精霊を創る戦い 6
「これは困ったことになったわ。」
金の長髪をなびかせて振り返ったフレイアの瞳は怒りに燃えるかの如く紅く揺らめく。言葉の上では困っていると表現しているがその内心ではまさに怒りが渦巻いている。
「はい。ですが、四大属性についてはフレイア様がお取りになったのは確実でしょう。」
セレスはその背後に目を移す。そこにはこの地で生まれた若き精霊たちの姿がある。彼らに意思はなくただただ創造者の命令を待つだけの存在だ。だが、その創造者は条件に合った者たちの肉体を精霊に創り変えて以来反応がない。それでもディートゲルムの組み込んだ術式に依るものか創り出した精霊にフレイアの命令を伝えることだけはできた。
「そうね。だけどここから先に進めない。この女の力を私では使いこなせない。盟主様であれば...
これが自発的に精霊を生んでくれればいいんだけど。」
フレイアは隣で瞑目したままに浮かぶ精霊の生みの親を睨む。だが、女性は一向に意に介した様子は無い。そう彼女には意識が無いのだ。そして、ディートゲルムによって作り変えられた人類の中に精霊を生み出すという概念がない以上精霊の生みの親になるはずの【原初の精霊】を強めることは叶わない。
「やはり贄をマナに富んだ【深き森人】にしたほうがよろしいのではないでしょうか?」
【原初の精霊】の強化が叶わない今、彼女たちにできることは生贄の質を高めることくらいだ。この四体は彼女たちに用意できる人材の中でも特にマナの扱いに長ける者たちのなれの姿でもある。逆に言えば彼ら以上のマナの保有者で無ければ精霊化は果たせないということでもある。
「そんなことはわかっている。だが、敵側の目が厳しいのだ。」
【深き森人】の居場所はおおよそ見当はついているのだが、その周辺にはディートゲルムの子らをして敵わない存在がいることもわかっている。すでに幾名かの犠牲が出ている。そのやられ方はまさしく盟主を地の底に追いやった化け物の仕業だった。フレイアの敵う相手では無い。
「それは...」
セレスもそのことは痛いほど理解している。遠巻きながらその化け物によって作り上げた黒い球体が同志たちを容易く呑み込んでしまう様子を見てしまったのだから。
「貴様たちの繁殖力に期待していたのだが思い描いていたほどでもない。これはどういうことだ?」
フレイアは数の暴力によって優勢を得ようと彼らの婚姻関係を推し進めようとした。だが、その目論見は中々前進しない。かといって大々的に彼女が前に出れば敵対者に己の存在場所を知らせるようなものだ。
「それは身の安全が確保されていなければ難しいかと。加えて、感情が生まれたことで相手を選り好みするようになりました。そのうえ、」
食料とて無限ではない。前身とも言える【深き森人】であれば食物はマナに富んでいれば樹液一滴でも葉一枚でも事足りた。だが、異世界人の肉体因子を手に入れた彼らには物質的な食物が必要となってしまった。食材の確保のための設備も作る必要があった。もちろんそれだけでは収まらない。異世界因子の受肉革命は生活基盤の抜本的な改革を求めていた。それらの解決を一挙に受けたセレスの内にはまだまだ言い足りぬ苦労がある。
「そんなことはわかっている。その対策をお前に命じているのだっ」
大きく変質したフレイアではあるが、その本質は精霊に近く、マナに依存した存在であることはどちらかというと元よりの【深き森人】に近い。ゆえに、新たに生まれ変わった彼らの苦労がわからない。それゆえにセレスにその任を与え、その対応の至らなさを弾劾していたのだ。
「申し訳ありません!」
フレイアの苛立ちが強烈な瘴気となってセレスにぶつけられる。思わず彼女はその身を強張らせる。とはいえ、無理なものは無理である。
「出来ないというのなら貴女には別の責を負ってもらうしかないわね。」
加虐的な笑みを浮かべるフレイアはセレスを道具としてしか見ていなかったことを改めて感じさせる冷たい目を彼女に向ける。
「...別の責、ですか?」
震える声。怯えが声に反映されていることにセレスは気づいていた。それでも隠すことなどできなかった。
「そうよ。世界樹を奪うの。」
あっさりと言ってのけるフレイア。それは当の本人をして不可能なことである。それにも関わらずその命令を自身よりも弱者に下したということはセレスに対してただ単に無駄に命を散らしてこいということだ。
「世界樹を奪う、ですか。ですが、あの地への侵攻などとても私ごときにはできません。」
「わかっているわ。ただ、貴女は確かマナの扱いに長けていたわね。例の4人よりも。」
フレイアは小さく笑う。その目はかつての同胞に向けられたものだ。セレスの同胞たちはその言葉に喜んで膝間づいていたが彼女はその目を見ていた。その言葉のあと数日して白目をむいてうわごとをつぶやく女の元に連れていかれた彼らは精霊に変えられた。それが今まさに自身に向けられたのだ。
「・・・いえ、似たようなものです。」
「なら、貴女が【世界樹の精霊】になりなさい。世界樹は生まれたばかりのか弱い存在よ。今なら十分に乗っ取ることができるはず。」
フレイアがセレスの理解を超える命令を下す。自身が【世界樹の精霊】になるということも想像つかないが、乗っ取るとはどのようにするものなのか。そもそもそれを成すには世界樹の傍に寄らなければならないはずである。そうでなければ新しい世界樹が生まれるだけだ。
「そ、それは。いえ、それにしても世界樹に近づかねばなりません。そのようなこと出来るとは思えません。」
「何も真正面から挑まなくても良いのよ。」
不遜に笑うフレイア。
「それはどういう...」
戸惑うセレス。
「私に任せなさい。貴女は早いところこの集落を大きく発展させなさい。」
セレスに猶予が与えられた。果たしてそれが歓迎すべきことなのかはわからない。
狡猾なフレイアが一つだけの村の発展をさせるはずがない。そんなことをすれば外部からのテコ入れがあったことをわざわざ明示するようなものだ。それゆえにフレイアはいくつもの村々に同じような指令を出している。精霊とて同じだ。今、この世界には同じ精霊が重なって存在している。そして、精霊の淘汰が引き起こされてもいる。すでにセレスの背後に控える2体は彼女の知る人物が核となっていない。だが、それは彼らの村がとても優秀であることを示してもいる。フレイアが起こしたこの狂気はすでに10を超える村に及んでいる。その事実がフレイアの活動拠点をこの地に置いている理由でもある。
「...わかりました。」
(その時が私の終わるときなのですね。シュエル、ケール、レンイ、ホロ、私ももうじき皆の元に参ります。カロ、貴方は今の私をみてどう思うのかしら。)
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『そうだ。フィル。これを僕の代わりに掲示してあげてほしい。』
当夜は一枚の大きな板を取り出す。そこには属性ごとの順位と得点、そしてそれを成した人物名が記されている。上位3名にはその順位に応じて文字の大きさと書体を変えてある。見やすくするのもそうだが特別感を与えるためだ。
『これが、』
フィルネールはまじまじとその板を観察する。彼女が騎士であった時も決闘や書面試験の結果から序列を定めて士気を高めたものだが、その結果は上官の口から結果だけが口頭ないしは小さな書面で個人に伝えられるにとどまっていた。そういう意味でも文字で全体に視覚的に与えられるということは画期的なのである。
『そう。これが今回の試験の結果だよ。』
大人げないことにそのすべての科目においてホコイルの名前が最上位にある。この結果を見た時の当夜は思わず苦笑と溜息を同時に生じてしまった。そして、気になる名前が上位にないことに疑問を抱いてもいた。
『このようにして知らしめるのですね。私の教え子たちにもそろそろ序列をつけてあげようかしら。そうすればもっと競い合って強くなってくれるでしょう。』
フィルネールが思い浮かべた者たちは今や単身でも魔物を倒せるレベルまで到達していた。もちろん彼女が鍛えてきた騎士団の者たちに比べればまだまだであるが、現在のこの世界では間違いなく上位の中でも一段も、二段も上にあるといえる。わずか1か月でここまで来たことを考えるととんでもない吸収の速さだ。とは言え、最近はその成長の勢いが弱まりつつある。誰もが通るスランプに行きあたっているのだ。
『なんだか生き生きしているね、フィル。』
『ええ。王国騎士団にいた頃を思い出します。ふふ。わかっています。煽り過ぎてはいけないことも承知していますから。』
当夜が補足しようとするもフィルネールが笑顔で先に答える。
『うん。行き過ぎた競争は不和を生むからね。後のことはお願いするよ、フィル。』
話の流れからは唐突過ぎる言葉。だが、それは必ず発せねばならない言葉。
『本当に一人で行くのですか? 私で良ければ一緒に、』
フィルネールはその時が来たのだと悟る。それでも足掻いてみる。
『うれしい言葉だけどそれは駄目だ。君には君のやるべきことがあるんだから。』
当夜は彼女の言葉を本当にうれしく思う。だが、彼がこの言葉を切り出せたのは彼女が未来の話をしてくれたからだ。
『そ、それなら...それならせめて【癒しの精霊】だけでも、』
その言葉はフィルネールにとって苦しい言葉だ。受け入れてほしいし、受け入れないでほしい言葉だ。そのことを理解して当夜は少し意地の悪い言い回しをする。
『それも駄目だね。彼女は瘴気をこの世界から少しでも生み出さないようにするためにも必要だからね。それにすべてが終わってからフィルにめちゃくちゃに怒られそうだ。』
『もうっ』
フィルネールが顔を赤くして当夜の肩を小突く。
『じゃあ、行くよ。』
突き放された当夜がフィルネールを抱き寄せる。その声は真に迫っていた。ここまで採点や掲示板の作製などに託けてその時を延ばしてきた。だが、それはディートゲルムに力を付けさせることになる。やるべきことが終わった以上はそれを決断しなければならなかった。
『...やです。嫌です!
―――離れたくありません。いつまでも一緒にいたいです...』
フィルネールは当夜の背に回した手の力を強める。わかっている。その手を離さなければならないことは。それでも彼女は緩めることができなかった。
『ありがとう。その言葉だけで僕は戦える。すべてが終わった時は共に歩むために必ず迎えに行く。』
『必ず、必ずですよ。―――待っています、から。』
当夜の誓いの言葉がようやく彼女の力を緩める。そして、その手を胸元で組むと当夜を力強く見つめた。
『...』
横から静かに現れたキュエルが当夜の背に手を添える。
『ありがとう。ごめんね。』
当夜はそう言葉を残すと姿を消す。その場に残されたフィルネールは崩れるように膝をつくと悲鳴のような泣声を響かせたのだった。




