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世界を渡る石  作者: 非常口
第1章 渡界1周目
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エレールとの別れ

 自身の予定よりだいぶ遅れていることに気づいた当夜は、急いでエレール邸への帰路についた。ウォレスが主要道のみで案内してくれたおかげで迷うこと無くたどり着いた。だが、その頃にはすでにヘソナイトのような橙黄色の日が城壁の縁に重なり始めていた。それでも太陽の温かみのある明るさに比べて強いためにまだそれほどの時間で無いように錯覚してしまう。それでも優に午後四時と日本で称する時間を過ぎている。


(エレールさん、もう帰ってきているよね。勝手に出てきちゃったから怒っているかも...)


トントン。


 玄関を叩いて確認する。人の気配とともに扉が開く。


「...ただいま戻りました。」


 上目遣いの当夜の視界に美しい笑顔が降り注ぐ。


「はい、お帰りなさい。面白いことはあったかしら?」


「大変有意義な時間でした。エレールさんはどちらに?」


 満面の笑みをもってドアを開けたエレールだったが、当夜の本能は笑顔の仮面の下に隠れた彼女の怒りを感じとり警鐘を鳴らしていた。これはやばい。それがエレールの笑顔のあまりの美しさに対する賛辞からくるものであればどれだけよかったか。裏に含まれる恐怖に顔をこわばらせながらエレールの問いかけに応じるしかない当夜であった。


「んふふっ。

 き、み、の、 あ、と、し、ま、つ、

だよ。」

(本当にライトそっくり。悪いことをするとすぐに態度にでちゃって。二人とも隠しているつもりなのかしら。)


 エレールは当夜にライトの面影を探していた。小さなことでも大きく見える彼女には妻に頭の上がらない夫の姿と保護者に無断外出を咎められた子供の姿という一見交わりもしない存在を重ね合わせていた。ライトと自身の子供に自分たちの面影を探すように。


「えっと。どうかしました?」


 言葉の止まったエレールの心の内を探ろうと当夜は恐る恐る声をかける。


(やっぱり似てるかな。物腰は私寄りだけど、姿と行動はライトに似ているわ。きっと私たちに子供ができればこんな子供よね。そうよね、ライト?)


 エレールがわざとらしく咳払いをしたかと思うと当夜を家の中に招き入れる。及び腰に家の中に入るとエレールが肩を掴んで押し進む。


「こほん。君にはちゃんと常識を教えてあげる必要があるみたいね。さぁ、上がりなさい。それで? 君の周りで精霊の顕現は何回起ったかわかる?」


「たぶん2回です。」


 当夜が答えると大広間のテーブルの前まで来ていた。エレールが席に着くように勧める。当夜はゆっくりと腰を落とす。当夜が座ったのを確認したエレールが隣に座る。夏の高山の森のような落ち着く優しい香りが当夜を包む。


「いい? 精霊の祝福は1日に数十回あるけれど、精霊が顕現するなんてこと十数年に一度あるかないかと言われているくらい稀なことなのよ。それが一日に2回。それも一人の人物の周辺で。これがどれだけすごいことかわかるでしょう?

 それに精霊が顕現して祝福を授けたアイテムは、国宝として良くて買収、ひどいときには強制接収されてしまうわ。そして、王宮の地下で保管されて、王族でも触れることはなかなか許されないのよ。それくらい稀少なものなのよ。」


 子供を諭すようにエレールが指摘する。


「へぇ。」

(うーん。思ったより地球産の物は精霊に好まれる傾向があるのかな。確かにこの世界の文明レベルより向こうは進んではいるみたいだしなぁ。あんまり向こうの物を持ち込みすぎない方が良いということか。)


 正直、誰からも絡まれなかった当夜には王国の事情などどうでも良い話だった。それでも精霊と関わり合い過ぎてもあまり良い話にならなそうだなと上の空で聞いていた。それよりも横に座るエレールの美しさに目を奪われていた。


「まったく。理解できているのかしら。とにかく観測室には君には干渉しないように言い含めてあるから大丈夫だと思うけど、あまり目立ちすぎると自由に動けなくなるわよ。」


 当夜の額をエレールの放った風と水の複合魔法、【氷精の悪戯】と呼ばれる冷たい空気の塊が小突く。呆けていた当夜が目を見開く。


「はい。気を付けます。」

(な、何だ今の冷たいのっ)


 前髪を上げて首を傾げながら額を擦る当夜を小さく笑いながらエレールは魔法で冷やしてしまった彼のおでこにそっと触れて撫でる。


「ふふ。まぁ、小言はこれぐらいにしておいてあげる。

 先ほど、ギルドで貴方の住民登録とこの【渡り鳥の拠り所】の所有者変更をしておきました。合わせて管理人の変更を申請してあります。新しい管理人は、私の故郷の者にさせてもらったわ。そのほうが信頼できるから。たぶん5日もあればこちらに着くと思うけど、それまでは依頼でこの街の者を雇うからね。」


「えっと。どんな方が来るんですか?」


 当夜は照れを隠すように真顔で尋ねる。もちろん、本人はそのつもりでいるが外から見れば明らかに気恥ずかしさを抱いているのがわかる。顔が全体的に赤い。未来の管理人に見つかれば何を言われたものか。


「そうねぇ。取り急ぎはこの街の家政婦さんかな。今日中にはギルドから連絡あると思うわ。その後は私の故郷の者が引き継ぐ感じね。そちらは楽しみにしておいて。可愛い子だから。」


「へ~。」


(むっ。反応薄いわね。若いころのライトだったら諸手を上げて喜んだのに。あの子も真面目すぎるところがあるから心配ね。)


 いつの間にか額から頭の上に移ったエレールの手が少し乱雑に撫でる。髪が乱れて逆立つ。


(何か怒ってる? そっか、エレールさんより可愛い人なんているはずないですよとか言えばよかったか。)

「はぁ。ちなみにここ以外で暮らしていくのはありですか?」


「う~ん。それだと私の庇護下から離れることになるから、特例貴族を辞退することになるわ。そうなると納税の義務やいろいろな便宜が適応されないから大変になるだけよ。それにどこかの宿暮らしだと、住所が無いことになるからギルドでの信頼度も落ちちゃうし、何よりお金がすごくかかるよ。そもそもトーヤは常識の無いトラブルメーカーみたいだからフォローしてくれる人が必要でしょ? そんな貴方のために私の同胞に来てもらうわけだけど、一人残されるのって寂しいものよ。君は私の同胞にそんな思いをさせたいわけ?」


「いえ、そうじゃないですけど...」


「ってまあ、結局はトーヤの決めることだから自由にして頂戴。同胞にもそういう可能性があることも含めて来て貰っているから気にしないで大丈夫よ。ただ、たまには顔を出して話し相手くらいにはなってあげてね。

 それに、ここは私にとって大切な想いでの場所だからできれば残って引き継いでほしいなぁ。なんてね。」


(そんな上目使いで見つめるのって卑怯でしょ。)

「そもそも、エレールさんが残ってくださればいいじゃないですか?」


「言ったでしょ。もう時間が無いの。」

(そうよね。貴方からすればそうあるのが当然よね。常識が無いとばかり揶揄しておきながらこれでは私の方こそ常識が無いわね。)


 当夜の問いかけにエレールの表情が陰る。その顔に当夜はその発言が今の彼女にどれほど不適切なものだったのか察する。


(時間が無い、か。それがどういう意味かはわからないけど女性を困らせるのは最低だな。)

「我儘を言ってしまってごめんなさい。だとしたら、この家にいて何かしなければならないこととかあるんですか?」


(ふふ。大人ぶっちゃって。でも、頼もしいわ。)

「もちろんあるわ。この街に住む以上ね。通りの寄合とか特例貴族としての貴族会議とか。いろいろね。でも安心して、君一人に責任のかかることはそう無いから。頻度もそう多くないし、管理人が代理で出ることもできるしね。

 そもそも、君は子供だから議決権を得られる30歳まではお呼びもかからないわ。」


(まぁ、実際のところ30歳目前ですけどね。ここは話を合わせておきますか。登録された年齢は15歳ってことだし。)

「そうですか。腹を括るしかないかな。」


 当夜がお腹を叩く。それほど筋肉質ではないがまだまだ中年太りとは縁遠いせいか場を和ませるような軽快な音は響かない。


(もう、時間が無いのね。)


 エレールは自身の腕をそっと隠す。その手はすでに消えかけている。当夜の様子を嬉しそうにそれでいて寂しそうに見つめるエレールは一気に言葉を綴る。伝え残すことのないように。


「そう言うことです。

 もっと非常識な君にいろいろ常識を叩き込めないことが残念でしょうがないわ。だけど、残された時間がもうそれを許してくれそうに無いの。

 トーヤ。結果的に私の我儘に巻き込んでしまってごめんなさい。だけど、ライトが見込んで、わずかでも私と縁を結べた貴方だからこそ託せます。私たちが愛したこの家、この街のことよろしくお願いします。」


 エレールが頭を下げる。ライトから心を込めてお願いをするときには必要な儀礼であると聞いていたエレールだからこそできたことだ。床にパタパタと雫が落ちて広がる。


「はい。安心していって来て下さい。僕は笑顔のエレールさんが好きなんですから笑って発ってくださいよ。それと、あんまり遅いと別の人に引き継いじゃいますからね。」


 当夜はここぞとばかりに歯の浮くような台詞を発する。言ってみて何だが顔が熱くなるのを止められない。ぜひとも顔を上げないでもらいたいと願うばかりだ。そんな当夜の顔を見たエレールが本日一番の笑顔を浮かべる。


(貴方も私の笑顔を褒めてくれるのね。ありがとう。)

「さあ、私はそろそろお暇するわ。貴方に良い導きがあらんことを祈っています。さようなら。」


 エレールは、その笑顔のまま別れの言葉を残すと、ドアを開け放って颯爽と旅立っていった。その笑顔に見惚れていた当夜は慌てて見送りの言葉をかけるべくドアを開けたが、そこにエレールの姿はすでに無かった。

 そこに在ったものは傾く日差しの褪せた色合いに引き立てられた哀愁と、いつの間にか冷たく感じられるようになった風に泣く草花のかすれ音のみ。


「何から何まで唐突過ぎますよ。それに別れの言葉が ‘さようなら’ は寂しいじゃないですか。せめて ‘またね’ くらいでいいじゃないですか...」


 当夜のつぶやきは誰に届くでもなく、永らく世話を焼いてくれた主を失った庭に寂しく消えていった。



  ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



(ええ、その通りよね。ごめんなさい。トーヤ。それでも ‘またね’ は使えないわ。)


 誰にも届かなかったはずの当夜のつぶやきは一番伝えたかった人に確かに伝わっていた。その人は当夜がこれから暮らすことになる屋敷を見上げて涙する。


(長い間、お世話になりました。トーヤのこと、しっかり守ってあげてくださいね。新しい管理人も良い娘ですから幸せにしてあげてください。

 これで良いよね、ライト。私は先に逝っています。)


 そこは『渡り鳥の拠り所』の裏庭。そこに横たわるは四肢を失った一人の老婆。エレールは旅だったわけはなかった。

 エレールがライトから与えられた時間は一日となかった。その日の昼、一族の者に別れの挨拶を済ませ、新たな管理人に後のことを託し、エレールは世界樹の前に立っていた。本来ならばその場で体と魂を母体である世界樹に返すはずだった。それでも戻ってきてしまったのは、死が怖かったからではない。それは、異世界人であったライトを愛していたから、授からなかったライトとの子供と重なって見えたトーヤを心から心配したからであった。


 風がふいた。エレールが身にまとっていた服が翻る。そこにエレールの姿は無く、代わりに小さな芽が吹いていた。

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