止められない過去 16
『ここに来ることは予想していました。』
人々の信仰が作り出した神殿の奥。ひっそり静まり返った泉の前に佇む影が入り口からやってきた人物に声をかける。
「へぇ。さすがは何でもできたお姉様。それでは私の目的も当然わかっていますよね?」
暗闇の中でも爛々と赤く輝く瞳は獲物を見定める。
『私を消しに来ましたか?』
言葉の中身に反して落ち着いた声。
「まさか。実の姉を消すような恐ろしいことなんてできませんわ。」
わざとらしく言葉を繕うフレイアは実に愉快そうである。
『…そう。なら私たちは元のような関係に戻れるということで良いのよね?』
【癒しの精霊】を形作るいくつもの精神の中から一人の女性が主張する。
「それこそまさかでしょ。利用しに来たのよ。」
上から目線に戻ったフレイアは警戒なく近づいて行く。本来ならば神官たちが慌てて止めに来ているはずだが、この場にその姿はない。彼らは今、神殿の入り口でフレイア以外の侵入者の排除という責務に従っている。その目をフレイアと同じく赤く染めて。
『利用?』
【癒しの精霊】は腰かけていた泉の縁から腰を上げる。
「そう。この抜け殻を使ってね。」
そう言うなりフレイアは一人の女性の肉体を2人の間に召喚する。
『なぜ貴女がその肉体を?』
【癒しの精霊】の中に宿る一人の人物が驚愕する。それはかつての自身の肉体である。それと同時に敵方の手に落ち、【原初の精霊】を生み出すために失われたはずのものだ。
「我らが盟主様の力をもってすればこのくらい容易いのよ。」
『まさか【時空の精霊】の力まで!?』
フレイアが使った力は明らかに空間を操作した力だった。それは当夜かキュエルが加護を与えたということになる。動揺が大きな隙を作る。
「さぁ、この体に宿りなさいっ」
その隙をフレイアは当然見逃さない。引きずられるように親和性の高い肉体に引き込まれる【癒しの精霊】。
『貴女は一体に何をするつもりなのですかっ』
「こうするのよっ」
肉体を介した召喚術が完成する。
「うっ」
覚醒するよりも早くノーラの口からくぐもった呻きと血が零れる。フレイアの剣が心臓を貫く形で背中から胸にかけて伸びる。
「さすがは【癒しの精霊】ね。せっかく痛みなく送ってあげようとしたのに。」
肩口にかけて斬り上げたフレイアは感心しながら致命傷すら癒してしまう人の姿となった【癒しの精霊】を見下す。
「たとえこの身が再び朽ちたとしても再び精霊化するだけでは無いですか。なぜこのようなことを?」
【癒しの精霊】にはフレイアの意図が読めない。だが、単なる嫌がらせとも思えない。嫌な予感がぬぐえない。
「それが狙いなのよっ」
フレイアの細剣が次々と襲い掛かり、【癒しの精霊】の宿る肉体を刻んでいく。
「っ」
切断される端から治癒されていく様子は人とは思えない光景である。とは言え、彼女に攻撃の手段はなく、同時に他者を傷つけるなど彼女の存在意義を自ら否定するようなものである。彼女にできるのはフレイアのスタミナ切れを待つか、ノーラの肉体のマナが尽きて解放されるのを待つくらいである。
「それにしてもしつこいっ
少しばかり使うしかないわね。ほら、手伝いなさいっ」
フレイアが何もない空間に手を突っ込む。
「う、うわぁぁああっ」
引きずり出されて投げつけられた形となった男は情けない声をあげながら【癒しの精霊】にぶつかる。その大柄な肉体に押しつぶされる形となった【癒しの精霊】は実際には床との間のクッション役をかってでていたのだ。彼女は気づく。彼の肉体に刻まれた呪印からフレイアの狙いが何か。だが、もう遅い。
「ま、まさか!?」
神殿を揺らすほどの爆発。天井からがれきとなって石材が崩れ落ちてくる。その真ん中に血まみれとなりながらも緩やかに回復していく【癒しの精霊】と彼女に抱き寄せられる男の姿が現れる。
「アハハハ、嘘でしょ。爆発して死んだはずなのに。まさか自身の治癒よりも爆弾のほうを優先して治すなんて。本当に愚かよね。」
フレイアが加虐的な笑みを浮かべる。
もはや幾度目だろうか、この光景が繰り広げられるのは。
「もうやめてくださいっ、俺を見捨ててくださいっ」
「だ、大丈夫です。貴方は必ず助かりますから…」
(次がこの肉体の限界。彼だけは生かしてあげなければ。)
男はただひたすらに懇願し、女が安心させようと傷ついた体を癒すのも忘れて声をかける。
「これでようやく終りね。さぁ、はじけなさい。」
「や、やめてくれ。俺は死んでもいい。この人をこれ以上、」
慈悲深い笑みを浮かべたフレイアが手を叩く。かぶせる男の悲痛な願い。男にほほ笑む【癒しの精霊】。
「はぁ。どれだけ偽善者なのよ。最後まで痛みも傷も背負うとか。」
クレーターの中心で呆然とする男、その肉体はまるっきり無傷だ。その横に立つのは【癒しの精霊】でなくフレイアであることを除けば先ほどまでと変わりない。
「あ、ああぁぁ。」
男の目から涙がとめどなく流れる。
「まぁ、私は爆弾を温存できたし、良いことだらけだけど。」
フレイアはほくそ笑む。その手には黒い立方体が転がっている。それは当夜たちの陣営から裏切った人物から提供された技術、それを応用したものだ。負の感情の中に隠れた正の感情を見出して中和されるというのならばそれが存在しない純粋な悪意のみを集めた瘴気で檻を作ったのだ。これならば当夜とて脱出できない。
「あの人は?」
男がすがるように尋ねる。己の出した答えを否定して欲しくて。
「ああ。あんたが殺したじゃない。覚えてないの?ひどいわね。
あんたを助けた女は【癒しの精霊】よ。あんたのおかげでこうやって封印できたわ。これで別の【癒しの精霊】が生まれないようにできた。それにこいつを使えば治癒の恩恵は私の思い通りになる。」
誰が起こした惨事であるかを棚に上げてフレイアは男を絶望の淵に落とす。
「嘘だ。俺が【癒しの精霊】様を殺めたというのですか?」
男はその場に崩れ落ちる。
「そうよ。良いわね。すごく深い悲しみと失望の念を感じるわ。すごく良い爆弾になりそうね。せっかく己の存在をかけて救ったのにお仲間を死地に送る爆弾として延命したにすぎないなんて。なんてかわいそうなお姉さま。」
「貴様ぁあああっ」
男はついに怒りを爆発させる。闇雲に無意味に突撃する。そんな男の努力を嘲笑うかのようにフレイアは男の耳元で囁く。
「妻や子供の命も貴方が奪うの?」
うなだれた男をフレイアはアイテムボックスに放り込む。そしてもう一つの檻を眺めながらつぶやく。
「次は貴様の番よ。」
お仕事ストレスにより書き詰まったので一旦、休憩の間をとります。
次は気分転換がてら他の話を書いてみようかな。




