世界樹の崩壊がもたらすもの 3
世界樹の消失の余波から態勢を取り戻した合同戦線だったが、次に始まった戦争は数の暴力だった。人ほどもある大型の蠍型や蜘蛛型の魔物が無数に世界樹の空けた穴から湧き出してきたのだ。魔物の波が戦士の壁にぶつかる。
「何としても止めろ、止めろっ」
「お、おいっ、大丈夫か、あんた?」
「がぁあああああっ」
「う゛ぐぅ!?
…な、ぜ?」
混戦一体の場で突如頭を抱えて苦しみ出す味方。魔物との攻防の中であっても仲間を案じた彼はあろうことかその味方に背中から貫かれる。味方だった者は今や禍々しい姿を取る魔人と変わっていた。そんな光景が至る所で広がる。
それは世界樹の抜けた穴を中心に波紋のように広がった瘴気が引き起こしたものだった。
「隊長、前線をこれ以上維持できません!」
外からも内からも責め立てられては歴戦の戦士であってもどうにもならない。戦線はあっけなく食い破られる。その背後には民間人を含む補給部隊、そして重要人物が集う本陣がある。
「くそ、民間人は下がらせろっ、冒険者に護衛させろ!
伝令、国王陛下に直ちに城に戻るように伝えよ!
全体、一体でも多く倒せっ、お前たちの後ろには守るべき者たちがいる。何のために騎士になったかを思い出せ!」
一人の部隊長が叫ぶ。周囲の兵たちの士気が上がる。それでも数の差、消耗の差は覆せない。
「そんな格好つけている場合か!」
ウォレスが部隊長の肩を小突く。その顔は清々しい笑顔だったが、すでに覚悟を決めたというようなものだった。
「ウォレス殿!?」
ウォレスの背後にはまだ年若い冒険者が数名控えている。彼らもまたウォレスと同じ面持ちだった。
「ラット、セリエール、レナ、グレッグ、ラーナそれにオード、すまないがお前たちはここを死守してくれ。言葉通り命の保障はできない。退くなら今だぞ。」
「まぁ、仕方ないっすね。」
「死ぬ気はないけど任された。」
「当然です。」
「任せてください。」
「私たちは誰一人欠けませんよ。」
「か、覚悟はできてる!」
「お前ら、冒険者がこんなに体張ってんだ。騎士団が負けるんじゃねーぞっ」
騎士団の兵士たちが雄たけびと共に剣を掲げて応える。
「わしらとてまだまだ戦えるわ!」
火酒を煽りながらドワーフが斧を振るう。蠍の体が真二つに裂かれて宙を舞う。
戦線は再び膠着する。
戦士たちの武器は損壊し、鎧はところどころに砕けている。それでも伏した仲間の武器を拾い、防具を重ね戦い続ける。シスターや神父は己を癒すのも忘れて仲間を癒す。
「大丈夫か、みんな!」
グレッグが魔人の攻撃にカウンターを合わせてなぎ倒して声をかける。だが、自慢の大盾も上半分は欠け、彼自身も肩にひどい裂傷を負い多くの血を流している。
「レナはもう下がらせろ。マナ切れなら居ても足手纏いだ!」
ウォレスが止めを差した蜘蛛から剣を引き抜く。その剣も騎士団のもので自身の愛用する武器はすでに失われている。
「まだ、戦え、ますっ」
(もう、足手纏いになんてならない!)
息を乱しながらレナは先端の砕けた杖を構える。先ほどは偶然にも蜘蛛の頭部を叩き、気を逸らせてアシストできたがそれも単なるまぐれだ。
「ラーナ、回復魔法はあとどれくらい使える?」
セリエールが蠍の頭を焼き払いながら問う。
「まともなのはあと一回かも。」
ラーナの握る杖は震えている。正直に言えば誰もが手当を受けなければならないほどに消耗している。
「なら、グレッグの腕を治して。その後は、彼の後ろで瞑想してマナを回復。」
騎士の小さくはない盾を二枚拾い集めて自身の盾の上半分を応急修理するグレッグを指名する。一番治療を受けなければならないセリエールが言えば誰も異論は生じない。
「わかった。」
「すまない。」
戦いは魔物の数も減り、戦士たちの犠牲により勝利が近づきつつあるように思えた。その時、セリエールが違和感に頭上を見上げる。
「…空が暗い?」
闇が迫ってきた。それは【悪意の紫甲】の腹だった。世界樹の穴から飛び出してその勢いのままに戦線に文字通り降ってきたのだ。
「ぐぁあああぁぁぁ!?」
騎士たちが魔物ともどもつぶれされる。
満身創痍の戦士たちはそれでも武器を振り上げる。そんな彼らを嘲笑うように鋏を振るう。それだけで騎士も冒険者も吹き飛ばされる。
「こ、これ以上は…こんなところで、」
セリエールもそんな一人となった。愛用の鎧は砕け、体の至るところにひどい怪我を負っていた。どうにか震える片腕で上半身を起こそうとする。遠くでラーナが何かを叫んでいる。
「セリーーーっ」
「…あ゛くっ!?」
腹部に焼けるような鋭い痛み、先ほどまであった全身の疲労感も痛みもすべて優しさのように思えるほど致命的な痛み、それは蠍型の魔物の針が貫いたものだった。魔物が尾を振るう。小柄なセリエールは数メートル飛ばされて転がる。
(治癒薬も、毒消しも、ない。ごめん、みんな…)
「セリエールさんっ」
レナがセリエールに駆け寄ろうと走り出す。その動きを【悪意の紫甲】の眼が見逃さなかった。
「馬鹿野郎っ」
ウォレスがレナと【悪意の紫甲】の間に割って入る。
「…ひっ!?」
ウォレスに突き飛ばされたレナは振り向きざまにみる。巨大な鋏が彼女の頭上を轟音を立てて通り過ぎ、ウォレスが遠く宙を舞う光景を。
「ここ、までか…」
ウォレスの体を中心に赤い水たまりが拡がっていく。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「隊にどれほどの被害が出ておる?」
「国王陛下!?
み、皆様まで!?」
クラレスレシア国王を筆頭に王国の重鎮が情報収集部隊の天幕に集まる。
「申し訳ございません。集計が間に合いません。ただ、見立てでは少なくとも3割は戦線に立つことは不可能でしょう。特に【深き森人】は壊滅的な状況です。」
「どういうことだ?」
「皆、魔人化してしまったのです。おそらくですが、我が兵でも魔人化したものは【深き森人】の血が濃い者たちだったようです。」
「世界樹は消えたが支配力が強まったということか。」
「おそらくは…」
「ともあれ、こうなっては大元をどうにかしてもらうまで耐えるしかないでしょうな。」
ギルドマスターのギルスが左足を引きずりながら姿を現す。
「ギルドマスター、ご無事でしたか。」
「ああ、何人かはあきらめざるを得なかった…第1戦級でもなければあの場は荷が重すぎる。ワシとてこの通りだ。【悪意の紫甲】がそこら中に湧いて出おった。」
ギルスは戦場をヘーゼルに任せて状況の確認に戻る。冒険者のうち、戦場に立っているのはまさに百戦錬磨の第1戦級の者たちだけだ。それでも戦線の後退が進んでいる。
「ワシらドワーフもそう長くはもたんぞ。」
ドワーフの王、ダイタル・キュクロープは全身の鎧に深い損壊を受けながらも無傷で現れた。だが、その娘や従者は息も絶え絶えだった。戦線はもちろん後方で武具の整備をしているドワーフにもしわ寄せは強まっていた。
「法国もかなり苦しい状況です。何よりアリスネル、いえ世界樹の本体と対峙できる戦力をこちらに回してどうにかなっているわけですから。」
リコリスはハービットらに守られてどうにか本陣にたどり着いた。彼女たちはライラたちに促される形で全体指揮に戻された。彼女はその道中で戦況を癒し手の視点で見てきた。法国の兵たちは元より治癒技能に長けた人材だったことから直接の戦闘は苦手としていた。そんな彼らは守られながら前衛を支えていたが、それが保証されなくなった瞬間から大きく後退が進んだ。
「そ、そうだ。そちらはどうなっておるのだ?」
「今はゴルディロア殿とライラ殿、ワゾル殿、アンアメス殿さらには精霊様方が対処しておられます。それに魔人も三体が味方しております。ただ、戦況は…」
「誰か強い者を助力に回すすべきか。」
騎士団長の中には支援部隊の護衛についてもらっている者もいる。彼らとて忸怩たる思いで戦況を見ているだろう。
「いえ、ただの足手まといにしかなりませんよ。」
全身ボロボロの防具を脱ぎ捨ててライナーが入り口の柱で体を支えながら言い捨てる。彼らはリコリスの護衛をこなしながら彼女と共に戦線を立て直してきた。一度は崩れかけた戦場を立て直すほどの実力を持っている彼から見ても次元の異なる戦場があった。
「おお、ハービット殿。」
「本当に世界10指の方々の実力はすさまじいものです。あの場に立てるのは本当に同格の者だけ。」
「それほどとは…トーヤ殿は?」
「【時空の精霊】様のことをおっしゃっているのでしたら異世界人のトーヤ君の説得に当たっているのではないかと。」
「滅びの魔法は約束通りお止めいただけたのだな。とすれば問題はやはり世界樹本体のほうか。」




