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世界を渡る石  作者: 非常口
第6章 過去編第1部
275/325

止められない過去 5

「フィル!?

 キュエル、これはどういうことだっ」


 キュエルに通された一つの空間で当夜の目に信じがたい光景が映る。それはフィルネールを中心に13名のエルフたちの横たわる姿であった。ただ横たわっているのであれば当夜もここまで声を荒げなかっただろう。荒げた理由はエルフたちから漂う濃密な瘴気の気配とフィルネールの消え入りそうな姿を目にしたからだ。


『見ての通りだよ。フィルネールは上位互換の精霊が現れたことで精霊としての立ち位置が奪われそうになっている。今はどうにか抵抗しているけどこのままだと間違いなく呑まれるね。それとターペレットたちは一時的にこちらで保護したよ。見てのとおりこれ以上瘴気に中てられるわけにはいかないから。』


 キュエルの言う上位互換の精霊とは当夜と同じ地球出身のオリバーのことだ。彼は英雄として畏敬の念を強く集めていたこともあり、精神のみがエキルシェールに戻されたことで精霊化が自動的に進み、【根源の精霊】として生まれたのである。問題は彼が魔法だけでなく武にも秀でていたことだろう。もちろんフィルネールの加護を受けてのものだったが、人々にはそれがわかっていなかった。なぜなら【武の精霊】という存在は一部の【深き森人】と過去の人々、それこそフィルネールが【武の精霊】として活動していた時期の者たちに伝わるのみで、短命な人族の間では忘れ去られていたのだから。さらに拍車をかけたのが、今、彼女の周りに集う【深き森人】たちの存在だ。なぜなら彼ら・彼女らこそが最もフィルネールを認め、崇めた者たちだったのだから。ただ、今の彼らは瘴気に意識を奪われ、フィルネールを【武の精霊】たらしめる意義を失している。もはやフィルネールを繋ぎ止めているのは当夜くらいであろう。


「ターペレットたちまで…」


 視線の先の彼らは当夜の知る姿とはずいぶんとかけ離れている。それは加齢による変化という比では無い。いや、長命な種族である彼らをしても長すぎる生を得たのはある意味で瘴気のおかげである。その結果、半精霊化というにはあまりに禍々しい、後に魔人化と呼ばれる災厄に侵されたのである。だが、それでも当夜が見ているこの姿はキュエルによって隠蔽されたおぞましい姿の一部なのである。


『いったいなぜって顔だね。彼らは、彼らの持つ瘴気分解能力の許容量を超えたために溢れそうになった分を自身の中にため込むようになった。得意な感情に限って分業していたのも大きな影響だね。感情を吞んでいたはずが呑まれてしまった。それぞれが負の感情の精霊になってしまったんだ。

 はっきり言って彼女が創った法国から瘴気が凄まじい勢いで生まれているのは大きな問題だよ。おそらくだけど何か彼女の意図していなかった問題が発生しているんだと思う。』


 キュエルが問題視している国というのは急速に人口の増大と文明の発展を遂げている、【癒しの精霊】を祖と仰ぐ、国のことである。キュエルの懸念のとおり当夜の目から見てもかの国の繁栄は異常に感じることだろう。


「なるほど。それは調べてみないとならないね。」


『それはもう試みたんだ。』


「結果は?」


『困ったことに【時空の精霊】たる僕でもお手上げだよ。おそらくだけど瘴気の壁があるんだと思う。突破できるだろうけど相手には気づかれるだろうし、その先に罠があるかもしれないからね。この状況では下手は打てないのわかるよね?』


 表情の読めないキュエルだが、漂うマナから困惑と苛立ちが伝わる。その状況を作り上げた要因の一つは当夜の不在だろう。当夜はそこを責められている気がした。


「そう、だね。」


『なにより、僕の手飼いの者を送りこんでいたんだけど、彼の話だとフレイアなる人物が背後にいるそうだし。それが僕らの知る人物ならかなり厄介だよ。』


「【癒しの精霊】とはどうにか連絡をとれないのかい?」


『もちろん試したさ。だけど、こちらからの魔法が届かないんだ。ただ、恩恵自体はこの世界に届いているみたいだから存在はしているはず。個人的には例の瘴気の壁の先に捕らわれているんじゃないかって推測している。』


「可能性は高いね。そうなると直接乗り込むしかないわけだけど…」


『どうする? やってみるかい?』


 キュエルはその答えを知っていて尋ねる。


「いや、まずはフィルだ。【武の精霊】と【根源の精霊】の位置づけを明確に分けてフィルを確かな存在にする。それに助けてくれていた人たちをこのままには出来ないしね。」


 当夜は予想通りの結果を得て笑みを浮かべているであろうキュエルに肩をすくめてみせる。とはいえ、キュエルの提案もまた優先度が低いという話でもない。癒しを失った社会など狂気以外の何物でもない。負の感情が爆発する。


「おいおい。俺たちのことはほっといてくれて構わないんだが。」


 当夜の心配が伝わったのか男性が気だるげに立ち上がる。


「そうですよ~。ちょっとだけのんびりしたくなっただけですから。」


 眠たげに目をこすりながら髪を長くした女性は隣のターペレットを肯定する。その容姿は当夜の知る彼女のものとは大きくかけ離れている。幼少期からの変化として果たしてそれは成長がもたらしたものと言えるだろうか。いや、難しいだろう。2人ともその瞳は金色に染まり、どう猛さが見え隠れする。


「起きて大丈夫なのかい、2人とも?」


 思わず心配を口に出さざるを得ないほどに顔色が悪い。


「ああ。意識はまだしっかりしているぞ。」


「私はちょっとフラフラします。これが酔ったって言う症状なのでしょうか?」


 ターペレットのはっきりした返事と対照的にウレアは幾度も欠伸を繰り返す。


「瘴気酔い、ってやつなのかもしれないね。にしても、ウレアはずいぶん成長したね。角が取れたっていうか、物腰が柔らかになったっていうか…」

(っていうか…この姿と態度、どっかで見たことがあるような?)


 妹を奪った者への復讐を誓う彼女を知る当夜から見るとその姿に大きな乖離を感じる。もちろんここまでのあまりに永い時間が彼女に気持ちの整理を促したのかもしれない。あるいはそれらの感情を隠せるほどに心が成熟したのか。だが、当夜にはそれ以上に気になることがあった。


「そうですか~?

 もう何でも良いです。のんびりできれば…ふぁ」


「何でもって…君にはやりたいことが…」


 当夜は欠伸と共にゆっくりと床に寝転ぶウレアの頭に手を添える。そのあまりに別人のような姿は当夜の記憶の底からだれかを引き上げようとする。


「わかっているとは思うが、時間が解決したというには楽観的過ぎるからな。お前の危惧はおおむね当たっているぞ。俺も近頃は俺の中にもう一人いるかのような錯覚を覚える。」


 ターペレットが言いたいところは彼女がもはや当夜の知る人物ではなくなりつつあるということだろう。


「まさか瘴気に残された感情が君たちを支配し始めている?」


「ああ、そうだと思う。他の連中は完全に支配されちまった奴までいる。どっかで療養が必要かもしれないな。」


 ターペレットが憐憫のこもった瞳で倒れ伏す仲間を見渡す。


「そう言うことなら是非そうしてほしい。【深き森】あたりが無難かな。何なら僕からアンアメスに声をかけておくよ?」


「いや、それには及ばない。それ以前に迷惑をかけられない。少しばかり広いところで暴れれば解消されるだろうさ。」


 当夜にキュエルがその候補地を見せる。法国とクラレスレシアの中間に広がる不毛の地である。その景色を同じく眺めていたターペレットがウレアに視線を移して続ける。


「問題はその気にもならないウレアの方だな。」


「わかった。ウレアは僕がどうにかしてみる。」


「ああ、任せる。そう言うわけだから少しばかり暇をいただくぞ。」


「それは、もう、引き留められるわけがないよ…今までありがとう。お疲れ様。ゆっくり休んでください。」


 当夜が深く腰を折る。


「馬鹿。これからも、だろう? 回復したら戻ってくるさ。」


 当夜の肩が叩かれる。顔を上げるとなつかしくも覚えのある男の笑顔がそこにあった。


「ああ、そうだね。期待して待っている。だけど無理しないでくれよ。」


「それじゃーな。」


 キュエルの開いた門から出ていくターペレットとそれに続くように移動する彼の仲間たち。彼らをキュエルと共に見送る当夜は目頭が熱くなる。


『行っちゃったね。この怠惰ちゃんはどうするんだい?』


 しばらくしてキュエルが尋ねる。その顔の先には眠り込むウレアの姿があった。


「とりあえずクラレスに街で、ん?」

(そうか、怠惰、魔道具屋【怠惰】の店員じゃん。確か、名前は…フランベル!)


 キュエルの発した単語が当夜の埋もれた記憶をついに引き上げる。当夜の顔にその時の記憶が鮮明に浮かび上がり思わず笑みが浮かぶ。


『どうかした?』


「ああ、いや、何でもないよ。それよりウレアのことなんだけど、クラレスの街を舞台とした常時閉店中の魔道具屋【怠惰】の店主って設定でどうかな?」


「お店やるんですか~面倒です~」


 いつの間に起きたのか、ウレアは仰向けのままキュエルに代わって答える。その目にもあからさまに嫌そうな色が浮かんでいる。


「ウレア…」


 もはや彼の知るウレアではないのかもしれないと当夜はその名をつぶやく。


「あれ~? それって大事な名前だったような…まっ、良いか…」


「自分の名前まで…今も進行しているのか。」


 自身の名前まで忘れてこれ以上何を彼女は失うのか、当夜にはわからない。進行が終わるのならばそれは彼女が彼女で無くなった時のことだろうか。だが、その時はすでに来ているのかもしれないと彼は思い知ることになった。


「へ~、それってあたしの名前なんですか~」


「いや、その名前の娘は別の人のだよ。君はフランベルだ。」


「ふ~ん。ありがと、お兄さん。」


 当夜に頭を撫でられて目をうとうととさせていたフランベルはそのまま深い眠りに導かれる。


「お兄さん、って…寝ちゃったか。

 キュエル、悪いけどフィルの件が片付くまで瘴気から隔離した空間で彼女を保護しておいてもらえるかい?」


『それは構わないけど。【武の精霊】とは離しておいた方が良いのかな?』


「そうだね。念のため。」


 2人の不安は瘴気の影響がフィルネールにまで及ぶことだ。


『相変わらず人使いが荒いなぁ。それで、相手のところにも送れって言うんだろ?』


「話が早くて助かる。頼むよ。」

(待ってて、フィルっ)


 当夜の答えを待たずしてキュエルが当夜の前に一つの空間をつなげる。つなげた空間に当夜が消えていく様子を見送ったキュエルはその背後にもう一つの空間をつなげて声をかける。


『行ったよ?』


「お疲れ様です。」


 その声に答えたのはターペレットだ。


『彼らは?』


「すでに向こうで目覚めました…」


『その様子だと…』


「はい。すでに多くの者は別人です。向こうにいた人々の多くは獲物、良くて遊び道具扱いとなるでしょう。それでもあの方に見られずに済んでよかった。」


 ターペレットの表情がいつになく暗いものとなる。


『今限りだけどね。』


 キュエルの声も沈みがちだ。


「それでも、です。そういう意味ではアンアメスに感謝せねばなりません。」


『あの娘はあの娘で困ったものだけど…それで君自身はどうなんだい?』


「今のところ大丈夫のようです。ただ、それほど余裕はありませんが。それでも多少の瘴気はどうにかできるはずです。」


 身に纏う黒い鎧を見つめるターペレット。いや、その鎧は体に張り付いている、と言うよりも鱗に等しい。つまるところ侵食されていない部分は頭部のみということでもある。


『いや。君を失うわけにはいかないよ。トーヤがどうにかなってしまうから。ただでさえ自分の責任を感じて不安に押しつぶされそうになっているはず。心の支えは多い方が良いからね。』


「そう言うことであれば。しかし、そうなると瘴気の分解はいかがなさいますか?」


『それはアンアメスの頑張りに一先ず委ねよう。』


「承知しました。」


(それを止めようとしているのがトーヤだなんて皮肉なものだね。)


 キュエルは当夜の消えた先を見つめて苦笑する。

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