新たな精霊の誕生 4
『はい? 何言ってるの、フィル?』
目を点にした当夜がフィルネールに振り返った。その声には若干の不満が乗せられている。しかし、そこに在った眼差しは純粋な期待。言葉は無くとも十分に真意は伝わる。
『わかったよ。本当にフィルはスパルタだなぁ。』
あきらめから来る気だるげな声。当夜は抗議の視線を取りやめて目の高さまで両手を上げて降参を表す。その一方で片目を薄ら開けて彼女の出方を見守っている。もちろんこれ以上の逃避行は彼女への裏切りとなる。当夜が期待しているのはもう少し和らなお願いである。それが得られればきっとモチベーションも急上昇することだろう。
『すぱるたの意味は分かりませんが、トウヤなら乗り越えられます。良いところを見せてください。』
フィルネールが二の腕を上げて力こぶを見せる。少し恥ずかし気に。これまでに幾度となくその細腕を見てきたがどこにあの強大な力が宿っているのか不思議でしょうがない。相当な努力に裏打ちされた練度が成せる技術の賜物なのだろうか、それともマナという未知の物質の力なのだろうか。彼女の実直さから考えて前者だろう。ゆえに当夜はフィルネールに魅かれたのだ。
それにしても少し恥ずかしげにというのは実につぼを押さえていると言わざるを得ない。その上こちらの反応をうかがうような上目目線など反則だ。
『ずるいなぁ。フィルじゃなかった言い訳して逃げたけどそんな目で見つめられたら逃げられないよ。』
当夜は頭を掻いて照れ隠しする。お互いに中々に顔を上げられない。そのくせ視線は幾度も交錯して2人を困らせる。
『楽しみしています、先生。』
浮付いた空気に呑まれたのか珍しく冗談めかしてみせたフィルネールだったが自らの慣れない行動に恥ずかしそうにさらに顔を赤らめる。甘い空気も度が過ぎればきつくなる。お互いに収拾のつけように困っていたところで助け舟が出される。
「どうやら本日の先生は時空、いえ、トーヤ様になりそうですな。」
ホコイルが孫を見るような目を向けて頬を緩ませている。と言っても見た目は老人とは程遠いのだが。
『ええ。お手柔らかにお願いします。』
当夜は深く一礼する。いつかは解決しなければならない問題だった。逃げれば逃げるだけ溝は深まり修復の利かないものとなっていただろう。そうであればフィルネールの後押しを受けた今こそが最良なのかもしれない。間違いなく村人からは白い目で見られるだろうというのが当夜の中での予想だ。うまく想いを伝えられないかもしれない。それでも誠心誠意、彼らの役に立てる話をしてみるつもりだ。
「それでは私は村人に本日の趣旨とトーヤ様について紹介しなければなりません。少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか? できましたら少し席を外していただけますと。」
ホコイルは当夜のその姿に苦笑すると彼の不安を和らげるための提案をする。ただ、当夜が懸念するようなことは無いとホコイルは確信している。初対面の時はまさに絵に描いたような畏怖すべき存在であって到底敵対できるような存在ではなかった。その印象が強すぎて恐縮こそすれど復讐しようなどとはまず思いつくまい。
『承知しました。では、あちらの水辺で休んでおりますので終わりましたらお声かけください。』
当夜は胸をなでおろしてホコイルに期待のまなざしを送る。ホコイルは小さく笑うと手を上げてその場を後にする。そんな当夜の背後から【癒しの精霊】が声をかける。
『トーヤ、今日はこれで大丈夫でしょう。ただし、大丈夫といっても瘴気の分解をしないというのが大前提です。それと、フィルネール様が寂しい思いをしているようです。きちんと彼女のことを大事にしてあげてください。』
【癒しの精霊】はそのことを告げるなり足取り軽くホコイルの後について行く。
『さ、寂しいだなんて、思って、い、ないです...』
【癒しの精霊】に対抗心を抱いているフィルネールだったが指摘されたことを完全に否定することもできずに口をまごつかせる。そんないじらしい姿に当夜はここまでの自身の行動を振り返る。思い返せばこちらに来てからディートゲルムとの戦いに然り、瘴気の分解に然り、フィルネールに心配ばかりかけていた気がする。いや、根本はあまり元の時代でもあまり変わっていないのかもしれない。だが、大きな違いがある。それは当夜が彼女を気にかけていた時間が無かったということだ。
『そっか、そうだよね。ずっと僕は自分のことばかりだったよ...
僕はフィルにずいぶんと甘えきりだったね。』
『...そう思ってくれるのでしたら今度2人っきりの時間をください。』
俯いていたフィルネールが消えるような声で訴える。かなりそばに居るはずの当夜にもその声は届かないほどだ。それでも十分に彼女の気持ちは伝わる。彼女の意図とは別にマナが届けてしまう。
『そうだね。それなら今日は一緒に楽しもうか。』
当夜はフィルネールに手を差し出す。フィルネールはその手を取ろうとしたが、ふと何かに気づいたようで延ばした己の手を止める。そして、顔を上げる。
『いいえ。明日にしましょう。だって、貴重な時間がだいぶ失われていますから。』
晴れやかな笑顔だった。
『わかった。フィルのいうこともごもっとも。あ~あ、もう少しで講師をサボる口実ができたのに。』
当夜は冗談を口にしながらも微笑んで力強く頷く。
『もちろんそんなことは許しません。』
真面目な表情で、それでも目じりは笑っている。
『さすがはフィルだね。』
『わかればよろしい。』
フィルネールが優しく当夜の肩を小突く。恥ずかし気な笑顔が当夜の心を温かにする。
「すみません。お待たせしましたかな。」
ホコイルが少しばかり話しかけにくそうに声をかける。
『いえ、そんなことはありません。では、村長について行けばよいですか?』
当夜とフィルネールは慌てて距離を取る。俯いて恥じらうフィルネールを横目に当夜が反応する。
「そうですな。まいりましょう。フィルネール様もご一緒に。」
ホコイルは姿勢を正すとフィルネールに振り向く。
『私も、ですか?』
フィルネールは正気を取り戻すと小さく首を傾げる。もともとはフィルネールが当夜を村人に紹介するつもりでいたのだがその長たるホコイルが間を取りなすというのであれば彼女の出る幕はないというのが自明の理である。ゆえに彼女の中では今日の出番はないと思っていたが故の反応だ。
『そうしてもらえると、』
当夜が捨てられた子犬のようにフィルネールを見つめている。
『うぅ。仕方ないですね。』
お願いを聞いてもらった手前そう無下に断ることもできない。それに当夜と一緒にいられる口実がもたらされたのだ。表面上は渋々といった様子を見せて当夜に重ねて恩を売るのもありかもしれないと頭の隅で無意識に電卓が叩かれる。フィルネール本人はポーカーフェイスを気取っているのだが、残念なことに上気した笑みとしてそのことが表情に見事に描かれている。心情の読める当夜には尚更容易に読めることだろう。とは言え、当夜は当夜で講義の時を目前にしてだいぶ緊張し始めているせいかまだ気づいていない。そこで何かを思いついたのかフィルネールに声をかけようとその方向に向き直る直前、ホコイルが声をかける。
「お2人同時に紹介した方が後のことを考えると好都合かと思いましてね。」
当夜の視線がホコイルに引きつけられる。それと同時にホコイルは魔法で作り出した手鏡をフィルネールに投げて渡す。映された己の表情に彼女は慌てて表情を作り直す。ホコイルは小さく息をつくと2人を引き連れて歩き出す。
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小高い丘の頂上に立たされた2人は多くの村人からの視線を浴びせられている。人の視線になれているフィルネールとなれていない当夜。2人の表情は笑顔であるが自然体のフィルネールに対して強張っている当夜の明瞭な差があった。そんな彼らに思いもしないところから爆弾が放り込まれる。
「それでは皆に紹介しよう。【時空の精霊】様と【武の精霊】様である。これより皆に様々な知恵を授けてくださる。心して学ぶように。」
予想外の紹介である。だが、当の本人は至って真面目にそう紹介したのである。
『ぶっ! ど、どういうことだよ!』
『なっ? どういうことですか!?』
2人してまったく同じタイミングでホコイルを見る。
「面白~い。本当におそろいの反応だ。」
「おお、さすが夫婦なだけあるなぁ。」
「いきなり惚気るとはさすが精霊様だ。」
村人たちが笑いながら囃し立てる。
『いや、夫婦って。将来的にはそうなりたいと思っているけどまだそこまでは...』
当夜が予定にない始まりに慌てふためきながら墓穴を掘る。興味なさそうなふりをしつつチラチラと視線を送るのを止めない青年少女たち。体を前面に傾ける子供たち。老人たちは尖った耳をひくつかせている。そこには大量の石油が埋まっていたようで火に油が注がれたかのように話が膨らむ。
「えぇ~。じゃあ、どこまでいってるの?」
少年の期待する視線。年齢は圧倒的に当夜を上回っているのだが、長寿の彼らの中ではこの少年もまだまだ子供だ。ゆえにマナを読んでも向けられているのは純粋な興味である。真面目に答えるのもむず痒いが嘘をついてだますのもはたしてどうなのか。当夜はドツボにはまっていく自身の姿を幻視する。
『いや、その、何ていうんだろう...』
「もうチューはしたの?」
今度は少女だ。聞いた本人も頬を赤らめているが、その先を求める期待の目が実に眩しい。
『えっと、まぁ、そのなんだ...』
フィルネールとて相方が泥沼にはまっていく様子を呑気に眺めていられる状態ではない。何しろ自身もその泥沼の真っただ中にいて、相方が暴れるせいで自身も深く引きずり込まれているのだから。そして、ふと気づく。
『ちょ、ちょっと待ってください。確か皆さんは精霊が見えない方々だったはずではありませんか?』
それまで興味深げに見守っていた大人組が悪戯の見つかった子供のように視線を一斉に逸らす。
「いや~。ターペレットに助けて貰って精霊様を感じ取る練習をしたのですよ。」
一人の青年が頭を掻きながらその答えを開示する。奥の方でターペレットが笑いを堪えている姿がようやく見える。
『そんなっ!?
昨日からそれほどの時間は経っていないのにどうして?』
一朝一夕に修得できるようなものではないはずである。特にフィルネールなどマナの保有量からしても存在を感知することすら難しいレベルだ。多少マナの扱いが良くなろうと一日前の状況と変わるはずなどないはずである。それはマナを扱う上で天才と言われてきた彼女をしても容易では無かったのだから。
「ハハハ。徹夜明けで気分が昂ってますよ。しかし、自分の目で拝めるというのは良いものですね。我々と似たようなお姿で少し安心しました。」
「その上、その反応だしな。そうでなければ強力なマナの脅威にしか映らんからな。あの時もきっとそういう面白いやり取りを実はしていたんじゃないかと今なら思えるよ。」
「いやぁ、それもそうだけどそれよりもさっきの続きが気になるわねぇ。」
中段に位置取っていた3人組が目を血走らせながらうなずき合っている。よく見れば子供たちの中には重たい瞼をこすりながら欠伸を上げている者やすでに夢の世界に旅立っている者もいる。どうやら村人全体で一夜漬けを敢行したようだ。
「まぁ、それくらいにしてあげなさい。開眼したのはそれでも全員ではありません。とは言え、声くらいは届くはずでしょう。今日は精霊様が思うことを思うままにお話しくだされ。」
ホコイルが苦笑しながら3人を治める。だが、村人たちに当夜とフィルネールが良い仲であると吹き込んだのはホコイルその人なのだがまるで他人事のように二者を取りなす。
『アハハハ。そうさせてもらうよ。』
巻き込まれる形であったとは言え緊張をうまくほぐされた当夜は感謝して笑う。これでもう普段通りに話をできそうな気さえする。そんな中で当夜の袖をフィルネールが掴んで引っ張る。
『もう、トウヤ。そこで話しを流さないでください。
ホコイル様、どういうことですか? 私たちを【時空の精霊】と【武の精霊】に例えるとは。』
フィルネールのまじめな問いかけがこの後の2人の存在を大きく運命づけることになる。




