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世界を渡る石  作者: 非常口
第6章 過去編第1部
232/325

アレアの終焉

次週はもう一つの話を更新する予定なので本編は来月に更新します。

 ディートゲルムはそっと目を閉じると目の前のエルフに拍手と賞賛を送る。


「良い推測だ。しかしまあ、あれだけの情報があれば猿でもわかるか。いや、それでも馬鹿よりはマシと言うものか。

 純真無垢なふりして貴様は負の感情を知っているようだな。であれば貴様らエルフはすべてが因子を持ちうると言うことだな。それは良い傾向だ。そして、その阻害要因となっているのがあの木か。枯らせば他の木々も良く育つことだろう。そして、貴様らも人として失われた感情を取り戻して飛躍を遂げるというわけだ。

 まぁ、喜ばしきことに今日まさにこの瞬間がその第一歩となるのだがな。」


 ディートゲルムが目を見開く。その目に見るからに深い狂気が宿る。


「舐めるな。これでもかつて瘴気に侵された獣を排除したことがある身。そこらの者と一緒にされては困るぞ。」


 エルフは腰帯からククリナイフを引き抜くとそのわずかな距離を詰めてディートゲルムに向けて突き出す。だが、ディートゲルムは身に纏う不可視の障壁で容易く弾き飛ばす。


「いや、困らんよ。モルモットに性別も年齢も関係ない。すべて平等だ。

 それにしても瘴気に侵された獣か。それも面白い。」

(さしずめ魔獣とでも名付けようか。)

「くくく、さて、始めよう。」


 見えない壁に得物をはじかれて体勢を崩したエルフの背中にディートゲルムは手を乗せると一気に集めたばかりの瘴気を流し込む。


「な、何だこれは!? 体から瘴気があふれ出てくる?」


「貴様には我が因子を与えよう。光栄に思え。」


 突然に自身の体から噴き出た瘴気に目を見開くエルフの古老はディートゲルムの声ににらみを利かせて振り返る。だが、その体に走る痛みがその力を奪う。背中にはディートゲルムの瘴気の刃が刺さる。その刃をディートゲルムの血が伝いエルフの体内に溶け込んでいく。その様は寄生性の生命が宿主を求めて侵蝕しているかのようだ。


「何、を?

 ぐぁあああぁぁっ」


「クリーク様っ」


 当事者に近いナイクの姉が悲鳴に近い声で古老を呼ぶ。その名はアレアの集落の人々だけでは無い、すべてのエルフが心服と尊敬を集める人物を示すものだ。人々の目がクリークに寄せられる。


「瘴気に侵されたエルフ、いやハーフエルフの完成だ。」


「グギギギッ」


 徐々に肉体と精神を変貌させる古きエルフの英雄はその美しい容姿を醜くも逞しいそれに変えていく。その目に理性は残っておらずただひたすらに血を求める獣と同じだった。それは彼がかつて鎮めた魔獣の在り方に近い。それでも頭を腕で覆い隠し、今はただ唸り声を上げて蹲っている。それは僅かに残されたクリークの意思がその場に縫い付けているようだった。


「安心しろ。仲間はすぐに増やしてやる。と言いたいところだが、お前が殺して回った方が負の感情を多く得られそうだ。貴様はどうにか抑え込もうとしているようだが、それは生き物の本来持つべき衝動だ。貴様ができぬというなら私が背中を押してやろう。お前の愛しい者たちを殺せ!」


 ディートゲルムの手がクリークの丸まる背中にかざされる。その手からにじみ出た黒い靄がクリークの体に吸い込まれていく。瘴気の後押しがクリークのなけなしの抵抗を無効化する。

 破壊の衝動に駆られた獣が解き放たれる。正面に立ち尽くす一人のエルフの喉元にナイフが突き立てられる。声を発することもできずに彼は大地に倒れ伏す。すでに手遅れであることは明瞭だがクリークを抑えるべく駆け寄るナイクの姉。その伸ばされた腕を切り払うクリーク。宙で弧を描きながら舞う自身の手を見送る彼女の首に衝撃が走り、その体が浮き上がる。その力はエルフのそれでは無い。


「ク、クリーク様っ。おやめください!

 っ、きゃあぁあああっ ぐっ」


 首を掴むクリークの手は彼女が知る細くしなやかな優しいものとは正反対なものと変わり果てていた。宙を泳ぐようにばたつく足、どうにか首吊りを避けるべく必死にクリークの腕にしがみつくものの血管が抑え込まれて血の気を失っていく親しき肉親の顔にナイクは本来の自分を取り戻す。


「姉さんっ

 てっめぇっ」


 力自慢で名の通っているナイクの棍棒の一振りがクリークの首筋を背後から襲う。だが、彼が正気を取り戻した時点で全ては決していた。瘴気を集約しているクリークの硬い体がその痛打となるはずの一撃を容易く弾く。それと同時に骨の砕ける鈍い音が響き、宙に吊るされていた彼の姉の腕がだらんと落ちる。振り返ったクリークがその体をナイクに投げつける。姉の体を庇うように棍棒を落とし、受け止めたナイクの足を同じ種族とは思えない屈強な足が薙ぎ払う。


「ぐっ、ぞっ、がっ」


 宙に浮いたナイクの鳩尾を姉の体ごと貫くクリークの徒手空拳の突きが2人の体を地面に積み重ねて縫い付ける。口から血と怨嗟を吐きながら力尽きるナイク。姉弟を見下すクリークの目は未だ沈静化することのない狂気を宿している。

 凄惨な光景、血まみれのクリーク、その目に宿る狂気。それは彼らが知る信頼すべき人物とは真逆の存在。人々はようやくその場から離れる必要性に気づく。だがもはや遅い。


「お、おい。巻き込まれる前に逃げろっ」

「うわぁああああっ」

「きゃぁあああぁぁっ」


 集落を満たす世界樹の神聖なマナが人々が抱く恐怖、不安と言った負の感情と結びついて瘴気に次々と姿を変えていく。やがてそれはクリークの体を核にしてその姿を膨れ上げる。本来の姿の3倍にも膨張したクリークはそれでもなお人々をつぶし、負の感情を生産していく。自らの膨らみすぎた風船の如き体になおも瘴気という名の空気を送り続ける。


「おお。集まる、集まる。これは中々良いではないか。」


 ディートゲルムが愉し気に顎鬚を擦りながらクリークの後を悠然と追う。肉塊と溶かした人々の屍を踏みにじりながら。


「———これほどとは。期待や信頼が大きいほど裏切られた際にはより大きな感情の反転が起こるのですね。」

(でしたら私の姉などこれほど適した贄は居いないわ。これは楽しみ。)


 地面に転がる血肉を煩わしそうに避けて歩くフレイアは唇を妖艶に舐めるとひとりごちる。背後にはエルフの血にまみれて引きずられるノーラの姿がある。その目には希望の色は見えない。


「エイラを使うのはまだ早いぞ。もう一つ実験をしたいのだ。もう少し大きな村に案内しろ。そうだな、人口規模は50人クラスだ。」


 すべてが終わったのか全身を赤黒く瘴気に染めるクリークを引き連れてディートゲルムが戻る。クリークの体は今にもはじけそうなほどに全身に亀裂を生じている。そこからは瘴気が噴き出し今にも爆発しそうだった。それすら恐れる様子も無くその亀裂に目を細めて観察し続けるディートゲルムだったがフレイアの姿を認めると次なる目標を定める。


「はい。でしたら、ループルの村が適当かと。」

(私の考えなどとうに御見通しなのですね。)


 フレイアは自身の言葉を気に留めてもらえたこと、更なる狂気の可能性が示されたこと、そしてそれを成す歯車に自身がなっていることに歓喜し心を震わせていた。


「では連れてゆけ。」


「その者はどうなさいますか?」


 フレイアはすぐにでも次なる実験場を案内したかったが変貌したクリークは些か連れ歩くには邪魔と言える。その姿は醜悪で、禍々しく、目を背けたくなるような、おとぎ話の中でのみ存在を許されるような有ってはならない存在そのものの姿だ。果たして、彼の存在を実際に目にした、あるいは近くに感じた場合に人々は平常にいられるのか。いや、そうはいくまい。間違いなくディートゲルムの計画に小さくない影響を与える。まだ、彼の計画は始まったばかり、今はまだ水面下で動くべき時期だ。そう彼女は判断して意見具申した。


「ああ。すっかり忘れていたよ。その集めた瘴気は私がいただこう。

 ふむ。では、せっかくだ。事を成した感想を聞いてみるとするか。」


 ディートゲルムが腕を突き出すとクリークは膝を折り、首を垂れて額を差し出す。体中の亀裂から凄まじい勢いで瘴気が放出される。ディートゲルムは器用に噴き出る瘴気を球状にまとめ上げていく。空気の抜けた風船のようにしぼみ、元の体型に戻ったクリークだったが、その体は老人のようにしわがれ、身はやせ細っていた。閉じられていた瞼が力なく上がり、血走った白目と濁った緑の瞳が姿を現す。その目に飛び込んできた光景はとても彼には認められ無いものだった。


「こ、これは? 皆? どうして、いや、まさかこのワシが、」


 元凶たるディートゲルムにすら気づかずに、苦しみに表情を歪めて倒れ伏す一人のエルフのもとにどうにか這い寄ったクリークは涙して同胞の血に染まる己の手を見つめて慟哭する。そんなクリークの肩が叩かれ、その場に不釣合いな軽率な言葉がかけられる。


「大した力だ。さすがそこらの者とは違うというだけのことはある。こうも容易くお仲間を全滅にするとはな。」


「き、貴様ぁぁあああぁっ」


 急激に衰え震える体に鞭を打ちながら立ち上がったクリークを支えたのはこの惨状を生み出した元凶たるディートゲルムらへの怒り、何より自身のふがいなさへの憤怒だった。だがそれすらもディートゲルムにとっては喜ばしいことでしかない。根を切られ、茎はしおれ、葉はしぼんだ植物が必死に咲かせた花のようにその姿は輝かしく、非常に興味深いものにディートゲルムには感じられた。尽きたはずのマナがクリークの強すぎる感情のゆらぎに引き寄せられ、より遠くから引き寄せられたという予想を超えた成果にディートゲルムは目を輝かせる。とはいえ、もはやそこがクリークの限界であった。これ以上の成果は望めないと理解したディートゲルムはほほ笑む。それは実験室で用済みのマウスを処分するときの気持ちに似ている。このマウスは彼にとって特に良い成果をもたらした感慨深い個体となったのだから。


「良いぞ、その怒り。尽きたはずのマナがなおも集まってくる。だが、もはやこの周辺にマナはほとんど残っていないのが残念だ。よって、貴様はもはや用済みだ。だが、実に良い成果を示してくれた。その命に感謝しよう。」


「お、お前だけはここでっ」


 瘴気に侵されながらも一時的な凶暴性を得たクリークが飛びかかろうとする。ディートゲルムは魔法を発動する様子も無い。刃こぼれこそ激しいが人一人を殺めるには十分鋭利なナイフが彼の胸元に迫る。それでもディートゲルムは微動だにしない。クリークの一命を賭した一突きが届くまであと50cm。

 パンッ

 乾いた音が木々に反射する。


「あ?」


 クリークの眉間に小さな穴が空き、血液だけでは無い彼の体液が漏れ出る。力なく崩れる体に引きずられてナイフを握る手も落ちる。彼の願いは届かなかった。そして、それを成したディートゲルムの手には硝煙を上げる一丁のピストルが握られている。


「やはり魔法など当てにならんな。科学の結晶こそ真の切り札だ。」


 ディートゲルムは何もしていないようで幾度も魔法を放とうとしていた。だが、すでにマナは枯渇しているためそれは発動しなかったのだ。やむなく2発の猶予しか残されていない貴重なそれを使うことになったのだった。


「いつまで呆けている。行くぞ。」


「はいっ」

「...」


 ディートゲルムの掛け声に2人の反応は対極的だった。だが、それは見かけのものだけだ。ノーラは実験の成果に浮かれたディートゲルムが知らず知らずのうちに見落としていたクリークの意思の詰まったマナを受け取り、己の内に隠していた。


(大丈夫ですよ、クリークさん。)

―――ウレア、どうか貴女だけでも生きてくれ。いや、こやつの場合、マナを通して思考を読まれている。くっ、この思念のマナだけは、読み、取られる、わけに、は、いか、ん、の、に―――

(貴方のおかげでどうしてこの人に思考が読まれていたのがわかりました。貴方の意思は私が隠し通します。ウレアさんはきっと無事に生き残らせます。)

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