットの舞台に降りたことになる。
「みんなは?」
「レナはグレッグが担いでいった。ラットは一番足が速いからギルドに走らせたわ。あとは私と貴女だけよ。」
前方で繰り広げられる激しい攻防をにらみながら二人はじりじりと後退する。攻防と言ったがそれが入れ替わることは無い。正直、あの輪に割って入れる自信はどちらにもない。
「わかった。私たちも撤退しよう。あの魔法陣だけど足元が輝いたと思ったらすぐバックステップしないと駄目。それでも足はやられるかも。」
セリエールとラーナはお互いに肩を預け合って情報交換をする。どちらともなく肩でお互いを弾き飛ばす。二人のいた場所に蒼白い火柱が立ち上る。今回はセリエールの勘とお互いがぶつけあった作用反作用の力がそれぞれを窮地から救う。だが、次もこううまくいくとは限らない。二人の額から顎にかけて汗が伝う。
「全速力で、」
「逃げるっ」
二人の掛け声はつながる。同時に街に向かって駆け出すラーナとセリエール。ラーナの風の魔法によって走力が大幅に強化される。遠くに聞こえる上位冒険者の声が聞こえなくなるあたりに来た時にその効果が切れる。二人とも血を吐くような勢いで咳き込む。少しでも先にと足を動かそうとするも中々いうことを聞いてくれない。それでも、這うように立ち上がると武器を杖代わりにして歩き出す。
「が、街壁が、見えた。」
「あ、あと少しだよ!」
もう目の前のはずなのにまったくたどり着ける自信が無い。ラーナは自らに言い聞かせるように言葉にする。そんな二人の視界に一人の人影が写る。彼女たちが感じた以上に離れていなかった門から飛び出してきた男が二人に声をかける。
「君たち、討伐はどうなったんだ? さっきから冒険者がちらほら帰ってくるんだが誰も情報を寄越さない。いったい何が起きているんだ!?」
血相を変えた門兵が二人に駆け寄ると問い詰めにかかる。だが、二人からすればひどく迷惑な話だ。セリエールが枯れた声を絞り出す。
「こ、ここは危険。早く街に、」
「わ、わかった。肩を貸そう。掴まれ!」
二人は同時に男の肩を借りる。男の視線が思わずラーナの胸部から下半身に向かう。セリエールもあこがれる豊満な胸部。先ほどの火柱を避けた時にローブが焼けて露わになった太もも。男は反対からの非難の視線に気づかない。
「ありがとうございますっ」
「...助かる。」
ある意味両手に花となった門兵だったが、次々と背後から迫る憔悴しきった、それでいてただただ北門を目指して逃げ続ける冒険者たちの必死の形相に危機感をあおられる。
「な、なんなんだっ、一体!」
僅か300歩程度の距離を異様に長く感じながら三人はついに門にたどり着く。先にたどり着いていたグレッグにレナが抱き付いて泣いている。
「二人ともよくぞ無事で。」
グレッグが顔を上げて笑う。だが、その顔は疲れを隠せずに大いに苦し気な者を浮かべている。
「え、ええ。貴方たちもね。それで、ラットは?」
ラーナは門兵から離れると二人によろめきながら近づく。門兵が実に残念そうな表情を浮かべる。顔を引き攣ったセリエールが門兵をにらみつけたが、レナの涙声が彼女の意識をパーティの輪に戻させる。
「うっぐ、―――ギルドに、」
「よし、よし。」
セリエールはレナの頭を撫でる。
「セリ~~~っ」
レナがセリエールの細い体を抱き寄せる。ただ一人戦域離脱で体力を失っていないレナの突撃をいなせずにセリエールが人形のように彼女の胸の中に納まる。普段の二人であれば圧倒的に力で勝るセリエールが容易くあしらうのだが今は見ての通りだ。
「君たち、一体何があったんだね? 確か、フレアゴーレムの討伐に出ていたはずだよな?」
お互いの無事を確かめ合うことに夢中になっていた4人に年長の兵士が声をかける。その声は若干苛立ちを隠せずにいた。ラーナがいち早く立ち上がり全員の前に立つと事の経緯を伝える。
(そうだ。この人達にも知らせないと。)
「ええ。5組のパーティで挑んだのですが、目的達成を目前にしてフレイムゴーレムが変身したのです。それ以降は手に負えませんでした。上位冒険者の方々が残ってくれて私たちは逃げられましたが、あの方々は...」
先ほどまで二人に肩を貸した門兵が恐縮しているところを見ると上位の指揮官なのだろう。よく見れば鎧の装飾も上質で王国軍の勲章がいくつか縫い付けられている。そんな彼が怪訝そうな顔を浮かべて問いただす。
「変身? どういうことだ?」
二人の間にセリエールが割って入る。下から見上げる彼女には指揮官の顎が大きく映る。
「蒼いフレアゴーレム。物凄い強さ。3級パーティでも歯が立たない。」
「馬鹿な。フレアゴーレムなど5級パーティでも十分倒せるぞ。
いや、今、蒼と言ったか? 確か、奴は赤い見た目だったはずだが...」
この男、北門兵隊長は単独でフレアゴーレムを倒したことのある猛者である。それゆえにラーナの話を聞いて鼻で笑って聞いていたのだが、彼の記憶にあるフレアゴーレムの特徴にはない単語に思わず眉間にしわを作る。
「あれはフレアゴーレムではありません。噂に聞く魔王の側近ではないでしょうか。とにかく危険です。騎士団を動員していただいた方がよろしいかと、」
ラーナの進言を一笑に付すと背後で不安げな表情を浮かべる部下たちに檄を飛ばす。
「おいおい、大きく出たな。まぁ、後は俺たちに任せろ。おい、新入り。お前までビビってんじゃねぇよ! この俺にかかればフレアゴーレムの1体や2体ものの数にも入らねーよ。」
「———はっ、兵隊長! 申し訳ありませんでした!」
「「「兵隊長、申し訳ありませんでした!」」」
補佐官の声に従うように街壁の上や駐屯部屋から門兵の声が響く。
(貴方がたもあの魔物と相対すればわかりますよ。その時はもう遅いでしょうけど。)
「セリ、レム、グレッグ。ギルドに戻ってラットと合流しましょう。レム、動ける?」
「大丈夫。行こう。」
レムを担ごうとするグレッグに彼女は恥ずかしそうに手で拒否の意思を伝える。ギルドに向かう道中、人々とすれ違うたびにここが安全な場所だという油断が生じてくる。その一方であの化け物が攻め込んでくる可能性を排除できない不安が彼らの足を急がせる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
中央ギルドに戻ったラットは一つの列の先頭に割り込む。
「おい! てめぇ、何横入りしてやがんだ!」
ギルドにまた一つ怒声が響き渡る。だが、それはすぐに静けさを取り戻すことになる。
「ぜぇ、ぜぇ。フレア、ゴーレム、討伐、失敗、死者多数っ」
ラットがその列の先にいる受付嬢に息を切らせながら報告する。順番を目の前で狂わされたラットにとっての先輩冒険者が腹いせとばかりににじり寄ってコケにする。
「おいおい、フレアゴーレムって噂のご祝儀クエストかよ。まさか失敗ってあの失敗かぁ? なんならこの俺が代わりに片づけて来てやろうかぁ?」
(こいつ、防具も武器も痛んでもいねーのに逃げてきたってか。よほどのビビり症だな。恥ずかしい奴め。)
「ああ、ぜひ、頼むよ。まぁ、あんたじゃ、一瞬と持たないだろうがな。」
ラットが首もとで親指を立てて横一文字に空を切る。対する男の額に青筋が浮かぶ。
「てっめぇ!」
ラットの胸ぐらをつかんだ男が殴りかかろうとしたところにテリスールが受付台を飛び越えて割って入る。華奢な体に似合わずいとも容易く男のこぶしを受け止めるとテリスールはラットの目を見据えて問いかける。
「落ち着いてください。ラット君も煽らないで。
きちんと確認させてください。フレアゴーレムの討伐に失敗したのですか?」
「あぁ、そうだって言っているだろっ
あいつらを置いてきているんだ! 俺は今すぐ戻らないと!」
普段のラットなら思わず鼻の下を伸ばしていただろうが、今の彼は違う。どちらかといえばこの依頼を投げかけたテリスールに対して仄暗い感情さえ覚えている。冷静な部分ではそれが八つ当たりだとわかっていても仲間の安否がわからない以上本能的な部分が勢いづいてしまう。その場で回れ右をしてギルドを飛び出そうとするラットにいつになく迫力のある声がかかる。その声音はラットの足をギルドの床に縫い付けるに十分だった。
「待ちな! 仲間を助けたいならもっと具体的に説明しなっ」
「———ちっ」
苦々しく振り返るラットの目には涙が光っている。その様子に声の主ヘーゼルは小さく溜息をつく。
「援軍要請するにしたって判断材料が乏しけりゃ優秀な連中は出せないよ。」
ラットは納得したのか完全に体をヘーゼルに向けると淡々と記憶を掘り起こして伝える。誰もが耳を澄ましているのかヘーゼルの怒りを買わないようにおとなしくしているのかはわからなかったがかつてないほどにギルドが静かで重々しい雰囲気に飲まれていった。
「ただのフレアゴーレムじゃない。青かった。3級パーティの槍使いの槍が溶けて消えた。足元に円陣ができると青い火柱が上がるんだ。発動が速すぎて誰も避けらんねぇ。動きなんかブラッドウルフよりも速かった。俺が見ただけでも5人は死んでた。【赤の砂漠】から2人も。」
「そんな、嘘、よね?」
テリスールが口元に両手を添えて息をのむ。
「嘘じゃねーよ。」
ラットがぶっきらぼうに告げる。テリスールの目が潤み、隠しているが唇が戦慄いている。
(私のせいだ。)
「ヘーゼルさんっ」
(こいつはまずいね。当然、テリスのせいでは無いにしても二度目は許されない。それに長年の勘が告げてる。これはやばいやつだって。ギルドマスターには悪いけど、あたしの責任で動かせてもらう。)
「テリス、落ち着きな。みんな、聞きな。至急、1級【逆巻く風】に要請をかけるよ! テリス、鐘撞師に彼らへの伝達を要請なさい。他の者も【逆巻く風】にどうにかして接触を図りなさい! 内容は青いフレイムゴーレムの足止めと要救助者の保護、以上。あたしは神殿と騎士団に掛け合ってくる。」
ヘーゼルは目を細めて思案を巡らす。状況提供者はまだまだ経験不足だがその言葉に嘘は無いことは事実だ。それはテリスールの様子からもわかる。彼女は相手の心意を読むことができる。彼女の自らへの怒りの深さがそのことを雄弁に物語っている。だが、今は彼女を慰めているときでは無い。ギルドに二度目の失敗は許されない。例え損益が生じようとも最大限の手を打つ。そう覚悟してヘーゼルは声を張り上げる。
「「「は、はい!」」」
受付からここ数年聞かれたことのないような緊迫した職員の声がギルドに響いた。




