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世界を渡る石  作者: 非常口
第1章 渡界1周目
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二日目の朝

 翌朝。街並みが朝日に照らされて、街の中心に座す城の頂上の屋根にそびえるハヤブサ似の鳥の黄金像がまばゆく煌めくとこの国の朝が始まる。

 城壁を越えて降り注ぐ日の光がクラレスの中央通りの一角にある日時計の【水の精霊】を意味する紋様を指し示す。同時に第1の鐘(1鐘)の音が街中に響き渡る。

 この鐘の音は、この国のどこにいても届くように20人いる鐘撞師とよばれる者達によって統制されている。時刻だけでなく、非常時の警鐘やイベントの開催等に合わせて音の数や音域を使い分けている。この鐘撞師であるが、音を遠くに飛ばすためにより強く【風の精霊】の加護を受けた人材が登用されている。それは【風の精霊】に愛された風の申し子であることを意味しており、結構な名誉職であるとされる。

 今はまさに一鐘の時である。この国に壮大な鐘の音が一つ響き渡った。なお、一鐘の時刻は地球でいうところの7時くらいであろうか。


「ふぁあ。朝か。昨日は何だかいろいろあったな。一日で。」


 昨夜は目がさえて結局眠ることはできなかった。欠伸こそしているが、眠気は無い。徹夜明けの妙なテンションのせいだろうか。いや、きっと異世界に来たことで興奮してしまったせいなのだろう。ソファに体を預けながらひたすらマナを操作する練習をしていた。その甲斐あってか米粒ほどのマナの粒を見ることができた。淡く蒼白く浮かぶそれは気を抜けば一瞬で霧散してしまう。だが、そんな儚さの一方でとても美しいものだった。何度も何度も作っては飛ばした。部屋はマナの小さな結晶が雪のように舞う幻想的な空間になっていた。

 ちなみにこの家はレンガ造りの二階建てで、通路は石造りである。家の中の廊下は土足での踏み込み跡が見られ、部屋に入る際だけ靴を脱いでいたようである。一階は、玄関、テーブルや椅子、食器類の入った戸棚などがある16畳部屋、台所、泉のある部屋、トイレ、開かずの倉庫、刃の潰れたいくつもの武器の飾られた土床の30畳はあろう部屋によって構成されている。二階には、ライトの個室をはじめとする8畳の個室が8部屋あるのみだった。

 現在、当夜は一階の床一面を一枚作りの絨毯で敷かれた16畳部屋を寝床としている。前の住人達はここを会議や団欒の場としていたのだが、エレールが住人の減少を契機に寝床を一階に移したためにベッドがこちらにあったためである。もちろん最初に当夜が寝かされていたのもここである。どうしてベットを使わなかったのか、それは当夜がエレールのベットだろうと推測して遠慮したからだ。

 ソファから立ち上がった当夜は泉部屋に顔を洗いに移動する。渡り廊下に出たところで昨夜聞いた女性の声が響く。


「おはようございます。トーヤさん、起きていますか?」


「は~い。今、鍵を開けます。ちょっとお待ちください。」


 当夜が玄関のカギを開け扉を開けるとメイド服に身を包んだライラがバスケットを手に微笑んで待っていた。


「おはようございます。ライラさん。すみません。まだ、食事の準備も整っていないのですよ。しまったなぁ。やっぱり食材を買い込んでおくべきだったな。ちょっと待っててください。買い物してきますから。」


 扉に片手をかけてかかとを踏み潰した靴をきちんと履き直すと当夜は市場に向かおうとする。


「いえ。それには及びませんよ。私がする仕事ですから。それにまだ朝市も始まっていないですし。出勤の挨拶と買い物に行く前にトーヤさんのリクエストとか好みを聞いておきたいと思いまして。」


 ライラが玄関を塞ぐように陣取っていたので当夜はそれ以上の恥をかかずに済んだ。


「へぇ、そこまでしてくれるんですか。助かります。一応、今朝は一般家庭の食事くらいを目安でお願いします。ただまぁ、黒パンは初めて食べたのですが、かなり固かったですね。あれは結構きついな。ハハッ」


 当夜は昨夜の夕食を思い出しながら苦笑いを浮かべる。


「黒パンを? ウフフ。それは大変でしたね。えっと、一般家庭レベルですか? う~ん。貴族様には結構きついと思いますよ。黒パンも主食ですし。」


 ライラが砂利を噛んだような触感に驚く当夜の顔を思い浮かべたのか愉しそうに笑ったが口元をすぐさま隠して笑いを抑える。当夜は恥ずかしそうに頭を掻く。


「僕は外から来た身ですので、この街ではどのような食事生活か興味があるんですよ。黒パンもそのままでお願いします。」


「わかりました。ではクラレス料理でおもてなしいたしますね。それと黒パンの正しい食べ方も。」


「黒パンの正しい食べ方? そんなのあるの!?

 っと。いや、何でもないですよ! そんな可哀想な子供を見つめるような目で見ないでくださいっ

 ああ、もう! 先にお金を渡しておきますね。いくら必要ですか?」


「はい? ん~。トーヤさん、注意しておきますが、お金はものをきちんと確認してから支払うのが常識ですよ。そんなことではいつか騙されてしまいますよ。お母さんは心配です。」


 ライラは両手を右頬に当てて可愛らしく顔を傾ける。当夜以上の童顔も重なって高校生くらいに見える。これで32歳の人妻なのだからある意味不気味だ。


「お母さんって年でもないでしょうに。ご忠告ありがとうございます。以後気を付けます。」

(そもそも今時そんな仕草をする女性はいないんじゃないかなぁ。ああ、そうか。ここは日本じゃなかった。)


「もう! 相変わらずお世辞がうまいんだから。それでは行ってきますね。」


「ええ。よろしくお願いします。」


 ライラを見送って顔を洗いに泉のある部屋に入る。おそらく、この泉部屋が上水道から風呂、洗濯などの水回りを行う場所なのだろう。台所も水が無いので桶に注いで運ばなければならない。まぁ、それほどの距離があるわけではないが。泉部屋の壁は七宝焼きのような色鮮やかで艶のあるタイルを張り合わせて美しい草花や動物たちが画かれている。まさに森の奥深く、童話に見られるような泉のようだ。床には30cm四方の目の細かい凝灰岩の敷石が敷き詰められている。敷石と敷石の間には溝があり、わずかに傾いた床の排水機構を担っているようだ。それらの水が集まる先には排水溝とみられる穴があり、隣のトイレに排水が流れる仕組みのようである。泉は常に水が流れ続けており、一見すると大変綺麗である。しかし、蛍光顕微鏡も無いので病原菌がいるかどうかはさすがにわからない。ただまぁ、昨日も水を飲んでいるが直ちにお腹を壊すことが無かったことを思うと大丈夫であると信じたい。


 ライラが買い物に出かけてから30分くらい経っただろうか。身支度を整えて大部屋の乱れを直しながらふと気になることに気づいた。


(そういえば時計を付けていたんだっけ。動いているのかな?)


 腕をまくってみると時計の針は動くことなく、この世界では機能を失しているようだった。


「はぁ、ですよねー。」


 特段期待していなかったがそれはそれで落胆はする。当夜が気になっていることは戻れたとして果たして機能は復帰してくれるのだろうかということだ。


「ただいま~。おなかが減っちゃってるよね? 今から作るからちょっと待ってて。」


 一応とばかりにねじを回したり、振ってみたりと試していると玄関がノックされる。同時にライラの明るい声が響く。やけにフレンドリーな言葉遣いになっているがむしろありがたい。玄関に出迎えに行くが、渡り廊下にたどり着いたときにはライラはすぐ目の前まで来ていた。


「お願いします。まだかかるってことですね。」


「そうね。たぶん四半鐘もかからないわよ。寛いで待ってて。」


 間取りも知らないはずの彼女が迷うこと無く台所に向かっていく。きっと魔法か何かでわかるんだろうと当夜は勝手に解釈する。台所に一緒について行こうとしたところでライラに制される。寛いでということからも大部屋で待っていろということだろう。


「あっ、ください。」


 言葉遣いの変化に気づいたのかライラが開いた扉越しに顔を出して照れ笑いを浮かべる。顔をこちらに出しながらも何やら作業を進めている音が聞こえる。器用な人だ。


「あ、そう言う砕けた感じでいいですよ。今くらいの方が話しやすいですし。」


「えっ、良いの? じゃあ、トーヤ君も畏まって話さないでほしいな。雇い主さんにそう言う態度とられちゃうと私もフランクにしづらいじゃない。ほら、お母さんに話すような感じでいいから。

 ———ね?」


 調理に専念したはずのライラが再び顔だけ出すとウインクする。そんな彼女に当夜は本当に自身よりも年上の人なのかと疑問を抱く。


(だから、お母さんって年に見えないんだよ。ほんとに。

 お母さんか、そういや一人暮らしも長かったし、最近、連絡入れてないけど心配してくれているかな。ここに一か月もいたらさすがに不審がられるんじゃないかな。ひょっとして行方不明者として捜索されていたりして。やばいな~。)


 ちょっとしんみり考え事をしていると、いつの間に近くに来ていたのかライラはトーヤを前から抱きしめた。


「トーヤ君。貴方にご両親がいないことは聞いているわ。だから、私をお母さんだと思って甘えてくれていいの。そんな悲しい顔をしないで。悲しいときは泣いていいんだからね。」


「えっ。いや、そういうわけじゃなくて。」


 ライラの胸に顔を押しこまれた当夜は逃げ出そうともがくが予想以上に力強い彼女の抱擁にカウント10を取られる。


「すんすん。んん? なんか匂うわね。」


(まさか加齢臭? そういえばもう30歳近いんだよな。

 いや、これは、焦げ臭い!)

「なんか焦げてる!」


 胸の中で叫んだのでおそらくくぐもった声になっていただろうがライラにも十分伝わったようだ。


「あっ! まずっ!!」


 慌てて炊事場に戻るライラ。泉から水をとりに行く当夜。二人の最初の一日は焦げた朝食から始まる。


「...。」


「...。」


「いやまぁ、おかげさまで暗い雰囲気が吹っ飛びましたね。目もばっちり覚めましたよ。ハハッ。」


「...申し訳ありません。作り直させていただきます。」


 何度目の謝罪であろうか。そこまで当夜は気にしていないのだが、ライラにとってはギルドに契約を確認されている以上、このことはギルドに報告されて解雇、最悪弁償とともに不名誉な烙印を押されてしまい、今後の生活に大きな支障を来すこと間違いない失態なのだ。まして、家政婦を雇うなど王侯貴族、一部の有力な商人ぐらいなものである。そのうえ、いくら当夜が大人びいて見えるといっても子供にしか見えない。分別のつかない子供では気分一つでどのような形に収まるかわかったものではないと不安を感じているに違いない。

 当夜としては料理がもったいないし、焦げた部分を除けば食べられそうだったので良しとしただけなのだが、それは客観的に見れば自身の失敗をテーブルの上に広げられて責められているような感覚に相違ない。そんなこととは露知らず、当夜は焦げた部分を外しながらケッテスのすりものと白身魚の炒め物を口に運ぶ。あまり味の無いケッテスがすりものとなったことでお麩のようなものとなり、多少焦げ臭いものの塩味と白身魚のアミノ酸を吸って確かな旨みとなって当夜の口に広がった。


「ライラさん、ちょっと焦げちゃっているけど美味しいよ。こんなの滅多にないことなんだから気にしない、気にしない。せっかくの食事なんだから楽しく食べましょうよ。」


「ありがとうございます...」

(出だしがコレじゃあ...

 ちょっと浮かれすぎたわ。)


 スープは塩と小エビで出汁をとった下地に、刻んだコーヌ茸とポルテスを入れたものであった。黒パンは3等分されたものの一つが置いてあった。黒パンをそのまま口に運ぼうとするとライラはおずおずと声をかけてきた。


「黒パンはスープに浸して食べると柔らかくなります。」


「へぇー。そっか。ありがとうございます。

 でも、ライラさん。そんなふうに変に畏まられても僕も困ります。料理の1回や2回失敗したからって何ですか。全然気にしてないのですから、いつものライラさんらしくしてください。

 それと食事は一人で食べても寂しいですし、二人一緒に食べましょう。何でしたら旦那さんもお呼びしていただいて構いませんよ。」


「は、はい! じゃあ、お言葉に甘えて。でも、主人は猟に入っているので大丈夫です。あの人は料理もできますから。」


 当夜の提案にようやく顔を上げて笑みを浮かべたライラは目に涙を浮かべていた。まだまだ本調子ではなさそうだ。ちょっとウイットに富んだ冗談でも加えたいところだ。


「ってことは普段からご主人がご飯を作られていたのですか?」


「ちっ、違いますよ! 私が作っていますよ。普段はこうじゃなくて...って、もう!」


 ちょっとからかい過ぎたようだ。顔にいたずら成功とでも書いてあったのかライラは顔を真っ赤にして下を向いてしまった。


「わかっていますよ。次の食事も期待しています。私は一日ギルドで確認したいこととかありますので帰りは遅くなると思います。9鐘までには帰ると思いますが家の管理をお願いします。」


「わかったわ。晩御飯は期待してなさい。」


 ライラが指先を突きつけて当夜の鼻を小突く。果たして雇われ主に向けてその態度は良いのだろうかと思うものの彼女なりの照れ隠しなのだろう。悪い気もしないので思わず笑みがこぼれる。スープで黒パンをふやかしながら食べ終わると、当夜はライラに家を任せてギルドに向かうことにした。


(黒パンもこうして食べるとジャリジャリ感が薄らぐな。)

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