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世界を渡る石  作者: 非常口
第1章 渡界1周目
35/325

教会における惨事

血なまぐさいシーンが描かれています。苦手な方は読み進まれないことを薦めます。

 【薬師処ペール】の玄関をくぐり、ヘレナを探す。だが、あのせっかち少女の姿はすでに無い。彼女以外に頼れるものして真っ先に浮かんだのが自動書記の地図だ。住所も知らず、姿も見たことのない北街の教会への経路を漠然としたイメージで願う。一向に反応の無い地図に焦りを覚えた当夜は関連した人物としてヘレナを思い浮かべる。ようやく地図上に目的地が示されて経路が導かれる。それほど遠い距離ではなさそうだ。地図に示された指示に従って歩き出す。

 地図に示されたポイントに当夜の位置を示すカーソルが重なる。建物5軒ほどの距離を残して流行りの結婚式場のようなおしゃれな建物が目に飛び込んでくる。【時空の精霊】に導かれて15分ほど歩いた先にあった教会は、当夜が祝福を受けた神殿より一回り小さく、簡素な造りであった。それでもギルドと同じ規模の建物であることを考えればどれほど神殿が大きいかがわかるだろう。しかし、単純な敷地面積では教会の方が上かもしれない。当夜が足を置くその道も隣に広がる広場も、その奥に建ち並ぶ建物群も教会の敷地なのだ。

 その広い広場周りには多くの鎧を着た冒険者たちがたむろしては何やら騒いでいた。誰もかれもが浮足立っているように見える。明らかにただ事では無い。


「何があったんですか?」


 当夜が話しかけたのは棍を背負い、全身に厚手の皮鎧を着こむ男性の冒険者であった。振り返ってこちらを見た冒険者は七三分けにした緑の髪が額にぺったりくっついて海苔のようであった。その悲壮に暮れた表情が無ければ笑い出していたかもしれない。よく見れば鎧は黒く焼きただれ、右肩から血糊でも付いたかのように赤黒く濡れていた。さらに棍だと思っていたものは先端が溶けてなくなった槍であった。まさに満身創痍の姿だった。


「ああ。フレアゴーレムが街のそばに出たんだ。ギルドから討伐依頼が出ていて5つのパーティで挑んだんだが1つのパーティが全滅し、別のパーティで2人死んだ。俺のパーティは前衛だったんだが...、2人死んだ。もう一人は置き去りだ。他は生きているのか死んだのかもわからん。

 ちくしょう。あれはフレアゴーレムじゃない。最初は普通だったんだ。追い詰めたと思ったら青くなって...

 あいつは別物だったんだじゃないか。情報が少なすぎたんだ。今にしてみれば火山地帯からこれほど離れたクラレスの地に奴が現れること自体がおかしかったんだ。ちくしょう!」


 男が自らの腿を殴りつける。途端に膝にある鎧の隙間から赤い血がにじみ出る。おそらく鎧の下は傷だらけなのだろう。


「落ち着いて! 今回のけが人は教会に?」


 当夜が傷口の様子を見ようと鎧に手をかけると男は小さく笑いながら手で制する。反対側の手には治療薬が握られている。色からするに【下級治療薬】か。


「ああ、そうだ。シスター達が診ている。俺ももう少し休んだら動くつもりだ。おまえもあんまりうろちょろしていると邪魔になるから離れていろ。できればすぐに南側に避難した方が良い。」


 治療薬を一気に飲み干した男はなぜかその場で槍の先端を外すと、収納袋から別の替え刃を装着する。このまま戦いに出ていってしまうのではないかと心配したがどうやらそうではなさそうだ。男が当夜の顔を見て苦笑する。


「心配するな。俺ももう限界だ。教会の護衛くらいしか務まらんさ。こんな状態で敵の元に向かうようなまねはしないさ。」


「そうでしたか。つらいでしょうに失礼しました。それに、ご心配までいただきありがとうございました。」


 男は片手を挙げて当夜に背を向ける。向かった先は拡大した地図に照らし合わせると教会の敷地境の門のようだ。そこは患者たちが次々と運び込まれてくる道につながっている。当然、敵のいる先にもつながっている。とは言え、彼の目には理性の輝きがあった。おそらく言葉の通り無茶はしないだろう。当夜は彼とは逆方向、教会の正門に足を進める。教会の入り口に近づけば近づくほどに人の密度が上がる。最後の方は人波をかきわけるようだった。その大半は街の住人で、野次馬だった。皆、教会の中を食い入るように覗き込んでいる。どういうわけか入り口より先には入りたがらないのには非日常にこれ以上関わりたくないからか。それでも見てしまうのは好奇心によるものか。当夜は彼らと違って躊躇なく足を建屋の中に踏み入れる。

 誰かの声が聞こえる。


「可哀想に。運ばれた人の子供かしら。」


 野次馬相手に否定も説明もする必要性は感じられなかった。当夜は数名の怪我の程度の軽い冒険者たちに見送られながらただただ奥に向かって右手の側廊を駆けていく。翼廊にある扉から怪我人のうめき声とシスターたちの檄が聞こえてくる。

 扉を開けると教会の右翼廊からつながるその建物は一本の通りを除いていくつもの部屋に間仕切られた造りだった。そこには音による騒乱だけでなく血と肉の焦げた匂いが異臭として充満していた。そんな中で包帯を抱えて一室に飛び込もうとするヘレナの姿が目に飛び込む。反射的に当夜は声を上げた。


「ヘレナさん! これを!」


 振り返るヘレナに当夜は【上級治療薬】を投げた。慌てて包帯の束の上に受け取ったヘレナが何かを叫んだようだが喧騒のなかでは聞き取れない。とりあえず手を挙げて合図を送る。ヘレナが涙と笑みを浮かべる。すぐさま目の前の部屋に飛び込んで姿が消える。


(あとはここにいても邪魔なだけだな。【ペール】に戻るとするか。)


「あんた、良いところにいたわ。ちょっと手伝いな!」


 声をかけてきたのはヘレナより年上のシスターであった。強引に手を引っ張られて向かった一室には一人の少女が横になっていた。額には乾いて固まってはいるものの、多くの血が流れたことを示すように赤黒い膜が塗り広がり、その青い顔色とも同期している。鎧は多数のひびと爛れにより半壊していて内部を想像するのも恐ろしかった。何より左腕と両足の(もも)より下は鎧ごと真っ黒に焼け焦げていて診るまでもなく重体であった。すでに意識を失っているのかうめき声を時折あげる以外身動き一つしない。


「いいかい?これから私たちは足に癒着した鎧を剥すわ。皮膚や肉が引きちぎれるから気絶から覚めるくらいの痛みが伴うはず。肩から抑えて動かないようにしてなさい!」


 シスターは血だらけの手を構えて少女の足側に立つと当夜にしかりつけるように促す。


「えっ! ちょ、ちょっと待ってください。まだ心のじゅ...」


 当夜が目を白黒させてその場で足踏みする。


「いいから! 早く!」


「は、はい!」


 シスターの更なる叱責に当夜が気を付けの姿勢で頭側に足を進める。右手と右足が同時に前に動くほどぎこちない歩みだ。


「すみませんっ、遅くなりました!」


 一人の若手シスターが駆け込んでくる。その後に続いた別の冒険者やシスターが体を抑える中、年長のシスターは鎧を引き剥していく。血が飛び、真皮や筋肉が剥き出しとなり、当夜は思わず目を背ける。剥すたびに長い金髪を振り乱して体が大きく痙攣する。始めこそ遠慮がちに構えていた当夜だったが、予想以上の彼女の抵抗と拷問を見ているかのような恐怖に起き上がろうとする彼女の体を無我夢中で押さえ続ける。部屋に人の声とは思えないうめきが響く。他の冒険者たちも若手シスターでさえ吐き気を押さえているのが伝わってくる。

 皆、手がふさがっている以上、目をそむけながら抑える行為に没頭するより他になかった。当夜も然りだ。


 ずいぶん長く感じたその時が終わりを告げられた。


「よし!すべて外せたわ。【上級治癒薬】を、早く!」


 二人のシスターを除き、誰もかれもが息を大きく吐いて地面に腰を落とした。それこそ腰が抜けたようだった。

 当夜自身、そこからは先はほとんど覚えていない。ただ、腰を落とすことも忘れて呆然自失に陥っていた当夜は年長のシスターの指示に機械のように従って動いていただけだ。それこそ意識自体は部屋のどこかに置き忘れられ、鳥瞰しているかのように薄ぼやけた光景として記憶に刷り込まれているようだった。

 突然、大きく背中が叩かれる。振り返ると先ほどまで鬼の形相だった年長のシスターだ。今は優し気な笑みを浮かべている。まるで別人だ。


「よく頑張ったわ、弟くん。お姉ちゃんはもう大丈夫だから安心しなさい。ほら、手を握って安心させてあげなさい。」


(弟? お姉ちゃん? いや勘違いしてるよ?)


 当夜が抗議の声を上げようとすると急須のような焼き物が押し売り気味に差し出される。勢いのままに当夜は受け取る。


「それと水を欲しがるからこの水差しから少しずつ飲ませなさい。良い? 少しずつよ。ほら、手を握ってあげなさい。」


 水差しを握った当夜の手を強引に掴んだシスターは今は落ち着いた少女の手に重ねる。よく見れば彼女の足は先ほどまでの痛々しさを失い、白く美しい姿を取り戻している。【上級治療薬】の脅威の治癒効果が垣間見えた。


「ソレア、あんたは相棒なんだからここに居なっ」


 シスターは床にアヒル座りの一人の冒険者の腕を強引に持ちあげるとそのまま立ち上がらせて当夜の隣に連れてくる。


「で、ですが、他の方を手伝わないと。」


 女性冒険者は姉弟の邪魔をしたくないから席を外そうとしているように当夜には映った。だが、相棒と称されるほど旧知の仲の彼女には診療台に横たわる相棒に弟などいないことは既知の事実だ。ではなぜか、それは当夜にはわからない。


「大丈夫よ。外の見物人も巻き込んだから。そこの弟さんに任せっきりにもしておけないでしょう?」


 そう締めくくると、年長のシスターは次の患者を診るべく部屋を去っていく。

結果として当夜はソレアなる女性冒険者とその相棒とともに部屋に残される。

 沈黙が続く中、ここまで地球では体験することのないような過大なストレスに張りつめていた当夜の緊張の糸が切れてしまう。


「うっ! っ~~~!」

(い、息ができない。)


 苦しそうに咳き込む仕種を見せる当夜にソレアが駆け寄り心配そうな顔で当夜の外観を確認する。


「ねぇ! 君、大丈夫!?」


 朝は小食、昼はなしだっただけに胃から戻るものは胃酸だけ。ようやく息ができるようになるとソレアに抱きしめられていた。地球であれば17,8歳の女の子に後ろから抱きしめられている28歳のおっさんの図。なれど、ここは別世界、女の子はぼろぼろの鎧を身につけている。正直なところ体に鎧の金具が当たって痛い。


(落ち着け! そうだ、素数を数えるんだ!1、2、3、5、7、11、じゅ...)

「だ、大丈夫です。」

(まったく、大の大人が一回りも下の子にあやされるなんて情けないな。)


「...落ち着いた? 大丈夫だよ。アリーゼは君のおかげで助かったんだから。」


 ソレアが当夜を抱く腕にさらに力を籠める。ソレアは当夜が相方を救った【上級治療薬】の寄進者だとは知らない。その言葉にあるのは、己は治療の途中で腰が抜けてしまったにもかかわらず、親友の治療に最後まで立ち向かった小さな同業者への嫉妬と感謝という相容れない感情である。


(そうか、彼女はアリーゼさんって言うのか。でも、僕は彼女の痛みを和らげることも癒してあげることもできなかった。ただ単に体を押さえつけているだけだった。僕は何もできなかったよ。)


 間違いなく当夜は【上級治療薬】を持ってきたこの場における大きな貢献者の一人ではあるのだが、そんなことより自身の力の無力さに打ちひしがれていたのだった。

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