精霊を創る戦い 3
『おおっと。ずいぶん唐突だね。』
当夜は少年の目を見つめる。その目が大きく揺れ動くのが見えた。正直すぎるこの村人たちは隠し事が実に下手だ。彼の目線の先にはこの話に誘導したい何者かがいるのだろう。
「こら、フミクル。お許しください。幼さゆえの発言です。ですが、確かに私も聞いてみたいことです。精霊にはどのような条件で昇華できるのでしょうか?」
フミクルと呼ばれた少年を庇うように一人の青年が前に立つ。そこには並々ならぬ精霊への憧れがあった。
『昇華って...
う~ん、まぁ、今はいいか。えっと、精霊へのなり方だったかな。そうだなぁ。何か一つのことをきわめてみんなに尊敬されること。これが必要だね。あとは、仲間をたくさん作ること。そうすればなれるかもしれないね。』
当夜は腰をかがめると自らの質問の意図を理解していないフミクルの髪を優しく撫でながらなるべく噛み砕いて答える。
「そんなことでなれるの?」
まずもって己の理解の範疇を超えた答えが来るものとばかり思っていたフミクルだったが、予想以上に簡単な言葉で表現された内容が返ってきたことに驚く。そのつぶらな瞳に宿る興味は間違いなく仕組まれた反応では無かった。
『それが難しいんだけどね。』
「ふ~ん。じゃあ、僕も頑張ってみよっかな。ありがとう、大精霊様!」
当夜は撫でていた手を軽く上下させて二度ほど彼の頭頂部を叩く。柔らかな感触が伝わると同時にフミクルは気持ちよさげに目をつぶる。それが終了の合図と悟ったフミクルは大きく手を振って離れる。
『まぁ、もう少し難しい話をすると、まずは、なりたい精霊の司る現象を説いて回ること。そして、その支持者を増やすこと。最後に、自らを分解して生じたマナを使ってその事象を再現したうえで信者たちの前で精霊の誕生を演出すること。これで受け入れられれば精霊になれる、と思う。』
元いた場所に戻って両親に説明しているフミクルを微笑ましそうに見つめた当夜は一つ咳払いをして今一つ理解に苦しんでいる大人たちに向かって補足する。当夜があまり精霊の誕生に前向きでないのは受け入れられなかった場合に無駄死に終わる可能性があるからだ。
「そのような気の遠くなるようなことが必要なのですか。では、大精霊様もそのように?」
『いや。僕も含めてだけど今いる精霊は特例だからなぁ。』
実際問題、当夜が精霊の誕生に関与したのはキュエルと彼の姉の二人のみだ。そして、そうでない精霊たちもその誕生には当夜の言う原則を明らかに離反した一癖も二癖もあるような。当夜がこれまで考えてきた精霊の在り方とは大きく異なる。それでも一番近いのは世界樹のそれだ。
「どういうことですか?
やはり私たちにはその才能がないのでしょうか?」
先ほどの青年だけでない。前列で身を乗り出して聞いていた大人たちが悲観に暮れた表情を浮かべている。
『そうじゃないよ。そうだね。例えば今、時間や空間があるのはどうしてだと思う?』
なだめるように話す当夜。こんなことで精霊への希望を失われてはまともな信仰心は生まれまい。
「それは当然ながら大精霊様が時間と空間を、【時空の精霊】様をお創りくださったからです。」
村人の一人が満を持して答える。
『つまりはそういうこと。そういう精霊ってことだよ。』
当夜は我が意を得たりと言わんばかりにその村人の言葉を肯定する。しかし、その後の説明は省略してしまう。おかげで村人たちの頭上にはクエッションマークが乱立している。
(つまりは精霊がいるからその事象があると信じられた精霊ってこと。もちろんそのことを教えるわけにはいかない。それはキュエルや【癒しの精霊】の力を失うことにつながりかねないからね。こういうのって詐欺師が強いよね。そういう意味じゃディートゲルムは相当強いよな。倒せなかったけど封印できたのは行幸か。)
より神秘性が残された方が精霊の信仰は強まるような気がするのだ。信仰は説明できないことを超常的な存在に置き換えることで安心できるのだ。その部分が精霊には重要なのだ。
「それでしたら私たちもそのように変えてくだされば、」
『それはできない。』
とある村人のボヤキのような言葉を当夜は遮る。
「私たちに才能がないということですか?」
別の女性が不安げに尋ねる。
『いや、才能云々と言うわけではないんだ。精霊は人の意識と人々が抱いた概念や真理の印象とがマナによって結合した存在なんだ。言いかえれば一つの事象をめぐって個人の意識と多くの人々の想いがせめぎ合う存在なんだ。そんななかで多くの人がその個人とは別の見方でその事象を捉えるようになったらどうなるか。当然塗りつぶされてしまう。君たちは事象の定義をできていない。説明できる知識がないからね。そういう意味で君たちは何人をも説き伏せる知識を持っているだろうか。つまりは精霊になったとしてもより深く事象を定義づけできる存在と対峙したなら容易に塗り替えられてしまう可能性がある。』
そう、仮に当夜が彼らを精霊にしたとしても敵側にそれ以上の知識を持つ者が現れたのなら容易にその事象を司る精霊は奪われてしまうのだ。正直なところ精霊を奪われることよりもそのもとになった人物が消えることの方が当夜には耐えられない。
「では、私たちは...」
続く言葉はわかる。それは精霊にあこがれる彼らにとって口に出したくもない、聞きたくもない言葉だろう。そして、それを言ってしまったなら彼らの中での理は【深き森人】は精霊になれないとして根付いてしまうだろう。それは精霊を創れる精霊と評された当夜の存在強度を下げることにもつながる。だから強く否定する。
『なれないとは言わない。ただ時期尚早だと言いたい。これからみんなにはそのための勉強をしていってもらいたいんだ。』
当夜は勝手ながら自身とディートゲルムとの戦いに彼らを巻き込まなければならない。その中で犬死にさせるようなことはさせたくない。だからこそ今は蓄える時なのだ。とは言え、相手側はすでに精霊化を進めている。このまま野放しにすれば彼らの精霊がその存在を理由に事象の代弁者となり得てしまう。それほど時間は残されていないようでもある。
『だけど世界樹はすぐにでも必要になるよ。今ある世界樹はじきに枯れる。世界樹は僕のように君が作り出せば良い精霊だろう? すでに概念は存在しているんだ。』
いつの間にか村人の輪に加わっていたキュエルの指摘が入る。
『キュエルっ』
フィルネールの遠くでもわかる怒気を含んだ声が響く。その威圧感は村人を震え上がらせる。その姿に己を諌めたフィルネールは気配を和らげると村人に謝りを入れながら2人の元に歩み寄る。
「フィルネール様はやっぱり【武の精霊】なんだよ。」
「それより、【時空の精霊】様はあのキュエル様なのか?」
「じゃ、じゃあ、やっぱり世界樹様の眷属を大精霊様は精霊に昇華させたということか。」
「なら、私たちも、」
村人たちはフィルネールの威圧から解放されてめいめいに憶測を広げる。【深き森人】にとってキュエルは世界樹の守護者であることは語り継がれている。彼は世界樹の落とし子であるホコイルなどの第一世代と呼ばれる者たちよりも格上ではあるが、同じ世界樹の別身でもあって広義の意味では【深き森人】なのだ。ともすれば、当夜に認められれば精霊になることは可能であるという希望的観測がもたらされる。
『これはどういうことだい。キュエル?』
当夜が珍しくキュエルに鋭い視線を向ける。言葉にもどこかしら重みが感じられる。思わずキュエルが息をのみ込む。
『どうもこうも無いよ。世界樹がこの地に必要だってことだよ。』
一つ間をおいてキュエルは己を奮い立たせるかのように足を叩くとそのことを告げる。
『なるほどね。村長と話があるって言っていたのはそういうことか。』
キュエルのその言葉だけで当夜が外れていた会議の中身を理解する。それは当然ながら当夜も考えていたことだからだ。
『そう。ホコイルは最適者だよ。』
『まぁ、そうだね。』
キュエルの案に同意する当夜。キュエルは当夜が自身の考えに同調的であるものと確信する。
『トウヤ、申し訳ありません...』
一歩で遅れた形となったフィルネールは実に悔しそうな表情を浮かべて謝りを申し入れる。まともに当夜の顔を見ることもできないでいる。そんなフィルネールの名を呼んだ当夜の声はとても優し気だった。
『フィル。』
『―――はい。』
フィルネールは当夜の声音に導かれて顔をゆっくりと上げる。
『安心して。君が僕の味方だってことはわかっているから。』
『―――トウヤ。』
微笑む当夜にフィルネールは感情が昂り思わず抱き付いていた。自身を理解してくれた嬉しさもあるが力になれなかったことへのくやしさもあった。
その2人の姿に村人たちが囃し立てるが当夜の表情に照れる様子は見られない。真剣な表情でキュエルの様子を見つめている。
『・・・』
この流れはキュエルにとって喜ぶべきものであるはずだった。フィルネールが当夜を案じていること。当夜もそれを理解しているがそれでもキュエルの案に従うことこそがベストであること。憎まれ役を買って出ると決めていたのだ。悔いはない。それでもやはり気持ちの良いものではない。不満があった。当夜に自身も認めてもらいたかった。顔に表情が表れないことを今は感謝するキュエル。
『キュエル。君が言いたいことはわかった。世界樹は必要だ。だけど、あの猛吹雪の中だ。確かにもうじき枯れることだろう。そして、僕なら新たな世界樹を創り出せるだろうね。』
つながる当夜の言葉もキュエルの予想している通りだ。当夜もわかっているのだ。道はそこにしかないことを。
『そうかい。理解が早くて助かるよ。それなら、』
早く結論を聞かせてほしい。己の内なる気持ちを理解してもらえないのなら結果だけでも得たい。キュエルは当夜の口からその言葉を得ようと誘導する。
『その前に。その前にどうして君は世界樹をもう一度創ろうなんて考えたんだい?』




