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世界を渡る石  作者: 非常口
第8章 幕間
308/325

繋がる世界 1

『彼女は助かったんだね。』


 表情の読めないキュエルの平坦な声。


「そうなるね。未だに信じられないけど。」


 当夜は未だにテリスールの去った先を見つめていた。


『だけど、これが君の望んだ未来の形でもあるわけだ。』


 キュエルが当夜の隣に立つ。


「そうだね。しかも、思わぬ形でこの世界を救う術も手に入った。」


『どういうことだい?』


「想いの形だよ。」


『はい?』


 あまりに抽象的な答えにキュエルは当夜の顔を怪訝そうに窺う。


「いや、おかしいじゃないか。負の感情ばかりが見えているのに正の感情は影も形も残っていない。」


『それはそうだね。』


「でも、その認識から誤っていた。正の感情がマナと結合した姿を僕らはよく知っていたんだ。」


『それがあの指輪かい?』


 人差指を回して輪を描く。


「確かにあれも強い想いが込められていたよ。でも、この世界に蓄積された正の感情からみたらごくわずかだ。もちろん切り札になることは間違いないけどね。」


『それなら一体?』


 キュエルが当夜を見やる。その視線を受けた当夜がキュエルに向き直る。


「精霊だよ。自然現象への畏敬や感謝、もっと直接的に言えば正の感情そのものに対する精霊さえいる。」


『まぁ、そうなるよね。だけど、敵対する精霊もいたじゃないか。』


 キュエルが同意する。むしろ、この辺りはキュエルにとって予期されたことなのか大した驚きはない。


「それは僕たちとディートゲルムの間での話だよ。それに、封じられた彼の影響は限りなく少ない。どちらかと言えばフレイアの影響だろうね。それに結局は人々の想いが精霊の核となった個人の自我を凌駕してしまった。」


 自然現象を司る精霊たちは現在、【根源の精霊】の統括の下にある。彼らも元は個の自我を有していたが、今では人々の求めに応じて魔法を与える存在になっている。性格も元の人物のそれではなく、人々のイメージが形となっている。


『それなら僕らは?』


 キュエルの質問は先のことを考えるともっともであるが、時間による恩恵は人々にとって目に見えるものではなくイメージすらできなかったことで説明できる。いわゆる上位の精霊たちがそれだ。


「人々にとって超常的あるいは抽象的過ぎてイメージがつけづらいんだろうね。だから個の自我が存続できるんだよ。」


『そうか。』

(それで姉さんはもう…)


 キュエルは天を仰ぐ。その先に宿る姉の姿を思い浮かべて。そんな姿に浮かれていた当夜はようやく気付く。


「浮かない表情だね。どうしてここに?」


 キュエルの纏う空気が急速に冷え込む。


『…姉さんがいなくなった。』


「え?」


 過去へ飛ばされる前に聞いた声がふとよみがえる。首筋を冷たい汗が伝った気がした。


『肉体が消えたうえに姉さんの存在を感じられないんだ。それに時の能力が僕に託された。これって、そういうこと、なのかな…』


 キュエルの消え入りそうな声。だが、どこか確信を得ているかのような響きだった。


「い、いや、そんなのおかしいって。彼女の肉体は完全に時間停止していたはずだ。」


 彼女の肉体は時間も空間も切り離された完全な停止状態にあった。傷ついた肉体は【癒しの精霊】によって修復され、あとは彼女の精神を取り戻すだけだった。


『ごめん。責めているわけじゃないんだ。姉さんは君の世界との間の門にされていたんだ。そこで負の感情を一身に受け止めていただろうことはわかっていた。その結果なんだよ。姉さんは【時の精霊】ではなくなった。ただでさえ弱まっていたその能力が完全になくなれば古びた肉体なんて塵に化すさ。姉さんのことだからこうなることも承知の上でのことだろうから気にしなくていい。』


 キュエルは当夜が至った結論にすでに至っていた。だが、それを認めたくなかった。姉が人々、ただし彼女の場合は異世界の人々、その負の感情によって自我を失っていくことを。だが、その時は来てしまった。残された意識で全てを彼に託して。


「そんな…」

(あの時の声はやっぱり、テリス、君だったんだ。)


 当夜はついにあの日の真実に至った。


『だけどね。僕はそう割り切れなかった。君は姉さんを救ってくれるって約束してくれていたしね。』


「君の言う通りだ。すまない、キュエル。」


 当夜が深々と腰を折る。


『謝らなくていいよ。さっきも言ったけど責めているわけじゃないんだ。だって、この結末は僕が導いてしまったんだから。』


 キュエルの苦笑する雰囲気。それは明らかに自らに向けられていた。


「どういうことだい?」


 当夜が上目遣いにキュエルを見上げる。


『僕は、君とテリスールのやり取りに干渉してしまった。君が彼女を癒すことを邪魔した。彼女の肉体が失われればその精神を姉さんの肉体維持の媒体として使えると思ってしまった。踏みとどまれなかったんだ。』


「キュエル…」

(あの時、テリスの瘴気を癒せなかったのはそう言うことだったのか。)


 当夜はテリスールの母親の形見に残された力が作用したとばかりに思っていたのだがどうやら事実は違っていたようだ。そう、事実は姉の存続を優先したキュエルがテリスールと当夜の間の空間的接触を拒絶させた結果だった。

 仮にキュエルが手を出さなければ当夜が更なる策を労さず、テリスールも考えを変えることは無かった。真に当夜の至った世界線に乗ることになっていた。


『結果は見ての通りさ。すべては僕のせいだ。』


「いや、君のお姉さんの件は僕の見落としでもある。君だけのせいじゃない!」


 当夜は改めて自身の起こした改変の重みに気づくことになった。


『ありがとう。だけど、僕は君をこの希望に満ちた世界に残してあげることはできない。』


 キュエルは先の言葉のとおりに当夜を責めるつもりは無かった。もちろん、当夜が望むのであればこの世界を存続させることも許していただろう。もしも、彼に新たな力がゆだねられていなければ。


「キュエル?」


『姉さんを選んでしまった僕は、世界よりも独り善がりな願いを選んだ君を、姉さんに託されたとおりに送り返す。』


 厳しい言葉をあえて使う。


「いや、そんなことをしなくても僕自身はこのまま残るつもりは無いよ。」


 テリスールを救える未来は手放しがたいものだが、キュエルとの約束を裏切ってまで得るべき未来でないことは今の当夜には理解できる。


『なら、どうして今もここに残っているんだい?』


「それはこの世界の行く末が気になったから…だけど、君たちのことを思えば不適切だったのかもしれない。」


 当夜は空を見上げる。


『それはどうでもいいんだ。やっぱり君に時を知る力は託されなかったんだね。なら、試してみると良いよ、君の戻りたい時代に帰れるか。』


 キュエルの残念そうな声。


「そうだね。何とかして君たちもテリスも救える未来を掴んで見せる。すまなかった、キュエル。今度こそ約束を守るよ。」


『…』


「【時空転移】…あれ?」


 当夜の求めに時空魔法は発動しない。これまでに幾度も発動させてきたそれは言葉を発するのと同じくらいに意識なく行えてきたそれができない。恐ろしさに息が詰まる。


『そう、君にその力は無くなったんだよ。君の信念はテリスールを救えなかったという過去への悔恨とそれを成せるかもしれないという未来への希望。それが君を【時空の大精霊】として定義させていた。それが叶った時、君の資格は失わたんだよ。』


「そんな…」


 当夜が崩れ落ちる。


『でも、安心しなよ。さっきも言ったじゃないか。僕が君を送り返すって。姉さんを救えなかった僕が姉さんを救えるかもしれない時間軸に君を戻す。願いの叶った僕の力が叶わなかった君に戻る。それですべては元通り。この世界線に君は戻る意味もなくなる。』


「そうか。結局テリスを救う未来は選べなかったわけか。」


 地面に拳を叩きつける当夜。


『それにこの世界の当夜君は二度と元の世界には戻れない。何しろ、門を失ったからね。』


「それはっ」


 ハッと顔を上げる当夜。


『そう。仮に君が本来の肉体に戻ったとしてもこちらの世界に骨を埋めることになるね。それもまた君の目指す先では無いはずだよ。』


「くっ」


『さぁ、あまり時間も無い。この世界への未練も糧として、元の世界に戻るんだ。【時空転移】』


 当夜を見慣れた渦が包み込みキュエルが送り出せる可能な限りの過去に戻す。


『すまない、トーヤ。君にこの世界の行く末は見せられない。君の希望を曇らせるわけにはいかないんだ。』


 当夜のいなくなった場所に投げるキュエルの声は寂し気だった。


『そして、当夜君。この世界に関係の無い君をこちらに閉じこめるなんてわけにはいかない。だから、【空間の精霊】の存在すべてをかけて君を戻す門になろう。あの未来だけはどうにか回避して見せる。』


 姉の囚われていた空を見上げるキュエルは手を固く握る。時間の止まっていた空間に残されていた滅びかけた己の肉体にキュエルは再び宿る。


『キュエル。』


 その目線の先から響く優しい声。


『姉さん、もう来てしまったんだね。』


 悲し気な表情で両手を手に挙げる。


『キュエル、私の希望。』


 キュエルの手に彼女の手が届く間際、取るべき手が引き戻される。その手は自らの胸を貫いていた。


『ごめんね、姉さん。姉さんの希望は叶えられないよ。あとは頼む、トーヤ。』


溢れ出す血を口から吐きながらキュエルは完全に絶命する。その最後の瞬きはこの世界に残されるはずだった当夜を強制的に帰還させるただ一度だけの門となって役目を果たすと静かに消えたのだった。

患者さんが増えるとほんとに忙しかった...

もうしばらくスローペースになりそうです。

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