始まりの日 その4
ウレナの幼い命が尽きたその時、アレアの集落はいつに無い光景に包まれていた。
「あ、あの、私、」
「おい、ナイク。ウレアが嫌がっているだろ!」
「なんだぁ、バレイ。ウレアを取られそうになって言いがかりか? お前は長だからって何でも思い通りになると思うなよっ」
おろおろと事の成り行きに慌てふためくウレアの手を痛いくらいに引っ張る青年、ナイクはディートゲルムに見いだされ、バレイに次いで彼曰くところの種を植え付けられたモルモットだ。彼は、口は荒々しいが兄貴分として若者の世話を焼いてくれる存在だった。そして、今回の件はその荒々しさが招いたといわれればそれで済んだかもしれない。だが、事態はもう一人の介入によって大きく様変わりする。
そのもう一人がバレイである。彼はナイクをにらみ、ウレアの手を引くその手をきつく握り、ゆく手を遮る。バレイはアレアの長にして、開祖アレアの孫にあたり、その血を引き継いだため温厚で誰よりも優しい人物であった。決して、このようなもめ事の中心にあって声を荒げるような人物では無かった。
「別に族長だからどうとかそう言う問題じゃない。ウレアが嫌がっているから止めたんだ。」
「おいおい、ウレアは別に嫌がってないぜ。お前がウレアを独り占めしてぇだけだろうがっ」
バレイがいつになく鋭い目を作る。そんな彼の視線をナイクはお道化て躱して見せる。その目には侮辱の色が色濃くにじんでいる。
「違うっ
ウレア、君からも言ってあげてほしい。ナイクの行動は迷惑だって。」
「違ぇだろ。バレイの方が余計なお世話ってやつだよな。ウレア、お前も言ってやれ。」
2人が振り返ってウレアに同意を求める。その鋭い目は血走り、ウレアに同意を強要していると言った方が正しい。
「あ、あの、私、」
ウレアが一歩後ろに身を引いてたじろぐ。そんな少女を2人は逃すつもりは無いのか腕を離すこと無くにじり寄る。
「何をやっておるか、2人とも。ウレアが戸惑っておる。どちらもウレアを好いておるのだろう。だったら想いを伝えてウレアに判断してもらえ。
とは言え、ウレアはまだ幼い。そう言う話はもう少し待ってからでもよかろう?」
ウレアと2人の間に1人のエルフが割り込む。姿はまだ若さ残る成年だが、その実年齢は250歳を超えている。集落の開祖、アレアを見知るただ一人の古老である。それゆえ、彼の言動は長に次いで力あるものとなっている。長に何かあった時の補助に当たり、賢者としてその知識を長ですら頼らざるを得ないこともあるだけにそう無視できる存在ではない。
「いいえ。彼女は私のものです。これは長としての判断です。誰であろうと従ってもらいます。」
長と古老、2人の関係性をあっさりと無視したバレイは言い放つ。古老はやや面喰ったようにバレイの顔を見つめる。これまでのバレイの在り方を知る彼にはその言葉の意味が理解できなかった。
「ほ~れ見たことか本音が出やがったぞ。」
周囲では人々が小さくないざわめきを起こす。その雰囲気を利用し煽るようにナイクが大声を上げる。
「ああ。最初からこうしていればよかったんだ。ナイク、お前がどんな言葉を連ねようとも長の言葉は絶対だ。」
普段のリーダーシップ性を大きく踏み外して自身の舵を大きくきりかえるバレイにナイクが鼻を鳴らす。
「ふん。おいおい、言っちまったな。こんなのが長で本当に良いのか、みんな?」
「だが、バレイの言うことだ。何か考えが、」
「いや、これは独断がすぎるだろう。もっとみんなで話し合って、」
「だけど、これは3人の問題でしょ。私たちが口を挟むことではないんじゃない?」
「そもそも2人とも熱くなりすぎだ。どうしたって言うんだ。」
煽るナイクだったが、すべてが彼の言葉の向きに揃うことは無い。それは彼の日頃の行いにもよるところが大きいが、バレイのこれまでの功績によるところがより大きい。
「いやいや、おかしいだろ? どうして、バレイの肩を持とうとするんだよ。俺の方がみんなを助けているだろ。俺にお礼をしたいって気持ちはないのかよ? 誠意を示すチャンスだろうがっ」
これまでバレイの揚げ足を取り続けてきたナイクがここにきて初めて自身のことを取り上げる。それは決して良い意味ではない。周囲の者たちの顔を見れば一目瞭然だ。
「誠意って、お前。」
「そうだな。別に助けてって頼んだわけでもないんだがね。」
「何だが押し付けがましいよ、それ。」
口々にナイクの発言を否定する。かつての人々であればこのような言葉は無かっただろう。アレアの人々は2人の生み出した悪意に呑まれていることに気づけないまま侵食されていった。村に瘴気が渦巻き始めていた。
「くくく。これが私と君の信頼の差というものだよ。」
対するバレイもその敵意を隠そうともしない。温厚なはずのバレイの言葉は人々の感覚をさらにかき乱す。
「ね、ねぇ。バレイもナイクも何だかおかしいよ? どうしちゃったの?」
「どうとは?」
「何もおかしなところなんてねぇだろうが。」
2人はウレアをにらみつける。古老がその不躾な目線から守るように少女を隠す。
「うん。やっぱりおかしいよ。そうでしょ、みんな?」
不安気に振り返るウレアの求めるような視線が人々に向けられる。
「う、うん。そうかな。」
「う~む。そうさなぁ。」
「まぁ、ナイクはちょっと強引すぎるかな。いつもより。」
「いやいや、バレイだっていつになく攻撃的だよ。」
幼いウレアの助けを求める言葉に人々は僅かに平静を取り戻す。
「と、に、か、く! ウレア、君は私と一緒に居たまえ。いや、お前は俺の物だっ」
その雰囲気を嫌ってかバレイがナイクが握るウレアの手とは対の腕を掴むと強引に引き連れようとする。
「きゃっ!?」
「違う! 俺の物だ!」
離れるウレアをナイクが引き寄せようとする。力関係において上回るナイクだったがバレイは肉体のリミッターを外したかのような力で拮抗する。必要以上に伸ばされる筋肉ときしむ関節、それは当然間に挟まるウレアから流れ、彼女におぞましい恐怖と耐えがたい痛みを与える。
「い、痛いですっ」
ウレアの悲痛な声を聞いても2人はその力を緩めようとする気配はない。彼らにとってウレアは人では無く物となってしまったのだった。そう、2人の中でこの行動の意義は反転していた。ウレアと言う存在が人として見えなくなってからも進行し続けたそれは‘大事だから手に入れたい’から‘手に入れたいから大事’へとその感情の起源を変えてしまった。
「何をやっているの!? 2人とも止めなさいっ」
「そうじゃ、何やっとるんだっ」
ナイクの姉と古老が2人を引き離しにかかる。だが、2人の力は彼らが知っているそれとは別次元のものだった。そんな彼らの対応をあざ笑うかのように事の原因をなした男は口にする。
「いやはや、想像以上に愉快なことになっているではないかね。」
「はい。まさか瘴気にこのような効果があるなんて。」
自分にこそ及ばないものの目の前でもめる2人のエルフは間違いなく瘴気を宿していた。それは微々たるものだが確実に精神を侵し、彼らを狂わせている。そして、その行動はこの小さくも一つの集落を混沌の世界に陥れていた。次々と生まれる疑念や不安はマナと結合することで瘴気へと変わり、それを2人が集める。二つの渦が描く瘴気霧は村全体を覆い始める。世界樹の浄化作用が2人の集約作用が上回ったということだ。
「ほう。見給え。憎しみが憎しみを呼んでいる。負の感情の連鎖は実に効率が良い。それに見るが良い。人々から溢れる不安といった感情の高ぶりにマナが次々と結びついている。これは効率の良い集約手段になるな。」
(それにしても負の感情の浄化システムとは何と歪んだものか。この私をしてそのような不気味なものを作り上げようとは思いもしない。作った者はとんでもないマッドサイエンティストだ。それでも私の勝ちのようだな。)
この世界の負の感情の浄化システムよりも高優先の集約システムを生み出したことにディートゲルムはいびつな笑みを浮かべた。
「ですが、種が発芽しなければなりません。素質がある者がそれほど多いとは思えません。それに種をまくにしても限度があるかと。」
「誰に意見している。」
「申し訳ありません。」
ディートゲルムの無感情な視線を浴びてフレイアは口ごもる。
「まぁいい。貴様の言うことももっともだからな。だが、
ちっ、どこをほっつき歩いていた?」
手はあると告げようとしたところでディートゲルムの背後にノーラが立つ。
「...」
無言無表情のノーラがディートゲルムの背を刺す。無感情となったノーラの気配を完全に見落としていた男の背に立てられたそれはウレナの持っていた柄の無い黒曜石でできた小さな果物包丁。ナイフを伝って赤い雫が地面を濡らす。
「ぐっ?」
「貴女っ」
フレイアが即座にノーラをディートゲルムから引き離して地面にたたきつける。そのまま足で胸を踏み抑えると長く伸びた爪をのど元に突き刺そうと振り上げる。
「放っておけ。大した傷では無い。それにこいつに私は殺せんよ。」
(———こいつ。弟を人質に取られているということを忘れたと言うわけでもあるまい。ふん。あの小娘と弟を重ねたとでもいうことか。)
実際、ディートゲルムの傷は本当に僅かであった。多くの血を流しているのはむしろ刃を握るノーラの手だ。とは言え、その衝撃はマナによる障壁を展開していたディートゲルムに少なくない衝撃と痛みを負わせた。おそらくは内に秘められた怒りの感情が集めたマナが彼女の力を後押ししたのだろう。そう言う意味ではノーラが優れた材料であることが証明されたことになる。
「そういう意味でも今回の実験はおおよそ成功だ。後は処分するとしよう。事態が知られては計画が狂う恐れがある。まだ、この世界の者たちには早すぎるからな。」
ディートゲルムは背中の傷を確かめるといとも容易く再生させる。医術の心得、科学の心得を満たしているがゆえに成せる技だ。
「では、私が、」
その術に目を見張ったフレイアはノーラを押さえつける足をどけるとその体の向きをアレアの人々の集まる方へ向ける。
「いや、その必要はない。実験材料を無駄にするのは私の理念に反するのでね。」
ディートゲルムは言うが早いか足早にその方向に歩き出す。その足取りは早く実験成果を確かめたいという衝動に取り憑かれているかのようだ。
突然にウレアは宙に放り出されたかのように解放される。痛みから救い出されてその理由を探る。遠くない先に見覚え新しい人物の姿を見る。
「あっ、族長様っ。それにフレイア様っ。どうか助けてくださいっ。バレイとナイクの様子が変なのですっ」
ディートゲルムの登場に全員が振り向く。特にバレイとナイクの反応は劇的だった。2人は大いに体を震わせて低頭姿勢を取っている。ようやく解放されたウレアがディートゲルムの前に進み出る。ウレアにとってはディートゲルムは一般人のそれと違えない印象だが、瘴気に中てられたバレイとナイクにはその身が放つ瘴気の禍々しさに恐怖を覚えざるを得ない。
「ほう? 具体的にどうおかしいのだね?」
「そ、それが、2人ともいつも以上に、...変で、変て言うか、」
ディートゲルムの問いに要領を得ない言葉でしどろもどろに答えるウレア。何しろ負の感情を抱いたことがほとんど無いのだ。あったとしても気づかぬうちに吸われてしまっていたのだから表現のしようがない。
「その子には難しいだろう。気が立っている、いや、嵐を見ているような感覚だ。」
(貴様からはより恐ろしく感じられる、とは言わんほうが良かろう。)
古老がディートゲルムからウレアを庇うように前に進み出る。この男にも長い長い経験からその異常さが見えたのだ。
「ほう。そのように感じるのか。」
「ああ、かつて先の族長から聞いたことがある。我らに生まれるはずの負の感情はマナと結びつき瘴気となり、やがては災害となって現れる、と。それは嵐や地震、火山噴火などの自然災害となる場合が多い。」
(あるいは魔獣。そしてそれを未然に防ぐための世界樹。だが、このような災害の化身のような存在が目の前に現れたとなるとそれも限界に来たということか。)
古老は世界樹がそびえる先を見つめる。その先にははるか遠くにあるにも関わらずその頂きを露わにする世界樹の姿がある。
「なるほどな。せっかく集めたマナも消費されてはかなわん。」
(そうなるとやはり受け皿が必要となるわけか。それならばやはりノーラかフレイアのどちらかが最適だろう。)
ディートゲルムは古老の向けた目の動きの先を追う。そこで見つけた世界樹に目を細める。
「———集めた? それよりウレナは、妹はどこです?」
小首を傾げたウレアはディートゲルムの背後を探す。そこに妹の姿は無い。
「ああ、アレはもう廃棄したよ。失敗と言う情報を提供してくれた。良い仕事ぶりだったよ。貴様も胸を張るがいい。」
ディートゲルムはウレアの問いに包み隠すことは無く答えた。だが、その言葉は幸か不幸かウレアに理解するのに難しい表現だった。
「...何を言っている、のですか?」
「貴女の妹は死んだと言っているのよ。でも、このお方の役に立ったのよ。喜びなさい。」
フレイアがディートゲルムの言葉を彼女でもわかる内容に訳す。偶然が起こした気遣いも一瞬で泡と消える。
「えっ?」
「ウレア、後のことはワシに任せて家に戻れ。」
古老がウレアを庇うように前に立つと背中越しに彼女を後ろに押す。
「だけど、ウレナがっ、ウレナが死んだってっ」
涙を浮かべて声を張り上げるウレナに古老は叫ぶ。
「良いから家に戻りなさいっ。ワシが後から説明する。」
「———は、はい。」
鋭い剣幕に思わず手をつきながら逃げるように家に向かって走り出すウレア。その背を人々はあっけにとられながら見つめる。それでも古老の、ウレアの様子を見ても人々は慌てるそぶりを見せない。
ウレアの姿が見えなくなったことを確認した古老は一息つくとディートゲルムに振り返る。
「それで。お前さんたち、ウレナが死んだとはどういうことなのだ? 今の話しぶりだと彼女の死の要因はお前さんたちに非があるようにも聞こえたぞ。
それに‛集める’だと。バレイとナイクに何かしていたのも貴様...だとしたら、」
(だとしたら、こやつは人の心に負荷をかけることで、いや心の弱みを利用して負の感情をあおっておる。ならば瘴気を集めていったい何をするつもりだというのだ。)
古老は気づいている。この自身の疑念さえも目の前の男の思惑に乗っているであろうことを。それでも止められない。アレアの集落の終焉はすぐそばに迫っていた。




