ノーラの帰還
「よかったぁ。あまりに遅いから事故にあったのではないかって心配で、村のみんなで探しに行こうかと相談していたのよ、フレイア。今日は森の様子が騒がしいし、何かおかしいんだもの。」
あたりが薄暗くなったころ2人は村にたどり着いた。その入り口には松明を手にする人々の姿があった。そして、その中心にいた少女が彼女と瓜二つの少女に先の言葉を小声で投げかけたのだった。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「ごめんなさい。」
(本当に大げさ。そんな心配いらないのよ。)
フレイアは傍から聞けば本当に申し訳なさそうに謝罪の言葉を告げる。だが、ディートゲルムにすればそれは本当に上辺だけのものだとわかってしまう。思わず頬がほころぶ。そんな姿も人々には妹の無事に安堵する姉の姿にほだされたように映る。
「済まないな。彼女は私の我儘に付き合ってもらっていたのだ。」
フレイアを抱きしめるエイラの肩を叩いたディートゲルムが安心させるように囁く。
「そうだったのですね。騒ぎを大きくしてしまい、申し訳ありません。
あら? ノーラ様のお姿が見えませんけど、どちらに?」
涙を拭いながらフレイアを離したエイラは2人の来た道に明かりを掲げながらその姿を探す。
「アレは今、別の用事を任せているところだ。何せ下界に降りたのは久しぶりだからな。やることが多いのだよ。」
ディートゲルムは上位存在としての事情と匂わすことで暗に関わらないように伝えたつもりでいたのだが、彼女はそうは受け取らない。
「そうなのですね。でしたら私がお手伝いに、」
「結構だ。アレの邪魔にしかならん。」
ディートゲルムは無表情に否定の言葉と共に最後まで言わせることなく突き放す。
「は、はい。差し出がましいことを申しました。それでは先にお食事を摂られますか?」
この世界にして珍しい強い否定の言葉にたじろいだエイラは話題を変える。
「ああ。頼むぞ。」
「はい。ではこちらに。」
エイラは自らの家に向かって歩き出す。しかし、ついてくる気配がないことに疑問を抱き振り返ると男が妹を抱き寄せているところだった。
「ああ、フレイア。貴様はノーラの様子を見て来い。」
エイラは自身が拒絶されたことをあっさりと妹に任されたことであっけに取られてしまう。心の底に僅かに生まれた疑問にどの色で表されるような感情が込められているか、彼女は知らない。
「その必要はありません。ただいま戻りました。」
エイラの中に生まれた感情が育つ前にノーラの声がその芽を摘み取った。しかし、確かに芽吹いたその種は彼女の中にもその培地となる感情があることを示してしまったのだった。幸いにもディートゲルムが目を細めて観察をしようとするもノーラがその間に割って入ったことで知られることは無かった。彼女の感情が一瞬で塗り重ねられるような強い怒りのマナがディートゲルムに向けられる。
「良い目をしているではないか。私が憎くてしょうがないと言った顔だな。」
ディートゲルムがノーラの心を探るようにその瞳を覗き込む。
「そんなことはありません。
それよりお腹が空きました。エイラさん、準備を手伝いますよ。」
ノーラは言葉とは裏腹にその挑戦を受けて立つようにその目をにらみつける。そして、男の目が納得するのを確認するとエイラに爽やかな笑顔を向ける。
「そんな。お客様の御手を煩わせることはできません。」
(あ、私は、なぜ。ノーラさんのせっかくの申し出を断ってしまうだなんて。ああ、なんて失礼なことを、)
エイラが慌てて体の前で両手を振って拒絶する。今までの彼女であればそうはならなかっただろう。心理的な変化が彼女を蝕み始めた証拠だ。
「そうだ。貴様はこの私に仕事の報告をするのだ。」
(エイラに余計なことを吹き込まれては折角の素材が台無しになる。こやつも器の候補の一つなのだぞ。)
「わかりました。
すみません、エイラさん。こちらから声をかけたというのに。」
痛いほどに肩を鷲掴まれたエイラはその痛みに顔をゆがめること無くむしろ笑顔でエイラに謝る。おかげでエイラの心は救われた。彼女本来の明るさが戻る。
「お気持ちだけでも十分です。うんと腕を振るいますね。
ほら、フレイア。貴女も手伝って。」
「———はい、お姉さま。」
エイラがフレイアの手を引くと嬉しそうに彼女らの家に向けて歩いていく。
「それで、きちんと事を成したのだろうな?」
2人を変化の無い笑顔で見送ったディートゲルムがノーラを正対させる。
「はい。そもそも私のことは常に監視しているのでは?」
彼女はエイラに向けた表情とは真逆の冷めたようなそれを向ける。
「まさか。モルモットすべてを常に見張るような面倒をしたりするものか。真偽など対面すればいくらでもわかる。貴様が私に怨嗟の限りを叫びながらあの墓場を土砂に沈める様くらいな。」
ディートゲルムの口角が上方に歪み、加虐的な表情を作り出す。
「———貴方は、最低です。人でなしですっ」
(やっぱり彼の考えた通りマナに乗せられた感情を読んでいるということなんだわ。だから彼女のことに気づけなかった。気を失っていた彼女には。加えて、今も気づいていないということはその力の効果範囲が有限であるということ。さらにはマナに隠したい感情より強い感情を乗せれば隠せる。)
そんな男の見慣れた嫌がらせに彼女は不貞腐れたようにそっぽを向く。その脳裏をよぎるは土石流に懺悔の心と共に亡骸溢れる林を埋める己の罪深き姿。だが、彼女は単に絶望に暮れていたわけでは無い。希望はその少し前に解き放ったのだから。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(やはり彼が教えてくれたことが事実だということなのかしら。幸い気づかれずに済んだわ。)
「もう大丈夫よ。どこにいるの?」
(そうよ、彼は家に帰るように言っていたわ。)
その林で唯一枯れずに残った小さな二又の木。枯れずにと評したがその片方の幹はすでに葉を落としている。その対に伸びる幹からわずかに漏れる音。
「———すぅ、すぅ」
落ち着いた呼吸の音がノーラの耳に届く。そう、彼女が探す求め人だ。ノーラがその幹に手を触れる。すり抜けるように木に吸い込まれた彼女の手の先に柔らかな存在が触れる。体を幹に預けてノーラはそっとその存在を持ちあげて抱き寄せる。少女の体が幹から現れる。
「良かった。生きている。」
そのクマが残る目から顎にかけてはっきりと涙が流れた跡が残っている。恐怖、悲しみ、混乱と言った感情がない交ぜになって押し寄せたのだろう。その時、それらの衝撃を緩和してくれていた世界樹の助けは無かった。結果、彼女は意識を失ったのだろう。それが幸いした。
「もう大丈夫よ。」
ノーラは優しくそれでいて力強くウレアを抱きしめる。ウレアの体を今なお蝕み続ける瘴気がノーラに吸い寄せられていく。彼女の感情がノーラに溶け込んでくる。彼女に怒りのそれがないことに驚いたノーラだったがそれ以上に深い悲しみに涙を抑えられない。
「つらかったよね。苦しかったよね。ごめんね、ウレアちゃん。」
思わず抱きしめる。ウレアの瞼がゆっくりと開かれる。その口が震えながら言葉をつぶやく。その瞳はすべてをあきらめたように生気が感じられない。
「お姉さん、私も死ぬの?」
「そんなことさせない。絶対に守って見せる。だから信じて。」
彼女を抱くノーラの腕に力が足され、柔らかな温かみに包まれたウレアの目から涙が溢れ出す。
「うん。お姉さん、お名前を教えて。」
しばらくノーラに抱き付いていたウレアが今度はしっかりとした声で彼女に問う。
「ノーラ。ノーラよ。」
「ノーラお姉さん。私、どうしたら良いのかな?」
名前を聞いたウレアはさらに安心したのか頬を彼女の胸に寄せながら甘えた声を出す。
「そうね。そうだよね。困っちゃうよね。大丈夫よ、その不安な気持ちも全部受け止めてあげる。これから貴女がすべき事も教えてあげる。だから、お姉さんのお願いも聞いてくれる?」
ノーラは彼女のサラサラな髪を手で梳きながら語り掛ける。嵐の夜の物音におびえる弟を寝かしつけた遠い昔の記憶がよみがえる。
「お願い?」
「そう。お願い。」
「うん。聞かせて。」
周囲の状況とは相反するような安寧とした空間の中で2人の問答は続く。
「まず、教えて。ウレアちゃんはこの集落以外に他の集落を知っている?」
「世界樹の森、ヒョリの森、レスシアの森、ユヒの森、あといくつかの集落を。」
ウレアは自らの指を折りながらその数を示す。
「その中で行ったことのある場所は? 近い場所が良いわ。」
「世界樹の森です。」
「世界樹の森ね。
―――ちょっと待って、それってあの大きな木のある村?」
ウレアの言葉にうなずきながらその名前から連想される光景を思い浮かべて言葉に詰まる。同時に思い出したくも無い男の顔が浮かぶ。
「そうだよ。あれが世界樹の木だよ。」
「あそこは駄目っ
あそこにはあの人が、悪魔がいる。貴女は絶対に近づいちゃ駄目よっ」
ノーラはウレアを離してその目を見つめる。そこには強い意思がこもっている。その眼力に圧されてウレアは一瞬呆けるが、彼女から伝わるマナがその存在を思い出させる。
「あの人? あの人ってまさかっ」
「そう、あの男、ディートゲルムよ。世界樹の森に行けば貴女は間違いなく殺されてしまうわ。
良い? ウレアちゃん。これからすぐにそのほかの集落に行ってこのことを教えてあげて。」
思い出させたくない、それでも思い出させなければならない存在が少女の脳裏に浮かんだことは本題に移る良いタイミングでもある。ノーラは雰囲気を真剣なものに変えてウレアの上腕をやさしくつかむ。その目線の高さを合わせて。
「だけどこんなこと信じてもらえるかな? 私、うまく説明できないよ。」
ウレアは不安がる。それも当然といえば当然だ。有史以来、これほど凄惨な事件は起きたことが無い中で彼女の言葉はどれほど信じられるものか。しかし、それはこのような事件に取り込まれたウレアだからこそ浮かぶ不安。他のエルフたちからすれば嘘など存在しない。すなわち、少女の言葉は真実として伝わるなのだ。彼女もまた大きく心の在り様を変えられてしまった一人であった。
「大丈夫。これを持って行きなさい。」
ウレアの不安を予期していたようにノーラは一つのオルゴールボックスを差し出す。
「これは何?」
受け取ったウレアが箱を開ける。中から見知った男が悔しそうに話しかける。それはノーラがクリークから受け取ったマナそのものだ。
「貴女を最後まで案じていたクリークさんの想いを閉じ込めたものよ。マナを通せば音声として再生されるわ。それと私の見た記憶が映像として映し出されるわ。」
続いて流れるはずだった自らの見た映像が映されるのを避けるように箱の蓋を下したノーラは少女の手ごと包み込むとその目を見つめる。ウレアの目もそれに応えるようにノーラの瞳を捉える。そこには確証を得たいという意思が込められている。そして、それは言葉としても紡がれる。
「そんなことができるの?」
「そうよ。マナってすごいのよ。
さぁ、大事に受け取って。」
ノーラは両腕を開くと少しお道化て見せる。ウレアの顔に再び笑みが宿る。それを確認したノーラは彼女の手をその胸元に導く。
「うん。」
「それじゃあ、お願いね。あんまり長居していると危険だからそろそろ行くのよ。」
ノーラがその肩を持って回すと背を押しだすように手を当てる。押し出されるよりも前にウレアが振り返る。その目には不安と心配が渦巻いている。
「うん。それでお姉ちゃんはどうするの?」
(優しい子。私のことを案じてくれるなんて。)
「私はあの人を止めないと。ウレアはなるべく多くの人にそれを伝えて。」
ノーラの瞳に強い意思が宿る。その覚悟に気づいたわけではないがウレアにも何かしらの決意がノーラの中で固まったことは十分に伝わった。ゆえに、彼女はその言葉をかけずにはいられなかった。そうでなければいけないそんな気がした。
「お姉ちゃん、また会えるよね?」
「もちろん。また会いましょう。さぁ、行って。」
飛び切りの笑顔で返すノーラにウレアは安堵し、箱を持つ側とは対の手を掲げて手を振る。
「ありがとう、ノーラお姉ちゃん。またね。」
「・・・」
(ううん。こちらこそよ、ウレアちゃん。貴女がいるから私は前に進める。だから、貴女は、)
「———気を付けてね。」
遠ざかるその後ろ姿に笑顔で手を振り続けて見送ったノーラだったが、その姿が見えなくなった途端にその顔に寂しさや悲しみの色がにじみ出る。いつしかその手も弱弱しく垂れていた。
「貴女を騙すのってつらいわ。私もあの人のことを言えたものでは無いわね。それでも、貴女は生きなさい。」
ノーラはウレアが進んだ道とは真逆に歩き出す。人々の亡骸が集まる血塗られたその地に。
「ごめんなさい、皆さん。このような形でしか弔えないことをお許しください。きっとその無念をあの人に届けてみせます。ですから、今は皆さんの希望を見守ってください。」
片膝をついて祈ったノーラはその後、集落を見下せる場所で全てを埋葬するのだった。




