動き出す異世界
フィルネールが【癒しの精霊】に抱かれた当夜に後ろ髪を引かれながらもどうにかその場を離れる。そんな彼女の前からキュエルが呆れ声で言葉をかける。
『ふう。ようやく終わりましたか?』
『ごめんなさい。早速だけど、貴方の意見を聞かせてもらえますか?』
当夜が意識を失ったにもかかわらずこうして距離を取ったことからどうしても彼に聞かせたくないことがあるのだろう。フィルネールは小さく頷くと先を促す。キュエルは小さく苦笑いをこぼすとその意見を述べる。
『当夜は反対だろうけど集落は間引くべきです。それと、一刻も早い世界樹の更新。これも必須です。あと、例の2人は早々に排除すべきでしょう。さらに付け足すならトウヤも言っていましたがこの世界の住人への瘴気の分解能力の普及ですか。』
集落が形成されるということが一日二日でできるはずがない。当夜が瘴気の分解にかかり、キュエルとフィルネールがフレイアの足取りを追っていたその期間はすでに1年を過ぎている。
『そう、でしょうね。なら、私たちのすべきことは、』
フィルネールはキュエルの発言を実行した場合の当夜の苦悶の表情を思い浮かべて言葉を詰まらせる。
『残す人の選別と世界樹の贄の育成は僕がやる。』
フィルネールの言葉を待たずしてキュエルが敢えて生々しい表現で成すべきことを表すと強い口調で実行者の責を負うことを断言する。
『そ、それはっ』
フィルネールとて一度は覚悟を決めたのだ。当夜のためなら修羅にもなると。ここで退き下がるわけにはいかない。
『貴女が穢れたら僕がトウヤに殺されちゃいますよ。彼を人殺しにするつもりですか?』
だが、キュエルはこうなることを見越していたかのように用意していた言葉を優しく告げる。
『うぅ、ずるいです。貴方もトウヤに似てずるいひとですね。』
膝をついて丈をあわせたフィルネールがキュエルの小さな体の肩を小突く。
『それはしょうがないかな。僕と彼は同じ因子を持っているんですから。』
キュエルが上目遣いにそれでいて少し呆れたように肩をすくめる。
『同じ因子?』
『そうです。彼も薄々気づいているのでしょうが、僕はトウヤの生体情報を基礎に作られているようなのです。もちろん、お母様の因子も多分にいただいているのは間違いありませんが、男性の容姿という意味ではトウヤの影響が大きいのでしょうね。おそらくお母様が彼の肉体の一部を与えてくださったのだと思います。』
『貴方のお母様とは何者なのですか?』
『僕も正体まではわかりません。何しろ僕らが目覚めた時にはすでにこの世界から去った後だったのですから。ですが、今にして思えばトウヤの縁者だったのでしょう。』
キュエルの表情こそわからないがおそらく苦笑いを浮かべているのだろう。雰囲気から明らかに推測ではあるが確信めいたものも抱いているようだった。
『そう、ですか。』
(もしかしたらアリスやレムの可能性もありますね。あるいは未来の私かもしれませんが。)
フィルネールはその心当たりを探る。仮に肉体の一部を受け継いだとは言え、【時空の精霊】を託される前のキュエルは確かに当夜の姿を思い起こさせる印象を強く持っていた。母親の因子を保持しているにも関わらずともなればイメージによる造形の方が強いのではないかとフィルネールは考えた。であればその人物は当夜との接点の大きい人物となるはずだ。
『それと貴女はトウヤのもとに戻ってください。言い出しにくかったのですが、貴女は足手まといです。』
キュエルは優しくも厳粛な声で断ずる。そこには当夜を案ずる気持ちとフィルネールへの配慮が見える。
『でしょうね。ですが、今はトウヤの隣にいることが求められているのではないと理解しています。貴方も、いえ、私の元いた世界で恩人に言われたことがあります。精霊の強さは人々の信仰の先にある、と。』
しかしながらフィルネールも譲らない。解決策の提示を以て前に踏み出してみせる。
『精霊の強さの源泉ですか。それが信仰。
―――そうかもしれませんね。ですが、今の貴女の存在値では混ざり者どもでは取り合ってもらえないでしょう。瘴気に耐性があるということはマナへの耐性があるということでもあるのですから鈍感になっているのですよ。となるとまずは精霊を覚知できる【深き森人】のところで庇護者を増やすところからでしょう。とは言え、どういうわけか彼らはすでに細かく分散してしまっていますし、まとまった信仰を得るのは難しいかもしれません。まぁ、おかげでこの惨状から逃げおおせたのですけど。』
キュエルが窓のようなものを浮かび上がらせる。その戸が開くとそこには真っ白な世界が広がっている。しかしよく見ればうっすらとだが木の影が見える。そして、その白い空間も細かな粒子が高速で飛び交うことで成り立っている。そうブリザードである。すべての始まりは瘴気が原因である。当夜が分解しきれず、ディートゲルムが集約しきれない分のそれは世界樹の周囲に集まり、温暖な北の大陸すべてを飲み込む災害として形を成した。ともあれ、それほど大規模な災害にも関わらず被害者がいないということは驚きでもある。世界樹直下の主たる村についてはディートゲルムの実験の被験者となり、フレイアによって連れ去られたことから難を逃れることができたが、他の小規模な集落はそうはいかなかったはずである。彼らがどうして未来を見通したような行動をとれたのか、2人にはそれが謎であった。
(この吹雪、私の知る北の大陸のまさにそれですけど。まさか瘴気が引き起こした災害だったとは。)
『大丈夫です。それなら心当たりがあります。それと、その話し方ですが似合いませんよ。トウヤに向けるそれが地なのでしょう。私に気を使っているのでしたら戻していただいて構いませんよ。貴方の方が格上の精霊なのですから。』
フィルネールのいう心当たりとは当夜と彼女が過去に飛ばされてすぐに訪れることになった村である。そこにいた人々はまさにキュエルが言う【深き森人】だった。
『そ、そうかな? だったら遠慮なく。
僕も信仰を高める手を講じないとなぁ。まぁ、トウヤから受け継いだ力で今は十分なんだけど。と言うわけで今はフレイアの方を追いかけるとするかな。』
後頭部を掻いてみせる。
『それではここからは別行動ですね。そちらも十分に気を付けてください。』
フィルネールが手を差し出して握手を求める。
『うん。貴女も十分気を付けて。』
キュエルがその手を握り返す。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ディートゲルムが自らの意思で檻の中に囚われて間もなくフレイアは背後に【原初の精霊】と数百におよぶ黒い棺を引き連れて小さな森にて息をひそめていた。
「―――どうにか撒けたかしら。」
フレイアのつぶやきに反応する者はいない。
『...』
フレイアは【原初の精霊】に目を向ける。
「相変わらず反応がないのね。精霊を生み出す道具のくせに言うことを聞かないなんて本当に使えない。」
(やっぱり創造者であるディートゲルム様のお言葉でなければ反応しないみたいね。正直捨ててしまいたいところだけれども盟主様のご計画を崩しかねない以上しばらくは共にするしかないわね。)
『...』
嫌味をぶつけられても焦点の合っていない虚ろな瞳がフレイアに向けられることは無い。
「あ゛ぁ、もう。いいわ。棺の中身を生贄に私の眷属を作りだせばいいのよ。
いいえ、違う。ここで眷属を増やしたところで物の役にも立たない。ここは耐えて混ざりものを増やすことに専念した方が良いはず。
それにしてもこれだけあると邪魔だし、目立つわね。さぁ、ここには誰を置いていこうかしら。まぁ、繁殖に適さない個体は要らないわね。檻の中にはトラップも仕込んでおくとしましょうか。
救い難き探求者に死を、【偽りの棺】
果たしてこの程度で意味があるとは思えないけど相手方がどこにいるかくらいの情報にはなるかしらね。」
フレイアは周囲を見渡すといくつかの黒い棺を指さす。それらは宙に浮かぶと風船が漂うように散らばっていく。無秩序にも見えるその動きだが最終的にはフレイアを取り囲むように同心円状に広がっている。その中には人の身に堕ちたがゆえに繁殖適齢期から外れた者たちが閉じ込められている。棺の外からは見えないがその胸元には怪しく紫に燐光する紋が刻まれている。その紋は周囲の瘴気を集め続けている。体を蝕む瘴気の苦しみに世界を呪いながら彼らは更なる瘴気を産む負の感情を蓄積していく。そして最後には耐えきれずに破裂する生ける爆弾となり果てることとなる。そして、彼らはただひたすらに待つ。探求者たる当夜とその関係者らが現れるのを。当夜たちは負の感情をばらまくその爆弾を処理しなければならないのだが、その蓄積の程度はある意味でフレイアの足取りを探る指標にもなる。初めてフィルネールとキュエルが遭遇した時は破裂寸前だったこともあり、精神の崩壊した狂人のような、肉体は瘴気に侵されて腐敗したかのような、当夜が見たならゾンビと表現するような異形の存在となって襲い掛かってきたと報告されている。
フレイアは先の棺が配置についたことを感知すると次なる棺を指名する。それらは大地に横たわると蓋を緩やかに上げ始める。その様子を確かめるとフレイアはその場から霞むように消える。すべての蓋が開ききり中に眠る人物が見えるまで至ると次々と棺は霞が晴れるかのように消えてゆく。森の中に点在するギャップの林床に8人の子供たちが寝転がっている。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
一つの林床で少年と少女が同時に目を覚ます。彼らは気だるげに体を引き起こすとお互いに見つめ合う。どちらとも困惑をその顔に浮かべている。結果として敵意は見られない。
「...ここは?」
「一体、どうして私たちはここにいるのですか?」
「わからない。真っ暗な中をさまよっていたと思ったらいつの間にかこんなところに。それに、暗闇に囚われる前の記憶が無いんだ。」
2人は周囲を見渡す。見渡す限り森である。2人同時にため息をつく。そんな2人の背後から突然声がかかる。苔に足音を吸音されて気づくのに遅れたのだ。
「良かった。無事だったんだな、シュエル。」
2人が振り返った先には肩を上下して呼吸を整える青年の姿があった。
「きゃっ、あ、貴方はだれですか!?」
少女の悲鳴が森に木霊する。青年と少女の間で認識の齟齬が認められる。少年が庇うように前に進み出る。その目には好戦的な光が宿っている。
「はっ?」
青年が驚きと共に一歩後退する。
「カロ、妹さんは見つかったのね。」
青年の背後から一人の少女が顔を出す。どうやらカロと呼ばれた青年を知っているようだ。
「あ、ああ。でも様子がおかしい。
シュエル、俺のことはわかるよな?」
カロが再び前に出て呼びかける。彼が妹としてシュエルと呼んだ少女は困惑した表情を浮かべている。その前に立つ少年はシュエルを一歩下がらせようと腕を後ろに下げる。だが、自身のことを知る人物との接触は自身の在り様を確立するための追求心となって彼女を後押しする。
「えっと、どなた様ですか。い、いえ、むしろ私は何者なのですか。貴方は私のことを知っているのですか!」
妹は容姿こそ変わっていた。とは言え、カロに言わせれば仮にシュエルの容姿がどれほど変わっていようとも不純物が混じろうとも彼女を満たすマナの雰囲気は変わりない。それはその姿が大いに変わってしまった自分にも当てはまるのは間違いない。それなのにこの反応はあまりにそっけない。いや、認めたくないのだ。先に見つけた後輩たちと妹も同じであるということを。なにせ最も大切にする家族なのだから。
「―――嘘だろう。これじゃあ、あいつらと一緒だ。」
「どういうことですか?」
少年がようやく打ちのめされているカロを会話の相手として認めて彼の言葉の真意を問う。
「ごめんなさいね。ところで君の記憶はどこまで残っているのかしら?」
カロは衝撃に打ちのめされて少年の問いに応えられる余裕はなさそうだ。代わりに彼の横に並んだ少女が少年の問いに対して問いを以て応える。
「それが、ほとんど残っていないんだ。名前も、家族も、何もかも。いたのは確かなんだ。
...それなのに、言葉の意味はわかるのに。思い出せない。何だかすごく気持ち悪い。」
少年は言葉にした単語の意味の先にあるはずの事実を求めて頭の奥底をさらう。何か靄のようなものにさえぎられて記憶の映像が乱される。そして、気づく。自身の苛立ちの原因がカロにあるのではないこと、それは記憶を失った喪失感を誤魔化すために生まれた不条理への怒りであることに。
「ですが、まだそのことに疑問を抱けるだけマシです。多くの子がそのことすら気づくことすらできない。」
少女が少年を抱きしめる。記憶をさらうことに意識を使いすぎたせいか少女の接近を許していたことに驚いた少年は緊張を走らせる。だが、それも背中を優しくさすられてほぐされていく。
「逆にお姉さんはどこまで覚えているの、ですか?」
少年の口調が柔らかなものに変わる。少女は囁くように答える。
「そうね。全部は覚えてないわ。でも、少なくとも自身の名前と家族のことを覚えている。私はサーナ。そして、彼がカロ。もちろん、ここに来る前の記憶はほとんど抜けてるけどね。」
サーナは少年を抱く力が乱れていないことを確かめる。こうした自己紹介もこれで9人目だ。おそらくはもう震えていないはずだ。
「サーナ、やっぱりシュエルは俺を、俺だけじゃない、父さんも母さんも忘れてる。」
カロは頭を抱えながらサーナに報告する。
「そう。やっぱり年齢が低いほど記憶の残り方が少ないのね。」
サーナは少年を抱きながら、もう一つの腕を動かしてカロの頭を優しく撫でる。この関係からも想像がつくようにこの森に残された彼らの仲でサーナが最も年長であり、次いでカロが続く。
「で、どうするんだ。サーナが作った壁の先はあの危険な生き物がうろついて居やがる。」
カロは恥ずかしそうにその手を断ると木々に覆われた先を指さす。
「危険な生き物?」
サーナとカロが真っ先に目覚めた時、すでに彼らを品定めをするように魔獣がうろついて居た。どういう理由でかはわからないが魔獣が2人を襲うことは無かった。まるで見えない壁に守られているかのようだった。だが、その目は2人を明らかに獲物として認めていた。もしもその見えない壁がなければ、なくなったのなら間違いなく襲われる。そう判断したサーナは土留めの魔法を組み合わせて簡易的ではあるが見えない壁に沿ってある種の防御壁を作り上げた。
「ああ、俺たちを獲物としてみてやがった。それにマナの保有量も半端じゃない。肉体的にもこちらに勝ち目はなかった。とんでもない化け物だ。」
その魔獣はオオカミのような容姿をした【ブラッドウルフ】であって当夜たちの世界よりも瘴気に中てられて凶暴化していた。
「そうなのか。だとしたら殺すしかないな。」
つい先ほどカロは勝ち目が無いことを伝えたばかりにもかかわらず少年はあっさりとカロが選べない選択肢を口にする。決して少年が強いわけではない。正直カロの方が年長である分だけ肉体も成長しているしマナの保有量も高い。にもかかわらずどうしてそこまで強気の発言できるのかわからない。
「そうね。邪魔するなら消すしかないわ。」
少年につられるようにカロの妹までも好戦的な言葉を発する。カロが知る限りシュエルがそのような発言をするような性格では無かったはずだ。
「お、お前たちまで...」
「何か変なこと言いました?」
「―――そうね。」
カロの抵抗を感じさせる反応にシュエルは首を傾げる。そこに続いたのは落ち着いたサーナの肯定の言葉。カロが大いに動揺しているがそれは妹の変化を認めたくないが故だ。2人はすでにその現象をすでに幾度も同じ結果を目にしてきたのだから。
「お、おいっ」
「だって、これから先、私たちが生き残るには必要なことよ。貴方にもわかるでしょう?」
カロにはサーナの言葉は彼の知る妹をあきらめて今の好戦的な別人となり果てたシュエルを受け入れろと批難しているにさえ聞こえた。思わず声を荒げる。
「何がだ!?」
「空腹を感じないの?」
「そ、それは...」
冷静なサーナの声に気おされる。同時にその意識が腹部に向けられる。妹が見つかったことに安堵したのもあるかもしれない。小さくお腹が鳴く。慌ててカロはそっぽを向いてごまかす。
「これまでどうやって私たちは生きてきたのかはわからない。だけど、今の私たちは食べることが必要なのよ。そして、その糧はこうして突っ立っていれば与えられるものではない。得るためにも外へ出なければならないでしょう? その時、貴方は黙って餌になりたいの?」
「ああ、わかったよ。そのとおりだ。
―――だけど、どうしてこんなことに...」
正論を前にカロは認めるほか出来ない。それでも理不尽は拭い去られることが無い。ぼそっとつぶやいたカロの声が地面を覆う柔らかな苔の絨毯に吸収されるように消えた。




