ペールでのお仕事 その1
件の【ペール】がある北街は、迷いの森に面しており、多くの冒険者が素材や食材を求めて北街を足掛かりに街と外界の境界である北門から旅立っていく。
ちなみに、このクラレスは王宮を中核として6つの大きな街区画からなり、一つの区画にはおよそ500軒の住宅等がひしめいている。それぞれ北街、北西街、北東街、南街、南西街、南東街と呼ばれている。このうち北東街は貧民街、北西街は歓楽街、南東街は閑静な住宅街(ここに『渡り鳥の拠り所』がある)、南西街は飲食街、南街は貴族街となっている。
クラレスの街は、六角形に巨石を積み上げた壁が張り巡らされ、一つの石あたり3m立方はあろう巨石が高さにして20mも積み上げられている。石壁の上には武骨なバリスタが5m置きに配置されており、外敵から守られている。壁には6つの街区画それぞれに繋がる6つの門があり、そこから人々は行き来している。
先に述べた通り、北門の先には迷いの森があり、豊富な資源として動物や薬草、鉱石などが採取できる。その一方で、迷いの森やその周辺は魔獣が多数いるため多くの犠牲者が出る。ゆえに、この森は帰ってこない人たちの教訓を踏まえて【迷いの森】と呼ばれているのだ。
南側に位置する3つの門はいずれも草原に面しており、さらに南方に5kmほど進むと海に到達する。
南門からの道は海に直接つながっていて、そこには海上の街オルピスがある。オルピスは、海産物の狩猟により収入を得ていると同時に、この国の豊富な塩事情を支えている。
南西門からつながる道は、隣国のグエンダール帝国へとつながる。ここのところは静かにしているグエンダール帝国は、これまで周辺国家を次々併合して領土を拡大してきた。この世界における国家の中でもっとも大きな領土を持つ。おそらく、英雄の喪失の発覚と同時にクラレスレシアに攻めてくるであろうもっとも有力な国である。隣国とはいえ、馬を全力で走らせても5日はかかる距離なのだが。
街の話を始めると話は尽きないのでここで一度区切るとしよう。
そんな事情など露知らない当夜は、話を聞いてほしがっているとされる爺さんの店、【ペール】の前に立っている。店は割と目立つところに建っていた。木造で、庭から伸びるツタのような植物が幾重にも絡みながら窓と玄関以外を覆い、玄関の上にはだいぶ色あせてしまっているが確かに【薬事処ペール】と記されている。当夜からみると良い意味で雰囲気のあるお店であった。
(さて、依頼を始めますか。)
気合を入れてドアを叩こうとしたとき、後ろから声をかけられた。
「なぁ、君。今日は止めといた方がいいぜ。爺さん、結構ご機嫌ななめだからさ。たぶんギルドに出してた依頼が中々受けてもらえてないんだよ。ありゃ、だいぶ溜まっているな。」
声をかけてきたのは当夜からの見た目では30代後半のおじさ、もとい、こちらの世界では25歳前後の若者だった。ただ、この街で良く見かける筋肉隆々のマッチョタイプではない。必要な部分だけを鍛えたといえる洗練された肉体だ。髪色は深い紺色で、右上がりに掻き上げる癖があるのであろうか、髪は顔の右側で開けていた。コバルトブルーの瞳が爛々と宝石のように輝いている。
「いえ。そのギルドの依頼、僕が受けました。そんなにやばいんですか?」
顔が引き攣っていることに気づいた当夜は苦笑して誤魔化す。
「おおっと。そうかい。小さいながらも勇者だな。しょうがない。俺も治療薬がほしかったところだ。ご一緒させてもらうぜ。そうだ。名乗り遅れたが、【逆巻く風】のハービットだ。長い戦いになりそうだが、気合入れていくか。」
当夜よりも先に玄関の前に立った青年は白い歯を輝かせながら笑う。清々しいやつだ。
「はは。それはきつそうですね。僕は当夜です。よろしくお願いします。じゃあ、頼もしい仲間ができたところで行くとしますか。」
差し出された手を握る。まるで岩のように硬い豆が重なり合い鎧のようになっている。
「おうよ!」
いとも簡単に当夜を引き上げたハービットはノック役を譲る。手が宙を叩いてノックするように促している。
(まったく。調子のいい兄ちゃんだな。一人よりは心強いし、なんかうれしいな。)
ちょっと浮ついた気持ちでドアを叩くと、中から不機嫌そうな声が返ってきた。
「なんじゃい、開いているから勝手に入ってきていいぞ。」
「よう! じいさん。しけた面してるな。邪魔するぜ。」
当夜が声を出すよりも早くハービットが陽気な声で答えて軽快にドアを開ける。
「おう! ハー坊か。良いところに来た。時間があんだろ。付き合っていけよ。」
先ほどまで不機嫌そうだった老人の声が明るさを得る。
「しょうがねーな。だが、爺さんが出した依頼でこの子が来たみたいだぜ。仕事の内容を伝えてやれよ。」
ハービットが髪を掻き上げながら受付台に当夜を連れていく。肩をポンポンと叩くとウインクして見せる。どうやら彼の中での作戦がうまくいったことを伝えているようだ。
「なんじゃ。ようやく来たのか。おうおう、ずいぶんかわいいのが来たじゃないか。ハー坊、こんな小さい子に在庫整理は大変だから手伝ってやれよ。」
ペールは受付の椅子に座りながらお碗をあおる。明らかに水では無い液体が口元から顎に伝う。鬱陶しそうに顎を腕で拭ったペールがよろめきながら立ち上がる。
「わーってるよ。で、何すりゃいいんだ?」
勝手に話を進めていく二人に置いてきぼり感を感じていた当夜が口を開く。
「あのー。僕は28歳なんだけど。」
「「は?」」
ハービットとペールが口裏を合わせたような声と表情を表す。
「いやだから28歳なんですよ、僕は。」
「お前さん、面白いこというな。お前が28歳ならワシは100歳だな。
はっはっは! 悪かった、悪かった。ギルドで依頼受けられたんだから成人しとるんだもんな。よし、今日は帰れんかもしれんぞ。店内を見ればわかる通り、戸棚に空きが結構あるだろう。そこにそっちの戸の先の倉庫から同じ商品を足りない分並べ直してほしいのじゃ。収納袋は持っておるのか。」
そう言って店の奥の戸を示すペール爺さん。どうやら商品の在庫管理をお願いしたいようだ。ペールが何やら薄汚い灰色の袋を振って見せる。これが噂の収納袋らしい。
「一応、アイテムボックス持ちです。」
「ほう! 珍しいのう。
ほれ、鍵じゃ。好きにやってみろ。ハー坊、おめぇは俺の酒に付き合え。こっちだ。」
ペールが8本ほどの真鍮製のスケルトンキーを革ひもでまとめた束を投げて渡す。宝箱を開けるのに使えそうな形だ。
「おいおい、ちっと厳しいんじゃないか。
トーヤ、苦しくなったら声かけろよ。俺もやばくなったら声をかける。その時は退散だぜ。」
ハービットが指さして笑う。
「おめーは逃がさねーよ。まぁ、のんびりやってみな。」
すかさずペールがハービットの首に腕を回して連れていく。その目が本気で助けを求めていたような気がするが今の当夜にはどうすることもできない。できたとしてもお近づきになりたくない。明らかにペールからは強烈なアルコールの匂いが漂っている。酒に飲まれた人間ほど面倒なものは無い。
「わかりました。ハービットさん、南無っ。」
「よくわからんサインだが、絶望的なのはよく伝わった。早めに救助してくれよ。」
感謝と哀悼の念を込めて両手を合わせてハービットを拝むと、ハービットは肩を落としながら受付横の机にペールの手によって引きずられていった。
薬事処『ペール』は、売り場にして全体で20畳くらいの広さであろうか。そのうち半分くらいが戸棚で埋めたてられた販売スペースであり、そこかしこに緑やら青、赤など色とりどりの蓋のされた石瓶(大きさ的にマニキュア瓶くらいであろうか)が並べられていた。おそらく、石質からメノウと思われるがそのような硬い石材をこれほど均一にかつ大量に製造できるとは驚きである。また、ハマグリぐらいの二枚貝の殻の中に絵具状の薬剤を入れたものも複数種類あった。そのほかにも、机棚には金属質の鉱石、様々な形や色をした二枚貝の貝殻、枯れたものから新鮮なものまでさまざまな草花や実、地味な色から禍々しい色まで多種多様なキノコ、大きな骨など素材自体も並べられており、これらを使って自身で調合をすればより安価に製品を手に入れられるようであった。床には種類の異なる液体の入った大きな瓶がいくつも並んでいた。
(さて、始めるとしますか。その前に片メガネを付けてっと。)
片メガネを付けて店内の商品を見て回る。教会でも指摘されたが、あまり使いすぎるとマナが尽きるようなので様子を見ながらとする。ただ、当夜としてはマナが尽きるとどうなるのかまるで予想がつかないので、かなり慎重に進めなければならない作業であった。
【高級治療薬】5,500シース
上級素材を基に作られた治療薬。小程度の欠損程度まで治療可能。
素材:セレアラの花(上)、ラシュール草(上)、聖水、トフの実
【中級治療薬】1,000シース
中級素材を基に作られた治療薬。裂傷や骨折程度まで治療可能。
素材:薬草(中)、ラシュール草、水、ポールの実
【下級治療薬】10シース
下級素材を基に作られた治療薬。軽度の火傷や擦り傷程度まで治療可能。
素材:薬草、水、パレの実
そのほかにも【止血薬】、【気付け薬】、【マナの雫】などといった様々な商品の存在を確認できた。どうやら棚の前に貼られている商品名の表示と一致しているようだ。
(う~ん。夢中になり過ぎた。結構鑑定したからそろそろやばいかな?)
同様に素材についても鑑定していたのだが、どうやらマナが少なくなってきているのか、あるいは多量の情報が頭に流れ込んだからか気だるさを感じるようになったので、名残惜しいが片メガネを外すことにした。
(残りの素材については別の機会だな。)
そう割り切って依頼をこなすことにする。まずは、【下級治療薬】からと定めて木枠の商品棚を整理する。5本一列の商品棚を奥から詰め直していく。奥から六列目の途中、3本目で商品切れを起こした。つまるところ28本ということになる。並べ終わった【下級治療薬】の一部を列だけに絞って並べる。あと四列はいける。すなわち22本不足しているということだ。スケルトンキーをいくつか差しこんで当たりを見つける。ガチャンと重厚な音を立てて錠前が外れる。倉庫に入って【下級治療薬】を探す。すでに片メガネが無くとも商品を見るだけで当然のごとくその商品が何であるかが認識される。
(こいつは便利だ。ついでにアイテムボックスの性能も調べるか。)
深緑色の液体が入った瓶、【下級治療薬】を見つけると、アイテムボックスを発動させて22本を放り込む。登録証の裏を見てみると、加護が52に落ちていた。棚に戻って元からあった瓶も合わせて収納してみると数字は24に落ちてしまったが、アイテムボックスから取り出して棚に商品を並べてみると数字はもとの74に戻っていた。
よく見ればメノウ瓶の規格も商品棚の規格も【下級治療薬】のそれと同じではないか。
(これなら一度商品を収納ボックスに入れて登録証の残数が24になるようにすれば簡単じゃないか。)
そう思った当夜はペールのところに向かう。まだ、30分と経っていないからか、ペールは怪訝な顔で、また隣で管を巻かれているハービットは苦虫を噛み潰したような顔を向けてきた。
「よう、どした? うまくいってたんじゃないのか。」
(こいつが初めての依頼じゃなければいいが。そうでなければ評価がガタ落ちだぞ。)
「ああ? どうした? エラそうなこと言って、もうダウンか? だらしねーな。」
酒飲み用の碗を持ったまま当夜に向けられたペール腕を酒が零れないように机の前に誘導する。
「いえ、そうではなくて確認に。ペールさん、商品は50個ずつ並べているようですが、間違いないですか?」
「ん? ああ。瓶以外は基本的に50個陳列しているな。売り上げと残数の確認に便利だからな。そういう風に棚は作らせた。あと、【上級治療薬】は数を作れないから元から在庫もそんなに無いはずだぞ。」
ペールは顔を赤くしながら何やら頷いている。
「わかりました。ありがとうございます。じゃあ、戻りますね。」
(気配? 誰かいる?)
当夜が振り返る。視線の先にはハービット。見えるものだけを信じるならば彼の気配であろう。何かしようとしていたのだろうか。より目を凝らす。ハービットの手が僅かに動く。何か後方に合図をしているようにも見える。
「おう、まだ何かあるのか?」
ペールの顔が二人の間に割って入る。当夜は視界が遮られると同時にその後ろにハービット以外の誰かの気配を感じとった。間違いなくハービットは何者かとやり取りをしている。誰ともわからないにもかかわらず危険性を感じない。
「いえ。後ろが賑やかだなって。」
(これが【時空の精霊】の加護にある空間認識ってやつか?)
「おう! ハー坊は酒につえーからよぉ。お前も将来は俺と張り合えるくらいの酒豪になってみせろや!」
豪快に笑いながらフラフラと千鳥足にペールが近寄ってくる。嫌な予感がする。これも【時空の精霊】の加護か。ペールが大きくバランスを崩して当夜にもたれかかってくる。老人とは言え、当夜よりも10cmは上のペールは想像以上に重たい。その上に首に腕を絡めて来る。酒そのものの匂いがペールの近づいた口から漂う。顔を逸らすわけにもいかず苦笑いを浮かべる。
「ぐぅ、アハハ...」
腰に力を入れてよろめきながら完全に体を預けてくるペールを席に戻す。そのままペールの背後に回り込んだ当夜は肩を叩きながらハービットに目を向ける。鋭く観察するように目を細めていたハービットだったが、当夜の顔の動きに合わせて緩んだ表情に変わる。そこには酒の力に高揚した男の顔があった。
「ハービットさん、二人ともあんまり悪いことしちゃ駄目ですよ。」
当夜がウインクする。ハービットの顔に苦笑が一瞬見えた気がした。
「なんだってんだ。俺がいつ悪さした?」
ペールが振り返ると同時に当夜は仕事に戻るべくその場を後にする。
「さぁな。」
「それよりよぉ、さっきの肩たたき、もっとやってくんねーか?」
ペールが肩をグルグルと回しながら去っていく当夜に声をかける。
「もう行っちまったよ。まぁ、楽しみに待つとしようや。爺さん。」
こぼしてしまったがために空いたペールの碗にハービットがお酌する。先ほどまでの発言など忘れたかのように調子よく碗を上に掲げながら受け取る。なみなみと注がれた酒に笑みを浮かべたペールは手元に運ぶ勢いのままに口に一気に注ぎ込む。アルコールの蒸気を吹き出しながらハービットのコップを見つめるとニヤリと笑う。
「生意気な~。そのコップは小さいな。ほれ、こいつを持て!ほれほれ。」
ペールがハービットのコップを奪うと鍋を放って渡す。受け取ったハービットの顔が疑問から理解、拒絶に次々と切り替わる。だが、それすらも待てないペールは酒樽の栓を抜くと一気に注ぎ込む。
「あっ! ちょっと! 待てって。おい! 多い、多いって。それは酒用じゃな...、ウギャー!!」
顔を鍋に突っ込みながら暴れるハービットの声にならない怒号が遠くに聞こえる。
(何も聞こえない、何も聞こえな~い。さぁ、思いついたとおりやってみようじゃないか。)




