世界樹を侵す謀略 6
『それなんだけど、難しい状況だと伝えないとならないかな。』
当夜は少し困ったような難しい表情を浮かべてやや下向く。
『ひょっとして世界樹が侵された件のせいかな?』
キュエルの声のトーンが落ちる。
『そんな...』
フィルネールに至っては顔色を悪くしている。
『そうじゃないんだ。もともと世界樹は小さかったからオーバーワークさせていたみたいだし、協力者にもかなりの負担をかけている。だから、そろそろ僕も本腰を入れていこうかなと思ってね。瘴気の嵐に通話孔を空けたのも、レメントリやゲーペットを派遣していたのも本来はそのことを伝えるためだったんだよ。』
当夜は敢えて明るく振舞う。フィルネールの失態を庇うように理由を後付けする。実際のところ、世界樹を頼れなくなったことはかなり苦しいところだ。拘束される時間がまったく以て不明となってしまった。何しろ世界樹が大きくなるまでの間と言えなくなったのだから。その上、世界樹に打ち込まれた病原体の影響力は未知数だ。だが、決して良い方向に転がるとは思えない。だからと言って新たな生贄を擁して犠牲を生んでまで世界樹を作るべきではないと当夜は考えている。この世界の住人が世界樹になることをどんなに誇りに思っていようと当夜にはそうは思えないのだ。
『しばらく僕は瘴気と向き合う旅に出ようと思う。』
一拍おいて当夜は宣言する。
『旅、とはどういうことですか?』
フィルネールが不安げな視線を当夜に向ける。言葉こそ明るいがここまでの流れを考えれば言葉通りのものではないのだろう。そのくらい彼女にだって理解できる。そして、当夜は否定したがその要因を作ったのも自身にあるのではないかとも感づいてもいる。
『別に遠くに行くわけじゃないよ。ただ、完全にそちらに意識を向けることになるから当分の間はお話しできない感じかな。』
確かに遠くに行くわけではない。当夜の顕在点である先代の世界樹のそば、ディートゲルムを封じる檻の直上、むしろこれまで以上に当夜と言う存在は僅かたりとも動くことなくあり続ける。その代りに意識を瘴気の分解に向けるためにある意味で遠くに行くのと同じような状況が生まれるのだ。
『どうして、』
フィルネールの絞り出したかのような細い声が悲しく響く。
『え、ええと?』
当夜が心配そうにフィルネールを覗き込む。
『―――どうしてトウヤはそのような無体な話を平然と切り出せるのですか。』
フィルネールが涙を流しながら顔を上げる。涙はマナとなって霧散するがそれよりも早く零れるために彼女の頬を濡らす。当夜がその事実を伝えるのに心を砕いていないはずがないことはフィルネールにもわかる。それを隠して彼女を心配させないようにわざと明るく振舞っていることも容易に想像がつく。だが、彼女が求める姿はそうではないのだ。たとえ一刻の別れであっても格好悪くても嘆いてほしかった。たとえ彼女自身の罪が暴かれたとしても。
『ごめん。』
当夜はフィルネールのマナに混じる複雑な感情に中てられて伏目がちに答えるので精いっぱいだった。それは彼が鎮めてきたあらゆる負の感情よりも苦しいものだった。
『せめて私も一緒にいられるようには考えてくださらなかったのですか? 貴方一人で英雄になって私が喜ぶとでも思っているのですか? 私はそんなに頼りにならない存在ですか!?』
(そうじゃないのにっ そういうことを言いたいのではないのにっ)
フィルネールの言葉じりが徐々に強まる。己の心とは裏腹に。一度抱いてしまった期待が、裏切られた希望が彼女の口を動かしてしまう。そして、己の吐き出した言葉の重みに自ら息を呑むことになる。
『フィルネール、君の言い分も少しばかりずるいよ。君をあの空間に無策に連れていけば瘴気に侵される。かといって君だけのために瘴気の無い空間を維持し続けることがどれほど負担になることか。世界樹の状況にもよるけどどれほどの永きになることかわからない。それを君はトーヤに強いるのかい。それは君の言う頼りにならない存在なのでは無いのかい?』
キュエルが静かに諌める。嫌われ役だがこの事態を引き起こした元凶は油断してフレイアに出し抜かれた自身にあると思っていたキュエルは喜んでその役を引き受けたのだ。
『―――すみません。キュエルの言う通りです。』
フィルネールが奥歯を強く噛み締める。それは以前にも感じた己の無力さとその責を他人にぶつける心の弱さに向けられたものだ。
『そうじゃないよ。』
そんなフィルネールを当夜が抱き寄せる。
『おいおい、トーヤ。せっかく僕が執り成したって言うのに蒸し返さないでくれよ。』
嫌われ役を買って出たにも関わらずまたしてもフィルネールの機嫌を損ねるようなことがあっては堪らない。
「ええ。大精霊様のいう通り、そうではありませんもの。」
「まったくだ。さっさと伝えろよ。」
レントメリとゲーペットの姉弟は当夜の言葉の意味を知っているのか先を促す。一人は無粋な笑みを浮かべて、一人は無表情に笑いを堪えて。
『う゛、うん。』
当夜の表情が急に強張る。そして、フィルネールに正対すると力強い視線を向ける。何かを決意したかのような強い意思がその目に宿っている。
『どういうことですか?』
フィルネールはその視線をうろたえることなく真っ直ぐに受け止める。その意図はわからないが真剣な話であることはわかる。それも自身と当夜の運命を決める言葉が紡がれると。
『フィル。』
響く力強い当夜の声。
『はい。』
挑むようなフィルネールの返事。
『フィルネール。』
またしても彼女の名前だけを呼ぶ当夜。
『な、何ですか、急に改まって。』
さすがのフィルネールもその意図がわからないままにここまで引き伸ばされては不安がその意思を超えてくる。
『―――僕と一緒になってもらえますかっ』
息をのみ込んだ当夜がその息を一気に吐き出すようにその言葉を告げる。
『あ、えっ、それは、プロポーズ、ですか?』
フィルネールはその目を言葉を区切るごとに瞬きする。
『そ、そうなるね。』
当夜が上目遣いに何度もフィルネールの顔色をうかがう。その目には目まぐるしく変わる彼女の顔色が映ったことだろう。
『急にどうしたというのですか!? 居なくなる前に気持ちを伝えたいとかそういうのは嫌ですよっ』
最後に彼女の表情に浮かんだ色は当夜の期待に反して喜色などでは無かった。どうやら当夜の告白は別れのそれと受け取られてしまったようだ。
『も、もちろんそんなことじゃないよ。これから挑む旅は苦しくて寂しいものになる。帰る場所が欲しいんだ。そして、そこは愛する人の許でありたい。もしそれが許されるならどんな苦しい旅も続けられる。だから、僕と一緒になってほしいんだっ』
フィルネールの予想外の反応に当夜は慌てて言い訳を寄せ集める。ただ単に自身の気持ちを伝えればいいだけなのに彼女を説得するための賢しい言葉を見つけようとする。それがどれだけ意味の無いものか、フィルネールが求める言葉でないということに気づかずに。
『嫌です。そんな貴方のための自分よがりなプロポーズなんて受け入れられません。』
一度は退いたフィルネールの涙がその勢いを増していた。うろたえる当夜を前に背を向けるフィルネールは急ぎ言葉を付け足す。
『ですが、チャンスをあげます。旅から帰ってくるまで待っててあげますからもっと気の利いた言葉を用意してきてください。』
(その時は最高の笑顔で受け入れます。そして、私も貴方が頼ってくれるような強い存在になってみせます。)
フィルネールは泣き晴らした顔の上に儚い笑みを貼り付けて振り返った。
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「あの小さい方め、盛大にやってくれてっ
この傷じゃあ、しばらく回復に専念しないとならないじゃない。」
フレイアは再生の進んだ左腕を憎々し気に見つめながら毒づく。結局、フレイアは遠くに離れることは叶わなかった。それほどまでに瘴気の消耗が激しい。彼女はつい先ほどまでキュエルと対峙していた広間の隅で壁に身を任せていた。そして、わずかな瘴気を使って棺を生み出す。それは彼女の身を護るためのものだ。
(信じてみたい、か。馬鹿馬鹿しい。)
そんなフレイアの目が緩む。腕の再生に瘴気を費やしたフレイアの体からはそれとは別に瘴気が失われ続けていた。それは当夜が課した罰であった。
「はぁ、瘴気が薄れてしまった。しばらく眠りにつかないと...」
キュエルに邪魔されたとはいえ、フレイア自身が背負った瘴気を集約してしまう巫女の宿命、それと近いだけの浄化の術式を当夜は埋め込んだのだ。それは瘴気に宿る感情を理解してしまうという彼女の本質を利用したものだ。かつての彼女は読み取った負の感情におびえ、畏れ、拒絶してしまった。それゆえに瘴気が分解されることなく彼女を取り巻き、結果的に瘴気に呑まれてしまっていたのだ。そこで当夜はその理解した先の感情の受け口を引き受けたのだ。ゆえに瘴気が彼女を満たすのは容易では無くなったのである。それこそ数万の年月を経ても元に戻ることは難しいだろう。あるいは当夜の瘴気の分解力が上回れば彼女が浄化される日も来るやもしれない。
そうとは知らずにフレイアは棺に横たわると眠りにつく。だが、当夜にも予想外のことが起こる。
「あら、これは夢かしら。」
フレイアの目には枝が絡まって十字架にはり付けられたかのような少女の姿が映る。それは幼き頃の記憶に懐かしい一人の少女。
「どうなの、フィルネット?」
フレイアは瘴気を分解し続けながら膝を抱えて眠る幼き姿となった友人に問いかける。
フレイアの意識は世界樹の中で目覚めたのだった。
過去を読み返して赤面した...黒歴史だよ
うん。近く修正しよう。
ていうか、読もう派に戻りたいくらい
(ノωヽ)




