フィルネールの戦い その3
『では、ファーメル。』
フィルネールはファーメルと正対すると咳払いをしてその名を呼ぶ。
「はい。」
恭しく首を垂れるファーメル。その姿にフィルネールが苦笑する。
『正直なところ、手合わせの中で伝えたいことは伝えてしまったので助言はありません。』
「そう、ですか。」
ファーメルが一瞬呆けながらも寂しそうな表情を浮かべて顔を上げたがすぐさま元の位置に戻す。
『ふふ。貴方もそのような表情ができるのですね。』
フィルネールは思っていた以上に自身が好まれていたことに頬を綻ばす。
「母無き今、私はただの【深き森人】であり、貴女の弟子です。人並みの感情くらいはありますとも。」
ファーメルはやれやれと言わんばかりにゆっくりと体を起こす。向き合った彼の表情はどこか晴れやかだ。自らを普通の人と変わらないと認め、重荷を下ろすことができたからだろうか。
『そうですか。そうですね。とはいえ、貴方はもはや私と互角以上の存在です。私から助言をするなどおこがましいものでしょう。ですから私は貴方にこの言葉を贈りましょう。』
フィルネールはうれしかった。出来過ぎた弟子にもこのような目に見える変化を促せたことが。何よりそれがプラスに働いたことが。
「はい。」
ファーメルは固唾を吞んで彼女の言葉を待つ。
『―――貴方は世界を守る剣となってください。』
大きく間を取った彼女の言葉はファーメルが思っていた以上に短い言葉だった。だが、その響きは強く彼の心を打った。
「剣でよろしいのですか。守るのであれば盾の方がよろしいのでは?」
ファーメルの中でもフィルネールの言葉の意味を読み解いた一つの解釈が生まれた。しかし、それが彼女の真意とは限らない。ゆえに彼は最も重要な意味を持つであろう単語について確認する。
『これから先の戦いは身を固めているだけでは守り切ることができなくなります。相手の機先を制し、災いの芽を先んじて摘まなければならないのです。そういう意味で剣と評しました。もちろん正義のために振るう剣が目標を見誤ってはなりません。客観的な視点を忘れないようにしましょう。』
最後の言葉が自らにも向けられているように、それはフィルネール自身が抱く信念そのものだ。
「わかりました。私は【武の精霊】の、いえ、フィルネール様の意志として剣を振るいましょう。そう思えば過ちも犯すことはなくなることでしょう。」
師の意志を共有できることにファーメルは喜び以上のものが湧き上がるのを感じた。いつになく感情が昂る。おかげで柄にもなく声が張ってしまった。きっと表情にも出ていたのだろう。フィルネールがまたほほ笑む。
『はい、お願いいたします。では、これを。』
微笑んだままにフィルネールは一振りの剣を差し出す。それは純粋なマナで鍛えられた細身の片手剣だ。世界樹の枝を削り出した木刀しか知らないファーメルはその美しさに見惚れながらもその正体を問う。
「これは?」
『私の愛刀リアージュです。と申したいところですがそのものは失われてしまいましたのでマナでレプリカを作りました。それでも私のイメージで同等の力を持っているはずです。』
その剣はフィルネールが己の意志を託すに最もふさわしい相方の姿だった。それを与えるというのだからファーメルに与えられた期待の大きさがよくわかる。
「ありがたく頂戴します。」
王から褒章をいただく騎士のごとき姿で恭しく剣を受け取る。
「ずりぃ。」
「本当よね。」
ラフトとラミーシャが口を尖らせて抗議する。いや、催促する。
「これ、【武の精霊】様を困らせるな。」
フィルネールの苦笑から2人が無理を言っていると判断したジュデルがそれぞれの首根っこを掴むとズリズリと引きずって引き離す。
『ふふ。良いのですよ。そうですね。個々に見合った武器を作ってみましょう。ですが、リアージュほどの思い入れは無いのでそこまでのものではないかもしれませんよ?』
フィルネールはそれぞれの顔を見渡しながら確認する。先ほど助言した通り彼らが持つに見合う武器はすでに思い描いている。
「渡されることに意味があるんだ。性能なんて二の次さ。」
ラフトが調子よく明るい声を上げる。
「馬鹿だな。【武の精霊】様がお作りになるんだ。その時点で大したものに決まっている。」
ジュデルがラフトの頭を小突いて訂正を求める。
「そのとおりだ。」
「そうね。」
「お前もたまには良いこと言うよな。」
オウルは別としてラミーシャとラフトの変わり身の早さはどうしたものか。だが、きっとこうなる流れは見えていたのだろう。それぞれに快活な笑顔が浮かんでいる。
『皆さん...』
フィルネールの瞳が潤む。
「だが、ラフトの言う通りでもあります。【武の精霊】様からいただけることに意味があるのです。貴女に師事した確かな証です。皆、それがほしいのです。」
腰に下げたリアージュレプリカを愛おしそうに撫でるファーメルが後押しする。
『ありがとう。私も貴方たちとの縁としていつまでも残るようなものを授けます。ですから、ですから、』
フィルネールの目から涙があふれる。それは涙と言う液体成分では無くマナが代替しているものなので頬を伝う中で大気中に霧散していく。その輝きが彼女を幻想的に包んでいく。まるで夢幻の如くそのまま消えてしまいそうで弟子たちに緊張が走る。
「大丈夫ですよ。私たちはもう充分教わりました。今度は【武の精霊】様にお返しする番です。」
ファーメルが代表して宣誓する。
「そういうこと。」
「任せてください。」
「俺がうんと弟子を作って【武の精霊】様を最強の精霊に押し上げて見せますよ。」
「この馬鹿が【武の精霊】様の名を汚さぬように見張るんで安心していてください。」
フィルネールに物質的な贈り物は届かない。ならば弟子だからこそできる贈り物を彼らなりに考えていた。そう彼女の名声を高めること。それこそが最良の礼になるのだと。
『ふふふ。ありがとう。きっと届けます。あなたたちと私の絆に相応しい証を。』
フィルネールがほほ笑む。しかし、幻想的な煌めきの霧はより濃くなっている。輝きに隠れて弟子たちから見えないところでその時を告げる声がかかる。
『フィルネール、いや【武の精霊】。そろそろ行こう。嫌な予感がするんだ。』
キュエルの声はやや焦りににじんでいた。
『ええ。わかりました。では、皆さん、あなたたちのこれからに祝福を。』
フィルネールの祝福の言葉が終わると同時に彼女の周囲を覆うマナが転移の魔法に消費される。マナの霧が晴れた時、そこに彼女の姿はもうなかった。
「行ってしまわれたな。」
ジュデルが小さく呟く。
「ええ。」
「ああ。」
「そうだな。」
皆が思っていたことだった。ゆえに小さな彼のつぶやきは間違うことなく全員に共有される。
「それがあの方に与えられた使命なのだろう。私たちは私たちに託されたものを守って行こう。」
ファーメルが丘を見上げて総括する。そこにはまだまだ小さな世界樹が枝葉を広げる準備をしていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『キュエル、それは事実なのですか? 本当にあの村にディートゲルムの手の者がいるのですか?』
森と言うには物々しい柵に囲まれた村、アルテフィナでフィルネールはキュエルに問う。この場に来て以来、キュエルは何かを探ったまま身動き一つしない。
(おかしい。人の気配がない。)
『いや、確かな情報とまでは言えない。だけど、凄く嫌な予感がする。例の目を付けていた村が動き出した。それも瘴気を糧にするなんて普通の人間では思いつかないようなことを始めたんだ。』
フィルネールの問いかけにようやく反応したキュエルは走り出すとそれまでに話した憶測を補足する。
『確かアルテフィナ法国のある辺りでしたね。』
例の目を付けていた村とはアルテフィナ法国の起こりの村、まさに今2人がいるこの地である。2人はすでにフレイアの拠点をおおよそその地に絞りつつあるタイミングであった。
『君の話が偽りで無いことはわかっているけど、やっぱりその国が一番怪しいよ。』
キュエルは当夜やフィルネールから2人が未来から来たことを聞き及んでいる。そしてそこで起きた顛末についても。その中でキュエルが至った結論はアルテフィナ法国こそがディートゲルムの目的を成すための手足であるというものである。
『私とてその疑いを抱いています。ですが、あの国は人々の癒しの象徴でもあるのです。』
そう、あの国が崇めるのは【癒しの精霊】である。いわばフレイアにとって敵であり憎むべき象徴である。ディートゲルムのいない中で彼女は実質トップにあるわけでそれを許すとは到底思えない。もちろん【癒しの精霊】が裏切ったというケースもありえるわけだが果たしてどうだろうか。
『それが信じられないんだよ。だって、瘴気の元となる負の感情を産む根本を絶ってしまうわけだよ。彼らの目的と真逆の方向に進んでいるじゃないか。』
キュエルの言い分こそもっともだ。狂信的なディートゲルムの信者であるフレイアが個人的な感情に流されて彼の目的を阻害するようなことをするだろうか。そもそも彼女に親族への情など無かったように見受けられるが。
『そうですが...』
否定する言葉が見つからない。それでも違和感は消えない。
『ちょっと待ってっ』
フィルネールが言葉を見つけるより早くキュエルが切羽詰った声を上げる。
『どうしたのですか?』
『あれだ!』
キュエルが指し示した先には黒い玄武岩で作られた台がある。
『祭壇、ですか?』
飾りも何もない。だが、不自然に存在感を放つそれは明らかに祭事に使われる儀礼的なものだ。
『そうだ。やっぱり世界樹に直接寄生する気だ。いや、でも、』
キュエルはさらにその祭壇に近づく。
『どうしたのですか、キュエル? このまま祭壇を破壊してしまえば良いのでは?』
フィルネールが自らのために用意したリアージュレプリカを構える。
『―――おかしい。』
キュエルが顔をしかめる。
『おかしい、ですか?』
周囲を探るキュエルにその疑問の中身を問う。
『贄がいない。』
キュエルの疑問、それは世界樹に宿らせる意思、ディートゲルムの意を介する者だ。マナに満たされた【深き森人】で無くなった新たな人類は普通であれば世界樹の贄になどなれるはずもないのだが条件さえ満たせば代用と成り得ることをキュエルは知っている。
『そこに倒れている者たちではないのですか?』
フィルネールが指さす先で十数人の人が気を失って倒れている。しかし、彼らの存在をキュエルが見落としているとは思えない。
『あれは供物だ。マナが抜き取られていた。本来ならそのマナを吸収した贄がいるはずなんだ。』
よく見れば体の至る所で半透明に薄らいでいる。風でも吹けば消えてしまいそうだ。何もしなければ当然ながら彼らは死を迎えるだろう。そう、彼らこそが条件を満たすための材料だった。そして、この惨事を作り出した人物がいるとキュエルは言っているのだ。もちろんその黒幕も同じくだ。
『いずれにしてもこのままにしてはおけません。』
フィルネールがマナを分けて介抱しようとしたところでキュエルは気づく。
『っ、しまった。ここじゃない。これは偽りの祭壇だ。僕らを足止めるために作られたんだ。』
キュエルはその手を掴むと声を荒げる。そう、黒幕はここで彼らにマナを消費させ、かつ、時間を稼ごうとしているのだ。
『ですが...
―――だとしたらどこに?』
フィルネールは罠とわかっても諦めることはできない。それでもどうにか話を促すことができた。
『世界樹の根だ。世界樹の根から侵蝕するつもりだっ』
根と表現したが要は世界樹の真裏からアプローチするつもりだ。
『では、先に行ってください。私はこの人たちの治癒をしてから行きます。』
フィルネールは今にも消えそうな村人の手を取る。
『馬鹿を言わないでくれっ 相手は少なくとも2人以上だ。貴女も居てくれなければ困る。』
その手を引き離したキュエルは凄んで見せる。普段から冷静なキュエルがとったその行動は今のこの事態が真に危機的な状況であることを示している。
『ですが、』
押し問答になる。そう両者は理解した。これでは相手の思うつぼだ。それぞれが一合で折り合う方法を導こうとするがそれは中々に困難である。だが、その解決方法は第三者がもたらしてくれた。
『では、ここは私が請け負いましょう。』




