精霊を創る戦い 4
『へぇ。僕は君がどうしてそんなことを言うのかを逆に聞きたいな。』
当夜からの不意の問いかけにキュエルの声に僅かな緊張が走る。
『世界樹の移植。その方が手っ取り早いはずだとは思わなかったのかな?』
当夜の不敵な笑みにキュエルは一歩足を退く。
『―――そうだけど。だけど、あれだけの瘴気にさらされているんだ。世界樹の方が汚染されているはずだよ。それにっ あの世界樹はだれからも信仰されていないじゃないか。』
キュエルはいつになく声を荒げる。
『―――キュエル。』
その姿を見るのは二度目。彼女の姉を奪われたあの時と同じだ。余裕がないのだ。キュエルはなかなか知略家のイメージが前面に置かれがちだが見た目相応にまだ経験の足りない子供なのだ。背伸びをした姿にだいぶ安心する。姉を失ってここまでひた走ってきたのだろう。いつか折れてしまうのではないかと心配でもあった。ウレアに目を付けたのもキュエルと彼女がよく似ていたからだ。そんな気持ちが思わず声に表れる。
『何さ?』
いたく不満げなキュエルは声にその感情を乗せる。キュエルはウレアと異なり支えとなる存在が姉だけだった。ウレアの時と同じような手は通じない。膠着しうる状況に陥ろうとしたときだった。当夜のもとに待ちかねていた良き知らせが届けられる。
『どうやら世界樹も君の考えを受け入れないようだ。』
当夜が得た吉報とは話題の中心に上がっている世界樹によってもたらされたものであった。それは一つの映像として明かされる。
『これは一体?』
映し出された半透明のスクリーンには世界樹の影があった。そして、そこには吹雪に乱された映像でありながら誰の目にもわかる花が浮かんでいる。小さな花が多数というのではない。ただ一つ、頂上部に巨大な花が咲いているのだ。誰も見たことのなかったそれは、猛吹雪の中でありながら傷つくことなく、隠されることなく、ひたすらに生きようと輝いて見える。
「―――あれは、世界樹の花?」
「きれい。」
「ああ、美しい。」
村人たちの目にはその姿は先の見えない逆境に置かれながら懸命に生きようとする自分たちの理想の姿として映る。
『どうやら彼女は戦うことに決めたらしいね。』
当夜はその姿を見つめながら嬉しそうにつぶやく。
『どういうことですか、トウヤ?』
隣に立ったフィルネールがその意味を尋ねる。
『・・・』
向かい合うキュエルは自身の理解の及ばない事態への疑念をひたすらに隠そうとする。ここまでの流れを誘導してきたのは自身であることをまだ疑うわけにはいかなかった。キュエルの中ではこれは当夜とディートゲルムの戦いではなく、キュエルとディートゲルムの戦いなのだ。一度はあきらめた復讐だったのが当夜の力を手に入れることでその機会を得たキュエルは少しばかり思い上がっていたのかもしれない。彼らを盛り上げる役に徹するつもりだったがいつの間にか裏から操る脚本家になっていた。
『僕がただ世界樹の前で瘴気の分解に終始していたと思うのかい?』
当夜は落ち着いた声でキュエルに問う。
『まさか!?』
当夜が世界樹に向かって瞑目のうえで座禅しながら瘴気を分解し続けた姿を思い出す。その時はわからなかったが、今にして思えば不自然な点があった。いつの頃からか瘴気の分解速度が明らかに低下した時期があったのだ。そして、その可能性に至る。
『アン、じゃなかった、フィルネットさんにかけられていた呪いを解いていたんだ。呪いは希望によって解かされる。』
世界樹からは常に後悔の念があふれていた。それは異界からもたらされる瘴気とは別に自身から生み出された瘴気となって世界樹を包み込む。自壊は時間の問題だった。そもそもその後悔とはなんだったのだろうか。それは己の心の弱さゆえに仲間たちを手にかけ、【深き森人】たちの世界に闇をもたらしたことだ。だが、その起因はフレイアを案じた心の隙をつかれたことではない。むしろ、フレイアの従者でありながら、友人でありながら彼女の心を理解できていなかったことに対するものだ。その後悔の念に気づいた当夜は瘴気を分解し、その後悔を受け止めながらそこに込められた感情を読み解いていった。その中で彼女の後悔にはあきらめではなく、やり直したいという望みが含まれているということにたどり着いたのだ。ゆえに彼女に希望を与えた。フレイアと再び対峙する時を、彼女を説得する機会を与えるという希望を。
「フィルネット様ですと?」
「おお、フィルネット様か。」
「今代の世界樹はフィルネット様だったのか。」
【深き森人】たちの間でもフィルネットは世界樹から直接生み落された上位格に値する存在だ。当然ながらに尊敬に値する存在でもある。
『そう、彼女の気真面目な性格を宿した世界樹だよ。瘴気の分解もずいぶん進んでいる。それゆえにディートゲルムは彼女を疎ましく思ってあの大吹雪を発生させているんだ。己に入ってくる瘴気すらも消費して。』
ディートゲルムが突如としてあの猛吹雪を発生させたのも彼女の強い使命感による瘴気の分解を嫌ってのことだ。そのことを【深き森人】たちは世界樹の怠慢とみなしていた。いや、キュエルによって誘導されてきた。
「なんと!?」
その最大の被害者でもあるホコイルが目を幾度となく瞬かせる。キュエルの説明と大きく食い違っていたのだ。
『だけど、あの膨大な瘴気でマナがかき乱される空間で転移の魔法を行使することなんてできるはずがない。』
それは事実である。せっかく得た【時空の精霊】の力をしてもまだ力が及ばない事実を突きつけられたキュエルは少しでも足掻いてみせる。
『君には出来ないというのかい、【時空の精霊】? 空間を司る君をしても?』
当夜が目を細める。
『あ、ああ。出来ないね。あれだけの瘴気だ。魔法がかき乱される。無理だね。』
まるで【時空の精霊】としての器を試されているかのようだった。しかし、無理なものは無理だ。そこまで口にしてはたと気づく。これが当夜によって誘導されているということに。ならば、当夜には何かしらの手があるというのだろうか。仮に転移させようものなら真の【時空の精霊】は当夜になってしまうのではないか。せっかく手に入れたこの強大な力、姉の敵を討てる可能性が当夜に喰われる形で失われるのではないか。キュエルの心に言い表せぬ焦りが生まれる。
『皆、聞いての通りだ。あの空間はとてつもない瘴気に満たされ、このすべての不幸の元凶たる存在に力を与え続けている。それにも関わらず彼女はあの場所でこの世界を、みんなを守るために戦っているんだ。それをどう讃えて報いるべきだろうか。この場に救い出したいとは思わないか?』
当夜が両手を掲げて厳かに村人に問う。それはすでに答えが決まっている問いかけだ。
「もちろんそう思います。」
「まったくだ。」
誰ともなく村人たちが肯定する。
『ところが、今の【時空の精霊】では力が足りないということだ。残念ながら【時空の大精霊】である僕でも不可能な話だ。だけど、今の僕は精霊を創ることができる。それは人の意識を精霊に変える力でもあるんだ。それならここに居る皆の願いと世界樹に宿るフィルネットの強い意志を形に変えて見せよう。だから、皆も想像してほしい。この地にそびえる世界樹の姿を。』
「「「おお。」」」
当夜の力強い呼びかけに村人たちも立ち上がって応える。
『・・・』
(そんなことできるわけがない。ここでそんな大風呂敷を広げてどうするつもりだい、トーヤ?)
キュエルの表情が見えていたのならさぞかし顔をしかめていただろう。当夜は確かに精霊を創る精霊と認められた。だが、それは数十名の村の中での話だ。それだけの大事を成せるほど大きな信仰を得られているとは思えない。まして、キュエルにその膨大なマナを譲った今では尚更望み薄だ。失敗が意味するところはこれまで積み上げてきた計画の振り出し、いや後退につながる。それは当夜であれば十分に見通せているはずなのだ。
『トウヤ?』
キュエルと同様の不安を抱いたフィルネールが心配そうに尋ねる。
『大丈夫だよ。僕を信じて、フィル。』
微笑む当夜。そこには自信すらうかがえる。
『―――わかりました。』
すでに人々は祈りを捧げている。フィルネールはそう応じて見守るしかできない。
(果たしてどうするつもりなのでしょうか。)
【癒しの精霊】はもはや世界樹創造に対して関心が薄い様子だ。それは彼女の存在の命題でもあるディートゲルムの被害者を癒すという行為がひとまず必要なくなったから。すなわち、ディートゲルムから受けたウレアの心の傷が相当に癒されたからだ。それは、世界樹の柱としてウレアの資格が失したとも言える。彼女が見据えていたものは世界樹との融合、ウレアも癒し、そのまま世界そのものを癒すというものだった。
(そろそろ良いタイミングだ。)
『かなりみんなの想いが集まってきた。さぁ、世界樹をこの地にっ』
当夜は自身が投影した映像を確認してその時を知らせる。そこには何らの祝詞もない。だが、その周囲には紅い粒子が無数に舞い漂い幻想的な光景を醸し出す。それに呼応するようにウレアの手に握りしめられていた欠片も光りはじめる。キュエルが隠し持っていたはずの粒もまた然りだ。そう、それらは当夜が分解した瘴気の隠された姿であり、キュエルが【渡界石】の正体と見抜いた物質でもある。キュエルは己の体から抜け出ていく紅い光を呆然と見送る。
【渡界石】の粒子は丘の高台に一本の柱のように集まり天に向かって伸びる。映像に映されていた世界樹もまた同じような光に包まれていく。まるで二つの空間がつながる予兆のようだった。
「お、おお!?」
人々の目線が二つの赤い柱を交互に捉え、その時を今か今かと待つ。
『どうして?』
ただ一人その光景に疑問を呈したキュエルに当夜が種明かしを始める。
『わかっていると思うけど、あれが【渡界石】の粒だよ。瘴気が負の感情とマナの結合したものだとしたなら、【渡界石】は正の感情とマナが結合したものなんだ。』
『やっぱりか。』
先日の当夜の話からキュエルはその結論を得ていた。しかし、だからと言って何だというのだ。異世界と繋がる石に何の意味があるのか。
『そう。僕をこの世界に導いた、負の感情渦巻く僕の世界とこの世界をつなげた【渡界石】。僕もさ、瘴気を分解した中に隠れていたこれを見つけた時は驚いたものだよ。ところで、瘴気の分解をしていたのは僕だけかい?』
当夜の目線を追ったキュエルの視界にあの空中投影された映像が映る。
『それは、―――世界樹も?』
それと今回の件がどうつながるというのか、キュエルには未だ掴めない。
『ご明察。世界樹は多くの【渡界石】を含んでいる。そして、瘴気と同様に【渡界石】も仲間を引き付ける。その逆に瘴気とは反発する。負の感情渦巻く空間と【渡界石】、瘴気の少ないこのエレムバールの地、どうだいそろそろ気づいたんじゃないかい?』
負の感情が渦巻く世界、それが負の感情を送りこんでくる地球のことであるのなら世界樹を覆い包む空間もそれに類する。そして、エキルシェールにおいてもなお瘴気の少ないエレムバールは地球から見たエキルシェールそのものかもしれない。その間をつなげる【渡界石】という存在。当夜が導き出した答えにキュエルも至る。
『トーヤ、君は、君はいったいこの世界の真理をどこまで知っているんだ? いや、それよりどうして僕が持っていると知っていたんだ?』
つい先日、【渡界石】の話が出た時はそこまで思い至っている素振りは微塵も感じられなかった。しかし、当夜の残り時間を告げる行為それこそがキュエルが【渡界石】を保持していると確信させるに十分な根拠になったのかもしれない。それならばあのやり取りすらもこの出来事の布石だったのかもしれない。
『真理なんてほとんど知らないよ。だけど、君が【渡界石】を集めているであろうことは僕の残り時間を推測したところで確信できた。それに僕自身もある程度は確保していたんだけどね。それでも今回は実に厳しかったよ。瘴気による反発力があるとはいえ、ウレアちゃんと君が集めてくれた分が無ければこちらが【渡界石】の引き合う力で勝ることはできなかった。場合によっては逆に向こう側に引っ張りこまれる恐れだってあった。だから感謝しているよ、キュエル。君が【渡界石】の欠片を集めてくれたことを。君がこの場にいてくれたことを。そして、君に伝えたい。これから立ち向かっていく困難は僕一人では解決できるものではない。だから、一緒に立ち向かってほしいんだ。協力してもらえないだろうか?』
発光現象が収まり、人々の声が響く。
『はぁ、わかったよ。トーヤには敵わないなぁ。僕もできる限り協力するよ。今度は君の望む形でね。その代わり、ちゃんと僕の姉さんの敵を取らせてくれよ。』
人々の歓声に己の完全な敗北を悟ったキュエルは溜息を一つ吐くとその手を差し出す。その声に不満は無い。むしろ清々しさすら感じる。
『ありがとう。頼りにしているよ。』
その手を取った当夜は実にうれしそうにほほ笑んだ。
「大精霊さま、世界樹がっ」
現れた世界樹はあまりにも過酷な環境にさらされてきたためにすでに枯れていた。だが、村人たちは悲観していない。なぜなら、枯れた世界樹の樹冠から落ちた種子からはすでに新たな若葉が芽吹いていたのだから。
『大切に育ててあげてないとね。』
「はいっ」
その日、エレムバールは世界樹の街としての第一歩を踏み出した。




