親娘 1
「こんにちは。テリスールさん。」
このところ私の所属するギルドに依頼を出しに来る【深き森人】の行商人さんだ。この辺りを拠点にしているのだろう。
「あら、また来てくれたのですね。今日もご依頼ですか。いつものようにトーヤ君を指名でよろしいでしょうか?」
まだ馴染みの依頼主と比べれば上客とまでは言えない人物だが、私はその人達に向けるものと同等の笑顔を向ける。顔立ちがすごく良くて紳士的な振る舞いが好ましいからという言い訳は同僚の誰からも賛同が得られる。けれど何よりお気に入りの冒険者を指名してくれることに好感が持てる。そして、その彼に似ているのだ、雰囲気が。
最初のお客さんから当たり。今日は良い一日になりそうだ。前日のライバルとの主導権争いに勝利し、先手を取って告白もした。後は今夜のトーヤの答えを待つばかり。不安はある。アリスネルは強敵だし、何よりトーヤは鈍いし、彼の中ではどこか別の不安を抱えているようにも見えた。それでも、うまく行こうが行くまいが後悔はない。向き合って答えを貰えれば満足できる。
「ええ。今日もお願いしたいことがあるのですが。ただ、そのまぁ、今日はテリスールさんにお願いがありまして。」
普段は私を見るとどこか寂し気に憂いを浮かべているように感じていた行商人が意を決したように声をかけてきた。
「私に?」
少しドギマギする。件の彼に似た人からの告白の前触れのような雰囲気。
「はい。本日は私と一日ご一緒いただきたいのです。」
来た。よくあること。ギルドの規定に則って粛々とお断りをするだけこのこと。ただ、私の心はなぜかそれを拒んでいる。意中の人物がいるというのにどうしたものか。それでも。
「ふふ。いくらお得意さんでもそういうお誘いは駄目ですよ。それに今日は大事な予定があるんです。」
トーヤのことを思い浮かべて断る。声に出してしまえば何のことはない。ただ、余計な説明までしてしまったと思わず苦笑する。
「その人との出会いに後悔はありませんか?」
言葉だけ取ればあまりに失礼であるが不愉快に感じることはなかった。その不安げな表情を見たからかもしれない。彼は本気で心配してくれているのだろう。
「はい。貴方も優良物件ですけど彼はもっと良い人ですから。」
安心させるべく満面の笑顔で応える。彼もその表情に柔らかな笑みが浮かぶ。それと同時に小さく唇を動かす。何を言ったか聞き取れなかったけれどけして悪口では無かったと思えた。
「これは手厳しい。では、せめてこちらの品だけでも。」
取り出したものは一対の木彫りの指輪。商人にしては、貢物にしては、大したものには思えない品だった。それでもどうしても価値の無いものには思えない存在感を漂わせている気がした。
「そういったものも受け取ることはできない規定でして。」
そっと押し戻す。
「そうですか。ですが、こちらは貴女に縁のあるものです。なぜなら、貴女のお父上からお預かりしたものです。娘さんに渡すように託されたのですよ。」
行商人が私の手を指輪に重ねるように導く。手のひらの下でそれは温かく存在を主張する。まるで持ち主の手が重なっているかのように感じた。
「お、父さん、から?」
思わず声が詰まった。いろんな感情が渦巻く。気づいたら頬を涙が伝っていた。
「ええ。」
行商人が布を差し出す。その申し出を断る。
「っ…ふぅ。それはありえません。だって、」
自身の布で涙を拭うと声を絞り出す。私を捨てた人がこんな優しい物を残せるとは思えない。父は魔人だ。この行商人は私とは別の家族のものを勘違いして手渡そうとしている。止めないといけない。渡されるべき人はちゃんといると伝えないといけない。私には存在しないものだから。
「魔人だからですか?」
行商人の口から思いがけない言葉が出る。
「ど、どうしてそのことを!?」
誰から漏れたのか。ギルドマスターや同僚たちは決して漏らすことはない。孤児院だってそうだ。トーヤはそんな人間ではない。そう信じている。だとすればこの人は本当に父を知っているのかもしれない。
ハッと周囲を見渡す。冒険者たちがすでに並んでいる時間のはずだった。聞かれてしまったかもしれない。だが、そこには驚くべき光景が広がっていた。誰一人動いていないのだ。私と行商人だけが動く世界。否、私と彼だけを残して時が止まっているのだ。
「魔人とは何か、貴女は何者なのか、知りたくないですか?」
無機質な問いかけ。それは神のお告げか悪魔の囁きか。私にはわからない。でも、答えは決まってしまった。
「…知りたい。」
震える声で呟く。
「テリス、そう、君には知っていてほしい。」
「貴方は一体?」
関係の深い人たちからは聞き慣れた渾名、それをこの行商人は慣れた風に声にする。呼ばれた私は問わずにはいられなかった。
「私は、テリスのお父上、ターペレットの親友です。それでは一先ずあちらの席に。」
行商人は人々が動かなくなった酒場の一席を示す。
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「今日の調子はどうかしら?」
若い女性の声が薄暗い部屋に響く。
「おい、エメルダ。もうここには来るなと言ったはずだぞ。」
赤い瞳から鋭い視線が、怒気を含んだ声が彼女に向けられる。だが、当の本人は全く意に介する様子は見られない。
「あら、そうだったかしら。それに私からも条件を出したはずよ。私より料理が上手になったら私はお役御免だって認めてあげるって。そうでしょ、※※※?」
彼女はお玉ほどもある匙を瘴気に穢れた男に突きつける。そして、入り口で小さく笑い声を抑えていた人物に同意を求める。
「そうだったね。」
「それで、彼の腕前は?」
「君を強制転移させない時点で答えるまでもないでしょ。」
両手を挙げて参った、参ったとばかりに諦め声で答える。だが、彼女をここまで連れてきた確信犯でもあるその者はどこか楽し気だ。
「ほらね。」
「おいおい、※※※。今の危険性がわかっていないってことはないだろ!」
ターペレットが親友の裏切りに詰め寄る。窓から差し込む僅かな光がその姿をうっすらと浮かばせる。手足は黒鱗を纏い、頭には龍の角、体躯は本来の倍に達していた。誰もが怖れを抱くほどに禍々しい。
「へぇ、私のこと心配してくれているの?」
「当たり前だ。」
即答。先ほどまでと異なって極めて理知的だ。その反応にからかった側のエメルダが驚きを上げる。
「えっ?」
「そりゃそうだろうね。君のことを彼は、」
「おいっ、※※※!」
息を呑むエメルダとその先を言わすまいとするターペレット。
2人は加害者と被害者の関係だった。正気を失い、仲間を止められずに魔王を生み出したターペレット。魔王によって滅ぼされた街の生き残りであるエメルダ。両者は今の関係に至る運命から最も離れた存在だった。
正気を取り戻したターペレットの深い贖罪の意志とエメルダの生きるために敵であっても利用するしたたかさがこの関係の始まりを成立させた。
「伝えといた方が良い。後悔に染まる君を僕はもう見たくない。」
贖罪の言葉をどれほど重ねたことか。そのどれもが彼女に届かなかったことをターペレットは知っている。抑えきれない殺意を幾度も浴びせられた。それでも彼女を隣に置き続けた。
「私が役に立つなら、」
エメルダとて最初から受け入れたわけでは無かった。出された食事には手をつけられなかった。数日もすると食事は出されなくなり、飢えに耐えかねた彼女は城内をうろついた。
そして、見てしまった。ターペレットがバルコニーでその身に一身に瘴気を取り込んでいる姿を。それは世界中から悪意が彼に押し寄せているかのようだった。その姿は世界の護り手と例えるにふさわしく感じた。
次の日から彼に食事をせがむとターペレットは自ら料理して彼女に提供した。その味は悪くはなかったが、その料理は彼にとっては僅かでも一般の人にとっては有害なほどに瘴気を浴びていてとても食べられたものでは無かった。その日から彼の専属料理人を買って出たのだ。
「駄目だ。俺はもう※※※が浄化してくれなければ意識すら保てん。」
「なら、※※※が一緒にいてくれれば。」
救いを求めるようにエメルダはターペレットの親友に目を向ける。




