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世界を渡る石  作者: 非常口
第6章 過去編第1部
228/325

始まりの日

 男は閉じられた目を開けるとその場で空を見上げて大きく笑った。


「これは何の悪戯なのかねぇ。少なくともまともな存在ではないのだろうな。」


 男はスーツを入念に確認しながらその場にしゃがみ込む。そして、隣に倒れ伏す女性を蹴り転がすと舌打ちをしながらも口角をつりげるようにゆがめる。


「う゛っ」


 痩せこけた女性はうめき声をあげてお腹を抱えて蹲る。


「貴様も無事とはな。」


 2人は先ほどまでとある研究所に立てこもっていたはずであった。研究所とはいったが他者から見ればあれは牢獄だ。そして、モルモットは人だった。そして、この2人は研究者とモルモットの関係であった。


「ここは?」


「私が教えてほしいくらいだ。だが、研究所でないことは確かだな。でなければとうに死んでいる。」


 男が少し前に見ていた光景は今のそれと大きく異なる。その時、彼にはいくつもの銃口が向けられていた。自身の足元に向けた銃口は目の前の女性を捉えている。死に怯えた女の顔が男の目を魅了する。引き金は自然と引かれた。同時に重なる複数の銃声。男と女は死を迎えたはずだった。

 一向に這い上がってこない死の気配に男は周囲を確認する。いや、確認しなくともわかっている。無機質なモルタル張りの床から青々とした草苔が繁茂する有機的な地面に変わったのだから。


「———天国?」


 先ほどまで死の間際に追いやられていた女がキョトンとした顔で呟く。男の顔に不快の色がにじむ。


「天国などあるものか。死ねば無に還るだけだ。しかし、見たことのない植物だな。」


 男は間近の木に手を伸ばすと一枚の葉を毟り取る。肉厚の葉は自身の指の太さよりも厚い。男はその葉を地面に落とすと2人を囲むように生える太いサトウキビのような植物に手をかける。同時に振動が茎越しに男の手に伝わる。それは人の声だった。


「*****」


 ソプラノボイス。だが、その言葉は判別つかない。決して声の元が遠くにあると言うわけでもないのに。


「誰だっ」


 男は茎を押し分けると音のする方向に小銃を突き出す。銃口が少女の白い額に押し付けられる。赤い瞳が額に押し当てられた物体を捉えようと中央に寄る。不思議そうに首を傾げる少女。それが彼女の命を容易く奪うものとは想像の範囲にはないのだろう。ただ、男は僅かではあるがその容姿に見惚れてしまったために引き金を引くタイミングを失してしまった。少女は銃を掴むとまじまじと観察を始める。


「*****(不思議な板)。****(貴方は)、*****(何者ですか)?」


 聞き覚えの無い言語がその小さな薄紅色の唇が震えることで奏でられるが、男が知る10にも及ぶ言語のいずれにも該当する様子は無い。


「聞いたことのない言語だ。

 おい、何している?」


 うなる男の足元で同郷の女が這い出てくる。


「...お水をいただきたいのですけど?」


 上目遣いに女は願い事を口にする。とは言え、男にもわかるその言語と金髪紅眼の少女の言語は全く異なる。


「**(まぁ)、**********(ずいぶんと衰弱しているようですね)。*****(癒しの水を)。」


 異世界の女がこれまた異世界の女にその両手を差し出す。淡い光がその手に集い、薄ぼんやりと光る液体に姿を変える。差し出された女は顔を埋めるように飲み干す。


「なんだと、水が?

 ―――手品、いや、まるで魔法のように...」

(ここはヨーロッパでは無いのは植生を見るからに間違いなかろう。いや、それ以前に世界が違うのではないか。何もない空間から水を生み出すなど物理法則が異なるのではないか。それにこの生き物は人のようで人では無い。まるで神話に現れるエルフのようだ。

 いや、そんなどころではない。魔法だ。魔法が使えるのか。その技術をもってすれば我が国が再起することも十分可能だ。そうなれば我が研究はさらなる飛躍を遂げる。)


 男は腕を組んで思案にふける。そんな思考もすぐさま邪魔が入る。


「すごいです。念じるだけで水が出ます!」


 視線を再び落とした先で女は手のひらの上で噴水を作り上げていた。


「き、貴様、どうやってっ」


「**(あら)、*********(貴女は素質があるのですね)。****(お上手ですわ)。」


「ありがとうございます。あの、お名前を伺っても良いでしょうか? 私はノーラって言うの。」


「******(はじめまして)、ノーラ。****エイラ***(私はエイラと申します)。************(よろしくお願いしますね)。」


 女性同士仲良く手を取っている。言葉は違えどもどうにも意思が通じ合っているようにも見える。


「貴様、そいつの言葉がわかるのか?」


「は、はい。おかしいでしょうか?」


「どうやった!? 先ほどの魔法と言い、会話と言い、どうやった!?」


 男はノーラの襟首をつかむと顔の側に引き寄せる。その目には嫉妬の色が色濃く渦巻いている。ノーラの薄青い瞳に恐怖が宿る。それは施設に閉じ込められていた時のそれに似ている。むしろ、この異世界に放り出されたことで植物の緑や空の青といった自然の中の解放感を得られていることこそが彼女の非日常なのだ。


「———水は思い浮かべただけです。言葉も耳を傾ければ普通に...」


 事務的とも無機質ともいえるようなノーラの声がしぼむように消える。目の前の男に怒りの色が覗いたからだ。


(馬鹿な。私よりもこの者の方が優れているというのか。やはり先生の言葉は正しかった。こやつらは我らと同格の存在だったのだ。だが、この世界を統べるのは我々帝国民だ。我らこそが支配者だ。)

「世界よ。我に逆らうなっ」


 エキルシェールという世界に男、ディートゲルム シュルツが断ずる。眩暈、否、世界が歪むのをエイラは感じ取る。


「まさか世界の理を歪めてしまうなんて...」

(こちらの女性も、こちらの殿方も一体何者なのかしら。これが予言にある精霊様?)


 2人が成したことは平易なことではない。ノーラは体内マナではなく、大気中のマナを寄せ集めて無詠唱で魔法を発現させた。ディートゲルムもまた、恐ろしいまでの意思の力で世界に自らを上位存在として割り込ませたのだ。どちらも魔法に長けたエイラですら成すことは不可能な非常識の出来事だ。


「くくくっ、はははっ、そうか、そういうことか。」

(想像なのだ。より現実的な想像をもって現実を作り上げるのだ。理論でしか無かった物を現実のものとできる。そう、この世界で作り上げたものを我が国に持ち帰れば、)

「———面白い、面白いぞ。これで戦局は覆される。」


 ディートゲルムは自身が敵軍を蹂躙する姿を思い描いてほくそ笑む。ただし、それは功績を期待してのものでは無い。自身の作り上げた理論が成しあげる成果の検証こそが楽しみだったからだ。

 ディートゲルムはそれを確かめるために思念を一つに突き出す。男の頭上、遥か高いところに鏡面の輝く円盤が出現する。やがて、それは徐々に大きさを増していき、地表に影を落とすほどになる。


「それ以上はお止めください。精霊様の食物が尽きてしまいますっ」


 エイラはディートゲルムに縋り付く。だが、男は嘲笑し、エイラを一瞥くれた後もさらに魔法の完成を目指す。陽の光が一点に集約されて遠くの大地を焦がす。熱風が三者の頬をヒリヒリと撫でる。


「ほほう。くくく、食物。マナか。まさにこの神秘を表すのにうってつけの言葉だな。だが、私には関係のないことだ。」


 だが、その大規模魔法はそこで終わる。陽の熱量を砲弾と変えるその空中砲台は完成を待たずして崩壊を始める。まるで夢物語のように、存在を許されないかのように。


(む? これ以上形にならないだと?

 ———なるほど、マナが尽きたと言うわけか。ともすればマナが、濃いマナが必要だ。その算段を付けねばならぬか。だが、できる。)

「フハハッ、向こうでは世界に拒絶されたものたちが、夢物語がここでは現実として受け入れられる。」


 空中でマナの粒子に還元されながら崩れ落ちる自らの未完の兵器に目を細めるディートゲルムは満足げに見送る。例え姿を失ってもそれが成した成果は消えていない。確かにその兵器は存在したことを証明している。やがて、冷めた目で男はエイラとノーラを眺める。どちらも彼の目には人としては映らない。


(この世界の生き物は材料。マナの塊だ。こいつらをより効率よく生産する術を考えるか。)

「おい。異世界人。貴様の仲間はどこだ?」


 世界に割り込んだ男の言葉はこの世界のあらゆる生き物に通じる言葉になる。当然、その伝達性は対象の生物の知能レベルに左右されることになるが。そして、その言葉、思念はマナを介して届けられる。


(この人の心が伝わってきます。怖い。どうして、いったい何を考えているのですか。)

「———それを聞いてどうするおつもりですか?」


 男の高圧的なマナに中てられたエイラはそれでもひどく落ち着いた声で問い返す。その声はその道のプロが聞けば震えている、動揺していると指摘されただろう。当然、男にも伝わっている。男は決してそのような技能は持ち合わせていないが、マナに乗って伝わってくる彼女の心情から容易に読み取ることができた。


「ふん。賢いモルモットは不要だよ。私の質問にただ答えたまえ。貴様の仲間はどこだ。」


 男の怒気に染められたマナがエイラを射抜く。エイラの体が小さく震える。それと同時に溢れ出す恐怖に染まったマナ。


「———それは、言えません。」


 それでも気丈に拒絶するエイラ。だが、男は別のところに感心を奪われる。それは遅かれ早かれ気づいていただろうことではあるが、仲間を守るためとは言えあまりに大きな代償となったことをエイラは知らない。彼女の瞳に宿る覚悟という意思を反映させるようなマナよりも恐怖に染まったマナのほうが多く男の下に届いたのだ。


(怒り、怯え、恨み、負の感情はマナを引きつけやすい? それもそうか、それらは感情を持つ生き物に取って非常に強い意思となり得るのだから。)

「ふん。ならば戦場は近くにあるか?」


「戦場? 狩場のことでしょうか?」


 エイラは話題が逸れたことに安堵を覚える。少しでもその話の路線を変えまいと笑顔を作って問い直す。その問いはディートゲルムにとって些か予定にないものであった。


「何を言っている? 戦争、いや、部族間の諍いくらいはあるだろう?」


「い、いえ。私たちはそのようなことは話し合いで解決させておりますから。」


 詰め寄るディートゲルムにエイラは真っ向から否定する言葉を贈る。それがどれほど彼の計画を狂わせているかを知らずに。


(戦争が無い世界だと。有り得ん。だが、マナは奴が嘘を言っていないことを示している。)

「そうか...

 そうか。そんなふざけた世界があるとはな。」

(ならば、ならば作ればよい。)

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