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世界を渡る石  作者: 非常口
第6章 過去編第1部
241/325

【時空の精霊】の誕生

『くっ、逃げられた。』


 完全に閉ざされた【タルタロス】を前に苛立つ当夜を横目にフレイアがそっと飛び去ろうとする。それを見逃すほど当夜とて甘くは無い。彼女はこの戦い、というよりも未来での闘争において大きなウエイトを占めていたのは確かだ。


「さて、私たちは与えられた役目がありますのでこれにて。」


 睨まれたフレイアは無駄に丁寧なお辞儀を見せると黒い翼を広げる。


『逃がすと思うのかい?』


 実際のところ飛行して逃げたのでは転移魔法を得意とする当夜から逃げられるはずもない。それは当夜とディートゲルムの戦いを見ていたフレイアにも十分にわかっている。


「...まぁ、そうなるでしょうね。」

(どうする。私の手駒は、フィルネットと役立たずのノーラ、いえ【原初の精霊】だけ。こんなことならもっと手駒を増やしておくべきだったわ。)


 だからと言って主人より命令を受けている自分自身やノーラを戦線に出すのは正しくない。フレイアの額を汗が流れる。


「―――フィルネット。その男を足止めしなさい。」


(おしい駒だけど仕方ないわね。)


 フレイアは一息吐くとフィルネットの頬を撫でて耳元で囁く。無表情無言のフィルネットが世界樹の剣を構える。


『君を逃すわけにはいかないな。』


 フレイアの耳元で当夜が囁く。フレイアの目が当夜の顔を捉えるよりも先にその手刀が自身の胸に迫るのを捕捉する。死を悟ったフレイアの体が大きく後方に弾かれる。


「...」


 飛ばされた先でフレイアは気づく。彼女を庇ってフィルネットがその肩口を貫かれている。切断されて落ちる彼女の腕。フレイアは一瞬手を差し出しかけたが即座に反転する。そのまま振り返ることなく煙幕の魔法といくつものデコイを放ちながら飛び去る。


『―――君は操られているだけか。だが、もう救えないな。』


 フィルネットは残された腕で当夜に世界樹の剣を突き立て続けている。真っ赤な鮮血がそのたびに飛び散り地面を濡らす。物理攻撃が無効化されている当夜には意味がないのだが。

 当夜はそんなフィルネットの姿に憐れみを向けて彼女の囚われている状態を確認する。黒く長い髪の少女は吸血鬼化したフレイア同様に瞳を赤く染めて牙を生やしていたが、それ以外の特徴は当夜の知り合いによく似ていた。


(この顔、どこかで。

 ...フィルネット。

 ―――そうか、アンアメスさん、なのか。となると単にあきらめるわけにもいかない。)


 フィルネットの右肩の傷を圧迫して血液の流出を抑える。フィルネットは当夜が自身を掴んだことを利用して当夜を組み伏せるとその体を絡める。併せてその牙で当夜のマナを吸収しようと試みる。もちろん彼の張る障壁を前に届くことは無かったが。とは言え、結果的に完全に身動きの取れない形となった当夜は一先ずフレイアの気配を探す。逃げ出す直前に目を放してしまったせいでそう簡単には捉えられなさそうだ。


『―――フレイアには逃げられたか。まぁ、アンアメスさんを確保できただけ良しとするか。

 とは言え、今の僕にできることはそう多くは無いんだよな。確か世界樹の精霊になっていたんだよな。どうやればいいんだろ?』


 他人からみれば抱き付かれて首筋に口づけされている様子は誤解を受けかねない状況である。中々刺激的な状況でも人の身を脱した当夜は落ち着き払って呟く。


『それなら僕に任せてほしい。命の恩人さん。』


 当夜のつぶやきを聞きつけたキュエルが絡み合う2人の隣に立つ。


『キュエル。どうするつもりだい?』


『彼女を世界樹の人柱にする。肉体は失うだろうけどうまくすれば彼女の心を再生できるかもしれない。第一世代みたいだからたぶんうまくいくよ。姉さんもいない世界、敵を封じる役目を終えた今、僕が残っている意味もないしね。』


 当夜に向かってというよりもここにはいない誰かに向かって話しかけるようにキュエルは独白する。その姿はひどく哀愁漂うものだ。


『それはどういう意味だい?』


 聞かずとも想像できる答えが待っていそうだがそれでも問わずにはいられない。


『僕を形作るマナをすべて世界樹形成に注ぎ込めばどうにかなるってことだよ。』


『その話しぶりでは君が消えるだろう? とても容認できないね。』


 想像通りの回答に当夜は苦笑いして却下する。


『良いんだ。もう僕が生きる意味は無いって言っただろう。』


『そうはいかないよ。敵を、ディートゲルムを討つんだろう?』


『僕が手を下す必要はないよ。それに僕じゃ敵わない。』


『でも、あいつは僕のいた時代に復活するんだ。そこには奴を倒してくれるように人物なんていやしない。それに僕は君がいなければ、』


『ちょっと待ってくれ。君はこの世界の未来から来たのかい?』


 当夜の言葉を遮るようにキュエルが割り込む。嘆きを上回る驚きが彼の声を大きくさせる。


『まぁ、そうなるね。およそ2万年後の世界から飛ばされてきたんだ。』


『そこにお母様は、女神さまは居ないのか?』


 キュエルの声に震えが混じる。


『あいにくその名は聞いたことがなかったよ。』


『そんな馬鹿な。だとしたらどういうことだ。

 ―――まさか、封印が破られるとでも言うのか。』


 キュエルの目が大きく見開かれる。


(あいつの逃げ込んだ先に穢れたマナが吸い込まれ続けている。つまりは向こうから開けることができると考えるべきだ。ただ、今がその時ではないってだけだろう。)

『そのまさかだろうね。だから、その未来にたどり着く、あるいは変えるためにも君の力が必要だ。だからここで消えられても困るんだよ。君は未来に必要な存在だ。』


 当夜は感情の高ぶったキュエルの視線を受け止めるとディートゲルムの消えた空間を睨む。依然として瘴気を吸収し続けるその空間の先に干渉できない檻があり、その中で今もディートゲルムは力を蓄えているのだろう。そして、いつまでもこうして問答を繰り返しながら時間を浪費しているわけにもいかないのは確かだ。


『いや、だけど...』


 キュエルは口ごもる。この世界に存在する意味を示されて先ほどまで抱いていた否定論とせめぎ合わせている。その結論が出るまで数分とかからないかもしれない。しかし、数日あるいは数年かかるかもしれない。その答えを待つほど当夜に余裕は無い。


『時間が惜しい。相手もどんどん力を取り戻している。それに、僕はこの世界に顕現できる時間が決まっているんだ。だから、君には僕の手となり足となりで働いてほしい。君の願いは必ず叶えて見せるから。』


 フィルネットの力が弱まる。当夜はフィルネットを引き離して逆に抑え込む。彼女は時間稼ぎと言う役目を終えたことを理解してその力を完全に抜く。漏れ出た大量のマナは彼女に生を許しそうにない。その眼を閉じて最後の時を待っている。こちらも時間はなさそうだ。当夜の目がキュエルに決断を迫る。


『わかったよ。なら、僕の願いは過去に戻って姉さんを助けることだ。』


 キュエルは観念したように願いを口にする。それは永きにわたり2人を縛る盟約となる。


『わかった。約束する。じゃあ、』


 当夜がキュエルの手を取る。


『待ってくれ。ところで貴方はいったい何者なんだ?』


 無茶な要望をあっさりと飲む当夜を訝し気な表情でキュエルはにらむ。


『僕かい?

 ―――僕は当夜。今は【時空の精霊】ってことになってる。でもまぁ、それは君であるべきだと思っている。』

(もともと君の力だったわけだし。譲るというよりは返すってのが正解か。それにしても君の願いはこの瞬間もあの別れの間際も変わらないんだね。すごいよ。)


 当夜は現世で別れた【時空の精霊】の姿を思い返す。今、目の前で子犬のように威嚇するキュエルを見ていると送り出してくれた彼はずいぶんと背伸びしていたものだと思う。まぁ、2万年の月日は恐ろしいものだ。それでも当初の目的を忘れないでいた彼は偉大だとも思う。

 

『僕が?』


 聞き返すキュエルに笑顔を向けて当夜が力強く頷く。そんな当夜の背中を怖気が襲う。瘴気が今なお降り注いでいるのは仕方ないのかもしれない。だが、問題はそれが集まる先である。そこはディートゲルムが消えた先。瘴気はそこに吸い込まれるとその存在を消す。


(やっぱりそうなるか。そう思い通りにはさせないっ)

『そう、君が持つべき力だ。だけどその前にまずはアレを本当の意味で封じないと。』

(僕に残されたマナだと空間ごとこの世界から分断させるのは無理か。そうなると、地下深くに埋めるしかないな。少しでも穢れたマナから遠ざけないと。)


 当夜が大地に意識を向けると村一つを飲み込むような巨大な穴が空く。それは当夜が思い描いた空間を分かつ壺だ。その中に【タルタロス】が存在すると目される空間ごと封入する。それはまさに次に開いたときに災いが溢れ出すパンドラの箱となった。


『嘘、でしょ。こんなことができるなんて...』


 星の内部を覗き込む形となったキュエルは緑や青の美しい彩りに目を奪われるとともにそれを成した当夜の力に恐怖する。


『これが限界か。』

(あとは集まってくる穢れたマナをどうにかしないとね。そのためにも、)

『最後に君がこの上に世界樹を立ててくれれば一時的には大丈夫。さぁ、楔を打つためにも僕の手を取って。

 それじゃ、頼んだよ。』


 恐る恐る手を差し出すキュエルの小さな掌を握る。そして、残りわずかとなったマナを送り込む。


『な!?

 こんなの1人で抱えられるわけないよっ』


 キュエルが弱音を上げる。力もマナもどうにか半分を少し上まった程度しか渡せていない。手を振り払ったキュエルは頭を抱えて苦し気に悶える。


(確かに器として足りていない。でも、親和性はすごく良い。まるで僕の分け身に注いでいるみたいだ。そうだよ、キュエルは僕の幼少の頃の姿に似ているんだ。どこかで見たことがあると思ったら昔の写真にあった僕の姿そっくりだ。

 それは別としてこれ以上の注入は無理か。これで世界樹をうまく生み出してくれると良いんだけど。それと彼の姉もどうにかしないとな。マナも止まって等しいか。僕のマナを注いだだけじゃ危ないか。いっそ時間を止めてしまうか。そうだ、彼女を【時間の精霊】にしてしまえばいいのか。)


 地面をのたうち回るキュエルを尻目に当夜は寝かされた彼の姉の手を取る。肉体から精神が引きはがされて死んだように眠る少女は何の抵抗も無く当夜のマナと【時間の精霊】としての力を受け入れる。


『姉さん? 姉さんの体に何をした!?』


 当夜の精神が入り込んだキュエルの中では自分自身の定義が混乱する。その影響は顔に現れている。そう、今の彼の顔には少し前の当夜同様に白と黒が入り混じる渦が張り付いている。


『大丈夫。彼女の存在の維持に必要なことだよ。』


 それは嘘では無い。時間と言う概念の消滅回避という世界の理によって彼女の存在は保障されることになる。


『とにかく姉さんに何か用があるならまずは僕を通してくれよっ』


 どうにか立ち上がったキュエルは当夜の胸ぐらをつかむ。そのまま突き放したキュエルは姉に駆け寄るとその無事を確認する。その顔を確かめた瞬間、息を大きく呑んだことが当夜にも伝わる。彼女は自我が無い分キュエル以上にセルフイメージの構築が不完全なものとなっている。体のほぼすべてが揺らいでいる。


『わかった。』

(キュエルは空間の力、姉には時間の力が宿った。となると時空の力は当面使えないってことか。)

『さぁ、世界樹を、アンアメスさんを頼むよ。』


 当夜はすでに息を止めたフィルネットに目線を送る。そう遠くない未来で彼女の体はマナを失って文字通り空気中に溶けるように消失するだろう。


『わかった。任せていいよ。

 “彼の者を礎に天より降り注ぐ穢れしマナを癒して大地に還す楔を芽吹かせよ、【世界樹生誕】”

 ふぅ、この後はどうするんだい?』


 キュエルもフィルネットの肉体の限界を認めてその魔法を発動させる。当夜に言いたいことはたくさんあるのだが今は駄々をこねているときでは無い。魔法の完結と同時にパンドラの箱のまさに上で宙に浮いていたフィルネットの体を核に植物が芽吹き、瞬く間に巨大な大木が姿を現す。それはディートゲルムによって倒されたはずの世界樹その姿だった。世界樹の葉が集まる瘴気を次々に吸収し始める。それでも吸収量よりも供給量の方が大きい。根の隙間からディートゲルムを目指して瘴気が染み込んでいく。それは核となったフィルネットに瘴気を滅したいという強い意思が無かったが故だ。


『まずは僕を君たち精霊の世界に招き入れてくれるかな? こうしてこちらの世界に居続けるのは僕にとってかなりリスキーなんだ。』


 当夜は先代の【時空の精霊】の忠告を思い起こしながら目の前の新たな【時空の精霊】にその解決を願う。


『えーと、どうやって?』


 当夜から突然に精霊の常識を突きつけられたキュエルは難しい顔を浮かべながら唸っていたが何かを掴んだようにこの世界から消える。


『そうか。世界樹に還るような感じなんだ。』


 【時空の精霊】の空間、それはセピア色の世界。彼が思えば空間は移り、彼女が願えば時は動く。もちろん後者は今は機能していない。ゆえにこの空間の時は止まったままということになる。

 そんな彼しか居ない空間に聞き覚えのある声が響く。


『そう。どうやら僕もまだ精霊みたいな存在と言うわけだ。君に招待されるまでもなく君を追って来られたよ。ほら、大切な人も連れてきたよ。』

(そして、【時空の精霊】を譲ったあの場所が今の僕の生誕の地となったわけだ。今度は何の精霊になったのやら。)


 キュエルの姉、時を止めたままの【時間の精霊】を抱きかかえた当夜が姿を現す。当夜は【時空の精霊】としての力を失ったが肉体を持たないその在り様は精霊の卵に分類されるのであってこの場所に来られるというのはある意味で当然のことである。


『ようやく私の声が届きますね、トーヤ。』


 懐かしい声が聞こえた。

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