新たな精霊の誕生 3
次週は別の話を上げる予定なのでお休みです(o*。_。)o
キュエルの転移魔法でエレムバールを抱く森に到着した一行はフィルネールの案内で入り口となる木の前に立つ。フィルネールはやや心配な表情を浮かべている。迎えがいないのもそうだが、そもそも自分たちだけで村に入れるのか。そして、先方と正確な待ち合わせ時間を協議してこなかったことへの焦りである。王国騎士だったころの彼女であればこのような手落ちは無かっただろうがこちらに来て以来そのような機会が無かったために見落としてしまった。そこへ例によって植物の苗を背負子に詰め込んだ村長の驚きに満ちた声が響く。それもそのはず現在の時間は朝の7時くらい。訪問にはいささか早く、当然講義には早すぎる時間だ。それに伝説上の存在である精霊が4体も肩を並べているのだから至極当然の反応だった。
「これはこれは、精霊様方。まさか皆様でお越しいただけるとは思っておりませんでした。」
『そうですよ。どうして貴女まで...』
その声に最初に反応したフィルネールの言葉が彼女にとっても一向の在り様として予定の外であることを示している。彼女の言葉は一人の女性に向けられている。その人物は当夜の背中に手を当てて寄り添っているかのようだ。フィルネールの表情が引き攣っているのが見える。
『申し訳ありません。まだ、トーヤの治療が終わっておりませんから。』
フィルネールの視線に気づいた【癒しの精霊】が顔だけを当夜の肩の横から覗かせると苦笑する。
『悪いね、同行して貰っちゃって。』
当夜はその顔に済まなそうな表情を浮かべる。
『いえいえ、お気になさらずに。』
(貴方はすぐに無理しますからね。フィルネールさんをこれ以上困らせるわけにもいかないですから。)
【癒しの精霊】が当夜とフィルネールの両者に笑みを向ける。【深き森人】をベースにした彼女はその容姿の良さを如何なく引き継ぎ、兼ねて黒髪黒目と当夜に近い容姿を持ち合わせている。まるでフィルネールよりも彼女の方がふさわしいと当てつけるようだ。
『う゛ぅ』
フィルネールはどうしてもその笑みを好意的に受け止められない。表情が強張る。
『君も中々意地悪だね。』
ススーと【癒しの精霊】の隣にキュエルが席を取るとその耳に囁く。
『そうですか?
他意はないのですが彼女に警戒されてしまって困っています。良い解決策はご存じありませんか?』
キュエルの言葉の意図を理解できずに彼女は質問で返す。幸いなことに本人を前にして一応は配慮したのか小声であったことは評価するべきか。その問いをフィルネールの耳に入れたらさぞ憤怒することだろうとキュエルは溜息をつく。
『それ、素で言っているなら本当に厄介だね。』
悪意の無い暴力とでもいうべきか、フィルネールの心を痛めるその行動を思い返すとなおさらだ。それでは当の当夜はどう思っているのか。キュエルは問題の中心にいる人物に視線を送る。そこに本人の姿はない。
『お~い、2人ともおいていくよ~』
これまた悪意のない呼び声がかかる。今の当夜にとって大事な想い人はフィルネールであって、出会って間もない【癒しの精霊】では比べる対象とはなり得ないのは間違いない。せいぜいが親切な看護師さんといったところだろう。ゆえにフィルネールが懸念するようなことに至っていない。それほどに安心しても構わないほどの高みにいるはずのフィルネールであるが、自信を無くしている彼女はその余裕を築けない。
『い、今行きますっ』
振り返る当夜、その背中に触れ続ける【癒しの精霊】、その光景に焦るフィルネールはいつになく足取りを乱して駆け出す。当夜がクスリと笑う。それは彼女の小さな変化を好意的に受け取った証であるが、当人は嫌われる一因になってしまったのではないかと不安に思ってしまう。
「では、参りましょう。」
そのような駆け引きなど興味のない年長者であるホコイルは追いついた2人を確認すると閉鎖空間の扉を開く。
『―――やれやれ。』
それぞれの動きを遠目から見守っていたキュエルは肩を小さく落として苦笑する。ディートゲルムとの戦いでは周りが見えなくなっていたキュエルであるが、こうしてみれば一番周囲を見渡せているのは自身ではないかと思えてくる。特に当夜にはその点であの戦いのようなキレを見せてもらいたいものだ。そう思いながらキュエルは当夜たちの後を追って村に入る。空間を司る彼にとってその門をくぐる必要はないのだが敢えて彼らの道に付き合う。そんな中で当夜が口を開く。
『なるほどね。これが【隠遁】か。一応、空間自体は外と切り離そうとしているみたいだね。それでもかなりの隙間があるせいで完全に隔てることができないでいる。』
(まさにアンアメスさんが使っていた魔法の劣化版だね。これじゃあ、瘴気も入ってきちゃうか。)
時間にしてほんの一瞬、当夜はその狭間を通り過ぎるなり【隠遁】の魔法の原理と課題を見抜く。感覚的には瘴気を水に例えるならアンアメスの魔法はタオルであって、ホコイルの魔法はザルである。それほどに隙間に差があるのだ。
「ほう。わかりますか。さすがですな、【時空の精霊】様は。」
ホコイルは感心したように頷く。フィルネールが先に来た折に触れた同じような魔法とは当夜が作り上げたものだと彼は納得した。もちろん違うのだが。
『あ、いや。僕はもう【時空の精霊】ではないんです。すでにその立場は彼に譲りましたので。』
狼狽する当夜。そもそも【隠遁】を見ての感想はホコイルに対して発言したものではなく、フィルネールに対してのものだ。正直なところ、当夜はここまでホコイルの存在を認めていないかのように彼と目線を合わせることもなく、言葉を交わそうともしていない。ここに来て初めて会話が生まれようとしているのだ。当夜は大きく手を振って訂正するとキュエルを指し示す。
「そうなのですか。」
(私には主従の関係にあるようにしか見えないのですが...
しかし、これ以上彼を怒らせるわけにはいかない。)
ホコイルは当夜とキュエルを見比べると言葉とは裏腹に腑に落ちないとばかりに首を傾げる。そう、当夜が彼を避ける理由を先の遭遇での一件の中で不興を買ってしまったからではないかと不安を抱いていた。
『それと、本当なら真っ先に謝らなければならないところだったのですが遅れて申し訳ありません。初めてお会いした時は大変失礼な、いえ謝っても許されないことをしてしまいました。誠に申し訳ありませんでした。』
ここまでホコイルとの視線の交錯を避けてきた当夜だったが、先の村への非礼を思い出して沈痛な表情を浮かべて深々と頭を下げる。その行動に慌てたのはホコイルだ。フィルネールが先に訪れた際にホコイルが発した言葉を彼女の言葉に置き換えて当夜に強く苦言を呈したのではないかと心配になったのだ。この謝罪の裏には強烈な恨みが隠されているのではないかと心配なのだ。なにせディートゲルム然り精霊は感情を隠すのが得意というのがホコイルの抱いた感想なのだから。
ホコイルは目を細めてその行動を深く観察する。それも当夜になるべく悟られないように気を使いながらだ。汗が顎先から落ちたことに気づいて息をのんだ時、彼はあることに気づく。体が震えているのだ。まるで悪意なく小道具を壊してしまった子供が親の叱責を待つかのようだった。
「頭をあげてください。」
(そうでしたな。貴方様は最初に顕現された時から感情を隠すのが得意ではなかったようでしたな。)
「ハハハ。やはり貴方様は私の見込んだ通りのお方でした。大丈夫です。確かに畏れはありましたが、恐怖ではありませんでした。それに誰一人として死者は出ておりませんし、村はこの通り見事に復帰しております。」
ホコイルは真っ直ぐすぎる当夜の態度から真摯に反省の心を感じ取り頬を綻ばせる。そして、当夜の腰を伸ばさせるように体を支えると村を見通せる視界を与える。当夜を緑豊かな樹海が色鮮やかに迎える。
『...そういっていただけると幸いです。』
心が幾分か安らぐ感覚を抱くも、すぐにそのような美しい彼らの居住域を破壊した自身の行動が思い起こされて気持ちは沈む。そんな当夜の心情を理解したホコイルは方針を変更する。明らかに声質を変えてわざとらしく当夜を責める。
「ただまぁ、そうですな。物理的に破壊された痕を埋め直すのは苦労でしたな。」
『う゛っ』
反射的に当夜は息を詰まらせる。その様子を片目を閉じながら確認したホコイルは罪に対する罰を与える。それこそ当夜が自らの罪を許すための罰である。
「その埋め合わせと言っては何ですが、どうかこの村を守っていただけますか?
そうですなぁ、この私の【隠遁】はどうも稚拙なゆえ貴方様の御力でより強固なものしていただけると助かりますなぁ。」
『もちろんですっ』
当夜は強い意思のこもった目線で返す。
「なればこの村の住人は快く貴方様を迎え入れてくれるでしょう。」
ホコイルは口調を元に戻して笑みを浮かべる。
『ありがとうございます。』
当夜もまた、ようやく笑みを浮かべることができた。
「さぁ、皆が待っています。」
その笑みを待っていたホコイルは当夜を広場に向けて案内するべく足を進めようとする。そんな彼の腕をつかむ者がいた。キュエルだ。
『村長。貴方とは一度話し合いたいことがあります。後ほど時間をいただけますか?』
「はぁ。構いませんが。では後ほどお声かけします。」
小さな声で確認し合うキュエルとホコイル。若干気乗りで無いホコイルだが、後にキュエルによってもたらされる情報は彼にとって何よりの吉報となる。
『では、僕はここで待っていますので。
トウヤ、フィルネール。後は任せるよ。僕は教えるのは得意じゃないんだ。それに僕は僕の準備があるからさ。』
キュエルはその場の木の幹に体を預けると瞑想を始める。
『ええ。わかりました。』
『んー?
わかった。何かあったら声をかけるよ。』
フィルネールは神妙な顔つきで了承し、当夜は少しばかり気にはなったもののこの村への貢献方法の模索で頭がいっぱいとなっているため深くは追求する気にもなれないでいた。
「では、お2人はこちらへ。」
歩き出したホコイルに続く当夜とフィルネールの姿をキュエルはうっすらと開けた片目で見送った。
『ほら、トウヤ。あそこが今日の会場ですよ。』
唐突に、開けた小さな丘が広がる。フィルネールがその丘の頂上を指す。ホコイルの呼びかけで突然の開講にも関わらずすでに結構な人数が思い思いの場所に腰かけている。
『へ、へぇ。すでに結構集まっているじゃん。先生も大変だね。』
当夜は腰を引き気味にフィルネールの肩を揉む。正直、ホコイルから許しの言葉を得てはいるが村人の心象までは量ることなど出来るわけも無く顔を出すのが気まずい。
『何を他人事のように言っているのですか。トウヤは今日しか時間がないのですから本日の特別講師として紹介します。しっかり教えられることは教えてあげてください。』
フィルネールは小さく溜息をつく。それは当夜に呆れたからではない。彼女の意図とは別にキュエルの後押しをしてしまっていることに対してだ。確認こそしてはいないが当夜が彼の策を知ればおそらく反対することだろう。とは言え、ここで当夜がこの村の人々から許しを得られればそれは大きな心労からの解放となる。間違いなく今後の活動にプラスとなって現れる。そういう意味でもここは荒療治が必要な場面ではある。ゆえに、彼女は強い意思を込めた目で当夜を見つめた。




