異世界での初めての食事
エレールとの別れを済ませた当夜は気づいた。
(お腹減った...)
夕食を食べようと冷蔵庫を探すも、まったく見当たらない。食材らしきものは台所のそばに干されているからっからの干し魚が3枚、同じくからっからの謎の草(鑑定の結果はドルスという香草)が2束、謎の実(鑑定ではポールという食用の実)が6個であった。
当夜はライチのような硬い外皮を指で押さえてポールの実を転がしながら思う。
(エレールさん、あんたどんな食生活だったんだよ...)
決してエレールが料理をしなかったわけでは無い。ライトが残っていれば自炊する価値があるが、当時の彼女にはそれがなかった。ゆえに、一般の冒険者同様に外食で済ませていることが多かったのだ。とは言え、そんなことを知る由もない当夜はそれらの食材ではまるで調理方法の検討がつかず、早速雑貨屋【タルメア】のお世話になることとなった。
すでに陽は街を囲む壁に沈み、回り込む光が淡く街中を照らしていた。日頃から蛍光灯やLED灯の明かりになれている当夜には物足りないものだったが月明かりよりは明るいのでどうにか大通りに出ることができた。
「おや、こんな時間にどうしたんだい? 何か探し物かい?」
レーテがせわしく軒先で動き回っている。おそらく先客が買い漁っていったあとを整理しているのだろう。何かの植物の蔓で編んだ笊に次々と食材を乗せて並べ直している。軒先につらさがる光球が商品を明るく照らしていた。
「えぇ。冷蔵庫も食材も無いので補給に。」
当夜は片メガネを取り出すと早速鑑定を始めようとする。ところがレーテから待ったがかかる。もちろん、直接的に指摘されたわけではないが意識を持っていかれる。
「はぁ? れいぞうこってのは何だい。」
「えっ? そりゃ、食べ物が腐らないように保存しておく冷たい機械ですよ。」
(こっちにはないのか。精霊に電気を作ってもらえばできるんじゃないのか? あっ、冷却ガスも必要か。案外、魔法で再現するのも難しいかも、)
当夜の思考を遮ったレーテであるが単に冷蔵庫の否定だけではなくそれに替わる相当品を上げる。
「きかい? あぁ。氷嚢庫のことかい。ありゃ、王族や大貴族でもなきゃ持てないからね。あんたはやっぱり大貴族の出かい。」
「いえいえ、一般人ですよ。氷嚢庫か。それって上段に氷をおいて下段で食物を保存するものですか?」
「そうそう。確かそんな感じだったよ。氷は【水の精霊】と【風の精霊】の祝福を受けた加護持ちを雇って維持してもらわないとならないからとてもとても庶民には手を出せやしないよ。便利なんだろうけどね~。」
どうやらこちらでは電気式の冷蔵庫は無く、昔ながらの氷式冷蔵庫に近いものようだ。
「ってことは食材をいちいち食事の度に買い出さないといけないのか。こりゃ大変だ。とりあえず食材を選ばせてもらいます。」
「あぁ、じっくり見ていきな。」
昼間来たときは詳しく見なかったが様々な食材が並んでいた。コーヌ茸(ポルチィーニ茸のようなきのこ)やポルテス(セロリとアシタバを足したような野菜)、ケッテス(短く痩せた山芋のようなもの)がどうやら旬のようであり、たくさん並べられていた。コーヌ茸は10本で10シース、ポルテスは1束(5葉くらいついている)6シース、ケッテスは5本で8シースであった。そのほかにもシャルケットの肉(赤身のけもの肉、1皿100gくらいで10シース)やゼールの実(柑橘類に似ている黄色の実、手のひら大1個3シース)などなどさまざまであるが、前者ほど数は多くない。
選ぶというより観察していると、メイド服の女性が買い物にやってきた。当夜と目が合う。その赤い瞳に目立つ縦に長く黒い瞳孔が印象的だ。よく顔を見れば皮膚にうっすらと規則的な亀裂が走っている。
(鱗?)
「あら、坊やはお使いかな。レーテさん、今日のお勧めは?」
彼女はリザードマンと呼ばれる種族だ。だが、当夜が思い描いていたようなトカゲを二足歩行動物にしたようなものでは無く、限りなく人に近い存在だった。じっと見られたことを気にするでもなく彼女は当夜に小さく手を振るとレーテに意識を向ける。
「あら、ジュゼ様んとこの。そうさね。コーヌとポルテスだね。今年はコーヌの出が良いから安くしてあるよ。」
「じゃあ、コーヌを3皿、ポルテスを5束、ケッテス2皿と白パンを2斤と半お願いするわ。」
「あいよ。肉は要らないのかい?」
「そうね~。もう少し安ければね。どう? これだけ買うんだからまけてくれない?」
「しょうがないね。ちょっと待ちな。」
そういうと、レーテは木の板に炭の棒で計算し始めた。なかなか苦戦中のようだ。覗き込むと乗算ではなく加法のみで計算していた。
白パンは1斤20シースとだいぶお高い。
「今のところ126シースだけどおまけして120シースでいいよ。肉は1皿8シースでどうだい?」
「ありがと! じゃあ2皿頂戴。」
「まいど。じゃあ8足す8で16シース、さらに110シースを足して...126シースのお買い上げだよ。」
例によって木の板に炭の棒をこすりつける。計算式のような記号は無い。単純に数字が列挙されてそれが下に向かうほどに隣同士を足し合わせた数字となっている。
「はい。じゃ、これで。坊やお先に~。」
大銅貨と中銅貨でサラッと支払うと再び当夜に手を振りながら颯爽と去っていくメイドを見送る。暗算していたのだろうか、あるいは最初からその金額におさめるつもりだったのか。
(さて、こちらも買うとするか。)
そう気合を入れたところに声がかかる。
「こんにちは~。レーテさん、いる~?」
「あいよ。あら、メーネちゃん。お使いかい?」
メーネと呼ばれた女の子はまだ4,5才くらいであろうか。くすんだ金髪は枝毛がところどころから挨拶しており、服はところどころ解れていて色もだいぶ褪せている。裕福な家庭でないことは一目で予想がつく。
「お母さんに頼まれたの。コーヌ茸3本と塩ふたつまみ、黒パン3つお願いします。」
「あらあら、ずいぶん買うんだね。じゃあ、たくさんサービスしてあげる。」
「ありがとう!」
レーテは先ほど書いた木の板をカンナで削るとその上で計算を始めた。ちょっとして計算を終えたレーテはメーネに諭すように語り掛ける。
「全部で12シースと8メダになるけど塩の分はおまけしちゃう。12シースもらえる?」
「うん、ありがとう! えっと、これと、これと、」
メーネが胸元に吊るされた布袋をまさぐると中銅貨と小銅貨を受付台の上に背伸びをしながら乗せていく。
「はい。丁度ね。また来て頂戴ね。」
レーテはあぶらとり紙のような光沢のある茶けた大きな包み紙に商品を包むとメーネに手渡す。
「うん。ばいばい~。」
品物を受け取るや否や、そう言って立ち去ろうとする少女に確認を取るため声をかける。若干心配になったのだ。
(まさかこれで二食分ってことはないよね。どう見ても足りないでしょ。)
「ねえ、君。それって朝食と夕食分なの?」
「ん? お兄ちゃん誰?」
メーネが警戒心こそ見られないが心底不思議そうに当夜を見つめる。
「あぁ、ごめんね。僕はトーヤ。えっとメーネちゃんだっけ? ずいぶん少ない買い物だから足りるのかなって。」
「メーネで合ってるよ、トーヤさん。えっと。普通じゃないかな。私の家は3人しかいないし、たくさん買ってもパンは固くなるし、野菜も痛んじゃうもん。それに朝の分は朝買うから今は買わないよ。
あっ、そっか。始めては心配になっちゃうよね。私も最初はそうだったもん。そっか、そうだったんだ。」
何を当然のことを聞いているのと言う顔で教えてくれたメーネはなぜか途中から嬉しそうに一人合点するとしきりに頷く。
(何だか誤解されたみたいだな。たぶん、初めてのお使いだと思われたかな。)
「そうだよね。変なこと聞いたね。」
「ううん。気にしないで。じゃ~ね。」
(えへへ。わかってますよ~。知らないことが恥ずかしいんだよね。私も最初はそうだったなぁ。でも、大丈夫だよ。私はわかっているから。気づかないふりしてあげるんだから。)
スキップを踏みながら去っていくメーネを見送って当夜自身の目的も果たすこととする。
「ふむ。レーテさん。」
「なんだい、おぼっちゃん。」
(なんだその満面の笑みは。これはレーテさんも勘違いしたな。やれやれ。)
「その言い方は無いですよ。とりあえずコーヌ茸2本と塩ふたつまみ、黒パン2つでお願いします。ちなみに朝は何時から?」
「はいはい。それより、黒パンでいいのかい?」
(確かエレール様はお年を召されているから白パンの方が良いと思うんだがねぇ。)
この世界では当夜の注文量はまさに二人分に相当していた。飽食の世界に生きる当夜にはこれでも一食としては心もとないくらいなのだが。
「ええ。まずは黒パンで。」
(変わった貴族さんだね。歯が欠けたって知らないよ。)
「えーと、全部で...。」
早速、木の板を削り出すレーテ。
(これだけしか買わないのに計算が必要か?)
「8シース8メダでしょ。まけてくれるの?」
「えっ。あんた暗算できるのかい。すごいね。どれどれ...。あってるじゃないか。大したもんだね。じゃあ、8メダはおまけしてあげるよ。」
(はぁ? 何言っての。小学生でもわかるわ、こんなもん。)
「どうも。で、朝は何時からですか?」
当夜は大銅貨一枚を受付台に置く。レーテが受付台の下にある小金庫から二枚の中銅貨を取り出すと当夜に手渡す。そのまま手慣れた手つきで商品を包み紙に包む。
「あんた、朝食もうちで買う気かい? うちは3鐘と4鐘の間くらいの開店だから朝食にはかなり遅いくらいさね。朝市か食堂に行った方がいいと思うよ。」
(3鐘と4鐘の間くらいってたぶん時間を表しているんだよな、たぶん。まぁ、朝食は朝市で確保してみようかな。)
「朝市はどこで何時からですか?」
「この通りの一角に広場があったのはわかるかい。そこで1鐘のころから始まるさ。」
「わかりました。ありがとうございます。じゃあ、これで。」
「まいどあり。またおいで。」
買った食材で料理としゃれ込もうか。帰り道、すでに暗く何もなければ歩くことも難しいだろう。だが、そんな心配は必要なかった。ただの街路樹と思っていたカエデのような樹木はマナを吸って蒼白く輝いている。街路灯ほど強い光ではないが光源が大きく樹間が切り詰められて植えられているため道全体が淡く明るんで見える。
無事、家に帰ったものの、コンロはなく、煙突のついた横1m×縦2m×奥行1m程度の暖炉に薪をくべて燃やすことにする。これまた苦戦することになった。火だねが見当たらないのだ。ライターもマッチも無い。火おこし機なんて大体の形こそ知れど作れるほどの知識などもない。台所周りや暖炉周りを手探りで探して回る。なぜ手探りなのか。それは簡単だ。明かりが無いからだ。完全な闇ではないが良いところ月明かりが差しこむ程度の明かりだ。その明かりももちろん月では無く外の街路樹からのものだ。
一時間は探しただろうか。ふと当夜は気づいた。
「そうだよ。魔法で火を付ければ良いんだよ。」
(でも呪文知らねーし...)
すぐに新たな壁が立ちふさがる。そんな壁だろうが何だろうが這い上がるように昇り詰める。今の当夜を動かすのは空腹だ。キノコを焼いて食べるんだ。そんな意思が当夜を動かす。
「火、火のイメージ。イメージが大事だ。」
当夜が独り言で呟く。目を瞑り、手のひらの上に浮かぶ火の玉をイメージする。石板にマナを注いだように手のひらの上にマナを集める。ほどなくして当夜は目を開ける。かすかにろうそくの火程度の火の玉が当夜の手のひらの上を浮かんでいる。
「出たっ、あ゛っ」
声と同時に鎮火する。僅かに意識が逸れるだけで魔法と言うよりはマナが散ってしまうようだ。四苦八苦すること30分どうにかその程度の火の玉を飛ばすことが出るようになった。
(ついたぁ。ようやくだ。そうか、飛ばす間もマナを注ぎ続けなきゃならないのか。これは練習が必要だな。)
光を放ちつつ温かみを与えてくれる暖炉の前で当夜は汗をかいていた。この世界では今の時期は暖期なのだ。といっても日本のような四季でいう夏とは異なる。数十年レベルで訪れる温暖期なのだ。よって夜でも20度を下回ることはないのだ。それでも当夜がそのそばから離れないのは貴重な食材を前にしているからだ。
暖炉の横壁のレンガには溝がいくつか彫ってあり、そこに薄い石の板や銅製の網板を差し込んで調理できるようになっていた。石の板には穴があり、鍋を入れることも可能となっていた。とりあえず網板の上に塩を振ったキノコを置いて炙って待つ。その間、黒パンをかじってみたがあまりの固さに衝撃を受けることになった。
(これは無理。固いだけじゃなくジャリジャリしてる。味も無いし、何なのコレ。ただまぁ、これが一般家庭の味ってことか。とりあえず温めてみるか。ちょっとは柔らかくなるかな。)
黒パン。それは岩麦と呼ばれる硬い殻を持つ穀物を擂り潰して得た粉を焼いた球状のパンなのだがその硬い殻が食味をいたく悪くしていた。かといってその殻を取ろうとすればうまく分かれずに殻に胚乳を多く取られてしまう。加えて地球の小麦よりも小さな実ではその手法はあまりに現実的では無い。
そうこうしている間にコーヌ茸からエキスが染み出てくすぶる炭に滴下してジューと音を立てる。キノコの焼けるうまそうな匂いに惹かれて一つ取り出して抓まんでみる。
「熱っ。おっ、これはいける、いける。」
コーヌ茸の味は旨みの強いシイタケと白シメジのようなもので、やや多めの水分が乾いた口に癒しを与えた。とはいえ、キノコ二つではとても腹は満たされず、やむなく黒パンとの格闘を始めた。辞書ほどもあるその塊はなかなか減らない。おそらく普通の人はこの物量を持って飢えを凌いでいると思われた。
あまりののどの渇きに水瓶から水を出すと一飲みして当夜は、はたと思う。
「ぷはぁ~。うまい! これで冷えていたら最高だったのに。」
(ん? この水どこから持ってきているんだろう。そう言えば庭に井戸らしきものが見当たらなかったな。実は雨水、川の水だったら衛生学的に拙いんじゃないか。)
とはいえ、水を飲まねば死んでしまうということであきらめることにする。ただ、次のために煮沸だけはしておくことにした。おかげで初秋くらいの気温だった部屋は常夏の暑さとなり、窓を全開にする羽目となった。当夜ののどを潤した水の正体は1階にある泉部屋の水であり、地下水でかなりきれいなのであるが、当夜はそのことをまだ知らない。
異世界に来て初めての食事です。
当夜はいろいろありすぎて食事を取らずに半日過ごしております。
一応、食糧事情は良い設定ですが、それはクラレスレシアと他国を比べてであって地球と比べればかなり厳しいものです。




