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世界を渡る石  作者: 非常口
第6章 過去編第1部
227/325

力と脆さ

『ぐっ!? なんだ、この感覚?』


 まるで体中から血液を抜き取られるような喪失感が当夜を襲う。


(マナが奪われている? まさか地球に戻された?)


 当夜が周囲を探ろうと目を凝らすと視界が突然に晴れ、崖下に草原が広大に広がっている景色が映る。そして、その中を翼の生えた小さな馬が駆けている。


『———地球じゃない。』

(ならどうして?)


 世界樹に体を包まれた時に大けがでも負ってしまったのではないかと当夜は全身を確認する。


『...は?』


 無かった。そこには足も、手も、胴体も、ない。おそらくは頭も含めて客観的に見たらなら一切合切見当たらないのだろう。


(これは一体?)


 視線、といえるかどうかは定かではないが視界を中心に向けた当夜はモノクロの濃淡だけで渦巻く球体があることに気づく。視界を再び前方に向けるとゆっくりと中心部に戻す。


『———これが、僕?』


「せ、精霊様だ。本当にお姿をお見せくださったぞ!」


「「「おおっ!?」」」


 近くで男の声が響くと周囲にどよめきと人々の気配が現れる。正確には当夜が精霊としての権能を己がものとし始めたことで視界に頼ることのない空間認識を自動的に発動し始めたためだ。とは言え、そのすべてをうまく使えるほど精霊として馴染んだわけでは無い。物質のすべてがマナの色や量によって細かく分析される。その情報のすべてが当夜がこれまでに認識の条件としていた特徴と大きく異なる。要するに当夜の持つ情報とうまく整合性が取れないのだ。生物をDNA塩基の羅列で見ているようなものだ。360度あらゆる方向から与えられる莫大な情報量はかつて感じたことのない違和感として当夜の意識に植え付ける。かつて人の身で享受してきた空間認識がどれほど情報調整されてきた便利な能力であったかがわかる。

 おかげで当夜を囲む言葉を使う生物が何者でどのような姿かもわからない。果たしてこちらの言葉が通じるのかは不明だが正体の判別については相手に任せることにした。


『だれ?』


「おお! 私はこの村を治めるホコイル・バーガスと申します。誠に申し訳ありませんが、これほど濃密なマナを受けては子供たちでは耐えられません。どうかお怒りを治めていただきたいのですが...」


 恭しくも声に僅かな震えを含んだ先ほどの男性の声が自己を明かした上でひれ伏す。徐々に物質の形態を掴めるようになると彼を先頭に23名の人型の生命が同じ姿勢を取っている。


(別に怒っていないんだけど。えっと、マナを抑えろってことか。つまりは溢れ出すマナを抑え込む感じ、いや、そうか、逆に漏れだす奴を周囲のマナごと吸収しちゃえばいいのか。【時空の精霊】との特訓がこうして生きるとはね。いや、彼はこうなることを予期していたのかも。)


 とはいえ、体こそは大まかな形で再現できる。とは言え顔立ちなど自身のそれをじっくりと観察したことなど無い。優先順位を下げた結果、顔は本人にもどう再現されているかもわからない。ともかく体からマナが奪われる感覚は収まりを付ける。


「おおっ、やはり高位の精霊様だったのですな。寛大なるご処置、まことに痛み入ります。それで、貴方様はどのようなお方なのでしょう?」


 代表者であるホコイルが膝間ついたまま顔だけを上げて尋ねる。


『ん? ああ、僕はトー、』

(いや、今は精霊だったか。)

『僕は【時空の精霊】だよ。ところで、ここは世界樹が立っていた場所だったはずだけど?』


 当夜は周囲を見渡す。と言っても首を回して見渡したわけでは無い。そうしなくとも全方位の情報は得られてしまう。そんな当夜の感覚にはそれほど大きな木は見当たらない。木々が数十植わっているがそのいずれもが樹高にして10mを切っている。それにそのいずれもが世界樹の醸し出していた荘厳な雰囲気と異なり弱く儚く感じられる。


「世界樹? いえ、北の大陸、アルフヘイムであればございましたが、今は...

 それと、ここはエレムバール。アルフヘイムから逃げてきた一族の街でございます、【時空の精霊】様。」


 この世界は2万年も前の世界なのだ。世界樹がいくら巨大だったと言ってもその年月に至るとは確かに思えない。それよりも気になる言葉が出た。


『———北の大陸。そうだ、あいつを倒さないと。北の大陸に急がないと!』


 思い浮かぶはあの同郷にして憎くむべき男の姿。そして、当夜に全てを託した少年の姿。怒りに握り拳を作ったつもりがマナが溢れ出す。


「おぉ、【時空の精霊】様のお怒りが、」


 エルフたちが震えはじめる。気づけば当夜の周囲を黒く底の見えない【暴食】が飛び交い、木々や草花を支えるマナを奪い始めていた。


(まずい! 落ち着け、落ち着んだ。)


 当夜が考えていたよりも簡単に【暴食】は姿を消して制御される。


(魔法の制御ってこんなに簡単だったかな? これが精霊化した恩恵か? これなら【転移】だってこれまで以上の効果が得られるはず。一気に北の大陸とやらに行く!)


 細かい場所はわからなくともおおよその位置ならわかる。暗闇の中を手探りに広げて目的の場所を探していく。息が詰まるような感覚に襲われるが気にしてなどいられない。すでに事態は進んでいるのだ。


「お、お待ちください! そのように膨大なマナを使われなくとも私どもの記憶を読んでいただければ目的の場所まで転移いただけます!」


 ホコイルが悲痛な声を上げる。それは断末魔に近い悲鳴のようだった。


(な、何が?)


 人の意思の残る当夜だったからこそ踏みとどまれた。周囲に再び意識を戻した当夜は思わず息をのむ。当夜を取り囲むように【暴食】が数百という数で飛び回り、ありとあらゆる物を喰らい尽している。エルフたちは一か所にまとまって結界で身を守っているが、術者たちの顔色は優れず風前の灯のような薄い壁を皆、恐怖の中ですがるように見守っていた。

 慌てた当夜は即座に【暴食】を消す。地面にはクレーターが無数に点在し、数十あった木々は残り数本に減っている。ペリドットのごとく若草色に敷かれていた草原は夏と秋を飛び越えて冬になったかのように枯草になっている。


『これは...』


 当夜の感情に戸惑いと己への恐怖が渦巻く。感情に呼応するようにマナの流れが当夜から噴き出る。結界からよろよろと出てきたホコイルの腕を当夜から溢れたマナが撫でる。瞬間、ホコイルの腕がねじれて宙を舞う。


『あっ』


「どうか、お静まりくだされ。私を取り込んでくだされば北の大陸までの道のりは開かれましょう。どうか、私一人の命でお許しください。」


 千切れた腕から流れる血を止める手立てを立てぬままホコイルは膝をつくと当夜には理解に苦しむことを言う。


(取り、込む? 命で許す? 何、言っている、んだ。)

『ち、違う。違うんだ。そんなつもりは無いんだ。』


 ホコイルの言葉を読み解けば読み解くほどに己のここまでの行動に業の深さを感じ入らざるを得ない。このまま素直に彼の言葉に従うことなど出来ない。


「左様でしたか。失礼しました。」


 ホコイルはひどく事務的な声で謝る。そこに一切の気持ちは込められていない。


『そんなことより止血を、』


 当夜は膝を折ってホコイルの視線に並ぶ。彼から感じられるマナに和らいだ雰囲気が混じる。


「...ははは。やはり貴方様は心優しい精霊様だったのですな。ですが、すでに私はおろか周囲もマナが枯渇しております。もはや、」


『そんなことを言わないでください。時間を巻き戻せば、...マナが足りない? それなら大地を【暴食】に食わせてマナを作りだせば、』


 ホコイルの続く言葉を上塗るように当夜は言葉を重ねる。例えそれが現実的な解決策で無くとも挙げざるを得なかった。

 肩を抱かれる。気づけばホコイルに当夜は覆いかぶされるように抱きしめていた。


「時間遡行など容易にはできますまい。この命、無駄になるよりもその魔法で貴方様の糧として下され。」


『———なんで、そこまでしてくれるんだ? おかしいだろ、突然現れた簒奪者相手に!』


 当夜はホコイルの両肩を掴むと引き離す。


「———そうですな。言葉にするならばこの場から同胞たちを守るために貴方様に早く離れていただきたいという抵抗とでも。」


『...それは申し訳ありませんでした。僕の短慮が招いたことです。』


「それにこちらにも利点はある。その力があれば我らをここに追いやった彼の者を打ち滅ぼしてくれるやもしれないという打算もあるのだよ。」


 徐々に言葉に力を失っていくホコイル。マナの濃度でそのものの在り様を見ている当夜にはそのことが如実に理解できる。例えマナの満ちた空間めがけて移動しようにも転移は封じられ、物理的な移動手段では到底間に合わない。そうした救済もまた一つなのかもしれないと当夜の頭の片隅からささやきが聞こえてくる気がした。


(だけど、彼の言葉に従って彼を喰ってしまったら僕は奴とどこが違う? そんなの間違っている。)

『だとしても、僕はっ』


 当夜は突如立ち上がるとがけ下に飛び込もうとする。一見、自殺行為にも思えるががけ下ならば多少はマナも残っているだろうし、無ければ【暴食】によってマナを回収するだけだ。その後、即座に戻ってマナを解放する。そうすれば彼らのいずれかが治癒魔法でも使えるだろう。


『その必要はありませんよ。私が力を貸します。』


 突然にマナが大気中に満たされる。その存在に当夜は振り返る。そこには一人の女性の姿があった。それまでに見ていたエルフたちに見劣りのしないその容姿にも驚きだが、彼女の纏うマナの気配は人のそれでは無い。そして何よりその姿に見覚えがあった。純白の法衣、地面まで届くかのような長い金髪の少女。真紅の瞳が当夜を捉える。


(嘘だろ...)


 彼女の姿はかつてクラレスの詰所で冤罪を作り上げた神官の姿そのものであった。それはすなわち、ことあるごとに当夜たちを苦しめてきた危険人物であるフレイアの姿ということである。


「傷が、無くなった? また新たな精霊様が...」


 ホコイルが呆然とした表情で失ったはずの腕が自由に動く様を見つめている。


『君が、———【癒しの精霊】?』


 別に彼女のことを知っているわけでは無い。無いのだが頭が勝手に理解してしまう。そこに世界の真理が付け加えてくる、彼女はフレイアではないと。それでも一切無関係とは当夜には思えない。


『自己紹介はまだだったと思いますが正解です。』

(彼は【時空の精霊】? いえ、それだとおかしなことになるわ。)


 残されたエルフたちの方を向き直ると抉られ、枯れ果てた大地すらも治していく。次々に芽吹き成長を始める木々や草花。住人たちの歓声が響く。


『どうして、』


 当夜は恐ろしい存在であるフレイアのことを思い出して思わず言葉を詰まらせる。本当に彼女が助けに来てくれたのかもわからない。この後に手のひら返しを見せられては耐えられない。


『どうして助けてくれるのか、ですか? 私は貴方を助けに来たのではありませんよ。この方々を助けに来たのです。ですが、貴方がそう思ってくださるのでしたら私のお願いを聞いてもらえますか?』


 当夜の問いに彼女は少し申し訳なさそうに苦笑する。そしてすぐに真顔に戻るとひざをついて許しを請う姿を見せる。ここが教会であればどんなに絵になったことか。その目は優越者が見下すものではなく、真摯に願い乞う者のそれだった。


『———ハハ。交渉が下手にもほどがありますよ。それでどんな頼み事ですか? 前向きに検討させてもらいますよ。』


 当夜は顔を片手で押さえて小さく笑う、己の心の狭隘さに。

 当夜の反応を是と受け取った【癒しの精霊】が当夜の手を取る。精霊と言う存在が無機質なものと勝手に思い込んでいた当夜はその手の温かみにも柔らかさにも驚きを抱かされる。


『あの人を助けていただきたいのです。異世界から迷い込んでしまったあの人を。』


『異世界から、の?』


 当夜は【癒しの精霊】の言葉の中からその言葉を引き抜く。その言葉に字列だけではない何か因果の込められた小さな棘のようなものが感じられたからだ。


『はい。彼は戦いに敗れて追われている身の上だそうです。確か、チキュウという世界から迷い込んだそうです。』


(間違いない。奴だ。)

『助けて、って言ったよね? 君は奴の仲間なのか?』


 やはりと確信した当夜は拳に込める力を強くする。同時にその体からたちこめるマナの気配。すぐにでも【暴食】を呼び出して戦闘に入れる状況だ。にもかかわらず【癒しの精霊】は顔色一つ変えない。


『仲間ではありません。むしろ彼には仲間と呼べる人はいないでしょう。故郷のためと人を道具としかみなさない実験を繰り返して自らの兵器として生み出す。同郷の人ですらそう扱われていましたから。私も家族を、友人たちを奪われました。この世界の者たちからは疎まれる存在です。

 だからこそ、彼は可哀想な人なのです。自ら剣を取ることもできず、他者を巻き込んで己が我を通そうとする、そのような生き方で安寧など得られるはずがないというのに。巻き込まれた者たちの怨嗟をひたすらに集めてしまう。だから、』


 当夜の脅しに近い威圧を前にしても表情を変えなかった【癒しの精霊】が憂いに顔を曇らせる。


『———わからないよ。君の気持ちはわからない。僕にはぜんぜん可哀想には思えない。だからどんな形でも救う気にはなれない。君だって被害者の一人なんだよね? どうして君は、許せるんだ? 怒りが一週回って呆れに変わるとそうなれるのか?』


 子供が駄々をこねるように苛立ちを隠せず当夜が声を荒げる。遠くで村人たちが小さく悲鳴を上げる。当夜の感情の乗ったマナに中てられたようだ。どうにも精霊になってからいつにも増して感情の制御が難しい。


『難しいですね。ですが、彼は彼なりに苦しんでいたようなのです。私にはそれを癒して差し上げることはできませんでした。』


 うなだれてそれこそ心痛なる表情を浮かべる【癒しの精霊】に冷めた目線を送りながら当夜は吐き捨てる。


『まぁいいよ。君と奴にどういう事情があるかは知らないし、知りたくも無い。とにかく、僕は奴を止めなければならない。約束なんだ。だからもう行くよ。』


『それならこちらを。』


 背を向けて飛び石のように北方を目指そうとする当夜に【癒しの精霊】から声と共にマナに包まれた輝く球体が届けられる。それは自然に当夜の背中に溶け込み位置情報を与えると同時に情景として脳裏に再現される。そこには世界樹がそびえ、その横に立つ男はまさに当夜が止めるべき相手であった。


『———ここに居るんだね?』


『ええ。後のことはお任せします。』


 振り返ること無く問う当夜に静かに肯定する【癒しの精霊】の声は少しばかり震えているように聞こえた。


『期待に沿えるかはわからない。では、失礼。

 えっと、村長さんと村の治癒に感謝します。』


 そう言うと当夜の姿は渦巻く門の中に呑まれて消えた。

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