魔法の存在
神殿での祝福も無事に終わり、ギルドにもう一度顔を出す。受付の傍まで至ると女性と男性のやり取りが耳に入ってくる。
「なぁ、レイゼルちゃ~ん。この成果は上乗せ報酬があるべきだと思うんだが、そう思わないか?」
(はぁ。面倒なの来ちゃったなぁ。いつも通り、いつも通り。)
「ほぇ? う~ん、そうかなぁ。そうかも。じゃあ、報酬上の、きゃっ?」
レイゼルが小首を傾げながら報告書を宙に掲げて確認したかと思うと、その上から目にも留まらぬ速さで伸びた手が奪い上げる。
「出来るわけないでしょ。あんたはいつも余計な出費、もとい公平性を欠いちまうからねぇ。まったくしょうがないねぇ。あんたもうちの子を変に唆すんじゃないよ。って、ガイズ。あんた二度目じゃないか。次やったら反則金を取るよ。」
勝気そうな女性が報告書を簡単に読むと受付台にたたきつけるように置く。暗赤色のポニーテールを肩から胸に流した彼女は相手が二度目とわかると自身よりも屈強そうな男を片腕で持ちあげる。ガイズは苦しそうに彼女の手を掴む。力で振りほどこうとしているようだが適わないようだった。
(嘘だろ? この俺が負けただと? やばい、息がっ)
「へ、へい。ヘーゼルの姉御。」
ようやく声を振り絞ったガイズは涙目でヘーゼルを見る。
「その姉御ってのは止せって言ってんだろ!」
ヘーゼルが突き放すように男を落とす。重たい音がギルド内に響く。男が軽いわけでは無いようだ。
「は、はい!」
ガイズがすぐさま立ち上がると直立不動で立ち上がる。そこに報酬が放り込まれる。ガイズは硬貨を手の中で転がしながらどうにか受け取ると踵を返して玄関を飛び出て行った。
(あのヘーゼルさんって人、強いんだな。僕より少し年上かな。それにしてもあの列は長そうだし、レイゼルさんって説明下手だから今の僕には遠慮したい人かも。別の人に見てもらうか。)
先ほどお世話になったレイゼル嬢の前には長蛇の列ができている。まぁ、今のやり取りからもわかる通り彼女は何かと押しに弱いところがある。報酬の上乗せや未達成の依頼の受理など判定が笊なのだ。おかげで彼女の前にはそのような不正の蜜を吸おうと不良冒険者が集まる。それではなぜギルドはそのような問題児を採用しているのかと言うと、性根の腐った冒険者の選別をするためだ。この列に並び不正を求めた者は陰からチェックされてもれなくブラックリストに名を残すことになる。結果、昇級が遅れていくのだ。レイゼル自身も自らのその役目を勘付いているのだろう。たぶん。
そんなことなど知らない当夜はもっともすいている列を探す。やたらと人の流れのはやい列に並ぶと程無くして自分の番となる。
「こんにちは。どのようなご用件でしょうか?」
(あら。可愛いお客さんね。依頼かな?)
今回の受付は紺色の髪と目をもつ長身の眼光鋭いお姉さまだった。前の冒険者とのやり取りを見る限りでは要点を掴むのがうまいらしく、仕事をさばくのが早いやり手の受付であった。おかげで前の男性冒険者は食事を誘うつもりだったようだが、“はい、次の方。” の言葉であっさり引き下がることになったようだ。ぼそぼそと“また食事に誘えなかった”とつぶやいていた。まさに取り付く島もない鉄壁の女性のようだ。当夜にももれなく通り一遍のアナウンスが響いた。
「ギルド登録の途中でして、神殿で精霊の祝福を受けて戻ってきたところです。こちらが石板です。」
(この手の人はしつこい人が嫌いなタイプだな。仕事中は仕事にだけ集中したいんだろうなぁ。)
彼女の心象など知らず当夜は見た目だけで彼女をそう判断していた。
「はい。お預かりしますね。
【時空の精霊】の祝福を受けられたのですね。おめでとうございます。」
(珍しいなぁ。これなら説明をするのにちょっとくらい長めに時間をとっても問題ないよね。あら、これはいったい...)
女性が受付の光る球に当夜の石板を近づけてしきりに角度を変えて観察している。さらにはその裏面まで確認している。そして、書棚から取り出した書面に次々とデータを記入していく。レイゼルとは全然違う対応だ。そんな彼女の手が止まりしばし静まる。
(何かまずいことでもあったのかな?)
「どうかしましたか?」
当夜が不安そうに尋ねる。
(そんなに不安そうな顔をしないで。大丈夫だよ。)
「いえ、それほど大きな問題はありません。ご安心を。気になったのはこちらです。ご覧ください。元の色とあまり変わりないのでわかりづらいかもしれませんが、右上のあたり色が変わっていません。」
(それにしてもどういうことなのかな。複数の属性持ちの方にこういうことは見られるけど、その場合は別の色がつくはずだし。)
「あっ。本当だ。色が変わってない。」
彼女が示した先にはメタリックというより銀が酸化されたような暗銀色の全体に比べて地色の玄武岩のような艶の無い黒色が広がっている。その部分は、石板の右上に扇状に1割程だった。
「これってどういうことですかね?」
当夜は少々嫌な予感を覚えつつも
「前例がないので憶測ですが、おそらく祝福の程度が弱かったのかもしれません。別の意味もあるかもしれませんが、初めてのことですのであまり良い方向に捉えるのは危険な気がします。そもそも【時空の精霊】の祝福なんて前例が少なすぎますから。」
(ああ、どんどん顔色が沈んでいく。どうしましょう。)
「そうですか。はぁ、現実って何だか厳しいものですね。」
半ば予想していた通りであったが現実を突きつけられるとやはり良い気分にはなれない。
「そんなことはないですよ。何しろ、中には精霊の祝福を受けられない方も結構おりますから。あまり気を落とさないでください。まして、【時空の精霊】からの祝福者なんて滅多にいませんからね。すごいことなんですよ。」
意見すると冷徹にも思える彼女が当夜に優しいまなざしを向ける。出会った当初の鋭い目つきはどこか和らいで見える。当夜は自身よりも明らかに若い女性に慰められたことに若干照れながら口を尖らせる。
「そうゆうもんですか。」
当夜の顔を見て一瞬笑みを浮かべたもののすぐさま元のポーカーフェイスに戻った彼女は淡々と手続きを進め始める。
「そう言うものです。
さて、それでは先に進みましょう。
これはマナの集積用の結晶です。倒した魔物の魔素をマナに変えて集めるクリスタルです。ここに貯めこまれたマナの量がその者の実力を示す一つの手段となっています。」
おそらく難しい単語だからと噛み砕いてくれたのだろう。いらぬ親切だが別の意味で無知なところが隠れているはずなので当然指摘などしない。
(あの石にねぇ。どういうメカニズム何だろう。)
「では、埋め込みますね。
“大地を耕せる生命の礎たるものよ、祝福の礎に力の証を抱かせたまえ”【ソーネル】」
爪の先ほどの大きさの無色透明の水晶の欠片のような石を石板に当てて、受付嬢が呪文のような言葉をつぶやくと欠片が石板に埋め込まれた。受付嬢が結晶をつつくようなしぐさをする。無色透明の結晶が淡くムーンストーンのように濁る。再び手で触れると無色透明に戻る。
「はい。完了です。」
(これが魔法かぁ。地味だけどルースを台に填めるのに便利かも。)
「へぇ~。その言葉で埋め込むことができるんですね。ほかの物も埋め込んだりできるんですか?」
「簡単に言うとそうなりますね。
実態としては、精霊にマナを捧げることで対価として対象物を石板に埋めてもらってる感じですね。ただ、その現象を起こす真理を精霊の言語で説明できなければ発現しないので一般の方では難しいでしょうね。」
「真理? どういうことですか?」
(この辺りが魔法発動のみそだな。詳しく聞いとこっ)
当夜の目が好奇心に輝く。
(うわっ、小動物みたいで可愛い。)
「そうですね。何と説明すれば良いかな。
普通、魔法は起句を唱えることで、発生させたい属性を持つ精霊を呼び出します。それから、結句を唱えることで魔法の種類を指定するわけです。そして、魔法の燃料とでもいえる自身のマナを捧げるわけですね。
たとえば、【癒しの風】では、起句に、
“いかなる者にも公平なる慈しみと祝福を授けし心温かき者よ、我に応えよ”
と紡ぐことで【癒しの精霊】を呼び出します。
さらに、結句を、
“傷つきし哀れなる者たちの失い流れた血肉をその肉体を構成する組織の分化を以
て補い給え、そのための礎として我がマナを捧げます”
と続けることで魔法の種類が決まります。
最後に、自身のマナを魔法の効果範囲まで広げて、魔法名、この場合には【癒しの風】を口にすることでそれを合図に精霊がその拡散するマナを使って発現させるという流れなのです。」
(つまり特定の呪文を知らないと魔法は撃てない、と。それにしても長い呪文だった。あれじゃ、覚えるのも楽じゃないぞ。ともかくこれがこの世界の魔法ってやつか。)
当夜が難しそうな顔をしているので彼女も若干困り顔だ。自身の説明力に自信を失っているかのようだ。
「って、難しいよね? 大人でも理解できないって言われちゃいますし、やっぱりわからないかな?」
言葉遣いも再び崩れ始めている。
「えぇっと、なんとなく?」
(イメージさえしっかりできれば行けると思うんだけど。まぁ、誰もいないところで実験だな。)
実際には、起句や結句は精霊たちの言語であり、普通の人には口語としては聞き取れないため呪文という形で認識されているのであるが、当夜には自動翻訳で日本語に変換されて聞き取れてしまったのである。
「ですが、呪文だけを知っていれば発動するかと問われれば否です。
先ほどの【癒しの風】では、どの傷が、どのようにふさがり、どのように血肉が戻るのかを想像しなければならないのです。その想像力と呪文、そしてマナが合わさることで精霊が魔法として発現させるのです。」
「なるほど。」
(やっぱりイメージか。ふっふっふっ。無詠唱で魔法を発現できるようになって驚かせてみせるぜ。な~んてね。)
当夜が一人夢想している傍らで、その博識な受付嬢もまたスイッチが入ったのかやけに詳細が織り込まれた解説を滔々と語っている。
「ただ、これには例外があります。個々人で祝福する精霊がいる場合です。トーヤさんなら【時空の精霊】ですね。その場合、【時空の精霊】は常にトーヤさんを傍で見ているので呼び出す必要はありませんよね。ですから起句は必要ありません。そして、トーヤさんの体に豊富に存在する時空属性のマナが当夜の意思を直接【時空の精霊】に伝えるのでより精度の高い、無詠唱の魔法が発動するのです。」
「ふ~ん。つまり、僕は時空属性のマナが多いから【時空の精霊】の祝福を受けたってことだね。で、他の属性は無いから他の属性の魔法を使うときには起句と結句が必要ってことですね。」
(へぇ。理解が早いわね。レイゼルにも見習ってもらいたいくらい。)
「そうね。おおよそはね。でも、それだけじゃないの。さっきの石板への埋め込みもそう。起句からわかると思うけど、あれは地属性の魔法なの。でも、まだ結句が定型化されていないの。そうなると、【地の精霊】に祝福された人しか使えないわ。」
「ん? では、貴女は【地の精霊】に祝福されているってことですよね? あれ? だとしたら起句も結句もいらないはずでは?」
当夜が首をひねる。女性はさもありなんと首を縦に振る。
「そういうことになるよね。でも、違うの。私は【地の精霊】からは一切祝福されていないわ。
実は、【ソーネル】については、おおよそ、魔法の真理が解読されてきているの。真理を理解できていれば、精霊の力に頼らずとも強いイメージとマナだけで魔法を発動できるんだよ。」
目の前で息を荒げて顔を寄せる姿から彼女の話のすばらしさは十分に伝わってきた。
「へぇ。それってすごい発見じゃないですか!」
(な~んだ。無詠唱は証明されていたのか。とりあえず褒めるべきことで良いんだよな。)
当夜は大げさに驚いて見せる。
「いいえ。魔術学校の先生方のご指導のおかげなのよ。それに私は、」
とても言いにくそうに、言葉の最後なんてほとんど聞き取ることも難しいくらいに小声となっていた。
そこへ受付嬢の後ろから声がかかる。
「それは、あんたの才能よ!
ほんとすごいでしょ、テリスールって! うちのギルドの天才なんだから。
テリス、あんたももっと胸を張りなさいよ。
いい! そのうち、この子が【ソーネル】の定型化に成功するんだから。
あんたも冒険者なら、この子のような娘を口説けるように精進することだね! まぁ、私でもいいんだけど。」
「もう! ヘーゼルさん。そんな風に茶化されると困ります。」
(それにしてもテリスが口調を砕いて話に夢中になるとはねぇ。どんな男かと思えばガキじゃないか。これはそう言う相手じゃないか。この子は男を求めてないからねぇ。あたしはこの子でも大丈夫だけど。)
目の前の受付嬢がテリスールと言う名前を持っていることを初めて知った当夜はそのことを教えてくれた親切な女性の姿を確かめる。年は当夜と同じくらいか、それよりやや年上か。耳には雪の結晶のような飾りを付けた金のイヤリングが二対ずつ煌めいている。そんな装飾を凌ぐような豪華な赤色の髪は肩まで伸びてウェーブが強くかかっている。ルビーレッドの瞳が当夜を厳しく審査している。
(ヘーゼルさんも美人だけど僕は年下派なんだよね。ごめんなさい。)
「ハハハ。ヘーゼルさん、テリスールさん、初めまして。自己紹介が遅れてしまいましたが、トーヤです。よろしくお願いします。
えっと、話をまとめるに、自力で真理に至ったテリスールさん以外には【地の精霊】に祝福されていなければ【ソーネル】は使えないってことですか?」
「はい、力不足で申し訳ありません。それと、ソーネルは私の同期でも使えるものが何名かおりますので必ずしも私が定型化できるとは思えません。」
知らぬ間に当夜にお断りを受けているヘーゼルに緊張してかテリスールの言葉遣いが元に戻っている。
「大丈夫。テリスールさんならできるよ。楽しみにしています。僕も使ってみたいですし。」
「ありがとう。トーヤ君は良い子ね。」
テリスールの再びの笑顔を見ると当夜の心もなぜか安らぐ。ちょっと良い気分に浸っていた時だった。何やら後ろから、‘それ以上は許さん’ ‘早くしろ’ というプレッシャーを感じたので振り返ると、そこには屈強な野郎どもが列を作ってこちらをにらんでいるではないか。急いで譲るべく話を打ち切ることにした。
「おっと、もうこんな時間か。早く戻らないとまずいかな。テリスールさん、ご丁寧にありがとうございました。テリスールさんが頼りになるということがよくわかりました。これからもよろしくお願いします。」
一礼して受付を譲る。男が押しのけるような仕種をしてくるがサッと躱すと小さな笑いと声がかかる。
「ありがとうございます。また、いつでも頼ってきてくださいね、トーヤさん。」
手を振るテリスールに軽い会釈をして離れた当夜に列に並ぶ何人かに睨まれた気がするが気のせいではないだろう。
(あっ。しまったなぁ。結局、【時空の精霊】の加護の能力を聞きそびれたよ。どうしよ。まぁ、追々調べていくしかないな。)
結局、当夜は【時空の精霊】のことはもちろん、ギルドの機能や制度をほとんど確認できぬまま、エレールの家へ戻ることとなったのであった。




