精霊を創る戦い 2
こちらではご挨拶が遅れてしまいました。
本年もよろしくお願いいたします。
『世界樹を創ることはそれほど難しくはないよ。何しろ、この村の中で最も信頼を受けている人物を柱にすればおのずと村人から信仰を得られて成長していくからね。過去の世界樹もそうして創られた。』
世界樹の護り手だったキュエルがそう断ずる。
事実、かつての世界樹は【深き森人】すらいまだ存在していない時代に大樹たちの中でも特に大きく、異世界から降り注ぐ瘴気をより多く分解する大樹が尊敬の念を受けて選ばれた経緯がある。そう、世界樹にも大樹にも意識があったのだ。エキルシェールの植物の中でも特に進化の進んだ大樹たちの組織は著しく分化して人の脳に近い器官を作り出し、化学物質ではなくマナを伝達媒体とする知能が発展していた。中でも世界樹は異世界から降り注ぐ瘴気を分解する中で人の感情を浴び続けためにその機能が発達していた。そのために世界樹は負の感情が瘴気を生み出す根源であることを理解し、負の感情と言うものを危険視していたともいえる。【深き森人】たちに負の感情を抱かせないようにした理由でもある。
そして、移動手段を持ちえなかった彼らにその手段を与えたのが異世界の人間だった。彼らは自身らの肉体の一部、設計図となるDNAを与えた。それを元に生まれた【深き森人】はその世界樹やほかの大樹たちから生まれた眼であり足となったのである。
「そうなると私ですかね。私にはむしろ光栄なことです。おそらくほかの村人でも同じく答えるでしょう。」
満を持してホコイルが名乗り出る。世界樹を生み出すための人柱の話が上がれば村人の代表者であるホコイルは確かにその第一候補として名が挙がるだろう。
「今の状況では嫉妬の念を集めるかもしれないな。」
そんなホコイルを横目にターペレットが釘を刺す。確かに未だに感情表現や認識に疎い村人ではあるが世界中に広がっている瘴気の影響は少なくない。負の感情である嫉妬の影響を受けた者たちがいるかもしれない。だが、ターペレットが危惧したのはそれだけでは無い。
「それはほとんどお前からのものだな。お前はまだ若い。経験が足りんのだよ。」
「...」
ホコイルはターペレットの指摘の意図を嫉妬によるものとして笑い飛ばす。ホコイルは感情を手にして以来、頭角を現してきたターペレットの才能を己の座を脅かす存在として意識してしまっている。つまりはターペレットに嫉妬してしまっているのだ。それこそがターペレットが危惧しているところなのである。そうは思っていてもターペレットはそれを糾弾することはできない。ホコイルが村長として敬われているのは確かであるし、仮にこの方針で進むのであればこれ以上揉めてもホコイルの負の感情を呷るだけで村のためにもこの世界のためにも良いことはないとわかっているからだ。
『つまりは人選が大きなカギになるのでしょうね。』
【癒しの精霊】は両者のやり取りを見て目を細める。ホコイルはもともと人格者であったがすでに権力を有する立場にあり、瘴気が蔓延する現状ではターペレットの不安が適する可能性も高い。一方でターペレットは頭角を現してきたといってもそれほど信頼を得ているとは言えないないし、ホコイルを推す者たちの不満を集まる可能性を抱えている。要するにどちらも不適と言える。必要とされる人材は権力から離れる存在でありながら皆から信頼を預けられるに値する人物である。そして、彼女にはその人物について心当たりがあった。
そんな【癒しの精霊】に鋭い視線を向ける者が一人いた。
(彼女はウレアちゃんを柱に添えるつもりですね。ですが、不幸を背負ったままに世界樹になることがどれほど危険かわかっているのでしょうか。確かに瘴気は瘴気を呼び寄せるでしょうけど己からも生じていては浄化が間に合うかどうか。そもそもトウヤがその選択を許すとは思えません。私が知るトウヤであれば、)
『そうでしょうか?
私にはトウヤこそが鍵となる気がします。いいえ、むしろそうあるべきだと思います。』
【癒しの精霊】の瞳に彼女の考えを見出したフィルネールは一旦の釘を打つ。おそらくこの場で決定されてしまえばそれは本人たちが飲むしかない状況に追い込む流れに繋がっていくだろう。その芽を彼女は先んじて摘み取ったのだ。これで本人の意思が尊重される流れが生まれるだろう。この場にいる者たちは大局ばかりに目が向いていて当事者たちのことを考えていない。それがフィルネールには許せなかった。
「また負担がかかっちまうな。」
ターペレットは当夜を案じて見せるがその本意まではわからない。
『そうですね。』
【癒しの精霊】の同意は何に向けられたものか。
『まぁ、そうだね。』
キュエルの冷めた同意。そして、その顔はホコイルに向けられる。
「本人不在で議論を重ねても仕方ありますまい。戻ってお話を伺うとしましょう。こちらもそのことで手を打ってありますので確認もしたいですからな。」
ホコイルは次なる手とばかりに提案する。明らかにキュエルの手とわかる。彼はこうなる流れをあらかじめ予想していたのだろう。さすがは時間を司る精霊というところか。
『何をしたというのですか?』
フィルネールの鋭い視線が言葉と共に発言者であるホコイルでは無くキュエルに向けられる。フィルネールの望んだ流れが生まれてはいるが、その流れもまた事前に掘られた溝に沿ったものに感じられた。
「そのような怖い顔をしないでください。精霊を創ることについて大精霊様がどのようにお考えか聞いておきたいでしょう?」
フィルネールの問いかけに答える様子の無いキュエルに代わってホコイルが間に入る。
『それは、まぁそうですが...』
当夜の意見を確認する。それはフィルネールから言い出したことだ。ここで異を唱えればおかしな流れになる。まさか当夜にまで誘導をすでに入れているとは思えないがいったい何をするつもりなのか、フィルネールは強い不安を抱く。
一行は話をそこで打ち切り、講義会場に向かう。先頭を取って歩き出したホコイルの背後にキュエル、その後に【癒しの精霊】、続いてターペレットがそれぞれに距離をとって続いていく。そして、大きく遅れてフィルネールが足取り重くついて行く。その距離感こそがここまでの関係性を示す良い図式だったのかもしれない。
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『というわけで瘴気の分解とは感情を受け止めるということなんだ。』
何がと言うわけなのかというと瘴気の成因から始まり、その人体への影響、さらには対処方法までの当夜による講義が終盤に差し掛かったところであった。生徒となっている村人たちは皆真剣だ。それもそのはず、ここまで散々脅かされてきたのだから。瘴気が負の感情を押し付けて自身らの感情に大きく影響を与えていることや高濃度下ではもはや人格すらも支配されて大切な人でも傷つけるようになる可能性があるということを聞かされては真剣にならざるを得まい。
「感情を受け止めるとはどういうことなのでしょうか? 具体的にお示ししてくださるとありがたいのですが。」
当夜の言葉に対する反応もずいぶんと大きい。一言一言に必ずと言って良いほど質問がかぶさる。
『そうだね。瘴気ってのはマナと負の感情がくっついたものだって話は先ほどの通り。その負の感情を理解してその感情が求める行動をとればいい。』
「それって、大精霊さまも怒りの感情が含まれていたらその感情を抱いた人のようにお怒りになるってこと?」
少女然とした当夜よりもはるかに年上の村人が可愛らしく尋ねる。その姿に騙された当夜は子供に応じるように優しい言葉遣いで答える。
『そうなるね。もちろん、その人に自身を重ねるのが一番楽だよね。ただ、それを外に出してしまうかどうかは別だよ。客観的に受け止めることだってできるかもしれない。』
当夜が言っているのはドラマや映画を観ているような感覚が近いかもしれない。共感というべきものだ。
『そのうえで負の感情に結び付いていたマナを別の感情に結び替えてしまうんだ。』
当夜は親指と人差し指でつくった輪を離すと親指を中指にくっつけてみせる。
「結び替える、ですか?」
先ほどまで質問を繰り返していた少女然とした女性は首を傾げる。
『そう。例えば、君の大切な人の命を奪った相手が目の前に現れたとしたらどのような感情を抱くだろうか?』
投げかけた問いに対する答えでなく更なる深みに誘うような投げかけに女性は小さく口を開けて呆ける。彼女は未だそのような経験をしたも目にしたことも無かったゆえにその投げかけを自身に重ねて受け取ることができなかった。そして、それは過半数の村人にとっても同じだ。彼らは悲劇の少女の悲痛な叫びに何かを感じてというよりも嘘という概念が無い中で逃げた方が良いという言葉に従って逃げ延びた者たちなのだから。だが、彼女の声に耳を傾けずに逃げなかった一部の家族や友人を失った者たちは苦悶の表情を浮かべる。それでもその思いがうまく言葉に表せない。知識と経験が足りないのだ。
「―――殺してやりたい...」
少女の声。それはその姿に見合わないひどく冷たい声だ。同時に周囲のマナが彼女の仄暗い感情に群がる。瘴気が生まれたのだ。生まれた瘴気は次々と周囲、いや、ホコイルの作った結界を超えて集まり始める。
『それが正しい反応だろうね。さて、この瘴気を生み出した彼女の感情は果たして本当に負の感情と呼んで捨てるべきものだろうか。僕はそうは思わない。きちんと受け止めてあげるべきだ。』
当夜は静かにウレアの肩に手を乗せる。瘴気が当夜に流れ込む。
「どうしてっ どうして私の感情を奪うの!?」
心の荷が抜ける心地よさとここまで彼女の生を支えてきた憎しみの抜ける喪失感が彼女に涙を流させる。当夜に向かってがむしゃらに手を叩きつける。
『大丈夫。君の感情が無くなったわけじゃない。今でも憎い相手を思い出せば同じ感情が生まれるはずだよ。だけどよく見てほしい。君の感情が憎しみだけではないということを。』
当夜は暴れるウレアをそっと抱きしめると耳元で優しく語り掛ける。そして、動きの落ち着いた彼女の手を取るとその上に当夜は自身の握りしめた手を差し出す。そして、彼女の小さな掌にその証を移す。
「...何、ですか?」
受け取ったウレアの手のひらでその小さな小さな粒は、一見すれば何も存在していないかのような霞のような存在だが、極めて美しい赤い光を放ち始める。それは力強くも温かい光だ。喪失していた何かが埋められていくようだった。
『君が大事に想っていた人たちへの愛情だよ。妹さんや君の周りの良くしてくれた人々への、ね。』
「...ウレナ、みんな。」
当夜の言葉がウレアに大切な人達の姿を思い出させる。その温かな光を抱きしめるように胸に寄せるウレアから同じ色の粒子が漂い始める。それは未だに彼女の体から溢れ出す瘴気や集まる瘴気を次々に反転させていく。淡い光のそれはその場を包み込むように広がる。同時に村人たちの体を包み始める。その顔には共通して涙が流れてウレアと同様の表情に変えている。
『悪かったね、ウレア。君を利用してしまった。
だけど、皆もわかってくれたと思う。怒りの裏にこれほどの愛情が秘められていたことを。愛情は負の感情だろうか。いや、違う。そう、感情は単純じゃないんだ。だから、僕は負の感情と呼ばれるそれを別の感情に置き換えるということをしているんだ。』
平静を装う当夜だが正直なところではこれほどまでに影響力のある力になろうとは想像していなかった。だが、一番不安視していた感情を掴めていない村人にも感情の複雑性や共有を伝えられたことは大きい。
「感情の置き換え、か。感情をまだ理解しきれていない俺たちには難しい話だな。」
かつての悲劇が生み出した正と負の感情が入り混じる物語に包まれた余韻に浸る一人の男性は涙を拭う。それでも自身にそのような悲劇が起こったわけではないのでやはり理解には至らない。それも感情は人それぞれ、状況それぞれに多様なのだから当然と言えば当然だ。
『そうだね。でも、彼女の想いを理解できている人もいるみたいだ。それに感情は多様だ。一朝一夕に理解できるものじゃない。でも、感情を奪われることが無くなった君たちならいずれ、近いうちにわかるようになるよ。そもそも、僕だってすべてを理解できているわけじゃない。』
当夜を大精霊として完全なる存在としてみている村人たちから当夜の最後の一言の意味を問う声がかけられそうになる。だが、その問いは一人の少年によって遮られる。
「ところで精霊ってのはどうやったらなれるの?」
少年の正面には頷く人影が見えた。
本年は外伝との更新比率を同じくらいにしたいと考えています。
こちらは3、外伝は2くらいの割合で書いて行こうと思います。




