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世界を渡る石  作者: 非常口
第6章 過去編第1部
230/325

始まりの日 その3

(先ほどのエイラとやらによく似た個体だ。だが、溢れ出すマナはやけに禍々しい。別人、いや双子か。)


 ディートゲルムは目を細めて水面に姿を映す少女を観察する。その揺らめきに囚われた姿こそがその本性のようにさえ思える。その歪さに引かれて側に近づくと彼女のつぶやきが聞こえる。


「中々、難しいものね。どいつもこいつものうのうと暮らして。そんな暮らしの何が楽しいのかしら。私なら、」


 その容姿と中身が一致していない、そうノーラは率直に感じた。対して、ディートゲルムはその纏うマナと言葉に明瞭な相関関係を見出した。


「ふむ。貴女はお困りのようだね。エイラとやらとは知り合いかね?」


「あら、貴方が噂の精霊様でしょうか? エイラは私の姉ですわ。私はフレイアと申します。これから短い間でしょうがお世話をさせていただきます。よろしくお願いします。」


 先ほどまでの禍々しいマナは一瞬で気配を消し、エイラ同様に可憐で無垢な雰囲気が彼女を覆う。それこそエイラと瓜二つである。マナから相手の機敏を察することのできるようになったディートゲルムをして先の彼女の隙を見過ごしていれば完全に騙されていただろう。


純真無垢(ばか)な奴らばかりかと思っていたがそうでもなかったか。こいつもなかなか面白いサンプルだ。いや、私の手駒にするのも悪くない。少なくともこの足手纏いよりは役立つだろう。)


 ノーラに向けられたディートゲルムの視線が一層厳しいものになる。


「私もね、この村の者たちの考えは退屈で仕方ないのだよ。何か刺激がほしいとは思わないか?」


 大仰に腕を広げて見せるディートゲルムにあからさまに不快そうなノーラが顔を背ける。


「っ!?」


 フレイアは突如として現れた2人に警戒心をにじませるが彼女が驚いた理由はそこでは無い。2人を纏うマナの濁りに驚いたのだ。かつて自身以外にそのマナとは言い難い邪悪な、それこそ瘴気とでも言うべき得体のしれないものを身に纏う存在を見たことがなかったからだ。


「そう警戒する必要はない。むしろ私が解決してあげよう。そうだな、そのためにもまずは近くの他の村に案内してもらえないかね。」


 少女の警戒の意図を探ること無くディートゲルムは自らの悪意のマナを彼女に向ける。少女の体がびくりと震える。だが、それは恐怖によるものでは無い。むしろ歓喜に近い。うなだれたように下を向きながら粟立つ肌を擦る。そして、一気に顔を持ちあげる。フレイアの顔にはそれはそれはおぞましい笑みが浮かんでいた。


「ふふ。どうやら、貴方様は私の求めていた方なのかもしれません。丁度、すぐそばに小さな集落があります。そこならだれにも気づかれることなく事を成せるかと。」


 フレイアはこれから訪れるであろう終焉の姿を思い浮かべる。その第一歩を自らが指し示すことができると感謝しながら言葉にする。


「事とは何のことかね?」


 ディートゲルムはその意味を理解しながらも敢えて問う。彼女の答えに期待を抱きながら。


「いえ、申し訳ありません。視察をなされたいのでしたね。それでしたら、せっかくこの地に遊びに来られたです。ぜひお連れしたいところがありまして。何せ出来たばかりで小さな集落なのですが周囲を小高い丘に囲まれていまして私のような者が案内しなければ中々気づかれないようなところにある場所なのです。」


 フレイアの顔には愉悦と悪意が覗いている。それは十分にディートゲルムの期待に応えるものだった。


「...」

(この娘、エイラさんとそっくりな顔立ちなのに雰囲気が全然違う。それにこの人は何を考えているというの?)


 ノーラの疑惑の目線がディートゲルムの考えを見抜こうと鋭く向けられる。だが、向けられた相手はまるで意に介した様子は無い。そんな男の心中を察しているかのようにフレイアは彼の求める先への案内を始める。


「ではこちらに。」


 三者はそれぞれに想いを持って足を進める。その間、誰一人として言葉を発しようとしない。ただ、男にだけはその場に漂うマナから感じられる感情の染まり具合からそれぞれの心意を推し量ることができた。狂喜と疑惑。それがその場を占める感情の多くだ。


「あれかね?」


 ディートゲルムの表情を通して獲物を狙う肉食獣のような雰囲気が浮かぶ。小高い丘の上から望むその集落は背丈の低い草木が茂る中で太い木々が3本並んだただの小さな小さな林だ。その中を数名の気配が動いているだけにしか感じられない。


「はい。アレアの集落です。」


 アレアの集落はアレアを祖とする親族の集まりだ。【深き森人】の集落としては新興の集落でもある。新興とは言え、すでにアリアの代から3代、800年以上の月日が流れている。それでも最も若い集落だ。


「集落? あれで?」


「ここでは何をなさるおつもりで?」


 ノーラの問いかけをまるで聞こえなかったかのように無視したフレイアはディートゲルムに妖艶な笑みを浮かべて寄り添う。


「何、大したことでは無い。悪いが、君の期待には応えられないかもしれんな。」

(くくく。どうやらノーラ(こいつ)の位置づけをこのわずかな間で見切ったか。なお面白い。)

「それにしてもアレで集落かね?」


 ノーラと全く同じ内容の問いをあえてぶつけたディートゲルムにフレイアは男の見下すような視線に笑みを浮かべて答える。


「はい。3世帯12名、村として成り立つ10人以上という基準を超えておりますから。それに、」


 彼女がこの集落を選んだ理由、それは人数面だけでは無い。アレアの集落は他の集落から大きく離れている上に丘によって囲まれた地形的な性質によって隔離された集落だからなのだ。


「ふむ、なるほど。丁度良い場所か。いくぞ。」


 周囲を見渡したディートゲルムは小さく頷くとフレイアの顔を見つめる。その顔には僅かながらに貢献者に向けた賛辞が浮かぶ。


「はい。楽しみですわ。」


「...」


 フレイアは男が己の意図を読み切ってくれたものと嬉しそうに笑う。それはエイラの姿と重なる。喜びを覚えるところさえ違えなければ彼女たちは区別することすら難しい存在だったのかもしれない。そうすることでフレイアは彼女自身を定義するようになったのだとしたら、それはノーラにはひどく不憫に感じられた。それが正しいかは別として。

 とは言え、それが実像であれ虚像であれ二人が目論んでいるであろうことは良からぬことで間違いない。フレイアには怒りを、ディートゲルムには不安をそれぞれ向けるノーラの抗議の視線はことごとく無視される。


 丘を下りきった先にいた人物がフレイアに気づいて満面の笑みで出迎える。


「フレイア様、ごきげんよう。おや、そちらのお二人は?」


「こちらは私たちの新たなる主となられるお方よ。そこに村人すべてを並べてお言葉を承りなさい。」


「はぁ、族長になられるお方ということですか? ですが、【深き森人】ではなさそうですが?」


 高圧的なフレイアの物言いに出迎えた青年は首を傾げる。彼の知る限り族長が変わったことは無いし、族長は自ら一人一人に声をかけて回っていた。一同に集めて話をすることなどこれまでなかったことだ。


「ふふふ。この方はそのような域に居られる存在ではありません。そもそも巫女の言葉を疑うのですか?」


「う、疑うなどとんでもありません。無知の私をお許しください。」


 疑うという言葉は彼の中では禁忌に近い存在だ。そもそもそれはおとぎ話では聞いたことのある言葉程度で、その実態を知らない青年はそれを自らに当てはめられそうになったことで大いに慌てた。謝るという行為もそう行うことは無い。無我夢中で膝をつくと自らと同い年くらいの少女を見上げる形で許しを請う。


「わかりました。それでは村人を集めなさい。」


「中々の手腕だ。それにしてもあの男は折角浮かんだ疑問をあっさりと投げ捨てたな。そこから進めればもう少し面白い材料だったろうに。いや、それでも疑惑を感じるだけ良い素材かもしれんな。」


 ディートゲルムはしなだれかかるフレイアを片手で抱き寄せる。もう片方の腕を持ちあげて顎髭を擦ると空を見つめる。そこには片腕で抱く少女への関心は無い。

 僅か12名の村人が集まるのにたっぷり30分とかかった。何度となくフレイアがその場を離れようとしたことか。そのたびに笑顔のディートゲルムがマナを通して彼女を押しとどめた。


「皆、このお方が新たな族長になられるお方だ。心してお言葉をいただくように。」


 のほほんとした村人たちは井戸端会議すら始めている。それを戒めるようにフレイアの高い声が響く。それを制するようにディートゲルムが少女に手をかざす。一歩下がったフレイアは先ほど青年が謝罪したように膝をついて上目遣いで見上げる。自身らよりも敬われるべき存在が取った行動によって人々に動揺が伝わる。


「いや、私は君たちの族長などになるつもりはない。ただ、私のモルモットになっておくれ。」


 その様子に満足気にディートゲルムは大仰に首を持ちあげて見下すように述べる。それはもうストレートに。


「もるもっと? それは一体?」


 誰しもがその男の言葉の意味を理解できなかった。人々を集めた青年が代表してその意図を問う。


「ふむ。君は少しは楽しめそうだ。合格者としてこれを与えよう。」


 ディートゲルムの指先から黒い炎のような塊が放たれる。それは青年に向かうと額に溶け込む。少年はそれを何の疑いも無いのか避ける素振りも無く受け入れる。


「? いったい何を?」


 青年は首を傾げる。体を動かして変化を探している。だが、それはまだ培地に撒かれたばかりの種だ。芽吹くには早すぎる。彼が気づけるわけも無い。


「何、しばらくすればわかる。それとお前も前に来い。」


「俺ですか?」


 ディートゲルムに指名された別の青年は片眉を歪めて不可思議そうに前に出る。それは本人も周囲も気づいていない癖だ。それこそが芽を息吹かせる最高の培地だった。


「ああ。君にも同じく祝福を与えよう。」


 先ほどと同じような黒い塊が青年の額に潜る。そのことを確認したディートゲルムが口角をつり上げる。


「あとは必要ない。さぁ、解散したまえ。」


 そのまま人々の中央を通り抜けて立ち去るディートゲルム、その後を追う二人の女性をアレアの人々は首を傾げて見送る。


「何だったんだ?」

「さぁ?」

「今度の族長さんは人見知りさんなのかしら?」

「何だっていいよ。これまで通りってことでしょ。」


 人々の緊張感の無い言葉とこれから起こる悲劇のギャップに加虐的な笑みを浮かべたディートゲルムが突如として足を止める。その横にはこの集落最年少の少女がいた。


「ああ、君。君は付いて来たまえ。」


 ディートゲルムがその娘の肩を掴む。


「ウレナ?」


 男の行動に真っ先に反応したのは本人では無く、その隣にいた姉だった。彼女はディートゲルムに選抜された少女の名を呼ぶ。


「え? あ、はい。」


 ウレナと呼ばれた少女は慌てて返事をする。何が起こったのか本人は理解できていない。それがあまりに突発的だったのは確かだ。


「では、村の外を少し案内しておくれ。」


 エイラを騙した薄っぺらな笑顔でディートゲルムはウレナに言い訳じみたお願いを演じる。


「え、ええ!? わ、私でよろしいのでしょうか? フレイア様もいらっしゃるというのに。」


 期待されたと感じて少女の顔に明るい華が咲く、騙されているとも知らずに。だが、後ろに控えるフレイアの存在に気づくと尻すぼみに声が小さくなる。


「私に気を使う必要はないわ。ディートゲルム様の御意思に従いなさい。」


 フレイアもまた作り上げられた笑み、こちらは姉のエイラを見本に作り込まれた限りなく本物に近い笑みを浮かべて促す。その内心は主に認められた小さき存在への嫉妬が揺らめいている。


「は、はい! では、こちらに。ウレアお姉ちゃん、先に帰ってて。」


 再びはにかむような笑顔となったウレナは言葉遣いも忘れてディートゲルムの腕を引っ張る。笑顔のディートゲルム。その顔を確認したウレナは姉に振り返る。その瞬間、男の顔が冷めきった能面面になったとは知らずに。かつて来た族長は今より幼かった少女の行動を心底楽しそうに許容してくれていた。そのことが今の彼女の行動の原動力となっていた。それを許しがたいと実力排除に出ようとするフレイアだったが、ディートゲルムの強い心意を込められたマナによって止められる。それは決して楽しかったからでも人として最後の時間を笑顔で終わらせてあげたいからでもない。単に最高のモルモットを失いたくないからだ。


「はいはい。いってらっしゃい、ウレナ。しっかりね。」


 妹の屈託のない笑顔に同じく笑顔で応えた姉のウレアは手を振る。彼女にも背を向けていた男の無慈悲な表情は伝わらなかった。ただ一人危機感を感じていたノーラだけが悲痛な表情でウレアを見つめていた。


「それでですね。ここが私たちの畑で、」


 村はずれの畑を前にして言葉に明るい感情を乗せて軽快に説明するウレナだったが、ついにその時は訪れる。


「この辺で良いだろう。」


 斬首刀が振り落される。先ほどの青年たちに与えられた黒い揺らめきの塊がそれこそ人を飲み込むような大きさで襲い掛かる。男の声に振り返ったウレナの目の前には闇が口を広げていた。そして、その先には彼女が知らない、だが本能が危険を訴えるような男の邪悪な笑みが浮かんでいた。


「え? あ゛あ゛ぁっ?」


 ウレナを襲う強烈な吐き気。自身が自身でなくなるような感覚。目の前の存在が怖い、憎い、恨めしい。その感情は知る物が言い表すならばそれだけで済むが、彼女はその概念を知らない。無理やりにそれを押し込まれようとしている。彼女からすれば生理的な嫌悪感が肉体の不調として重くのしかかる。


「ふむ。悪意のマナは中々馴染まないようだ。」


 少女の体から黒いマナが溢れ出して大地に溶け込む。ウレナは汗だくとなりながら地に倒れ伏す。


「な、何をしているのっ」


 ノーラの悲鳴に似た声が響く。


「何とは? ああ、彼女の体をマナを集める集約装置にできないかと試しているのだよ。そのまま使えるのならそれに越したことは無いからな。だが、ご覧のとおりだ。」


 駆け寄ろうとするノーラの襟首をつかむと地面にたたき伏せさせる。視界を取り戻したノーラの目に飛び込んだ少女の姿はあまりに痛々しかった。


「お゛あ゛ぁっ」


 ウレナの体に入り込んだ負の感情を帯びたマナはそのすべてが溢れ出したわけでは無かった。決して多くは無かったがそれは彼女の精神を蝕み、その肉体に多大なる悪影響を及ぼしていた。彼女の口からは血が溢れ、皮膚にはアレルギー反応を起こしたような発疹が無数に現れる。見開かれた目は血走り、瞳孔が収縮と拡張を目まぐるしく繰り返す。


「このようなマナは【深き森人】には有毒ですよ。これはマナはマナでも瘴気と呼ばれるものですから。」


 フレイアがウレナの傍に寄ると負のマナが溶け込んだ地面に手をかざす。地面から泡のように黒い玉が浮き上がってその手に溶け込んでいく。本来なら彼女のいう通り【深き森人】であるフレイアもその例外では無いはずだが蕩れるような表情を浮かべている。そして、まだ宙に浮かぶそれを再びウレナの体に沈める。


「ウ..アお、ねえ、ちゃ、たす、けて、」


 遠のく意識の中、ウレナは泣き崩れるノーラに姉のウレアの姿を重ねて腕を伸ばす。もはや、彼女の精神は崩れ落ち、感情は焼ききれている。彼女を動かしているのは走馬灯の中の僅かな輝きだ。


「待ってて今すぐ助けてあげるからっ」


 足を縺れさせながらノーラはウレナに駆け寄ろうとする。


「馬鹿な女。主の邪魔をしないで頂戴。」


「うぐっ、貴女っ」


 残り僅かでたどり着くところでノーラの体をフレイアが阻む。少女の体からは想像がつかないほどの強力な蹴りがノーラの腹部に直撃した。


「お、かぁ、さ、...、お、とぅ、...ん、」


 倒れ伏すノーラの視界に目の生気が失われ、それでも懸命に彼女に向かって腕を伸ばすウレナの姿があった。


「ふん。一番柔軟そうな若い個体を選んだつもりだったが無理か。もう少し瘴気とやらに親和性を保持していなければならんようだな。まぁ、そのための種は撒いたのだが。あとはどう芽吹いてくれるか。楽しみだな。行くぞ。」


 ノーラに向かってあげられた少女の腕が地に落ちるところを確認すること無くディートゲルムは背を向けてアレアの集落に歩き出す。フレイアがそれに追従する。ノーラだけが這いずりながらウレナの傍らにたどり着く。地に落ちたそのか細い腕を抱きかかえる。そして、まだ乾ききっていない涙を拭い、見開いたままの瞼を閉ざし、胸元でその手を交差させる。


「ごめんね。助けてあげられなくてごめんなさい。」

(私が助けてあげなきゃいけなかったのにっ)


 遠くで無神経にノーラを呼びつける声が聞こえる。その声の主に向けて怒りの目を向けることでしか今の彼女に抗う術は無かった。


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