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世界を渡る石  作者: 非常口
第6章 過去編第1部
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止められない過去 3

「オルピスもやっぱりまだ小さな漁村って感じだな。それでもクラレスよりも大きいかな。

ん? あれは?」


 当夜の視界に広がるオルピスという小国は小さな港を有する集落として映る。それでも海運を司るだけにそれなりに経済が発達していることは住民の家を見ればわかる。おそらくクラレスよりも首都となるべき発展の度合だ。


「おおっ、【深き森人】様がもう一人! どうかご助力をっ」


 オルピスの入り口とも言える門をくぐるとこちらに向かって海側から明らかに当夜よりも体格の良い青年が助力を求めて駆けてくる。当夜のもとにたどり着くのを見計らったように彼の来た方角で巨大な波が建物を襲う。


「うわっ? な、何だ!?」


 その光景に当夜は思わず仰け反る。天候は晴天、風もない。大きなその波は平屋建ての建物の優に二倍はあった。幸いなことに津波とは違い、継続して海水が流入してくることは無かった。


「【毒蠍】が襲ってきているんです!」


 青年に肩を掴まれた当夜は前後に振り回される。


「【毒蠍】?」


 当夜が青年には信じられないような力でその手を引きはがすと海を凝視する。その瞬間、海面を割って姿を現したのは紫色の巨大な蠍であった。その姿に見覚えのある当夜は思わず顔をゆがめて叫ぶ。


「うへっ、あれって【悪意の紫甲】じゃないかっ」


 そんな当夜と【悪意の紫甲】の間に風に運ばれたかのように一人の少女が軽やかに現れる。そして、当夜の姿を認めるなり信じられないと言った表情を浮かべる。


「お、お父様?」


「ア、アリス!?」


 別に少女の声に応えたわけではない。その姿を見た瞬間言葉となっていた。


「は、はい! ど、どうしてこちらに? いつお目覚めに?」


 アリスと呼ばれて肯定した少女は魔物が背後に迫っているというのに当夜への問いを優先させる。


「危ない!」


 振り上げられた【悪意の紫甲】の巨大な鋏を目で追いながら当夜は少女に向かって疾走する。疾走と言ったが当夜の周囲は色を失い、まるでスローモーションの様相を成している。その中を駆ける当夜は外から見たなら目にも留まらない速さとなっていた。


「きゃっ!?」


 少女の悲鳴は今まで彼女のいた場所から離れた場所で響く。


「ふぅ、今は戦いに集中しよう。」


 腰と膝裏を支えていた手を放すと当夜は甲高い威嚇音を発する相手を睨む。


「はい!」


 アリスが尊敬のまなざしを送る。それは頼れる父親の背に向けられている。


「僕が前線に出るからアリスは魔法攻撃をっ」


 言うが早いか当夜は加速的に【悪意の紫甲】に迫る。


「任せてくださいっ」


 アリスの応える声が当夜の耳にも届く。


(この体はやっぱり凄い。思った通りに動く。その上、【遅延する世界】もマナの消費はあるけど自由に発動させられる。)


 縦横無尽に駆け巡る当夜の動きに【悪意の紫甲】はついていけない。攻撃はことごとく外れ、小さな存在に関節を裂かれる【悪意の紫甲】は苛立ちの奇声を発する。そこへアリスの火の魔法が襲い掛かる。強大な鋏を盾のように構えた魔物の腕が地面に崩れ落ちる。それは当夜が腕の付け根を穿ったためだ。


「す、すごい!」

(私の攻撃のタイミングが背後からなのにわかっている。)


 顔面に直撃した炎が【悪意の紫甲】の頭殻を赤く変色させる。


「そっちこそ。」

(本当にアリスと一緒に戦っているみたいだ。懐かしいな。)


 当夜が持ち上がった顎下に剣を突き立てようとしたところで【悪意の紫甲】は尻尾を地面に突き立てて大きく回転する。旋風に巻き込まれた当夜は器用に脚の隙間を縫いながら距離を取る。


「ちっ、逃げるか!」


 もげそうな鋏脚を引きずりながら海に落ちる。


「いえ、追い払えただけでも良かったです。」


 安堵したようなアリスの声。だが、当夜は疑問を抱く。


「それで良かったのかい?」


 それは確実に追い詰めていた2人であれば追撃をかけることで十分に討伐可能な気がしたからだ。


「ええ、これは私に課せられた、私が解決すべき問題なのですから…」


 決意を含むべき言葉であるにもかかわらずそこには真逆の感情が垣間見える。


「あまり乗り気じゃないみたいだね。」


「いえ、自信を無くしていたのです。」


 吐息とも思える小さなため息の後にアリスは告白する。ただ、それだけでは当夜ではわからない。


「と言うと?」


「ふふ。ここでは何ですから私のとっている宿へ参りましょう。」


 避難していた住民が戻ってきたことを確認したアリスが提案する。


「そう、だね。」


 当夜が頷く間に笑顔の住民に囲まれるアリス。口々に告げられる患者の言葉に彼女は僅かに憂いを含んだ笑みで応え続ける。その姿に当夜は思う。


(レールの敷かれた偶像、か。)



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 砂岩のブロックを積み上げた来賓向けの宿舎の一室でアリスが窓を開放すると振り返る。海に面しているため潮気を帯びた海風が吹き込んで彼女の黒髪を揺らす。前髪の隙間から覗く瞳は当夜と同じく黒い。


「―――お父様、でよろしいのですよね?」


「う~ん。そう呼ばれるのは心外かな。」


 嬉しそうに尋ねるアリスに当夜は渋い表情を浮かべる。


「も、申し訳ありませんっ」


 想像と異なる反応にアリスは狼狽する。


「いや、アンアメスの誤解だし、良いんだけど。」


「お母様の?」


「一応、訂正しておくけど君たちは世界樹から生み落されたはずだよ。」


 世界樹から生み出される【深き森人】には3種類のタイプが存在する。フィルネットをベースとする黒髪黒目の個体とフレイアをベースとする金髪赤眼の個体、そして、彼らの中間系である金髪碧眼の存在である。近年は後ろ二者の方が増えてきているのはまさに現状の勢力を示していると言える。そう言う意味ではアリスは数少ないフィルネットタイプであり、アンアメスがこの件に起用するのも納得である。


「えっ? だとしたら、おと、貴方は?」


 世界樹に同じく生み落された当夜は肉体的にはフィルネットタイプである。だが、重要なのはそこでは無い。


「僕は当夜。緑邉当夜だよ、アリス。君たち【深き森人】とは違う存在なんだ。この体は仮初の器って言うべきなのかな。」


「トウヤ様? 仮初の器?」


 アリスは当夜の言葉の意味について行けずに気になる単語を復唱する。


「そう。大事なのは心の在り様だからね。」


「心の在り様…」


 当夜の言葉に何か気になる物を見出したのかアリスは何やら考え込む。


「そう言えば自信を無くしていたらしいけど何があったんだい?」


 その雰囲気に思い当たった当夜はその時の彼女の言葉の意味を問いかける。


「それは…」


 彼女の表情がさらに沈む。


「―――言いたくないことかな?」

(不安? いや、自己嫌悪?)


 当夜が目を細める。マナを介して漏れる彼女の心の声を拾い上げる。だが、同格となってしまった状態では詳細までは拾えない。


「このままではお母様に叱られてしまいますから。」


 その言葉で終えられては手を差し出すことができなくなる。それでは彼女を救えるのはアンアメスだけとなってしまう。


「―――それに…」


 しばしの間に続いてアリスが重たげに口を開く。そのまま消え入りそうな声で。


「それに?」


 消える前に繋ぎ止めるための復唱。先を促す。


「―――世界樹の力を行使すれば討伐することは容易です。ですが、それに頼ってしまったならそれは本当に私が得るべき賞賛とは違う気がするのです。けれども私だけの力では皆さんの期待に応えられません。それでは先に瘴気が世界を滅ぼしてしまいます。やっぱりお母様の指示通りにすべきだったのでしょうか…」


 堰を切ったように独白するアリス。


「そう言うことか。清らな精神はそれだけで十分尊敬を集めるものだとは思うけど。」


 だが、それでは人々には伝わらないものであることは当夜にもわかる。ならばどうするか。誰かの助力を得たうえで解決すれば賞賛は分散されるだろう。この短期間で結果を得るにはレールに乗って演じ切るのが最良の手だろう。


「そんな、こと…」


 少し照れたようなはにかんだ笑顔を見せるが何も解決していない。それでも苦悶を吐き出したことでだいぶ心が晴れたようだ。


「とても気持ちが軽くなりました。あとは私が決心するだけですね。」


「ふ~む。」

(どうやら本音はそうではないというわけか。これがアリスを止められるかもしれないというオリバーの見立てか。確かに僕がこの魔獣を倒してしまえば彼女の精霊化は止められるかもしれない。だけど、彼女の意志は尊重されないわけだ。)

「―――難しい話だ。」


「はい…」


 当夜がアリスをおもんばかっての発言と勘違いした彼女は複雑な声音で応える。


「はは。」

(まったく、本当に僕は彼女の気持ちを蔑ろにしているものだ。)


「何かおかしいことがありましたか?」


「いや、会話が成り立っても想いは伝わらないものだなってね。」


 お道化て見せることで一人よがりな考え方をしている自身を誤魔化す。


「想い、ですか?」


 アリスはより深く首をかしげる。


「そう。とにかく、このままだとこの街の被害が増えるばかりじゃないかな? なにより世界樹の、【深き森人】への評価も落ちるだろうし、ここは一旦僕が倒して、アリスは別の機会を探った方が良いのかもしれないね。力はその間に培えば良いことだと思うし。」


 到底受け入れられないだろう助言だということは当夜自身がわかっているし、結果もその通りであった。


「それは、それは駄目です。これまでにいただいて来た皆さんの期待を裏切るわけにはいきません。ここでの我儘は残りの時間を考えながらのものです。いざと言うときは世界樹の力に頼ります。」


 アリスは具体的かつ受け入れがたい当夜からの助言に明確な拒否反応を見せた。


「そうか。ところで君は人々の期待を一心に背負って何になるつもりだい?」


 彼女の高潔さを見ていた当夜は別のアプローチを探る。とはいえ、核心から入ったのはそれだけ時間がないと判断したからだ。


「そんなこと、お父様ならよくわかっていらっしゃるのでは?」


 唐突に変わった話の流れにアリスが疑念を呈する。


「当夜、だよ。」


「失礼しました、トウヤ様。」


「もっと砕けてくれていいんだけど。まぁ、いいや。もちろん知っているよ。でも一応君たちの認識を聞いておきたくてね。」


 ずれがあるといけないからと笑う。


「そうですか。私たちは皆さんの希望という正の感情を集めて、それをマナに閉じ込めて世界樹に届けるのです。そうすることで世界樹は力を取り戻してこの世界を包む瘴気を消すことができるようになるのです。」


 何がいけないのかと一瞬不思議そうな顔を浮かべたアリスだったが幾度も繰り返してきた言葉のように淀みなく答える。


「なるほど。そうアンアメスは教えたのか。」


「はい、お母様はそうおっしゃっておりました。」


 思案する仕種をみせる当夜にアリスは力強く答える。そこにはアンアメスへの強い信頼があふれている。


「―――そうか。」

(嘘は教えていない。だが、その希望が封じ込まれるマナと言うのが君たち自身だということに気づいているのか? いや、きっと気づいていないんじゃないか?)

「ちなみに正の感情をどうやってマナに閉じ込めているんだい?」


「それは…それはお母様がやってくださっているってエレールお姉さまが、」


 顔を上げた当夜からの追加の問いに対するアリスの反応はアンアメスが避けていることを予期させた。


「んー。」

(それは君たち自身だよ、って伝えるのも…そもそも信じてはもらえないか。そのことはもうしばらく様子見か。しかし、わからない。オリバーの話しぶりだとエレールはすでに知っている様子だし。彼女は自身で気づいたということか?)


「何か違っているのでしょうか?」


 絶対者であるアンアメスと同格の存在である当夜の反応にどうやら不安を覚えたようだ。


「説明が足りていないと思う。でも、今は伝えるべき内容じゃないかな。アンアメスもそう判断したのかもしれない。」


「そうなのですか。」


 完全に納得してはいないようだがアリスは一先ず言葉を飲み込んだ。


「ああ、あと一つ。君は役目を果たしたら何かしたいことでもあるのかい?」


 努めて気楽に尋ねる。それこそが当夜にとって重要な問いかけであった。


「したいこと? ですか?」


「そう。」


 未来へ馳せた夢、生への渇望。それこそがアリスを引き止めるカギとなるものだ。


「―――もっと世界を見てみたいです。この旅も世界中を巡るものでしたがゆっくりと見て回れませんでしたから。ですからこの役目が終わったらそれをやってみたいです。」


「そうか。そっか。うん、良いんじゃないかな。何だったら僕も一緒についていこうか?」


 当夜は冗談を交えて上機嫌に笑う。


「は、はい。もちろんです!」


「良い子だ。それなら僕も君に何かプレゼントしよう。頭をちょっと貸して。」


「はい? こうですか?」


 当夜が差し出された頭部に手を当てる。【時空の精霊】の力を代行する。


「―――えっと?」


 当夜からマナが注ぎ込まれ、何らかの力を手にしたことを理解したアリスが説明を求めた目を向ける。


「アリスに眠る力を解放したんだ。何が芽吹くかはわからないけど君の役に立つと良いね。」


 授けたのは時間や空間に関する何らかのスキル。と言うのも今の当夜は仮初の体に乗り移っている存在であって現生に留まれる代わりに制限を受けている。つまるところ、それが何か当夜自身にもわからない。ただ、アリスの片方の瞳が紫色に彩られたことからアンアメスが得た力と似たようなものだろう。であれば彼女が次に【悪意の紫甲】と対峙した時に役立つだろうと当夜はほほ笑む。

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