アリスネルの誕生 その6
「おいっ、人形! いつまでボーっとしてやがる!」
少年の箒が窓際の少女に突きつけられる。だが、向けられた少女は何の反応も反ってこない。
「そいつに何言っても無駄だって。そこは掃除しなくて良いってことだって。」
同じく箒を持ってきた別の少年が呆れたように諭す。孤児院の教室の一隅、フィルネールの定位置の掃除を巡って繰り広げられるやり取りはほぼ毎日のように繰り広げられている。感情の無いフィルネールは昼間その窓辺からどこか遠くを眺め続けている。幻想的な光景だが、掃除のノルマを課せられたお節介な少年にはただのお荷物だ。
「そうだよ。先輩って言ったって何の役にも立ってないんだから。」
別の孤児の少女が塵取りと小さな箒で集められたごみを掃きとりながらフィルネールをにらみつける。この孤児院にいる以上誰も彼もが役割を担っている。彼女だけがそれを免除されていることが気に食わないのだ。
「…」
三者の嫌味に眉ひとつ動かさないフィルネール。もはや一触即発とも言える空気の中、肩をすくめながら一人の女性が入ってくる。
「こ~ら。その子は特別なの。この孤児院があるのも彼女のおかげってお父さんも言っていたでしょ?」
孤児院の経営者である神父の娘ヘレナが優しく諭す。
「そうだけど…」
「けど実感ないしよー。」
「なぁ~。」
「不愛想だし。」
彼女とて父からすべての事情を聞いたわけではない。それでも彼女よりも年下のフィルネールは妹のようなものだ。だから彼女がその分もしっかりと働く。そうすることで生まれてしまった信頼。それを彼女を守るために使う。
「私からもお願いするわ。彼女のこと、大目に見てあげて。」
「しょ~がね~な~」
「ヘレナさんに言われたら、ねぇ。」
「お姉ちゃんは甘いんだよ。まぁ、それが良いところだけど。」
「まぁ、仕方ないね。」
掃除道具をまとめて部屋を後にする少年少女らはどこか嬉しそうに彼らの部屋に帰っていく。最近はシスターの見習いの仕事が増えて下の子たちの相手を満足にできていない。その鬱憤がフィルネールに向けられたと思うと申し訳ない気持ちになる。そして、今後はもっとひどくなる可能性すらある。ヘレナも自立という意味で近く街の教会に本格的な修行に入ることが決まっているのだ。
「ほら、フィルネール。行こう。」
「…はい。」
(…何かが足りない気がする。私が探しているものはここには無い。)
ヘレナに手を引かれて自室に連れていかれるフィルネールにいつも通りの想いが過ぎる。そんな一日が始まろうとするところでヘレナの大声が耳に響く。
「ねぇ! あれってライト様じゃないかしら!」
下向いた視線をヘレナに向けると窓の先をしきりに指さして興奮している。フィルネールはその指先を追って一人の男を捉える。
「ライト…誰?」
いつものとおり誰とも知れない他人。関心の湧かない一人の他人だった。
「ちょっと~、世情に疎いってもんじゃないよ、それ。世界を救った英雄様だよ。」
あまりの反応の薄さゆえかヘレナが苦笑しながら頬を突いてくる。
「…」
(私のこの気持ちを埋めてくれるなら英雄でも魔人でも構わない。でも、どうせ…)
拳が強く握られる。
「わっ、家に入ってきた!って、こっちに来た!」
フィルネールと比して興奮の絶頂にいるヘレナは彼女の両手をとると上下に激しく振る。フィルネールの頭までカクカク動く激しさだ。
「よぅ、お嬢さん方。」
軽薄そうな男が手を上げて近づいてくる。
「は、はいっ」
「…」
興奮が通り過ぎて固まるヘレナと無関心なフィルネール。
「おっと…君が、」
ライトがフィルネールに手を差し出す。どこか彼女のことを見て安心したようにも感じられた。
「…ライト。」
突然にして気配が生じる。そこに現れた女性はこの世のものとは思えないほどに美しい。その上でどこか懐かしさに加えて初対面にも関わらず親しみすらある。彼女はライトに寄り掛かると小声で囁く。
「道化の気配はないわ。だから今は…」
「いや、そうだった。後にするべきだな。」
ライトは前髪をかきあげる仕種をして2人に向き直る。
「―――エ、エレール様まで!?」
「ふふ、こんにちは。」
どうにか混乱から立ち直りつつあったヘレナだったがエレールに声をかけられたことで再び体をがちがちに硬直させる。
「は、はい。こんにちは!」
「…」
眼光鋭くエレールを観察するフィルネールにライトは苦笑し、会話の成り立ちそうなヘレナに声をかける。
「院長はいらっしゃるかい?」
「お父、院長なら教会に、あ、でもすぐに戻ると思います。」
声に緊張が色濃く残りながらもどうにか答えたヘレナにライトは孤児たちが留守となった一部屋を指さして申し訳なさそうに尋ねる。
「そうか。それならその部屋で待たせてもらっても良いか?」
「も、もちろんです!」
英雄の腰の低い対応にヘレナは戸惑いながらも答える。その視線の先では子供たちがどうしてよいのかわからず彼女に助けを求める視線を返してくる。
「と、とりあえず子供たちを退かせますね。」
ヘレナが孤児たちに声をかけようとしたところでライトが彼女を制する。
「大丈夫だ。俺もエレールも子供好きだから居てくれて構わないぞ。だがまぁ、懐いている君たちも残ってくれると助かるのだが。」
「そ、そうですか?」
ヘレナは頼られたことに多幸感に浸りつつもその一方で、言い知れぬ不安感に包まれる。その感情の行き場に隣の無感情の少女を選ぶ。
その選ばれた少女はツカツカとエレールの前に進み出るとこれまでに見せたことの無い表情で問う。
「貴女は何者?」
真剣なまなざしで返すエレールだが沈黙したままだ。その2人にライトも注目する。
「ちょっと、フィルネール!?」
その間に耐え切れなかったのはヘレナだった。彼女はフィルネールの腕を引っ張ることでエレールから引き離そうとする。梃子でも動きそうにないフィルネール。
「良いの。
私に興味があるの?」
エレールが優しく囁きかける。
「…わからない。ただ、懐かしい感じがする。」
フィルネールは何かを思い出そうとして思い出せないといった困り顔で答える。
「っ!?
貴女、アリスネルって名前に覚えはない?」
フィルネールの反応に大きく動いたのはエレールだった。彼女の両肩に手をかけて揺さぶる。
「アリス、ネル…わからない。」
「エレール、落ち着け。」
ヘレナが見たことも無いような不安そうな表情浮かべるフィルネール。不安定な精神状況にあると判断したライトが割って入る。
「あ、ごめんなさい。」
エレールが大きく離れる。
「その人形のこと知ってるんですか?」
「英雄様が気にかけるような奴じゃないっですよ。」
「今日はよくしゃべってるよね。」
「ねー」
子供たちが一斉に駆け寄る。彼らには事態を飲み込むことはできなくとも気になる対象がいつにない反応を見せるので興味が湧いたのだった。
「そう、なのね…」
エレールが寂し気につぶやく。
「あの…」
(やっぱり、落ち着く。なんだろう、この気持ち。)
エレールに差し出した手をぎこちなく引き戻すと胸に添える。
「君たち、ア、あの娘、確かフィルネールだったか、彼女はいつも一人なのか?怪しい仮面を被った奴が会いに来ていたりしないか?」
ライトが子供たちの目線に合わせてしゃがみ込みながら尋ねる。
「ん~ん。そんな奴が来たら院長様が許しておかないよ。」
「そうか。他に会いに来る者はいなかったか?」
「そんな人いないよ。だってあいつ気味悪いからずっと独りぼっちだもん。」
「そうか。」
(あいつめ、どういうつもりか知らんが連れて行ったなら最後までしっかり面倒見ろってんだ。こんなものまで寄越しやがって。)
舌打ちこそ免れたもののライトの表情が曇る。その手には一枚の羊皮紙が握りしめられていた。




