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世界を渡る石  作者: 非常口
第6章 過去編第1部
287/325

望まれた過去

「そう、そううまく行くわけないだろう?」

「【癒しの精霊】様を苦しめた礼だっ」


 悪辣な笑みの浮かんだ仮面をかぶった道化がフレイアの耳元で囁く。瞬間、振り向いたフレイアの背中に何かを押し込む男がいた。


「なっ、馬鹿な!?」


 何の痛覚もないことに安心しながらも反射的に剣を振りぬく。霧を裂いたかのような手ごたえの無さ。


「やぁ、やぁ、吸血鬼のお嬢さん。少しはいい夢を見られたかい。

 ああ、ああ、そうそう、彼のことはよくご存じですよね。」


 優美なお辞儀を見せた道化は隣にいる男をその手で示す。その顔はまさに先ほど当夜を巻き込んで爆発したはずの男のものだった。


「貴様たちは誰だっ

その男がなぜ生きているっ

そ、そんなはずない。確かに封印したはず。いや、そもそも貴様は本当にあの男なのっ」


 フレイアの顔が引き攣る。道化の声、姿かたちが封じたはずの男と重なる。


「なら、なら、それをあけてみたらわかるんじゃないかな?」


 道化がキューブの握られたフレイアの手を指さす。


「いえ、その口調は別人。貴様はいったい何者だっ」


 フレイアは額を拭いながら僅かな望みにかける。


「あれ、あれ。僕じゃないと言いたいのかい?」


 何も出し渋ることなく道化はその期待を覆す。外した仮面が宙を舞う。


「くっ、どういうこと?

 そ、その目っ」


 怪しくほほ笑む当夜の左目の瞳が紫色に揺らめく。


「ふふ、ふふ。残念だったね。そうだよ。君が見てきたのは幻。それでは、それでは改めて名乗らせていただこう。君を手玉に取った僕は道化、道化だよ。以後、お見知りおきを。」


 大仰な仕種でお辞儀を繰り出す道化の手には仮面に変わりシルクハットが抓まれている。その動きを止めた道化は、爆死したはずの男の肩に手を乗せてその姿を霞ませていく。


「ま、待て!」


 フレイアが慌てて制止する。


「そう、そう。伝え忘れていたよ。吸血鬼は銀に弱い。注意した方が良いよ。それは聖銀製なんだ。」


 先ほどまで何ら意味をなさなかった小さな小さな針が彼女の背中を貫く巨大な槍に変わる。もちろん物理的な変化では無い。この世界に根付いたばかりの概念が上書きされる。


「い゛や゛ぁぁぁあああっ」

(痛いっ痛いっ痛いっ)


 刺さった針先は僅か。にもかかわらず背中から胸まで貫かれたかのような痛み。フレイアは悶えながらその元を払う。触れただけで焼かれたような痛みが走り、その手には真っ赤に爛れた筋が残る。


「それと、それと知っているかい? 吸血鬼は、」


 震えながら地面に伏すフレイアを見下す道化はさらに言葉を続ける。


「やめて、やめてっ」


 その言葉を必死に遮るフレイア。彼女にも何が起きているのかがわかってしまったのだ。


「おや、おや、あの娘は根までたどり着いたようだね。」


 フレイアへの関心を上回る何かに気を取られている道化を尻目に彼女は這いずるように逃げ出す。


「まぁ、まぁ、良いでしょう。ここまで予定通りですから。さすがは、さすがは私の敬愛するお方。」


 フレイアを見逃した道化はその後を追うこと無くアリスの向かった方向に歩み出す。


「どうにか逃げ切れた…」

(私の作戦は完璧だったはず。なのに、)


 フレイアは飛び回り、無作為に着地を繰り返すと周囲を索敵する。こうしてたどり着いた神殿に飛び込む。そこは彼女の支配域であり、絶対の安全地帯である。大きく溜息をつく。


「これにあいつは本当に封じられていないの?」


 落ち着きを得たフレイアは漆黒のキューブを握りしめる。


「なら、なら試してみたらどうだい?」


 そこに聞き慣れた、聞き慣れたくない声がかかる。


「どうしてここにっ」


 フレイアが悲鳴にも似た声を上げる。


「もちろん、もちろん彼女を助けるためだよ。それにしてもひどいな、君が連れて来てくれたじゃないか。」


 道化が指さす先に件のキューブがあった。


「どういうことかしら?」


 震える声で尋ねる。


「そのゆりかごも悪くはなかったけど、そこから先に入っちゃうと出るのが大変そうだからね。」

(教会の者以外を通さない術式がかけられているとはね。これは内通者を得ないとならないか。)


 仮面を外した当夜が神殿の最奥の一部屋に指先をずらす。


「それでどうするつもりなのかしら?」


 フレイアは身の回りを探る。砂は無い。だが、泉はある。先手を取れば時空間での盾を作ることはできる。だが、こうして健在する当夜を前にするとそれが意味を成していなかったと痛感するばかりだ。


「う~ん。今は気がかりなことがあってね。戻らせてもらうよ。」


 フレイアの焦りを知ってか知らずか当夜は涼しい顔で答える。


「見逃すと思って?」


 フレイア自身は余裕を装って見せたつもりだったが当夜に鼻で笑われる。


「お互い仕切り直しが必要だろ?」


 これ以上の譲歩は無いという再度の提案。


「そう、ね。」


 どのみちフレイアにも瘴気の結界に逃げ込むよりほかに道はない。


「良い子だ。」


 微笑みかけた当夜は転移する。


「ああっ、悔しい!」

(いつになったら主様はお戻りくださるのですか。私はもう、)


 フレイアは力なく崩れると泉の縁を叩く。静かな神殿にフレイアの嗚咽が響く。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「どういうことだっ」


 森に響く当夜の怒声。森中の生き物、魔物がざわつく。その矛先が向いている2人にとってはどれほどのものか。


「わかりません、わかりません。私が戻った時にはすでに…」


 顔を逸らしたアンアメス。その視線の先には横たわる一人の女性の姿があった。


「キュエルっ」


『悪いけど、僕にもわからない。』


 表情は見えないが頬を引き攣らせている。


「だけど、僕は君に見守るように言ったはずだ。なのに、」


 詰め寄る当夜に二歩、三歩と後退りを進める。マナの消費の激しい顕現を避ける意味でもこの場を早々に後にしたいのだがそれが逆効果になることは明白だ。


『待ってくれ。僕は確かに見守っていた。だけど、彼女が自ら死を選ぶなんてわかるはずがないだろっ』


 キュエルが慌てふためきながら弁明する。


「自ら死を選ぶ?

 どういうことだよっ」


 その弁明が効果的では無かったのは火を見るよりも明らかだった。


『よくわからなかった。よくわからなかったけど、これだけは言える。彼女は自身の意志でそれを選んだ。それも何のためらいもなく唐突に。僕ですら止める間もなく。そんな気配なんかこれっぽっちも無かったのに。』


 アリスの意志。その言葉は当夜を余計に混乱させる。


「すまない。少し整理させてくれ。彼女は確かに未来に希望を持っていた。死を選ぶなんてそんな…いや、本当にアリスは死んだのか?」


 アンアメスの膝に横たわる彼女の肉体に外傷の様子は認められない。まるで寝ているかのように安らかな表情すら浮かべている。


『死んだというのは語弊があるかも。正しくは世界樹に還ったんだと思う。たぶん。』


 なぜキュエルが断言できていないのかと言えば【世界樹の眼】が世界樹に戻る際には肉体ごとマナに変換されて還る原則の中でアリスは肉体を残したままだからだ。


「世界樹に還った?」


「おそらく、おそらく【時空の精霊】様のおっしゃるとおりでしょう。アリスはこの世界の情勢を知っておりましたので最善を選んだのでしょう。」


 アンアメスの願った結果であると言えばそのはずであるのにその表情は曇ったままだ。


「そんなはずがないっ」

(アリスは、アリスは夢を語っていた。あの時の顔は真にそれを望んでいた。)


 世界と自身を天秤にかければアリスは間違いなく前者を選ぶ。だが、相談してもらえるくらいには距離を縮めていたはずだった。とはいえ、アリスならば当夜に心配をかけまいと独りで抱え込む可能性はあるが、それでも今の当夜は否定せざるを得なかった。


「あるいは、あるいは世界樹がそれを望んだのかもしれません。私たちは、私たちは【世界樹の眼】、世界樹が望むことを成す者です。世界樹が望めば個人の意思など意味を成しません。」


 アンアメスが目を細める。


「救えたはずだったのに。運命は変えられるはずだったのに。どうしてだよっ」


 当夜の拳が枯れ木を砕く。


『…トーヤ。それともう一つ悪い報せなんだ。』


 キュエルが声を震わせながらつぶやくように告げる。


「これ以上なんだって言うんだ。」


 当夜の目が鋭く走る。


『【武の精霊】、フィルネールの容態が良くない。まるで世界から拒絶されているかのようなんだ。』


 恐る恐るキュエルが言葉にする。


「ど、どういうこと!?」


 その内容に取り乱す当夜。


「アリスが、アリスが世界樹に取り込まれたと同時に【武の精霊】様の存在が揺らぎ始めたのです。これも、これも私たちにはどうすることもできなくて…」


『【根源の精霊】やファーメルの協力で確かに【武の精霊】として固定されてきていたはずだったのに。』


 キュエルの言う通りフィルネールは確かに【武の精霊】としてこの世界に固定されつつあった。むしろこれまでの中で最も安定しているかにも見えた。ところが、ここ数年それに反するようにフィルネールは意識を失う時間を増していた。


「くそっ、アンアメスさん、アリスを頼む。キュエルは僕をフィルのところに運んでくれっ」


「わかりました、わかりました。」

『わかった!』


 キュエルの転移魔法で精霊の間に飛ぶ。


「しかし、しかし、どうしてこの肉体は残ったのでしょう?」


『それに彼女のマナの動きは世界樹に向かったというより…』


 キュエルはアンアメスの問いかけに答えるわけでなくつぶやく。


「【時空の精霊】様、【時空の精霊】様、それはどういう意味でしょうか?」


 その小さな声を拾ったアンアメスがその意味を質す。


『ごめん。今は不確かなことを言うべきじゃないと思う。』

(フィルネール、君は一体何者なんだ。)


 キュエルは当夜の向かった先に待つ女性に投げかける。


「フィル!」


 当夜がフィルネールのいる空間に駆け込む。ここの所、目覚めていない場合の方が多いフィルネールであったが、この時は当夜に背を向ける形で立っていた。


『アリスを無事に救ったのですね。』


 振り返ったフィルネールはいつもの笑顔で当夜を迎え入れる。


「…すまない。僕にはできなかったよ。」


 当夜は瘴気の分解をする間を除いてアリスの生存の道を確保することに全てを注いでいた。正直、フィルネールに対して後ろめたい気持ちもあった。だが、彼女は瘴気分解の間の話し相手であること以外を望まなかった。むしろそのことは当夜の精神を救うことにつながったという意味ではただ単に当夜に尽くす日々だったようにキュエルには見えた。それほどまでに尽くしてくれた結果がこれでは当夜は顔向けできない。


『大丈夫です。救われていますよ。』


 フィルネールは当夜の頬を両手で包むと上向かせる。澄んだ瞳が迎える。


「だけどっ」


『アリスはそうなることを望んだのです。』


「変えられない運命だったってこと?」


『いいえ、変えられたくない運命だったのです。』


「だけど、彼女はこれから先にやりたいことだって、」


『大丈夫です。トウヤは優しい人ですね。』


 フィルネールがそっと抱き寄せる。


「そんなこと、それよりフィル、君は大丈夫なのか?」


 その温もりに甘えたい思いを押しとどめて当夜はフィルネールの体を離すと見渡す。これと言って不安となるものは見当たらない。だが、それは先のアリスと何か似通ったものを感じさせる。ゆえに逆に不安となる。


『大丈夫です。だからこそ、こうしてお別れの言葉を伝えられます。』


「別れなんて不吉なことを言わないでくれよ。」


 脚から崩れた当夜は懇願する。それに合わせるようにフィルネールも脚を折る。


『アリスとの別れも、この別れも、私たちが再会するために必要なのです。アリスがアリスとして生きるために変えてはいけない運命なのです。だから、また世界樹に迎えに来てください、お父様。お父様、は駄目でしたよね、トウヤ?』


 悪戯っぽく笑うフィルネールにアリスの影が浮かぶ。


「君は一体?

まさかアリスなのか。アリスが憑依して?」


 だが、そこにいる彼女にはそうとは言いきれない永い時が生んだ何かがあった。


『トウヤ、私の想いは真実です。貴方と過ごした時間、募る想いがそれを育ててくれました。誰かの想いが刷り込まれた人たちとは違います。だから気を付けてください、支配欲に溺れた人たちに、』


 静かに瞼を閉じるフィルネール。その輪郭がおぼろげに光り出す。


「どういうことなんだい、それは?」


 少しでも繋ぎ止めようと問いかける。だが、当夜にもわかっている。言うべき言葉がそれで無いことくらいには。


『待っています、大好きな当夜。』


 フィルネールは微笑みかけると当夜とは違って伝えるべき言葉を口にする。


「ま、待ってくれ、そんな、どうして…」


 困惑と後悔が入り混じる中で当夜は光の粒子と消えたフィルネールを見送る。


『…トーヤ。』


 キュエルがかける言葉を探しながら呼びかける。


「わからない。どうして、何でこんなことに…」


 うなだれる当夜。


『トーヤ、彼女たちは世界樹の中にいるよ。君から頼まれたとおりきちんと見守っていたからね。2人のマナ、いや、心は世界樹に取り込まれた。』


「世界樹。」


 キュエルの映し出す映像に世界樹が現れる。それを横目に当夜はその名をつぶやく。


『なら、何としても彼女を取り戻す。そうだろ、トーヤ』


「違う。彼女たちは自らの意志で行ったんだ。だから、迎えに行くんだ。何年かかっても。」


 当夜は立ち上がる。過去は止められなかったが、彼女たちが望んだ運命をつかみ取るために立ち上がる。

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