アレアの終焉 その2
「では、参りましょう。」
フレイアは恭しく首を垂れるとディートゲルムの前を誘導するように歩き出す。続く男にフレイアは徐々に歩幅を緩めて隣で寄り添うように歩みを合わせる。そんな2人にこれまで無言を貫いてきたノーラが声をかける。
「ちょっと待ってください。もう暗いですし、今日はここで休みませんか。この人達のお墓も作ってあげたいのです。
貴女にとっても一応は同胞でしょう? だったら、」
ノーラの目は同族であるにも関わらず彼らを弔おうともしないフレイアの瞳からわずかでも後悔の念を、真意を見出そうと見開かれている。そうでなければ彼らが、傍観者となってしまった彼女も報われない。ノーラにすればフレイアもまたこの男の被害者であるのだ。
「はぁ? 私は全く気にしていないわ。同胞だなんて思ったことも無い。それに貴女が口を挟むことでは無いの。黙って付いてきなさい。」
ノーラの期待も虚しくフレイアは彼女の言葉を嘲るように言いきる。その言葉に嘘がないことは彼女の瞳を見ても、マナを通じて伝わる感情からも明らかだった。
(そんなことが許されるの? この人たちは貴女を慕っていた、尊敬していたというのに。)
彼女の瞳から期待の光が完全に潰え、代わりに怒りの炎が燃え上がる。そんな2人の様子をうかがうディートゲルムの顔には不敵な笑みが浮かぶ。
「まぁ、待て。確かに辺りも暗くなってきた。貴様の姉のことだ。一度は貴様らの家に戻らないと捜索されかねん。」
ディートゲルムは体を密着させるフレイアの頭を撫でながら世界樹を眺める。
(そうなるとこいつのいう通りこの村の惨状を隠す必要がある。期待は突然に裏切られた方が相転移の振れ幅が大きくなる。疑念は雑味となって影響しかねん。まぁ、見つかったならそれはそれでやりようはあるのだが、できることならもう少し先に延ばしたい。
あとは生まれる瘴気の器をどれだけ大きく成形できるかだな。)
今度はノーラに目線を移したディートゲルムには彼女が未だ絶望に負けていない様子が見て取れた。ともすれば絶望に囚われるまで彼女は追いこまれなければ器は完成しない。されども追い込みすぎればひび割れて使い物にならなくなる。負荷の加減に配慮しなければならない。
(この私がモルモットに配慮か。しかし、我が実験のためだ。喜んで受け入れよう。
負荷、か。人々の死を突きつけていくのも一興か。なればこいつに全てを片づけさせるか。マナが枯渇している中で作業するのも面倒だからな。)
しばし思案に暮れるディートゲルムに僅かに上擦った声でフレイアはその顔を見上げながら心配そうに問題の起点となった姉を貶めることでその間の意図を量ろうとする。
「え、ええ。その通りですわ。我が姉ながら鬱陶しいことこの上ありません。替わってお詫び申し上げます。」
(あの姉はいつもそう。私の邪魔ばかりする。あの姉がいるから私は、私の行いは報われない。みんなエイラの成果になる。今回もあの女の評価で私が損をするなんて冗談じゃない。)
「くくっ。姉が鬱陶しいとは。
ノーラ。今回はお前の言葉を尊重しよう。そのかわり、その肉片はきちんと処理しておけ。仮にエルフたちが来たとしても気づかれないように偽装しておけ。」
(フレイアはこの世界に絶望しているものと期待していたのだが、姉へのコンプレックスが大本にあったということか。くだらん。負の感情の強さはノーラの方が期待できるかもしれないな。ノーラはこの私への反骨心がすべての支えか。それが折れた時、我が願いの器が完成するということだ。まぁ、すでにそのトリガーはいつでも引けるが、その支えが負う重みはこれから増やしていくのだ。楽しみにしているが良い。)
ディートゲルムはそれぞれのマナを通してその在り様を観察すると愉快そうに笑う。だが、フレイアを見つめるその瞳には先ほどと異なり失望の色が浮かんでいる。嫉妬と絶望、今の彼が持つ天秤では後者にその重みで軍配が上がる。つまりはノーラに対する期待の方が上まったということである。そのことが伝わったわけではないがフレイアの体が小刻みに震える。
(私は、この方の期待を裏切ってしまったの? いったいどこで?)
「お墓は、」
フレイアがその理由を問うための言葉を選んでいる間にノーラが無感情に言葉を発する。だが、それ以上先をつなげないようにディートゲルムは言い放つ。
「そんなものはいらん。貴様はモルモットの墓でも作るつもりか。そんなことを始めたらきりがない。この世界のすべてのモルモットの墓を用意せねばならんぞ。」
(それこそ絶望の鬱積が解消されてしまう。より良い器に昇華させるためにも救済などは許してはならん。)
「貴方はっ
貴方は、この世界のすべての人を殺すつもりですかっ
そんな命をもてあそぶ行為、神が許したりしませんっ」
ノーラが怒りと悲しみを混在させながらディートゲルムを糾弾する。
「いや、人では無い。モルモットだと言った。
それに、これは始まりに過ぎない。まずはこの程度から始まる幸運を喜ぶことだな。これからは実験は加速するぞ。この星の生命は私によって管理される。そう、この世界の神は私となるのだ。」
歯をかみしめて拳を作るノーラは今にも飛びかかりそうなほど怒りをその身に宿している。それをあおるようにディートゲルムは顔を加虐的にゆがめながら彼女を見下す。上位存在が下位存在を見下すように。
「しかし、少ないとは言えこれだけの量です。焼き払った方が早いのでは?」
どうにかディートゲルムの意識を自らに向けようとフレイアが割り込む。彼の計画に気づくこと無く一般論を述べる。
(ちっ ノーラの反骨心をより強固なものにするための布石を置こうとしていたところで、)
「それはそれで怪しまれる。山火事で誰一人生き残りがいないというのもおかしな話だろう。」
話をとん挫されてディートゲルムは小さく間を取ると正論を返す。
「おっしゃるとおりですね。では、私も手伝った方が?」
上目遣いにディートゲルムを見上げるフレイアを男は白けた様子で見下す。
「良い。こいつに任せればいい。
ただし、ノーラ、わかっているな。余計なことをすれば貴様の弟は、」
フレイアから顔を背けたディートゲルムはノーラに鋭い目を向ける。
「———わかっています。
魔法で、魔法で隠します。ですが、人の所業とは思えないあまりの惨劇に動揺しているせいか発動できないんです。」
ノーラはその目線から逃れるように顔を背ける。その言葉に小さな抵抗を乗せて。
「今はまだマナが戻っていないからだ。マナが満ちるまで時間がかかる。とりあえず死骸をそれぞれの家に運んでおけ。幸い、周囲は崖に囲まれている。土石流を起して村ごと潰してしまえ。いいなっ
当然、あまりに帰りが遅いようならどうなるかわかっているな?」
ディートゲルムはノーラの顎に指をひっかけると正面を向かせる。ノーラの目から悲しみとくやしさの涙がこぼれる。
「———はい。」
「朝までに戻れ。血の匂いも消してくるのだぞ。いいなっ
では、行くぞ。」
ディートゲルムはノーラに背を向けると命令だけを残して歩き出す。その背後にフレイアが続く。
「はい。心得ました。」
ノーラの返事が人気を失った林に響く。
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「———よろしかったのでしょうか?」
集落の門を抜けたところでフレイアがディートゲルムに声をかける。ここまで一切言葉をかけられず思わず不安になって口火を切ることになったフレイアは男の返事を待つ。人の気配を失い、静けさに包まれた中、フレイアの息をのむ音が大きく響いたように当人には感じられた。彼女の背中を冷や汗が流れる。
「ああ、構わんさ。アレは根本的には私に逆らうことなど出来はしない。ここまでに心理実験を繰り返して私への恐怖を深層心理に深く刻み込んでいるからな。弟のこともある。それにアレは痛みを知り過ぎた。肉体的にも、精神的にも、な。ゆえに他者が受けた苦しみに共感しやすい。つまりはこの世界の住民すべてが人質とも言える。」
思いのほか機嫌が良いのかディートゲルムは饒舌に話す。彼と付き合いの短いフレイアにはそれが好機に映る。
「まぁ、恐ろしい。ですが、それでこそ我らが神。私は嬉しく思います。この世界に是非とも恐怖と絶望をお与えください。」
お道化て見せるフレイアに向けたディートゲルムの目は彼女を便利な辞典程度にしか捉えていない。ゆえに今回もまたその機能を差し出すように求める。
「ふん。そのためにも、道すがら、獣を狩っていく。なるべく肉食性のものや知性の高そうなもの、繁殖力の高いものを中心にな。」
「食べる、と言うわけでは無いのですよね?」
「当たり前だ。実験を行うにも準備はいるのだよ。とにかく貴様は私の指示に従い、求めるものを差し出すのだ。」
「わかりました。貴方様が望むのであればこの命さえ差し出しましょう。」
フレイアは大仰に弧を描いて胸に手を運ぶとかしずく。
「良い心がけだ。では、まずは肉食性の獣の下に案内しろ。」
「はい。それならば森犬や森猫がよろしいかと。こちらに、」
フレイアの案内によりたどり着いた場所は道からわずかに外れた森の中、倒木更新にある古株の洞の前だった。中からは獣特有のにおいが漂う。どのような姿かと目を凝らすディートゲルムの前に子供を連れた小型犬が姿を現す。エイラの案内の時に出会ったオオカミよりもなお甘ったらしいぬいぐるみのような生き物だ。
「ふむ。度を越した間の抜けた面構えの犬だ。これならまだ我が国の犬の方が魔獣らしいぞ。まぁ、猫についても同じだったが。」
そう、彼らはここに来るまでに森猫にも出会っている。だが、あまりの獣然とした様子の無さにディートゲルムが不適と即断したために検体に取り上げられることはなかった。森猫と聞いてヤマネコをイメージしてしまったがゆえに反動も大きかったことも影響した。今回は、あらかじめこの程度と読んでいたためにそれほどの衝撃はなかったものの彼の予定は小さくない修正が必要のようだった。
「何とも恐ろしい世界なのですね。と、姉でしたら申したことでしょう。日々、命を狙う存在が側にいる。なんと刺激的な世界なのでしょうか。」
優し気な雰囲気を偽装したフレイアに体を摺り寄せる森犬を見下すディートゲルムは彼女に顎で合図を送る。途端にフレイアが森犬の喉をへし折る。親犬は一声も発することもできずに絶命する。少女の横顔に狂気に染まった笑みが浮かぶ。本性を現した2人の豹変ぶりに子犬たちが一斉に後ずさる。
「まぁ、その程度の生き物など脅威はない。何せ飼いものだからな。」
抵抗できない子犬たちの体に手を当てたディートゲルムは瘴気を流し込む。8頭の子供たちの多くが苦しみ絶命する中、3頭の子犬が親犬よりも大きく、そして凶悪な面構えのもとに変態を成す。それこそ古きに語られる魔獣の姿に。この世界に同時に3体もの魔獣が生まれたという記録は無い。それだけでかつてない惨劇が始まるというのにそれを成した元凶たる男はその姿に呆れた風に溜息をつく。
「ド―ベルマンにも敵わんな。これでは何の役にもたたん。」
「そちらの世界は欲深い世界なのですね。脅威すらも飼いならすなんて。」
フレイアの目にはそれは十分脅威に映った。それでも目の前の男にとっては不満の残る出来のようだ。
「———欲深い、か。」
ディートゲルムはつぶやくと口角をつり上げる。
「はい。それが一つの優位性を誇示するステータスとなるのでしょう?
脅威すらも得ようとする。他者よりも上立つ存在として認められるため、他者を支配するために。」
フレイアはその顔に彼の琴線に触れたと確信した。
「それだけとは限らんが、深層ではその要素もありえるだろうな。そんなことよりもきちんと体の一部を剥ぎ取ったか?」
手を血で汚したフレイアの姿に確認を取る。
「はい。本当にこの一部だけでよろしいのですか?」
「ああ。それでよいのだ。遺伝子を取り出せさえすればいい。」
フレイアの両手に包まれた組織の塊をディートゲルムはつまみ上げる。僅かに目を細めて観察していたディートゲルムだったが、森犬の精巣を倒木の上に置く。すると、その塊の周囲が煙り始める。その直後、塊の周囲は氷に閉ざされる。
「イデンシ?」
聞き慣れない言葉に首を傾げたフレイアはそのサンプルに顔を近づけてディートゲルムがしていたように観察する。しかし、彼女にその意味は理解できない。
「そうだ。貴様で言えば父親と母親の形を作る情報だな。それが混ざり合ったことで貴様が生まれた。」
果たして地球の常識がこの世界の生物の起因に当てはまるかは不明だが敢えて言い切る。異なるのであれば彼の意のままに世界を改変するまでである。
「まぁ! そう言う意味では私の父も母も、そしてあの姉も私と同じ素養があるということですか?」
フレイアがディートゲルムの言葉に目を輝かせる。滅ぼすことでしか救えないと思っていた者たちにも自身と同じ極致に至れる可能性が示されたのだ。そして、その分野での最高位は自身にあると確信できる。
「さぁな。貴様がそいつらの本当の子ならな。あるいは突然変異かもしれんな。」
「———突然変異。」
だが、ディートゲルムは一瞬で彼女の期待に水を差す。しかし、その男の言葉はある意味で彼女を特別な存在であると認めるものだった。フレイアは恍惚とした笑みを浮かべる。
「時間を取られた。次は、」
画して、2人は森に住まう生き物たちを襲い、試料としてその命を奪うだけではなく、魔獣化させて世に解き放ち続けた。




