惨事の起因(ケース【泉の畔】)
一部凄惨な表現が含まれます。苦手な方はお進みになられないように願います。
誰であったか。
『このままいけば押し切れる。』
誰もが、その言葉に押されて、もう間もなくこの依頼も終幕に達すると確信めいたものを得ていた。ある者はこの後に待つギルドでの賞金の分配を思い描いて頬を緩める余裕すらあったほどだ。
そこからわずかな時が流れるうちに、私たちは壊滅寸前に陥っていた。かくいう私もこのままでは...
「アリーゼ! そこから離れて!」
確かに親友の声が耳に届いた。届いたのだが、もう私にはどうすることもできない状況だった。足元から立ち上る蒼い焔の咢によって足をかみ砕かれ、下に注意が向いたわずかな隙に正面から受けた強烈な打撃によって走る全身への痛み、それすら感じなくなって意識が途絶えた。
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時は、本日、紫の月15の日、朝の到来を告げる1鐘からほんの少し過ぎた頃に遡る。
クラレス中央ギルドには、3級パーティ【赤の砂漠】を筆頭にして6級までのパーティ5組が集められていた。私たちのパーティ【泉の畔】もこの共同戦線に集められた一つだ。
【泉の畔】は、一月前に行われた昇級テストを通過し、結成から6年目にしてついに5級に届いた。他のパーティに比べても中々に進級のペースは優秀であると私、アリーゼはリーダーとして自負している。特に、親友のソレアは、結成時からの付き合いで、当初からの相棒だ。そこにソレアに一目ぼれして入ってきたのが、心優しい司祭のベーケットである。今や晴れて両想いとなった二人が羨ましくもあり、微笑ましくも思える。私は、【風の精霊】の加護持ちで盾と剣を主体とした剣士職として前衛を務めている。近々結婚の予定もある。同一パーティ内での冒険者の結婚が遅くなりがちなのはよくあることだ。これはパーティ存続のためには止む得ないことだ。特に二人はパーティの中でも重要なポジションにある。ソレアは、【土の精霊】の加護持ちで弓遣いの遊撃担当だ。ベーゲットは、司祭らしく【癒しの精霊】の加護持ちで回復術師だ。そんな3人が初期のメンバーとしたなら、1年前に加わった魔法使いのレーンと剣士のアレディアの二人は新規加入者だ。この5名が、今の【泉の畔】を形作る仲間たちだ。
今回は、ギルドからの指名で、街の北壁付近になぜか出現したフレアゴーレムの討伐の任に当たることとなった。“なぜか”という言葉がついた理由には、フレアゴーレムは基本的に火山洞窟に生息する魔物だからだ。クラレス周辺には火山は無く、火山から出ると冷えて動きが鈍くなって最終的にはただの石になってしまうフレアゴーレムは火山内部から出てくることはほとんど無いからだ。そのため、今回の珍事は、火山が近くに新しくできたためではないかと憶測が流れたくらいだ。
ともかくいずれ固まるといっても、一般人には危険であり、固まるまで時間がかかるということから討伐が決まったのだっだ。本来、フレアゴーレムの推奨討伐戦力は5級パーティ2組程度であり、今回はそれを大きく上回る戦力が集まった。これは、一つに私たちのようにランクが上がったばかりのパーティへの箔付けの意味合いもあるのだろう。そして、もう一つはかなり危険な場合と目される時だ。だが、間違いなく今回は前者だろう。
「それでは皆さん、早急なる討伐を願います。報酬は依頼書のとおりです。一応、非火山地帯における単体での出現という異例の事態ですので、警戒のため過剰戦力での討伐という形を取りました。くれぐれも油断なさらないようお願いします。」
ギルドの受付嬢テリスールが説明をし、討伐の開始が宣言される。
「「「おう!」」」「「「はい!」」」
5鐘の音と同時に、北門を抜けると私たちはすぐにそいつと遭遇した。真っ青な草原を冷え固まった黒い岩のシミを浮かべた足で枯れ地に変えて行先を覚えずに彷徨う姿は実に不気味だった。まさに情報通りのフレアゴーレムだった。
作戦はすでにギルドで打ち合わせられており、3級パーティが前線で叩き、4、5級が遊撃、6級が後方支援と決まっていた。3級のパーティが背後から強襲する。
戦闘は一方的であった。前衛が表面の冷え固まった鎧を剥ぎ取り、魔法使いが次々と【水魔法】をぶつけて冷やしていく。表面にできた外殻を前衛が剥ぐ。これの繰り返しだ。こうすることでフレアゴーレムの魔核を砕くか内部を冷え固めてしまえば討伐完了だ。だいぶ冷えて固まってきていたのであろうフレアゴーレムの動きに精彩はなく、一方的に冒険者たちによる攻撃が続いた。そして、6鐘が鳴る頃にはフレアゴーレムは遭遇時の半分ほどの体積にまで削られてほぼ勝負が見えた。
「このままいけば押し切れる! 集中攻撃!」
「「「おお!」」」
一気に責め立てる。【赤の砂漠】の槍遣いが魔核を貫く一撃を放った。誰もがこれで終わったと思った。だが、槍遣いは大声で叫ぶと飛びのいた。
「全員、離れろ! 様子がおかしい!」
フレアゴーレムの体に突き刺さった槍先が溶けて柄が落ちる。
「おいおい、蒼鉄製の槍だぞ。こいつ死にかけじゃないのかよ。」
緑髪の槍遣いが棍と化した柄を拾い上げると大きく距離をとる。ヒリヒリと肌を焼く熱気がその場にいるすべての者を照らす。フレアゴーレムが自らを抱え込むように丸まる。体に浮かんでいた黒いシミが次々と融解する。赤から白、ついにはその体が青白く燃え盛り始める。
(何、アレ? フレアゴーレムって青かったっけ?)
アリーゼが疑問を浮かべた瞬間、3,4人の足元に青白い紋が浮かんだ。
「?」
皆の表情に疑問符が浮かんだのがわかった。こちらに顔を向けられて困る。こちらも同じ表情を浮かべようとしたところでそれらは4本の蒼白い炎の柱を出現させる。そこにいたものは例外なく飲み込まれ、渦巻く炎が人の体3体分の高さまで立ち昇り、消失した後に残されたものは鎧すら形残らず炭だけであった。次々に崩れ落ちる人だった塊。そこからは虐殺だった。
「くっ、いったい何が...」
周囲は火柱が発する熱により揺らぎ、大地は燃えていた。上位の冒険者たちは足元から出現する蒼い火柱を大やけどを負いながらもどうにか逃げおおせている。だが、彼らとて助かる見込みが薄いことをすぐに理解させられることになる。それは唐突だった。熱気に揺らぐ大気が大きく揺らぎ、現れたのはその惨事を引き起こしていた破壊の主たる蒼いフレアゴーレムの強襲を知らせる。
「6級からすぐに退避! ギルドに知らせろ! 5級は負傷者を運べ! 4級は俺たちの支援をしろ!」
【赤の砂漠】のリーダーが指示を出す。
私たちは、慌ててまだ息のある者を引きづり、または担いで戦域を離脱しようとした。だが、敵はそれすら許さず、負傷者ともどもあの蒼い炎で焼き払う。すでに【赤い砂漠】のメンバーも2人が息絶えていた。そう、この化け物は物理的にも強すぎた。動きはゴーレムのそれではなく、力はもとより、加えて魔法まで使う化け物であった。
「全員、撤退っ。怪我人は置いていけ! 全力で逃げろ!」
【赤の砂漠】のリーダーが火傷まみれで叫ぶ。その場に居たほぼすべての冒険者が戦場に背を向けて足を街に向けて進める。まるで地雷原を走るような恐怖に襲われている彼らは自身の足の動きに不満を感じながらただ走る。傷ついた者は涙を浮かべて助けを乞う。だが、だれも振り向きはしない。つい先ほどまで親友だったパーティメンバーですらそれなのだ。見知らぬ者であれば記すまでも無い。
蒼い火柱を運ぶ死の紋の第三波が来た。ついに、私たちのパーティから死者が出た。最初の犠牲者は魔法使いのレーンであった。口調はきつめではあったがそれは思いやりの裏返しに過ぎず本当は心の優しい少女であった。この時も彼女は片足を失った同じ魔法使いの女性に肩を貸して撤退を試みていた。かの悪魔はそんな彼女の優しさすら容易く踏みにじる。
「え? ...嘘、嫌っ」
彼女の最後の言葉はそんな短いものだった。一瞬で火柱がその姿を覆った。ものの僅かな時間で火柱は消えた。ひょっとしたらレーンは無事なのではないかとアリーゼに思わせるほどに僅かな時間だった。しかし、そこには他の冒険者と等しく二人分の炭の塊が残された。
そして、残り二人となった【赤い砂漠】の盾を奴が突破した。刃を失った槍でどうにか凌いでいた一人が弾き飛ばされたのだ。フレアゴーレムがソレアめがけて突撃する。それに気づいたベーゲットがソレアを吹き飛ばす形で入れ替わった。一瞬の出来事だった。
「あ、がぁっ!」
フレアゴーレムの体が触れた瞬間、ベーケットの体は炭化して砕けて散った。その顔は苦痛にゆがんだというよりも安堵の表情だったように私には見えた。
ベーケットという獲物を制したフレアゴーレムが、次に標的として捉えたのは私だった。
最初に感じたことは、死がもうじき訪れるという恐怖だった。
(終わった。ごめんなさい、お父さん、お母さん。でも良かった。ソレアじゃなくて。お願いだから私とベーケットの分まで生きて。)
「アリーゼ! そこから離れて!」
ソレアの声が響くと同時に足元に蒼い紋が生まれる。気づけば前から近づく地響き。とっさに盾を構える。足元から蒼い炎が駆け上がってくる。盾に何かが当り吹き飛ばされる。体の至る所の骨が砕けていく音が聞こえた。
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最愛の人が私を庇って塵と消え、親友のアリーゼが血をまき散らしながら吹き飛ばされていく。私にはただ見ているだけしかできなかった。
「ベーケット! アリーゼっ!」
私は自分の命より愛おしい二人の存在を失ったと認識して慟哭した。
そんなところに、怨敵の魔核を一度は貫いたように見えた一撃を繰り出し、つい先ほどまで足止めをしていた緑髪の槍使いが全身にやけどを負った魔法使いを背負ってこちらに駆け寄る。
「彼女は俺が連れていく。お前もすぐに撤退しろ!」
緑髪の槍使いはアリーゼの救助に向かい、その体を担ぎ撤退に移る。その動きは二人の人間を持ち運んでいるとは思えないほど速く力強い。そんな頼りになる存在がしっぽを巻いて逃げ出す存在だ。自分の足元にあの恐ろしい蒼い紋が今にも現れるのではないかと心臓がかつて無く高鳴る。息もままならない。全力で走っているのが嘘のように遅く感じる。このままでは追いつかれる。そんな恐怖が後ろから圧力をかけてきている。遭遇するまでは短く感じた距離が果てしなく遠く感じる。
どうにかして北門にたどり着いた。私は、思わず腰が抜けたかのようにその場に倒れこむ。門番は重傷の冒険者たちが何人も逃げ帰ってくる様子に慌てふためている。緑髪の槍使いはそのままの勢いで駆けていく。
「教会に行く!」
彼の声が通りに木霊する。
「急患だ! どけ! どけ!!」
私はここでも見ているだけしかできなかった。
しばらくして、ここにいても始まらないと教会に行くことに決めた。足元は全くおぼつかないが、何とか教会にたどり着いた。教会の前にあの槍使いがいた。
「嬢ちゃんは意識がまだあるみたいだ。急いでいけば間に合うかもしれん。見取ってやれ。」
(アリーゼ、アリーゼ! 少しだけでも。)
「ソレア! あんた無事だったのね! アリーゼちゃんなら一命を取り留めたわ。これから治療をするから手伝いなさい! こっちよ。」
教会院長の指示にただ従いソレアはアリーゼを力の限り押さえつけた。親友の悲痛な叫びがソレアの心臓に突き刺さる。いつの間にか治療は終わり、隣の若いシスターに揺さぶられて意識を取り戻す。込められていた力が途端に抜けて腰を重力に任せて落とす。周りの冒険者たちも同様だ。あんなものを見せられては正気でなどいられない。
ふと見上げればアリーゼが憔悴しきった顔で横になっていた。そして、その横では同じく憔悴しきった少年が今なお彼女の治療に手を尽くしている。
(こんな小さい子ががんばっているのに。私はっ!)
「よく頑張ったわ、弟くん。お姉ちゃんはもう大丈夫だから安心しなさい。ほら、手を握って安心させてあげなさい。」
(アリーゼに弟なんていないはずだけど。)
「それと水を欲しがるからこの水差しから少しずつ飲ませなさい。良い? 少しずつよ。ほら、手を握ってあげなさい。ソレア、あんたは相棒なんだからここに居なっ」
強引に立ちあげられて震える足が心もとなく感じられる。だが、年長者としてこれ以上後輩に無様を見せられない。
「で、ですが、他の方も手伝わないと。」
「大丈夫だよ、外の見物人も巻き込んだから。そこの弟さんに任せっきりにもしておけないだろう?」
去り際に院長が気を遣ってくれた。
「うっ! っ~~~!」
いきなり少年が苦しそうに悶え始めた。当然だ。あれだけの惨事をこんな小さな子供が受け止められるはずがない。
「ねぇ! 君、大丈夫!?」
(私は、私が負うべき責をこんな小さな子に負わせてしまったんだね。)
私は自然と彼を抱きしめていた。
「...落ち着いた? 大丈夫だよ。アリーゼは君のおかげで助かったんだから。」
「ありがとうございます。碌に役にも立ちませんでしたけど。」
(それは私が言わなくちゃいけない言葉だよ。私は何もできなかった。しようともしなかった。)




